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ミルフォードの刻印  作者: モカブレンド
Episode3-月下の選択-
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Episode-3-2

「お主、大丈夫か……?」


「まぁな……」


 俺は半泣きになりながら、心配するフランに答えた。


 時刻は午前七時と三分に四十五秒を超えたところ。部屋内の時計調べだ。


 朝番組で挨拶をする司会と助手を眺めながら、俺は痛まない方の頬に手をあててテーブルに肘をついていた。


 現在、俺の左頬には月森の手形がくっきり残っている。


 あの後、近隣住民が家のベルを鳴らした。


 咄嗟に起きあがった月森が上着だけ羽織って弁解しに行ったが、玄関には堂々と男物の靴(俺の)が並べてあるし、きっと変な勘繰られ方をしただろうことは間違いない。


 ぱたぱたとエプロンを翻して、月森が俺にタオルを持ってきた。


「ごめんなさい、ヒカル様……叩くつもりはなかったのですが、恥ずかしくなってつい……」


「い、いやいや! 俺が悪いんだって、別に月森が謝ることじゃないさ!」


「でも……」


 俺は大層申し訳ないといった顔の月森に愛想笑いを浮かべる。


 月森が俺の頬に冷たいタオルを当ててくれる。大丈夫だからと口にして、俺は月森の手からタオルを取った。


 月森は台所へ戻っていった。


 これから、少し遅めの朝食準備だ。昨日は色々とあって、俺も月森も疲労困憊していた。おかげでぐっすりと眠れたのだが……。


 まず、どうして俺が月森と一緒に寝ることになったのか説明しなければいけない。


『影』との戦いを終えてコンビニへ行き、俺は月森の住むアパートへと戻ってきた。相変わらず気合の入った内装の部屋で、疲れを癒すために一時間くらいゆったりとくつろぐ。


 コリに効くツボマッサージとやらを月森に試され、俺もやってあげようかというと、目がえっちだからダメなんて返された。そんなに俺は獣っぽい目をしてたのか……?


 一応、昨日のえらく突き放された態度の月森はすぐに解消された。あれは何だったのか。


 その代わりに、時間が経過するにつれ、やたらと俺のことを注視してくるようになる。


 俺が何の気なしに、そろそろ寝ようか~なんて口にした頃、事件は起きた。


 何故かそそくさとリビングから繋がる一室へと駆けていった月森。五分ほどして、扉を開いて戻って来る。そして、俺を呼び始めた。


 腰をあげて部屋に入ってみれば、何とそこには一人用とはいささか群を抜いた二人様御用達のダブルベッドが。


 しかも、人肌で暖めておきました。なんて言っている。


 思わず俺は、少し前までキャスケットをかぶっていた銀髪少女の提案を断る。


 間違いなくそのベッドは、彼女が普段使っているものだろう。第一、女の子のベッドで寝るなんて一介の男子高校生には、ちょっと雑念と相談してもノーサンキューと言われるくらいには難しい。


 俺は床で寝るから、月森はベッドで寝なよと進言する。


 そんな浅はかな少年の優しさは、いともあっさり砕け散った。


 ここにきて月森が、禁断の荒業に出たのだ。


 一緒に寝てくれないと屋上で襲われたことを学校中にバラす、と。


 まさに爆弾宣言。俺の人生という舞台での選手生命が根絶寸前に追いやられる。


 さすがにそんなことをされれば、俺はホームグラウンドからサヨナラすることになる。


 勿論、月森のことだから冗談だとは思うが。


 俺は渋々と受け入れた。


 だが、果たして月森が俺と一緒に寝て何か良いことがあるんだろうか。


 月森に聞いてみると『客人を床に寝かせるのはだめ……それにヒカル様は、救世主だから』なんて風に言われた。余り納得がいかなかったが、瞳をうるうると震えさせる彼女に完敗を喫した。


