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景明くんが、懐から四角いケースを取り出す。中にあったのは……
えっ、ちょっと、
「十八歳はまだ吸っちゃだダメ!」
明らかに葉巻。
慌てて取り上げようとしたけど、景明くんはサッと私の手を避けて、シガーカッターで先を切る。
「吸いません」
そう言いつつも、咥えてマッチで火を付ける。
でも、すぐに口から離して手に持った。吸った様子はない。
私の父さんや父方(つまり、景明くんと共通)の祖父は昔、煙草を吸っていたけど、葉巻を吸う人は身の周りにいないから、初めて臭いを嗅いだ。妙に癇に触る臭いというか……。濃いし。
「これは普通の葉巻ではありません。臭いに人除けと防音の効果を持つものです」
「そんなのあるの?」
「昔、妖から見聞きしたもので、僕が調合して作っておきました」
いつの間にそんなことをしていたんだ……。
「もし、万が一にも、通行人が来たとしても、この臭いを感じれば不快感を感じ、Uターンします」
目撃者は来ないってわけね。
寒さを堪え、辛抱強く待つ。一体、どれほど経っただろうか。やがて、焦茶色の小鳥が動いた。
小鳥は電線の上から飛び立つ。そのまま、地面に着地した。
と思ったら、一瞬でその姿が変わる。茶髪の若い女性に。
どうにかして、健太くんの前の奥さんの写真を手に入れられていたら、それが誰だか、わかったかもしれない。少し悔しい。
彼女は周囲を警戒するように見渡す。私達以外の人はいない。
「え、うそ」
私は驚愕した。女性が普通に人の家を訪れるように、インターホンを押したから。
景明くんも屈めていた腰を上げた。そして、車に片手を突いて飛び越える。
「ええぇぇっ!?」
しまった、大きな声が出てしまった。ぐるりとあり得ない角度で女性の首が回り、黒い瞳が私達を見る。
一方で、景明くんは難なく地面に着地し、女性の元へと走る。私も後を追いかけた。
「はい、どちらさま――え?」
大橋家のドアが開いた。健太さんが顔を出す。彼は目の前に立つ女性を見て、硬直した。まるで、幽霊でも見たような顔。でも、その通り、彼にとっては幽霊なんだ。
ドアを開けるよりも前に、通話機能で相手を確認しろよ! と、私は内心で叫ぶ。不用心。
「愛、奈……?」
健太さんが呆然と呟いた。
「あっ、ちょっと……!」
ただ、女性は突然、身を翻した。
虚空に手を伸ばすと、そこに鳥の羽根がついた衣が現れる。それを羽織ると、その姿は人型から鳥へと転じた。そのまま、羽を広げて飛んで行く。先ほどまでいた、電線の上へ。
「どうして……」
目を見開いて鳥を見上げた景明くんだったけど、私を振り返ると真顔になった。
な、なに?
「紗重さんはこちらに……」
背中を押されて、促された場所は、さっきの車の陰。
「恐らくですが、紗重さんに怯えて逃げたんだと思います。なので、少し距離を取ってください」
ひどい。こんな暗いところで一人,離れたところにいたくないんだけど。私に謎の力を与えたらしい大口真神よ、恨むぞ。
あと何故か、景明くんのスマホを手渡される。私も自分のスマホぐらい、ちゃんと持ってるよ。
景明くんだけ、健太さんの方へと戻る。
「大橋健太さんですね?」
景明くんが健太くんに声をかけた。
「先ほどの女性はあなたの前の奥様で、お間違いないですか?」
単刀直入に聞いとる……。
「な……っ。き、君は……?」
でも、健太くんは景明くんが誰か、わからなかったみたい。ちょっとビビりつつ、疑うような目を向けている。
「すいませーん! その子、私の従弟で、山上神社の職員の、藤田景明くんと申します!」
だから、私が声を上げて、助け舟を出した。
景明くんは肩書きとしては出仕。神職見習いってトコ。
でも、山上神社は職員が少ないから、宮司以外の役職持ちがいない。一部の業務においては、本来、上の役職の人がやるべきことも任されたりしている。それは、私や祖母ちゃん、母さんも同じだけどね。ややこしいから、適当に職員とだけ括っておく。
「えっ、あ、彼が……」
健太くんは驚きつつも、少しだけ警戒を解いた様子。
そして、景明くんが十二年前に誘拐された子だって気が付いたみたい。途端に、憐れむような顔になった。
「先ほどの女性は、あなたに御用がある様子。お話を聞いていただけませんか?」
「さ、さっきって……。愛奈? でも、愛奈は死んで……」
うん、狼狽えるよね。信じられないよね。死んだはずの奥さんが目の前に現れたんだから。
「恐らくですが、あなたが愛奈さんとお子さんを引き離したせいだと思います」
「えっ」
だから、ストレート過ぎ!
