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神隠しのその後  作者:
山の女神達
9/17

おまけ


 夜、午前二時過ぎ頃。すなわち、丑の刻の頃。隣で動く気配に、景明の意識は覚醒する。ただし、瞼はまだ閉じたまま。


 障子が開く。ぺたりぺたりと、裸足の足音がする。

 数秒後、景明はようやく目を開ける。上半身を起こして、障子の方を見た。一枚分が開いている。冷たい空気が入って来て、思わず顔を顰めた。


 現在は十月下旬。ゆっくりと冬の気配が近付いてきている。雪が降るのはまだ先だが、吹く風は冷たく、肌寒い。


 景明は枕元に置いていた羽織を肩にかけると、開いている障子を抜け、廊下に出る。勿論、障子はしっかり閉めた。


 長い廊下。しかし、前方に人影はない。

 庭の方を見る。月明かりに照らされて輝く、純白の毛並みが見えた。


 景明は、すぐ近くに置かれていたサンダルに足を突っ込む。

 誰の物かは知らないが、サイズ的に男物なので、十中八九、豊のものだろう。たまに拝借している。


 山上神社は、東方に連なる山の一つにある。長い階段の上にあるので、神社と、この家の三方向は木々に囲まれている。


 庭を突っ切り、神社の裏に行く。並ぶ木々の中で、純白の狼が駆け回っていた。


 一週間に一度か二度の頻度である。景明の妻という扱いになっている従姉、紗重は、夜な夜な起きては、己の本性である狼の姿で山を駆けている。


 豊と幸子に訊いてみたが、彼らは気が付いていなかったらしい。

 本人には訊いていないが、普段の様子から自覚がないように見える。まるで夢遊病のようだが、詳しいことは景明にはわからない。

 いっそのこと、紗重の本来の人格である、この山の女神に問えれば答えは返ってくるだろうか。ただ、女神は気まぐれで、今のところ、肉体の主導権は紗重に一任している。


 そういえば、先日は紗重の意志に関係なく、出てきたようだった。景明と因縁がある、狐姿の山の女神が現れた時のことではない。わざわざ、自らの毛を切って、キーホルダーに詰めてくれた時のことだ。


 かつて、景明を攫った女狐は、この東山に君臨する狼女神を恐れているようだった。プライドが山より高い女なので、自ら認めることはないだろうが、景明がその山(狼女神の領域)を出て、下田小学校に行っただけで遥々、姿を現したのがその証拠。とはいえ、景明に同伴していた女が、その狼女神の化身だとは気が付かなかったようだ。


 幻術になかなか気付けない狼女神もだが、神というのは、どこかしら抜けているものなのだろうか。

 いや、人間も妖も、誰かしら、なにかしらの欠点があるのは、当然のことだ。


 初めは警戒からだった。いくら助けてもらったといえど、己をいいようにし続けた女狐と同じ、山の女神。それだけで、信用しきれなかった。今も、少ししていない。

 だが、紗重としての人格は信用に足りると思った。何故かは知らないが、女神としての自覚がない彼女は、自分をただの人間であると認識していた。

 ならば、あの強大な姿をして炎を操った女狐は、恐ろしかったはず。だというのに、紗重は景明を連れて逃げた。景明を見捨てることも、恐怖に心を壊すこともなく。その勇気がどれほど強く、得難いものか、これまで、あの女狐に蹂躙されてきた者達を見てきた景明にはわかる。


 寝惚けた白狼ではなく、ちゃんと目覚めている彼女に会いたいと、漠然と思った。


「……寝よう」


 景明は、かじかむ両手の指を擦り合わせた。

 踵を返し、来た道を引き返す。神社の境内に入り、本殿の横を通って、参道へ――


『ところで、あなたは気が付いたかしら』

「え?」


 背後から聞こえた声に、景明は勢いよく振り返った。神社裏に置いてきたはずの狼がいた。しかし、その中身は先ほどと違うとわかる。


「あなたは、大口真神……」

『そうね、一応』


 景明は石畳に膝を突こうとした。


『まぁ。楽にしていいわよ。あなたは"私"の夫でしょう? それとも、そう言われるのはお嫌かしら』

「……そのようなことは……」


 少し前ならば、神の伴侶など、二度と御免だった。

 だが、人間は容易く心変わりするもの。たとえ、景明の肉体が既に人間から逸脱してしまっているとしても、本人は昔も今も、これからも人間のつもり。


「それで、気が付いた、というのは、どのような意味でしょうか」


 景明は話題を変える為に問いかけた。狼は咎めることもなく、答える。


『ドウカと名乗った娘がいたじゃない? アレ、狐よ』

「は?」


 狐。と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、かつて己を攫った北山の女神。


『あの子じゃないわ』


 景明の内心を見通したように、狼は否定する。


『でも、似た存在よ。ドウカと名乗ったのなら、御先稲荷(おさきどうか)と言った方がいいのかしらね。つまり、オサキ。狐の憑き物』

「憑き物……。なら、使役している人間がいる、ということですか?」


 オサキは狐憑き、憑き物筋と呼ばれる人間達に憑き、使われている。


『さぁ、どうかしらね。ドウカの単独である可能性の方が高いわよ。アレは、あの子――北山の狐の姉妹みたいだし。個人的に、己の姉妹のお手伝いをしたかったんじゃないかしら』

「姉妹?」


 景明は驚いた。あの女狐に姉妹がいるなんて、初めて聞いた。

 いや、家族のことのみならず、あの女狐のことはなにも知らない。知っているのは、加虐的で、残虐で、短気なことぐらい。


『あの子は元々、とある神の遣いだったのよ。家族皆。でも、家族のひとりが罪を犯したせいで、一族郎党、神使から妖に堕ちた。他の家族は知らないけど、あの子はその後、運良く北山の人間に祀られて、神格を得たの』


 あの性格の悪さだ。真正の神には到底思えなかったが、妖上がりならば納得できる。妖の多くは、人間に恐怖を与えるものだからだ。


『当分、この山から外に出ることはお勧めしないわ。少なくとも、ドウカの動向がどうなっているか、確認しないと』


 狼はフサフサの尾を一振りすると、その姿を変える。長い黒髪を垂らした美しい女へ。


「ごめんなさいね」


 見た目は、藤田紗重。だが、表情や仕草は違う。紗重よりも遥かに老成した雰囲気。加えて、早朝の森の中のような、澄んだ空気を纏っているからだろうか。


「あなたには、まだ不自由をかけるわ」


 狼女神は眉を下げ、心底申し訳なさげに言う。


「……別に、いいです」


 なんとなく直視し難く、景明はそっぽを向く。


 本当はよくはない。だが、いつか自由を得られるとわかっているのなら、待てる。なんの根拠もなく、あるかもわからない助けを待つよりも、遥かにマシ。


 狼女神が一つ、手を叩く。


「さぁ、寝ましょう。明日もお仕事があるんでしょう?」


 そうだ。だが、それは紗重も同じ。


「……彼女はどうして、夜中に狼の姿で走っているんですか?」


 今なら訊けそうだと、景明は思った。


 数歩先を行った狼女神は、黒髪を翻して振り返る。


「ただのストレス発散よ」


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― 新着の感想 ―
 送り狼に、座敷童子、動く人体模型に、読書好きな骨格標本。妖怪物が大好きなので、面白く拝見いたしました。  幼少期に神隠しにあった景明と、人助けのつもりで彼の「妻」になった紗重のその後がとても気になり…
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