 気まずいながらも、月森と距離を置いて布団に潜る。


 俺が悶々としていると、既に少女は安息を立てて眠っていた。


 この隙に乗じて部屋を抜け出そうとすると、寝ぼけた月森に服を引っ張られベッドになだれ込む。そして勝手に服を脱ぎだし、あの惨状というわけだ。


「ヒカルよ、少し見ない内に老けたのぉ」


「ほっとけ」


 フランが、しししと目を細めて微笑を浮かべる。


 台所からは、とんとんとん……小気味良い包丁の音が聞こえてくる。月森は俺とは裏腹に、どこか嬉しそうな幸せコックさんになっていて、今にも鼻歌が混じりそうだ。


 番組の何気ない会話を楽しみながら、フランと談笑する。


 月森が料理を作り、フランが場を盛り上げる。


 こんな生活も悪くないな、と俺は思い始めていた。


「なぁ、刻印はミルフォード家の人間にしか発生しないんだろ? なら凌真も子孫なのか?」


「わしにも正確には分からぬが、魔剣を扱えるということは、きっとそうなんじゃろ」


 濡れたタオルを置いて、代わりに左手の刻印を見つめる。


「お前さ、三百年の間は何して過ごしてたんだ? ずっと幽霊だったわけだろ? それに、お前の姿が見えたのって月森が初めてなんじゃないのか」


 フランが浮いた身体を落とし、両手を添えてテーブルに腰掛けた。


「日本に来たのは三十年くらい前じゃ。それまでは、ずっと欧州の方で過ごしておった。とは言うても、散っていったミルフォードの家系を、ただ何となく眺めておっただけじゃが」


「それで、月森に会ったのか」


 フランは頷いた。


「あの屋敷の事件が終わってすぐ、魔剣が一人でに姿をくらましたのじゃ。どこへ行ったのか検討もつかず、残された手がかりは聖剣だけ。聖剣は遺品として家系に残ったが、それもいつしか他者の手に渡り、商人に売られ、大した値打ちもなく野に放たれていったよ」


「あんな軽い剣、偽者だと思うだろうしな。で、聖剣はどこで入手したんだ?」


「うむ……薄れた血筋は、やがて日本へ到達した。今の月森家じゃな。わしはユイの先代の時からずっと眺めていた。ユイが誕生して間もない頃、父親が家の守り神のような形で、骨董品として聖剣を買ってきたのじゃよ。その時ほど、わしは運命を感じたことはなかったのう」


 そうだったのか……。


 俺は深々と思い出話に耳を傾ける。


「ユイは本当に可愛くてのお……一歳の誕生日、初めて両足で立った時、悪戯をして怒られた時、色んな物事を学んで成長する姿に、本当の純真さとは何かをわしに教えてくれたよ」


 台所にいる、月森の後ろ姿に日差しがかかって煌いている。


 まるで湖に反射する太陽の光みたいだ。


 だが、もう一人の少女の顔には影が映る。


「……本当は、わしの姿など見えなければ良かったのかもしれぬ。その方が、両親には大切に扱われていたじゃろう」


 フランの唇に苦虫を噛み潰したような悔しさが見える。


「三歳頃わしの姿が見えるようになったユイは、楽しげに語りかけてきた。三百年ぶりに人と会話をして、わしは高揚する気持ちを抑えきれんかった。ユイと仲良くなり、三世紀に渡り蓄えてきた種々様々なものを教えて親睦を深めていった。だが、それは同時に親の不信を買うことにも繋がった」


「…………」


「両親に対する興味が薄れていって、少しずつ摩擦ができ始めた。あんなに可愛かった娘が親の愛情に関心を示さなくなったのじゃ。小学生にあがる前ユイは親に問い詰められた。幽霊は存在しない、だからお前は普通の子として生きるんだ、とな」


「それで、どうなったんだ」


 窓の外に目を傾ければ、そこには住宅街が広がりを見せる。


 果てしなく雄大で、世界と繋がっている……人々の住む日常。


 それは親なら誰もが切望し、子供に願う社会への従属、依存、安定、恒久的な平和。


「……親を否定した。その時ユイは何て言ったと思う?」


 俺は熟考した。


 純真無垢な少女が求める、答え。


 それは────。


「ユイは『可哀想だから』と答えた。自分がいなければ、幽霊は一生独りぼっちだから、と。わしはその時、自分が死んだことの悲しさ、三百年を生き続けてきたこと、ユイが教えてくれた愛を与えることで初めて人を救えること、その全てを理解して号泣した。わしは誓った。ユイが亡くなるまで、その一生を支え続けようと」


