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目を覚ます。和紙が張られた障子の衝立が見えた。
「え?」
つい、声が漏れた。だって、衝立の裏がほのかに明るい。動く人影が見える。
数秒後、ひょこりと横から顔が出てきた。
「おはようございます……」
景明くんだ。少し眠たいのか、いつもより瞼が下がっている。
「お、おはよう……」
あれ? 私、いつもより早く起きた?
枕元で充電機に繋げていたスマホを手に取る。ただ今の時刻は、午前七時。私はいつもと同じ時間に起きている。
なるほど。景明くんは寝坊したんだな。
私もまだ眠い。いつもより眠たい気がする。昨日、夜更かししたっけ? けど、今日も仕事がある。
渋々と起き上がり、布団とサヨナラする。また夜に逢おうね。
景明くんは再び衝立の奥に戻っていた。彼は勝手に覗くようなタイプではないと信じているので、私も普通に着替える。しばらく、二つの衣擦れの音だけが聞こえた。
無音(当社比)で欠伸をしながら、どうしてこんなにも眠いんだろうと考える。昨日、なにかしたっけ。えぇと、小学校に行って――……
「しーちゃんは、いたんだっけ」
人体模型と話した後、外に出た時に現れた巨大な狐から、大口真神の祠まで逃げた。大口真神の加護で助かって、狐はちんちくりんになったんだっけ?
狐は泣いて自分の祠へ逃げ、私と景明くんは無事に神社に帰った。
「…………大口真神の勅命を受け、教師と児童を守っていたと、大口真神から聞いたはずです」
衝立の奥から、景明くんの声が聞こえた。
「あ、そうだったね」
思い出した。
だから、他の人間はあの巨大な狐は見ていない。怪我人もいないはず。他の人達は皆、いつもと変わらない日常を過ごした。
そういえば、大口真神はどんな姿だったっけ? モヤがかかっていて、思い出せない。ちょっと残念。軽々しく神の姿は見せられないということなんだと思う。たぶん。
着替え終わった後、化粧をする。驚いたことに、景明くんは私の支度が終わるのを待ってくれていた。興味深そうに、私が化粧をするところを見ている。
あれかな。お母さんを思い出したのかもしれない。私も伯母さんを思い出して、鼻の奥がツンとした。
二人で居間に行く。叔父さんがあんぐりと口を開けて、くしゃりと手元の新聞紙を握り潰した。
「手、出した?」
「出してない」
今日も失礼が過ぎる。叔父さんには愛想を尽かし、私はさっさと台所へ行く。
「もう気にしなくていいです」
「え? それ、どういうこと?」
だから、叔父さんと景明くんの会話は薄らと聞こえたぐらい。
「ばーちゃん、おはよ」
「あぁ、紗重ちゃん。おはよう」
祖母、山上幸子は小柄な上、すっかり腰が曲がっていて、更に小さく見える。
「手伝うよ。今日の朝ごはん、なに?」
訊いたけど、既にほとんど出来上がっていたから、台所の上を見たらわかった。
「ありがとうねぇ。今日はブリ大根だよ」
あと、ほうれん草のお浸し、ばーちゃんお手製のきゅうりの漬物、昨日の残り物のさつまいと大根の味噌汁、白米。
実家もだけど、和食がよく出る。だからか、幼い頃から和食や和菓子が好き。
小学生の時、友達と遊ぶ際にかりんとうを持って行ったら、誰も食べてくれなかったことはショックだった。私はかりんとうが一番好きなお菓子なのに。以来、友達と遊ぶ時はスナックなどを持っていくようになった。ちょっぴり、悲しい思い出。
朝食後は、隣にある神社に移動。私と景明くんで授与所を開く。
今日もいつも通りに仕事をこなす。けど、眠い。
「代わります。仮眠してきてください」
景明くんがそう言ってくれたから、お言葉に甘よう。
あ、そういえば。
「景明くんって、指輪いる?」
きょとりと黒目が瞬く。いつもより更にあどけない表情を見て、後悔した。なんか、いけないことをしているような気分になる。
でも、一度言った手前、訂正もできない。
「えっと、一応、夫婦だし? 結婚指輪とか、あった方がいいかなって……」
「…………」
景明くんは無言。だけど、明らかに顔が赤くなった。
え? なに? 怒った? 嫌だった?
「…………紗重さん、は、欲しいんですか?」
あ。再会して初めて、名前を呼ばれた。背中がむずむずするような、変な感じ。さん付けだから?
タメでいいのにとは前々から言っているんだけど、本人は頑なに敬語を使っている。
「私? うーん、そうだね……。憧れはある、かな?」
ブローチはいくつか持っている。帯留にも使えるから。イヤリングやネックレスも、一つずつだけど同窓会の時に買った。でも、指輪は着物に引っかかる可能性があると思って、なかなか買う踏ん切りがつかないまま。
特に結婚指輪は、なんていうか、結婚式に憧れるのと同じような感じ。ただ、いつか離婚するだろうし、あると重いかな、とも思ってしまう。でも、売ったらそれなりのお金になるだろうし、いいんじゃない? 買っちゃえ! という気持ちもある。
「買います」
力強い返事が来たけど、それを気にするよりも、断られなかったことに強く安堵を感じた。
「あ、でも、貯金はそんなにあるわけじゃないから、あんまり高いのは難しいんだけど……」
初めに断っておく。景明くんはそう高価な物が好きそうなイメージはないけど、念の為。
「普通、そこは男が買うところではありませんか?」
「え? でも景明くん、お金あるの?」
「…………」
ついうっかり、ストレートに言ってしまった。プライドを傷付けてしまっかもしれないと、慌てる。
「いや、景明くんがお金なくても大丈夫! 私が頑張って養うから! 贅沢はできないけど……」
「…………」
ますます押し黙ってしまった。ここは年上として、包容力を示そうと思ったんだけど。
「…………指輪は僕がお金を貯めて買うので、少し待ってくれますか?」
ちらりと景明くんに視線を向けられる。私より背が高いのに、器用に上目遣いをしてくるとは。流石は四人兄弟の末っ子と言わざるを得ない。弟妹が欲しかった一人っ子である私の心臓に、クリティカルヒットした。
「大丈夫。一生待てるから」
だから、つい大袈裟に答えてしまった。
と一瞬思ったけど、景明くんが小さくはにかんだので、正解を叩き出したみたい。
あの景明くんを笑わせるなんて、私、天才じゃない? 叔父さん達に自慢しよ。
眠気? 吹き飛んだ。




