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朝八時に授与所を開ける。
私と景明くん、あと祖母ちゃんと、私の実家から通っている母さんがシフト制で番をしている。山上神社は、ほぼ身内経営。
今日は、初めに私が番をする。景明くんは境内の掃除。祖母は家で家事。母は今日は休み。
叔父は知らない。宮司として、なにかしら諸々の仕事をしているんじゃない? さっき、本殿の方に向かって歩いていく姿を見た。
欠伸を噛み殺し、ぼんやりと前方を見る。木の下で丸まる野良犬がいた。
いいなぁ、私も寝たい。
そんなことを思っていると、きゃあきゃあと高めの声が聞こえた。目が覚める。あぁ、今日は土曜日だったなと思い出した。
景明くんがここで働くようになってから、女性の参拝客が増えた。彼が世間一般的に整った顔をしているからだと思う。都会ではドウカ知らないが、こんな田舎では滅多にお目にかかれないレベルの美男子。
私と挙式し、事実婚状態であることは秘密。結婚式を挙げた時、参拝客は一人も来なかったから、目撃者もいない。もしも知られたら、誰かに背後から刺されそう。
ふと、結婚指輪を用意していないことに気が付いた。
景明くんはここ以外で働いた経験がない。そもそも、普通なら、まだ高校に通っている年齢。貯金といえば、親の遺産ぐらいだと思われる。だから、年上として、私が用意すべきだった。
でも、今更、用意してもいいものかという気持ちと、本人や叔父さんからもなにも言われていないし、指輪はなくてもいいのかも、という考えがある。
こちらに客が来ないことをいいことに、ぼんやりと指輪のことを考えていた。
だというのに、とうとう人が来てしまった。子供。小学校低学年ぐらい。私は居住まいを正し、真面目で清らかな巫女さんになる。子供の夢(あるかは知らない)は壊しません。
「あの、みこさん」
「はい、どうされましたか?」
女の子は、恐る恐るといった様子で声をかけてきた。私は彼女を安心させるように、優しく微笑む。
「学校にいる女の子をさがしてください。たぶん、お化け」
ちょっと待って。
「えーと、小学校にいるお化けの女の子を探してほしい……ですか」
訂正して。聞き間違いであってほしい。そう思ったのに、女の子はしっかりと頷く。
私は困惑した。お化けの女の子って、なに。
私は幽霊だとか、妖怪の存在は半信半疑。叔父さんなど、母方の親族はいると言っているけど、私自身は直接見たことがないから、いまいち信じきれていない感じ。
「うん。いつもいっしょにあそんでたんだけど、もうずっと会えてない」
「それは……」
他のクラスか学年の児童だったりしない? と聞きかけた時だった。
「その女の子の見た目は?」
横から景明くんが現れた。竹箒を持ったまま。
絡んでいたっぽい参拝客はいない。帰ったのかな。五円でも十円でもいいから、お金を落としてほしい。
「うんとね、白いワンピースの女の子。しんちょうは、瞳花と同じぐらい」
自分のことを「ドウカ」と言った女の子の頭は、景明くんの胸の下ぐらいにある。
その景明くんは、成人男性の平均身長より、やや低め。もう身長が止まっているのか、まだ伸びているのかは知らない。
「いつも白いワンピースを着ている?」
「うん。毎日、同じおようふく」
毎日? それは少し気になる。
たぶん、この子の小学校は私服登校。普通に考えて、毎日同じ服で学校に行く人は少ないと思う。
勿論、帰った後に洗濯をして乾かしていたり、同じ服を何着も持っている可能性もあるから、一概には言えないけど。
「あ、でも……」
「どうしましたか?」
女の子がふと声を上げた。
「さいごに会った時は、赤いワンピースだった」
一度だけ違う服だった? 服の趣味が変わったからもう会わない……なんてことは意味不明だから、ありえないと思いたい。
「どこの小学校の児童?」
問いかけると、
「下田小学校」
と返ってくる。
景明くんは一つ、目を瞬かせた。
「下田小学校……」
瞳花と名乗った女の子を見送った後、隣からそんな呟きが零れ落ちた。
「私の母校だね」
それから、景明くんが通うはずだった学校でもある。
ふと思い出したのは、乱雑した子供部屋の中に置かれた、新品の黒いランドセル。使われることがなかったあのランドセルは、どうなったんだろう。
「白いワンピースの女の子に心当たりはありますか?」
景明くんに聞かれる。こちらを見る真っ黒な瞳は、相変わらず無機質。
「え? ないけど……」
どうして私に聞くんだろう。私が小学校を卒業したのは、十年以上も前なのに。
「お化けとかってホントにいるの? 私、見たことないけど」
景明くんに胡乱な目を向けられた。本当だよ。
「…………あの木の下の……」
景明くんが指を差した方を私は見る。野良犬はまだ呑気に眠っていた。いいご身分だこと。
「あの犬は妖です。送り犬」
「はぁっ!?」
驚きのままに景明くんを見た後、再び犬を見る。私が目を離した一瞬の隙に、犬は目を覚まし、立ち上がっていた。
黒々とした瞳がこちらを向き、頭が下がる。まるで、一礼をするように。ゾッとし、私は一歩後退った。
「あ、妖……って、妖怪ってこと?」
本当に? ただの犬じゃないの?
景明くんを見ると、彼はしっかりと頷く。
「…………あの、オクリイヌ? って、なんの妖怪なの?」
説明してくれるかと思ったけど、黙ってしまった。だから、こっちから訊く。
「夜の山道を歩く人間の背後をついて行きます」
「…………それだけ?」
首が横に振られる。
「人間が転ぶと、食い殺します。後ろをついているのは、転ぶ時を虎視眈々と狙っているからです」
「転ばない人間は食べられないんだ」
首が縦に動く。
「じゃあ、危険じゃない? ここで転んだ人が出たら……」
食い殺されてしまう。
そんな危険な子だとは思わなかった。体格は大きいけど、前にお賽銭泥棒を捕まえてくれた実績があるから、番犬のようなものかな、とありがたかって、たまにエサもあげていた。
「ここは夜の山道ではありません」
「夜の山道じゃないなら大丈夫なんだ……」
人間が転ばないと食べられないという話も併せると、妖怪には厳しいルールでも敷かれているのかもしれない。
「送り犬が人間を守る場合もあります。たとえば、山道で産気付いた女と産まれた子を、他の獣から守ってくれたとか」
「え。それは優しい……」
もしかして、あの犬も優しいタイプなのかな。なんか、礼儀正しそうだし。今も、木の下で大人しく座っている。ついさっきまで目の前で爆睡されていた恨みは忘れた。
「申し訳ありませんが、宮司の元に行ってきます」
「ん? 叔父さん? ……まぁ、別にいいけど」
なんで? と聞く前に、さっさと景明くんは本殿の方へ歩いて行ってしまった。竹箒を持ったまま。邪魔じゃない? と言って受け取ればよかったと、遠ざかる背を見ながら思った。
掃除用具は、授与所の隣の社務所に置いている。




