水たまり
駅で雨宿りをする二人の男。一人はあどけなさが残る青年、もう一人はスーツ姿の男だ。スーツ姿の男は顔色が悪く、ずっと空を見ている。
「タイミングが悪かったですね」
青年は男に話しかけた。男は一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔で返事をした。
「晴れてる間に帰りたかったです」
「にわか雨ならすぐにやみますよ」
男は電車の中で青空の先に見えた雨雲を思い出した。車内の電子掲示板の天気予報では晴れている。少しずつ近づいていた雨雲は男が駅に着いたとほぼ同時に雨を降らせた。走って帰ろうかとも考えたが、雨粒が大きく激しいため、止むまで駅で待つことにした。
「もうこんなに大きな水たまりができていますよ」
青年は足元を指さした。屋根から落ちた水も合わさり、二人の前には横長の水たまりができている。
「ああ、そうですね」
男はちらりと水たまりを見て、すぐに空を見上げた。その表情は不快なものを見るようだった。男は青年の視線に気付き、言い訳をするように話し出した。
「僕、水たまりが苦手なんですよ」
「靴が濡れるからですか」
「それもありますね。でも、それが理由じゃないんです」
男は小さな声で「聞いてくれますか」と一言、青年に確認した。青年は小さく頷いた。
「社会人になってから水たまりの中に人を見るようになったんです。はじめは見間違いかと思っていたんです。慣れない社会人生活でストレスが溜まって幻覚を見せているのかもって。でも社会に慣れてからもずっと見えているから、もしかしたら幻覚じゃなくて本当に、説明できない何かなんじゃないかと思うようになりました。そう思うと怖くて」
「人って、どんなふうに見えるんですか」
「いつも顔だけがひょこっと出てくるんです。出てくる方向は上下左右様々です。出てくる顔も老若男女ばらばらで、すぐに消えることもあれば、ずっと見てくることもあります。その顔が、窓を覗くような感じで出てくるんです」
男は空を見ながら顔をしかめた。
「変な話をしてしまって、すみません」
苦笑する男に青年は首を振って「大変ですね」と同情を示した。男は「ありがとうございます」と弱々しい声で言った。
「雨も小降りになってきたので、これ以上水たまりが大きくならないうちに僕は行きます」
男はカバンを頭にのせ、水たまりを避けながら走って行った。
青年は雨が止むのを待ちながら、水たまりを見ていた。そこには雨雲の隙間に見える青空と駅の屋根が映っていた。青年が見続けていると、駅の屋根が映っているところから、男の顔が出てきた。顔だけを出した男の表情は一瞬怯えたように見えたが、すぐに顔をしかめて消えていった。その男の顔は、先ほどの男のものだった。