<最後の夜>
「何を書く気?」
ミュージシャンが尋ねた。
「もう僕たちみたいな人間をつくっちゃいけない」
「えっ?」
「僕たちの思い出を書く。屋根裏の構造、よく遊んだ場所、お気に入りの店、うるさいオヤジたち…残すんだ、足跡を」
「最後みたいな言い方するなよ…」
小説家が言った。少年は少し笑った。
「何で残さなくちゃいけないんだ?」
ミュージシャンが再び尋ねた。
「もしこれから先僕たちみたいな人間がここへたどり着いたとき、これがあれば救いになる。僕たちはこれで終わっちゃうけど、ずっと終わらないくらい楽しく生きてほしい」
「なるほどね。オレたちの思い出が形になるな」
ミュージシャンが納得して言った。
そして三人は書き上げた。記憶を呼び起こし、屋根裏部屋がどうなっているかということ、クローバー平原のこと、よく遊んだ場所などいろいろ書き残した。
そしてそれを机の引き出しにしまった。
次に三人は平原の中ほどに来ていた。三人で小さな円をつくり、座り込んだ。
まもなくして少年が
「大事な話がある」と切り出した。
二人は黙って続きを待った。
「ここで…お別れだよ」冷たい風が円を通り抜けた。
「何だって?」
二人が尋ねた。
「お別れ…お別れなんだ」
涙ぐんだ少年が言った。
「何言ってんだ、早すぎるぞ」
小説家が言った。
「黙ってたけど…病気なんだ、気づいていたろ?」
「き、気づいていたさ、でも治る、絶対に」
ミュージシャンが言った。
「そうかもしれない、でもそれじゃあダメだ。自由もない。迷惑だってかける」
「………」
二人は黙っていた。
「だからここでお別れだ。永遠に」
少年の声は震えていた。
「死ぬ気か?」
少年は小さく頷いた。
「何も死ぬことないだろ!頭冷やせ」
ミュージシャンが怒鳴った。
「死にたいわけじゃない!でも僕はもう自由を手に入れた」
「自由……?」
「僕は楽しかったんだよ。わかってくれるでしょ?僕の地獄の日々を考えれば…やっと手に入れた自由なんだ。仲間にも恵まれた」
少年はゆっくりと言った。そして
「もう終わるんだ、それも。この病気だし…お前らに、迷惑かけたくない」と続けた。
「なんの問題もない!そんな気まずい関係か!?」
小説家が言った。
「言ってたよな?二人とも四年後にはデビューを果たすって」二人は気づかされたように頷いた。
「そのときにはもうこんな生活してない。僕にはそんな立派な夢がないんだ」
「つまり…刑務所を出てその先の人生ってことだな。出所後立派な夢があるのはオレたち二人で‥お前はそれがない上に唯一の希望である自由もないってことか」
小説家が要約した。さらに
「屋根裏も使えないし…か」と続けた。
「自由と自堕落は違う」少年が言った。
「さらに病気のこともあって、オレたちの二十歳デビューに支障が出てしまうのじゃないかと」
小説家が付け加えた。
「何より自由をつかんだんだ!友情さえも」
「勝手に話を進めるな。嫌だぞ、そんなのは」
黙っていたミュージシャンが口を開いた。
「わかってくれ、僕のような人間はそういう人生なんだ。だからもう僕みたいなのが出ないように、書いて残しただろう?」
「だからって、お前が死ぬことない!」
少し間があいた。遠くでは、何も知らない柳の木が同じリズムで揺れている。
「こっそり抜け出して病院に行ったんだよ。過度な栄養失調で、まるで戦争時代だって言われた」
「確かに食料が底ついたのは事実だ。でもそれだったらオレたちもそういう病気になるはず…」
「すべては今までの生活にあったんだ、屋根裏に住む前のね。そこですでに患っていたんだよ。体も弱っちゃって」
「なあ?本当に…」
ミュージシャンが言いかけた。
「もうすぐ二時間だ…いいね?二人とも?」
返事はない。
「こんな僕と今まで友達でいてくれて、どうもありがとう…!」
二人は黙って立ち上がり、背を向けた。
「一つだけ約束してくれないか?」
ミュージシャンが言った。そして
「また会おう」と言った。
少年はにっこりと笑って「もちろんだよ」と言った。
「行って。そろそろ二時間になる」
少年が言った。二人はフラフラと歩き始めた。
「あ!言い忘れてた」
二人は振り返った。
「四年後!二人でここの空き家に来てくれ!そして机の三段目の引き出しを開けてくれ。そうすればもう、悔いもないから」
「わかった。…じゃあ元気でな。約束は裏切らない」
少年は二人に駆け寄って、小指を絡めた。
「二人とも…元気で」
夜の雫がこぼれた。シロツメクサのざわめきが少年の体を取り巻くようにして聞こえた。風は少し暖かく、今までの話を聞いていたかのように、優しかった。やがて音も消去った。夜の闇が少年を包み、姿を隠した。