「そっか……」


 俺の目頭も、ふいに熱くなる。


 二人の絆は誰にも奪うことのできない確かなもの。それを深く心に刻んだ。


「ユイと心を交わした時、蔵にあった聖剣が輝いていることに気づいたのじゃ。それはまさしく、神からの啓示。三百年間、神を信じなかったわしに贈られた奇跡だったのかもしれぬ。その時に、ミルフォード家の闘いがまだ終止符を打たれていないこと、消えた魔剣を探すこと、聖剣の主を探すことを告げられた。わしとユイの目的が見つかったのじゃ」


 それ以降は、きっと俺が聞いた話の続きだろう。


 祖父の家に送られ、そのうち一人暮らしをするようになり、聖剣の主を探して放浪、か。


 月森はこうして、フランと一緒に成長してきたんだな。


「そして三年前──」


「三年前?」


 相槌を打って返事を飛ばすと、その声に何故かフランはハッとした。


「……いや、何でもないのじゃ。ところでヒカルよ」


「ん?」


 表情をふてぶてしく変化させて下衆顔スマイルを俺に放った。


「お主、ユイに聖剣を渡さなかったじゃろ」


「えっ!?」


 突然の質疑応答を要求される。


 聖剣を渡さなかった? どういうことなのか、心当たりがなかった。


「夜中、抱き枕の代わりにされたという話じゃ」


「ドキッ!?」


 慌てて、テーブルに置いてあったタオルを落としそうになる。


 ああ、やっぱりそうだったのか……俺は納得した。月森に抱きつかれたのは、わざとじゃなくて普段抱えてる聖剣が懐になかったせいなのか。


 その割には、俺の名前を連呼されていたが……。


 フランは卑下するでもなく鼻で笑った。


「いや~何かそんな予感はしたんじゃがの。せっかくの女子とのベッドインじゃ。邪魔しちゃヒカル殿に悪いと思ってのう!」


 相変わらず七福神の恵比寿みたいな笑顔しやがって。俺は内心で毒づいた。


「で、何回戦イタシタのじゃ?」


「スイマセン言ッテル意味ガ分カリマセン」


 またこいつは……さっきまで深刻な顔をしていたとは、とても思えない。


 マイペースというか何というか……まぁ、フランらしくて良いけど。


 小夜実が死んでから、俺の心はずっと癒えなかった。


 だが、フランや月森と会話するようになって、それも少しずつだが落ち着いてきた。


 窓の陽光が眩しい。


(朝日がこんなに綺麗だったなんて、知らなかったな)


