第1話:死んだら乙女ゲームの悪役令嬢でした。
目を開けた瞬間、私の手は真っ白なレースの手袋に覆われていた。
「……あれ、私、どこ?」
薄暗い部屋の鏡に映った顔は、見覚えのある公爵令嬢――ヴィオレッタ・フォン・アルノート。前世の私は、29歳、売れないラノベ作家。パソコンに向かっては駄文を積み上げる日々を送っていた。今の私は、どうやらその“乙女ゲーム世界”の悪役令嬢になってしまったらしい。
頭を整理していると、紙とペンが目の前に現れた。いや、正確には「現れた」わけじゃなく、手に自然と触れた。
紙の上には、私の名前ではなく、「ヴィオレッタ」と書かれている。脳裏に淡い光のように浮かぶ文字――これが、どうやら台本らしい。
「破滅フラグ……ね」
記憶が一気に蘇る。ゲームでは、このヴィオレッタが王都で策略に巻き込まれ、没落し、最終的には国外追放。死亡フラグも大量。もちろん、私は前世その結末を知っている。
ならば――
私はペンを握り、台本に黒インクで一文字書き足した。
「直してあげる、ね?」
翌日、最初の試練が訪れた。王都の朝は忙しく、貴族たちは噂話と策略に花を咲かせる。私が台本を書き換えた結果、従者のアントンが、いつもなら無視して通り過ぎる小さな事件に気づく。
「公爵令嬢、そちらの小包、間違ってお届けですよ」
普通なら問題にならない程度の小事件。だが、私の手で文字が書き換えられた台本は、こういう“小さな奇跡”を生む。アントンの行動ひとつで、後々の大事件を防げるかもしれない。
だが、台本を書き換えるたび、胸の奥がざわつく。誰かの運命を変えるって、こんなにも重いのか。前世ではただの文章を直していただけだったのに。
「副作用……って、こういうこと?」
午後には、幼なじみヒロイン枠のイリーナ・サヴェージが訪れる。ゲーム中では私を敵視していた彼女だが、台本を少しだけ書き換えたことで、挨拶と笑顔が返ってくる。
「ヴィオレッタ……元気そうね」
あ、違う。私――桜井美沙――の感情が、彼女との友情を生む。台本を書き換えただけで、人間関係まで変化する。面白いけれど、恐ろしくもある。
その夜、私は再び紙とペンに向き合う。
「次は、誰を救おうか……」
微かに胸に響くペン先の感触は、前世の編集者の衝動そのもの。
この力を持った私ができることは、たったひとつ。
――世界のルビを直すのではない、人の未来をリライトすること。
次の朝、王都に嵐が訪れる――いや、まだ静かすぎる日常の裏で、私の台本が静かに、でも確実に人々の運命を動かし始めていた。