第三十九話、私の”最適解”崩れるじゃないですか!
第三十九話です。
結衣は好きなままでも、蒼汰との関係を終わらせようとしていた。
彼の未来を守るために。
自分が負担にならないために。
二人の思い出を綺麗なまま残すために。
そうして悩み抜いた末に、結衣がようやく完成させた“最適解”を、蒼汰は正しさではなく、自分自身の意志によって崩します。
「――結婚を前提に、お付き合いしてください」
選んではいけないと思っていた未来を差し出されたとき、結衣の中で抑え込んできた想いが、初めて言葉になります。
それが自分に向けられた言葉だと理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
音としては聞こえていた、意味も分かっているはずだった。
それなのに、胸の奥まで届くまでに、ひどく時間がかかった。
『——結婚を前提に、お付き合いしてください』
その言葉を、頭の中で何度も繰り返す。
そんな未来は、選んではいけないと思っていた。
自分には無関係なものだと、ずっと遠ざけていた。
誰かと一緒にいること。
誰かの隣で当たり前のように歳を重ねること。
何でもない日常を、同じ速度で歩いていくこと。
そういうものは、最初から自分の手に余るものだと思っていた。
――だから、諦めようとした。
彼のことも。
彼と過ごした時間も。
あの日、車の中で流れていた音楽も。
何も言わずに差し出された小さなぬいぐるみも。
全部、綺麗なまま終わらせようとした。
それなのに――。
彼は、その終わりを壊しに来たわけではなかった。
私が選んだ別れを否定するためでもなく、可哀想だと抱え込むためでもなく、正しい答えを教えるためでもない。
ただ、自分の意思として私の隣に立つと言った。
そのことが分かった瞬間、もう堪えることができなかった。
涙で視界が滲んで、彼の顔が見えない。
泣きたくなかった。
泣けばまた彼に気を遣わせると思った。
それでも涙は止まらなかった。
「……こんなの、ずるいです」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど小さかった。
「私、ちゃんと諦めようとしてたのに」
「あなたのこと、好きなままでも……終わらせようって決めてたのに」
「どうして、そんなこと言うんですか……」
責めたいわけじゃない、困らせたいわけでもない。
ただ、分からなかった。
こんな身体で。
こんなに面倒で。
未来の約束ひとつ、まともに差し出せない自分に。
どうして彼は、そんな当たり前みたいな顔でこんな私と一緒にいる未来を選べるのだろうか。
「そんなふうに言われたら……」
「……私の“最適解”、崩れるじゃないですか!」
嬉しい。
怖い。
信じたい。
信じてしまったら、もう戻れない。
その全部が胸の中でぶつかり合って、言葉にならないまま涙だけが落ちていく。
「私、たぶん……すごく迷惑かけますよ」
そう言うのが精一杯だった。
「普通の人みたいには、できないことも多いです」
「また途中で苦しくなるかもしれないし」
「急に予定を変えることになるかもしれないし」
「子供のことだって……」
そこまで言って、声が詰まる。
それでも、彼から目を逸らせなかった。
「それでも……本当に、いいんですか」
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
m(_ _)m
今回は蒼汰の告白を受けた結衣の心が、大きく揺れ動く場面でした。
結衣は、蒼汰を嫌いになったから離れようとしたのではありません。
好きなままでも、自分から終わらせようとしていました。
そうしないと彼に申し訳ないと感じていました。
自分と一緒にいることで、彼が何かを我慢するかもしれない。
予定を変え、将来の選択肢を狭め、望んでいたものを諦めるかもしれない。
だから結衣は、自分の気持ちを答えから外し、蒼汰のために別れを選びました。
それは、彼女なりの優しさから導き出された“最適解”です。
けれど蒼汰は、その別れを感情的に否定したわけでも、病気への同情から救おうとしたわけでもありません。
結衣が抱えてきた不安と葛藤を受け止めたうえで、
「自分自身の未来をどう選ぶかは、自分が決めます」
と、自分の意志を差し出しました。
その誠実さが、結衣の完成させた答えを崩します。
「私の“最適解”、崩れるじゃないですか!」
これは拒絶の言葉ではありません。
嬉しい。 怖い。 信じたい。 けれど、信じてしまえばもう戻れない。
相反する感情を抱えた結衣が、初めて自分の望みを隠しきれなくなった言葉です。
そして最後の、
「それでも……本当に、いいんですか」
という問いは、蒼汰を試しているのではありません。
結衣がもう一度、自分もその未来を望んでよいのか確かめようとする、最初の一歩です。
与えられた正解を守るためではなく、自分の気持ちで未来を選ぶために…。
次回、蒼汰はその問いに、迷うことなく答えます。