 そんな風に、俺は独りごちた。


「ところでのう、ヒカルにお願いがあるのじゃ!」


 ぱしっと合掌して、俺にへこへこと頭をさげてくる。


 お願いねぇ……。


 俺はフランが冗談を言う時は、更に上の要求をしてくることを知っていた。どこまでも都合の良い考え方だなとも思うが、同時に彼女っぽさを感じて断りきれない。


 きっとまた月森のことだろう。


 彼女をセクハラしろだのと仰る腹積もり。


 ふっ……俺も、耐性がついてきたからな……。


 俺は優雅に、テーブルに用意されたコーヒーをずずっと一口含んだ。


「ユイの恋人になってはもらえぬか?」


「ぶばああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!」


 黒状の霧を辺り一面に噴射してしまった。


 この部屋は、主に俺のせいで霧の発生頻度が高い。ロンドンかサンフランシスコかと言った感じ。新たな日本の高頻度霧発生地区として指定される日もそう遠くないはず。


 でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。


「ごほっ、おまっ、そ、それっ、ごほっ、はっ……」


 喉に詰まったコーヒーに、思わず咳き込んでしまう。


 今、トンデモ発言をしたぞこいつ。


「なぁ、ダメかのう……?」


 眉を八の字にして、俺の顔を覗き込んでくる。


 呼吸を整えつつ、タオルでテーブルをふきふき。


「あのさぁ……ダメとかそういう問題以前に……」


 突っ込みを入れるのも野暮だが、ここで引けない。


 その台詞をフランが代弁する。


「仮に俺が好きだったとしても、月森がそう思ってるかは分からない……じゃろ?」


「ああ」


 番組を眺め、改めて口直しにコーヒーをすする。


 苦いものが喉奥に流されていった。


「ここで隠していてもしょうがないじゃろ。はっきり言うと、ユイはお主のことが好き。ヒカルも、それは感じてたはずじゃ」


「…………だと、してもだ」


 俺はためらった。


 ブラックの味を舌に覚えさせる。


 確かに月森ユイは、俺に対して特別な感情を持っている。


 それは、今までの行動からして明らかだった。俺だって馬鹿じゃない、あれだけのコトをされれば彼女が好いてくれているのは、一目瞭然だ。


 だけど……俺の心はひび割れたガラスが擦れたように、じゃりっという音を立てた。


 果たして、それは本当に彼女の、俺への恋心なんだろうか。


 ──月森は誰にでも優しい。


 運命を理由にして学校生活でも不遜な態度を保ってはいるが、それがなかったら、彼女はきっとどんな相手に対しても、同じように優しく接しただろう。


 彼女に好意を抱かれているのは、俺が『聖剣の主』だからであって、それ以外の何でもない。


 俺と月森の間には、運命以外の接点はないんだ。


 近い将来、この戦いが終わったら彼女は一人の少女に戻る。


 友達もできて、恋人だってできるだろう。


 その時に霜月光という存在は邪魔になる……絶対に、間違いなく。


 置いたカップの縁で、コーヒーが波紋を広げた。


 選べる選択は、二つに一つ。


 凌真……あいつならこんな時、どう考えるだろうか。


 ──就寝前、凌真から貰った手紙を読んだ。


 内容は外面と似たような文章がつづられていた。ただどことなく、あいつは以前から、俺と小夜実の関係を気にかけてくれていたような、そんな気がしていた。


 だからこそ、凌真は俺に果たし状を送ってきてくれたのかもしれない。


 あいつはいつだって、俺が迷った時に手を差し伸べてくれた。部活を辞める話をした時も、怒ってはいたが嫌な顔ひとつせず、俺の言葉をしっかりと受け止めてくれた。


 確かに、起こってしまった運命は変えられない。


 だが、選ぶことはできるはずだ。


 少なくとも今は、まだ悩むだけの時間は残されている。


 そして俺の中では、まだやり遂げていないことが一つだけ残っていた。


「妹との、約束を忘れられんのじゃろ」


「…………」


 図星だった。


 三年前に実の妹が事故で死んだ。


 今年の春には、小夜実という新しい妹を迎えた。義理なんか関係ない。俺にとっては、あいつは紛れもなく妹だった。


 小夜実と二人で生活して、ようやく幸せを感じていた。


 昨日の昼のことは、今も鮮明に思いだせる。


 小夜実は俺のことが、好きだと──。


 たとえ次に出会うのが小夜実の亡骸だったとしても、俺はあいつに何も言わず、次のステップに進んでいくことはできない。


 あいつの魂を、この手で救うまでは……。


「のうヒカルよ」


 フランはそこはかとなく遠い目をして、口を開いた。


「お主の妹は死んだのじゃ。今、ここで生きているお主が死んだ人間に引っ張られてどうする。妹の幻影を追うことは、わしのような幽霊を追うのと同意義じゃ……」


「分かってる。分かってるけどさ……」


 はけ口を求めて、俺はやるせない気持ちを撒き散らす。


 それ以外に今の憤りを覆す手段がなかったからだ。


「お主がすぐに答えを出せるとは思うておらん。この話はここまでじゃ」


「…………悪いな」


 俺は月森の母親代わりである幽霊に、深く頭をさげた。

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