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神隠しのその後  作者:
山の女神達
7/17

7


 目を覚ます。なにがあったのか、女は識っている。


 目の前に迫った無数の炎の玉達は、まるで彼女を避けるように四方へと弾け飛んだ。


「山にいるババアなら、おまえも同じでしょうに」


 図体も態度も大きな狐は、女からすれば、未だ子狐と変わらない。だが、たとえば女のすぐ側にいる男の子(おのこ)からすれば、途方もない年月を生きている老婆だ。


「あなたは……」


 傍らの男の子が目を瞬く。

 まぁ、かわいらしいこと。女は純粋に思った。"私"が守ろうとしたことにも、頷ける。


(わらわ)がナニか、あなたは知っているのではなくて?」


 男の子は一瞬息を詰めた後、首を垂れる。

 妖の世界で育った子。可哀想なほどに、身を弁えている。


『何故、何故、何故おまえがぁぁぁぁぁぁ!!!!』


 狐が吼える。狼でもあるまいし。


「下田の童」

「こちらに」


 女が呼ぶと、傍らに小さな子供がどこからともなく現れた。

 赤い振袖を纏った愛らしい童女。だからこそ、長い黒髪をツインテールに結ぶシュシュが左右で色も柄も違うことが、勿体ないと感じる。

 だが、面と向かって似合わないとは言えない。これは、童女の誠実さの証だから。


 水色のシュシュをあげたのは、"私"。当時はまだ、人格が分かれきっておらず、己の本性を薄らと認識していた。だから、自分が数年を過ごす学舎の守護者の存在を認識し、私物を下賜した。

 だが、七つを過ぎた途端、人格は二つに分たれた。片方は神のまま、もう一つはただの人に寄った。七つまでは神のうちだったということか。


「人の子達は?」

「なにごともなく、すごしています」


 "私"も男の子も、移動することばかりを意識していて気が付かなかったが、今、この空間に人間はいない。児童も教師も問わず、人間は皆、現世(うつしよ)の下田小学校にいる。


 ならば、ここはどこか? 見た目こそ、現世の下田小学校となんら変わりない。だが、空は常に茜色。即ち、逢魔ヶ刻。下田小学校に居座る座敷童子が、下田小学校をモデルとし、再現した異空間だ。


『東山の山姥めが! また、あちきの夫を奪う気か!?』


 また山姥呼ばわり。失礼しちゃうわ。


「失礼ねぇ。先に"私"の血族を奪ったのは、そちらでしょうに」


 オオカミは家族、親族で群れ、彼らを大切にする。神だろうが、なんだろうが、女も根は同じ。


 そう。藤田紗重の姿をしたこの女の本性は、オオカミ。更に付け足すと、山上神社の祭神。大口真神と山の女神が入り混じった存在。


 この狼女神もまた、藤田紗重と言える。藤田紗重の魂は、狼女神の魂そのものなのだから。ただ、人格と肉体が違うだけの、同一存在。


「妾、あなたを傷つけたくないわ。だから、この男の子のことは諦めて、北山の祠へとお帰り」


 年甲斐もなく、幼い人の子を気に入り攫った女狐は、少し離れた先にある山間部の土地神。生きた年月も、得ている格も、狼女神の方が上。

 だが、決して少なくない数の人間に信仰されている。そう簡単に人間達から神を奪うことは、狼女神にとって忍びない。だから、去年も見逃した。


 流石に、狐が得意な幻術においては、女狐が上を行く。しかし、去年、男の子を隠す術が緩んだ。その隙を狼女神は見逃さなかった。

 すぐさま藤田紗重の肉体の主導権を握り、狼女神は北側の山へと駆けた。そして、女狐が祠の奥で伏せっている間に、男の子を背に乗せて帰ってきたのだ。

 男の子の身は、紗重の身内の中でも己に仕える男に委ねた。彼はよくやってくれた。普通とは言えないが、男の子は人間らしい尊厳と生活を取り戻した。


『舐めやがってえええぇぇぇぇぇ!!!!』


 女狐が怒りのままに叫ぶ。その声は突風を生み出したが、座敷童子の守護により、害は誰にも及ばなかった。


「舐めてなんていないわ」


 誰が狐の毛繕いなどするものか。うっかり喰んでしまいかねない。


「怒りっぽいのね」


 まだ、ガルガル期なのかもしれない。

 狼女神は溜め息を吐いた。


「下田の童。男の子をお守りなさい」

「ぎょいに」


 童女が男の子の片手を握り締める。逸れないように。もしくは、万が一にも攫われてしまわないように。


 狼女神は背に垂れていた長い髪を翻す。瞬間、その姿は若く美しい女から、純白の狼へと転じた。

 雌ながら、かつて日本に棲息していたニホンオオカミよりも更に大きな体躯。


 とはいえ、巨狐からすれば掌で潰せるようなサイズ。女狐は前足を伸ばした。

 だが、狼は持ち前の瞬足で、図体が大きいばかりに遅鈍な狐を翻弄する。


『えぇい、小癪なぁっ……!!』

『まぁ、のろい子だこと』


 地を駆けていたはずの狼の足は、いつの間にか、空中を踏み締めていた。軽やかに宙を駆け、狐の背後に回り込む。


『ど、どこに――』


 死角に入られた女狐は、狼を探して周囲を見渡す。なんて、おまぬけさん。

 だが、もうなにをしても遅い。狼はパカリと大口を開け、狐の頸をガブリと咬んだ。


『ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ……!!』


 巨狐の姿が、一瞬で掻き消える。

 いや、男の子と童女の目にそう見えただけ。実際には――


『きゅう……』


 ぬいぐるみの如きサイズまで身体が縮んでいた。地面へと着地した狼に頸を咬まれたまま、目を回し、気絶している。


「これは……」


 男の子は唖然と、長年、己の身を脅かし続けてきた化生を見つめた。十二年も共にいたが、こんなにもちっぽけな姿は、初めて見た。


『この子の本当の姿はこれよ』


 狼は知っていた。小さく愛らしい姿だと思っているのだが、本神は他の神や妖に馬鹿にされると気にしている。

 気が付けば、幻術でおのれの身体を大きく見せ、周囲にマウントを取るようになっていた。


『神を畏れることは大切よ。でもね、必要以上に恐れる必要はないの』


 狼は口を開け、狐を地面に落とす。縫い留めるように、前足の一つで踏んだ。


『恐怖はより、相手を強く見せてしまう。このように、小さく弱々しい姿を見れば、あなたが持つこの子への恐怖も、僅かには薄れるものでしょう』


 ころりと狐を転がす。狐は砂まみれになっているが、本神は意識がないので気が付かない。


 狼は狐を許さないが、憐れんでもいる。

 始まりは、ただの恋だったのだろう。成人するまで待ってから求婚をすれば、もしかしたら叶っていたかもしれない。

 だが、狐は待ちきれず、力尽くで奪った。幼い子供を親兄弟から引き離した。与えたのは、孤独と恐怖だけ。己を犯す化け物に、一体、誰が愛情を抱くのだろうか。


 ちゃんと教えてあげていれば、と狼は思わないでもない。

 あの狐のことは、狐が北の山に来た時から知っている。今よりも更に小さく、ひとりぼっちだった。狼が育ててやろうと近付けば、怖がって泣いた。ちょっぴり傷付いて距離を置いたのは、間違いだった。


 神だって、人間と同じように、後悔もする。


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