Episode-3-5
市内へと戻り、人波の多い繁華街の中心を月森と縦列になって歩いていた。
目的は何かしらの情報探索だ。
時刻は午後四時半頃、七時にはアパートに戻ってフランと作戦会議。
俺は、明らかに彼女と距離を置いていた。当然だ……告白をした相手にフラれて、月森だって平然としていられるはずがない。
月森にとっても、この距離は必要なことなんだ。
我ながら独善的な考えだと、強く唇を噛み締める。それでも、気持ちの整理をつけるには丁度良い機会だと……俺は、なりふり構わずそう思うことにした。
今は、月森と手を繋いだ時間も遠い過去の記憶。
忘却の彼方に追いやり、無心になることを意識する。頭の中で何度も何度も繰り返される月森の言葉を、俺は振り払った。
時計を確認するサラリーマン、集団で歩く男子学生、女子児童とその母親。様々な人々の前を通り過ぎて、ひたすら足の赴くままに進む。
雑踏にまみれた世界で、俺は個人という人間性を薄めていく。
何十、何百という人間を無視し続けて歩いていると、普段なら気にも止めないはずのことが見えてしまう。
「あっ…………!?」
思わず、声がでた。
縦横無尽に巡らされた棒人間の中から、一人だけ本物を見分けるような錯覚。
その中に、俺は佐伯凌真らしき姿を視認していた。
「……ヒカル様、行きましょう」
聖剣を抱えた月森が声をかけてきた。どうやら、彼女にも映っていたようだ。
「ああ……ただ、アジトを見つけるのが優先だ。深追いはしないように慎重に行こう」
今は月森との関係を気にしている場合じゃない。
人垣を縫うようにして、俺と月森はその後ろ姿を追っていった。
※
人通りのない路地裏を抜けて、辿り着いたのは古びた工場。
財政の負担になるのを避けるために、過疎地の建物は取り壊しがされない。人の記憶から忘れ去られて数十年の歳月が経過してそうな雰囲気のある廃墟だ。
割れた窓の隙間から中を覗く。
鼻を伏せたくなるような土埃と鉄臭い刺激にやられて、思わず顔をしかめた。
夕焼けの差し込む工場の中央から左右を見渡すが、中には誰もいなかった。
(……何か嫌な予感がするな)
第六感が、危険信号を伝えていた。
無人の廃墟だが、埃の溜まった工場内部には生活の跡が見られない。つまり、凌真はここを根城にしていた可能性が極めて低いということ。
せっかくの収穫は勿体無いが、確証のない段階での勝手は命に関わる。
俺は月森に合図をして、この場を立ち去ろうとした。
しかし……。
──ぴちゃん、と水の音がした。
恐る恐る地面に視線を向ける。そこには、あの黒い液体が網を張っていたのだ。
「月森、危ないっ!」
「……わっ、ヒカル様っ!」
俺は月森を抱えて猛ダッシュした。その矢先、何重にも分離した液体が黒い刃に変質して、俺と月森に襲いかかってきた。
失敗した。歯を噛みしめて後悔する。普段なら気づけたはずの、ほんの些細なミスに月森まで巻き込んでしまった。まだ気が散漫な証拠だ。
月森から聖剣を借りたいものの、敵の攻撃が猶予を与えてくれず。
とにかく安全な地帯まで逃げ切るしかない。
次々に空気を貫いて迫る刃に、躓きそうになりながらも致命の一撃だけは回避する。腕や足に、かすり傷程度のダメージが容赦なく与えられる。
月森を降ろして戦えば形勢を押し返せるが、そのタイミングが掴めない。
「ヒカル様、私を離して、戦って……!」
「駄目だ! 今そんなことをすれば、間違いなく奴らは月森に狙いを定める!」
生い茂る雑草の中を掻き分けて走る。
僅かコンマ数秒前に俺が通過した場所を、黒い刃は雑草ごと切り裂いていた。
「くそっ! 草の手入れならよそでやってくれっ!!」
草を踏んで疾走する。人のいる場所まで行ければ、追ってはこないだろう。雑念が意識をよぎった瞬間、俺は蔦に足を持っていかれた。
「うっ……!」
月森を抱えたまま、草上を二回転ほどする。刃は確実に俺を捉えていて、このままだと月森から聖剣を手に取るよりも早く殺されてしまう。
駄目か──月森を抱いて観念した時、空を裂いた刃の音が止まっていた。
閉じていた瞼を開くと刃はどんどん遠ざかっていく。
その先では人影が魔剣をかざして立ちはだかっていて、その刀身へと帰還するように黒い液体が吸い込まれていった。
「……やっ、お久しぶり。ヒカル君」
「凌真っ!」
魔剣をぽんぽんと手のひらで叩いて、愛嬌のある顔をしている。
人影はまさしく、佐伯凌真……本人だった。
俺は月森の上体を起こして大丈夫かと尋ねると、一呼吸置いてから合図が返ってきた。どうやら何とか無事のようだ。
しかし、現状は依然として深刻なのは変わらない。
身構える俺に近づいて、凌真が陶然とした面持ちで語らいだ。
「おやおや、少し見ない内にすっかりしおれてしまったようだね。男性にも女性にも、愛でる花の美しさがなければ鑑賞にも足りん。もしくは、隣の花に穢されてしまったのかな」
