娘が「転生ヒロイン」だと言い出したのですが
突然、侯爵家から手紙が届いたそうだ。
呼ばれて執務室に行くと、頭を抱えた夫がいた。
「あなた、何かございまして?」
間抜けな問いかけだと思うが、他に言いようがない。促されてソファーに座ると、夫も執務机から移動してきた。
青ざめた夫が無言で手紙を寄越してくる。読めということだろう。
内容を要約すると――
息子の婚約者に、あなた方の娘が婚約解消を迫った。
一体どういうつもりか。
返答次第では、容赦しない。
「は?」
意味がわからなくて、もう一度読んだ。
つまり、私たちの娘……男爵令嬢が、侯爵家の縁組みに物申したということか?
え? なぜ?
私たちは貴族ではあるが、高位貴族の方々と話す機会などあまりない。あちらが話しかけてくださらなければ、こちらから話しかけられない。
娘は貴族学院に通っているから、我々よりも接点はあるだろう。けれど、カリキュラムも違うはず。
何をしてくれているのだ、あの馬鹿娘は。
「娘に話を訊きましょう」
「あ……ああ、そうだね」
人の好い夫は、あまりのことに呆然としていた。それでは家を守れない。
使用人に娘を呼びに行かせた。
「その後でお茶を用意してちょうだい。三人分ね」
落ち着くためにすぐにでもお茶を飲みたいが、使用人が少ないので同時に用事を頼むことはできない。優先順位をつけて、指示を出す。
娘が来る前に、夫の横に座り直した。
「あなた、家と息子を守るために、非情にならなければいけないかもしれません。家長として、しっかり判断なさって」
侯爵家の手紙からは怒りが伝わってくる。何をしたのか知らないが、教育の失敗を咎められている。
「お前は、それでいいのか? 腹を痛めた自分の子だろう」
「……親子でも、別の人格です。十六歳の貴族の娘には、『子どもだから』という言い訳が許されません」
馬鹿な子でも可愛いと思っていたが、超えてはならない一線を超えたら切り捨てるしかない。無邪気で夢見がちな子だと思っていたが、ただの馬鹿だったのだろうか。
「お呼びですか?」
明るい声が、癇に障る。
「そこに座りなさい」
夫が重たい声で命じた。
「はぁい?」
ぽすんと音が立つような勢いで、娘はソファーに座った。幼子がやるなら可愛い仕草だが、静かに優雅に座るということが身についていない。
間延びしたしゃべり方をやめなさいと何度も言ったけれど、それも直らなかった。いえ、学院に入学する前に直したはず。
……最近、娘の雰囲気が以前の感じに戻っていたかもしれない。
「学院で、侯爵令息とその婚約者に何をしたんだ? 正直に言いなさい」
夫が珍しく命令口調になった。
「え~、攻略対象だからぁ、アプローチかけただけだよ」
娘はこてんと首をかしげて、人差し指を顎に添えた。
「こ、攻略? 何だ、それは?」
「えっとぉ、理解するの難しいと思うんだけど、あたしは転生者なのね。ここは小説の世界で。あたしは侯爵令息と結ばれるヒロインなの。彼の婚約者は悪役令嬢だから、あたしが救ってあげないといけないんだ」
何を言っているのか、まったく理解ができない。
「侯爵令息の婚約者は、確か伯爵令嬢だったかしら?」
覚えているが、娘が知っているかを試すために質問してみた。
「そう、伯爵令嬢。なんかさぁ、ツンケンしてて挨拶も返さないんだよ。失礼だと思わない?」
「あなた、自分から話しかけたの?」
「挨拶って、人間関係の基本でしょ。大きな声で、明るく、元気よく」
高位貴族に許しを得ずに、しつこく話しかけた? 大きな声で? 舐めていると怒りを買うし、品性を疑われる。
ここまで貴族の常識が身についていないとは……。
いや、貴族学院に入学させるかどうか悩んで、私が叩き込んだ。質疑応答で確認したから、知っているはず。
ちなみに、家庭教師はマナーの本を音読させただけらしい。
「爵位が上の方々には、話しかけられるまで……」
再確認しようとした私を、娘が遮った。
「そーいう身分社会、良くないと思うんだよね。自由と平等って、大切でしょ」
「身分社会が……良くない?」
夫が娘の言葉を繰り返した。貴族がどれほど特権を与えられていることか――
「うん。入学して侯爵令息を見て、前世を思い出したの。良くないことは変えていかないと」
こちらの深刻な雰囲気を気にせずに、明るい声で夢を語る。
その姿はもう娘とは思えず、不可解な……悪魔のようだ。
話は通じなくても、事実は確認しないといけない。
「あなたは侯爵令息に話しかけて、相手にされなかったのね? そして、その婚約者に婚約を解消しろと迫った――ということでいいのかしら?」
「相手にされてないわけじゃないってば。これから……」
「あなたの意気込みは結構です。授業で会う機会のない高位貴族に、わざわざ会いに行ったのは事実なのね? そのとき、何と言われたの?」
「ええ~、たぶん、驚いて照れてただけだと思うんだけどぉ……」
何が問題か理解しようとしない娘からは、ろくな情報が引き出せない。
息子は文官で、最近の娘の様子は知らないだろう。元々、それほど仲の良い兄妹ではなかったし。
「あなた、これは駄目ですね」私は小声で囁いた。
優しい夫は一瞬辛そうに顔を歪めたが、当主としての決断を下した。
「ああ、矯正不可だろう」
ちょうど使用人が紅茶を運んできた。私が受け取って、それぞれの前に置く。
娘のティーカップにだけ、指輪に仕込んである粉を落とした。これは、体を麻痺させる薬だ。侯爵家と伯爵家の話し合いがどう転ぶか……それによって、娘への対処は変わってくる。
ただ、一つはっきりしているのは、もう娘を学院へ通わせることはない。