「ご長女は、この家にいるのですよね? お子さんと離れ難いあなたの気持ちがあることは、わかります。ですがそれは、ご長女の母親である愛奈さんも同じではありませんか」
景明くんは、健太くんの目を見て、静かに話す。
「特に愛奈さんは、まさに命を懸けてお子さんをお産みになった方。自分の命と引き換えにしてでもこの世に生誕させた我が子に逢いたいと、思わないはずがありません」
健太くんは、ハッと息を呑んだ。
自分と子供の話をしているとわかったのか、それとも私が距離を置いたからか、鳥が健太くんの元へと戻る。
再び人型になり、景明くんの後ろから、健太くんに姿を見せた。
「か、え、し、て」
ひび割れたような声が、辿々しく言った。
「あ、の子、を……。かえ、し、て……」
健太くんは拳を握り締めると、家の中へ戻って行ってしまった。
信じてくれなかった? 偽者だと思われた? それとも、怯えた? 子供を愛奈さんに引き渡したくなかった?
様々な理由が私の頭の中に思い浮かぶ。どうにかできないかと、悩む。
今、私が出て行くと、また愛奈さんが離れて行く。今度は、どこか遠くへ去ってしまうかも。そうなれば、次、いつここに来るかわからない。
なにもできない歯痒さに、私は身体を揺らした。
すると、再びドアが開いた。健太くんが出て来る。その腕には、白い布に包まれたものがあった。私も何度か見覚えがある。あれは、骨壷だ。
「あ、あぁ……」
愛奈さんは呆然と骨壷を見つめる。けれど、すぐに歩き出した。ふらりと、覚束ない足取りで、愛奈さんが景明くんの横を通り過ぎる。彼女は健太くんの前に立ち、両腕を伸ばす。
「あ、たし……の……?」
健太さんが大きく頷く。愛奈さんが産んだ子だと、伝えるように。
「ごめん、愛奈。ごめん……」
開かれた両手の上に、健太くんが骨壷を置いた。
愛奈さんは、しっかりと骨壷を抱き締める。そんな愛奈さんを、健太さんも骨壷ごと抱き締めた。
「あ、りが、とう……」
微かに、そんな声が聞こえた。
親子三人の再会は、そう長くは続かない。
少しの沈黙の後、不意に愛奈さんの姿が掻き消えた。暗闇の中を舞い落ちる、茶色の羽根を残して。
「愛奈っ!?」
「えっ」
私は思わず背を伸ばして、あちらを伺う。
「愛奈は……!」
キャッチした骨壷を抱えた健太くんが、顔色を変えて周囲を見渡した。
「成仏したのでしょう。黄泉に行ったのだと思います。未練は消えたでしょうから」
景明くんが告げる。
「妖になっていたとしても、元は死者です」
その魂は黄泉路へと渡り、やがて輪廻する。
愛奈さんも、亡くなった子供も。現世に遺された肉体と再会した。夫と共に。
だから、今度は、先に死後の世界へと向かった我が子の魂に会いに、黄泉へと向かったんだろう。