凌真が俺から視線を外して、横にいる月森に焦点を合わせた。恍惚な表情の奥でうごめく暗闇を感じ取ったのか、月森の身体が僅かに震えていた。
刀身を鈍く光らせて、凌真は雑草を踏み潰しながら向かってくる。
俺ができることは、凌真と──奴と戦うこと。
「月森……聖剣を貸してくれ。俺は戦う。自分の為、あいつの為、お前やフランの為にもな」
「……ヒカル様、死なないで下さい」
頬を緩く和らげて、俺は聖剣を受け取った。
剣全体を包む布をほどき、太陽が刃の側面に地平線を築く。
「行くぞ、凌真……お前が気を抜いた瞬間、その魔剣ごと斬り伏せてやるっ!」
「ハハハハッ! さぁ、来たまえ……闇の淵に抗う、孤独を束ねし燐光よ。その勇気でもって、己の悪に一太刀のいざないを……!」
鋼の魂が、金属の音に混ざって爆ぜた。
※
魔剣が天を舞った。
夕暮れの空に飛ぶ無造作なアーチで物悲しい音楽を奏でる。
「ん、くっ…………!!」
空中へ逃れる凌真目がけて聖剣の一振り。剣先は月の輪郭を描くように流れ、柳を相手にして不発に終わった。
後方へ宙返りして着地する。磁石みたいに、掲げた手のひらへと魔剣が吸収されていった。
俺は一度、聖剣を引っ込めた。中段から下に向けて浅く構える。
魔剣の所持者は、不敵な笑みを漏らした。
「フッ、フフフフフ…………とても冷静で見事な太刀筋だ。もう少し判断が遅れていれば、左目と右目が初顔合わせするところだったよ」
未だワイシャツと学生服に身をやつしている凌真。第二ボタンから第四ボタンまでを通過して、あいつの身体には線状の血跡ができていた。
懐をまさぐり、自分の血液を舐めている。
魔剣から、黒い霧が発生していた。綿飴大の黒霧は単体の現象として分離し、手から零された血液と混合して黒い液体に変質する。
地面に音をあげて落ちる、広がった湖から二体の『影』が誕生した。
精巧に形作られていたあの影とは違い、どこか人形めいた姿を見せる影は、それぞれ男と女の人間へと生まれ変わった。
不明瞭だが、これは自己の記憶を基にして誕生するらしい。
表情は鮮明とせずイマイチ分からないが、どこかで見たことのある姿。記憶の糸を辿れば、それは剣道部の同僚だった。
「さて、ヒカル君は自分の為に同僚を斬ることができるのか、観客への見物料はサービスするよ」
腕の号令を受けて、影の生徒は機敏に動きだした。
「…………」
俺はそのままの体勢で、軽く目をすぼめた。
それぞれの腕に剣が握られている。まず最初に襲いかかる男の偽者を一の太刀で剣ごと両断し、次に伸びてきた剣を寸前でかわし、二の太刀で女の心臓部分を貫いた。
黒い液体が同時に四散した。
ほどなくして、俺は元の姿勢に戻る。そして凌真の姿を見据えた。
その頃には既に、彼に与えた傷は塞がっていた。
「……素晴らしい動きだ。でも、次はどうかな?」
「やめろ、こんな影じゃいくらやっても俺は倒せない。この聖剣がある限り、影の能力では屈したくても屈しようがない」
体調からそれは紛れもない事実。強烈なエネルギーが、俺に呼吸すら乱させなかった。
「……それは、どうかな……フフフフッ……!」
凌真は自分の頬に魔剣を這わせ傷をつける。
新たに二体の影が誕生した。
「無駄だ」
迫る二体の追撃者を比較する。
出踏みの僅かな差異から行動を見分け、俺は数秒前の再現を演出した。
だが、凌真は絶対的な自信を持っているのか、自分の行いに躊躇はなかった。同じように影が生成される。飛びかかってくる。斬る。向かってくる……滅ぼした。
数十体に及ぶ影が虚しく空中で四散。
確かに、聖剣から伝わってくる力は大分落ち込んだ。しかし、同じように魔剣の力を消費しているせいで、向かってくる影の性能自体も劣化していた。
お互いの力を丁寧に削ぎ合っただけ。
「……もうやめろ! これ以上続けても意味がない。勝負だ、凌真!!」
俺は聖剣の切っ先を凌真へと向ける。
凌真は笑った。
「……いや、今日はここまでにしておくよ。既に目的は果たしたからね」
「何……?」
もう目的を果たした?
あいつは、聖剣の力を消耗させることが狙いだったのか?
思考を読まれたような鋭い言葉が、俺を刺し貫いた。
「……半分正解だよ。答えは、君の後ろにいる女にでも聞いてみるんだね」
「おい、どういうことだっ!?」
叫んだ言葉が虚空に拡散して霞みと消える。時を同じくして、俺は凌真の姿を紛失した。
元の日常が戻った……そう、思っていた。
「ふぅ、月森終わったぞ。一度戻って────」
振り返ると、少女は草むらの上に倒れていた。抱き起こすと、ぐったりとして意識がほとんど飛んでいることに気づく。
「月森、おい月森しっかりしろ! どうしたんだ!!」
「……ヒカ、ル……さ、ま…………」
「おい……月森っ!! 月森ぃぃぃ~~~~~ッ!!!」
俺は気を失った彼女を抱いたまま叫んだ。




