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バッドエンドというもの

以前にもバッドエンドについて見解を述べたことがあるが、その際は主題が別だったため、ついでといった感じだったので、今回は改めて私にとってのバッドエンドについて深堀りしていきたいと思う。


まずバッドエンドとは一体何なのか、という定義をしなければならないが、まずここがズレていることが多いように見受けられる。人によってバッドエンドの定義が違うため、これはバッドエンドだ、いやそうじゃない、という言い争いをたまに見る。


なので定義をしておこう。そうである人が多いと思われる定義を書いていく。


1つ目は主人公が最後に死んでしまう系だ。主人公が今まで何をしてきたかに関わらず、そのなしてきた結果を見ることなく死んでお話が終わってしまうため、バッドエンドである、というもの。短編でありがちなストーリーだ。主人公が死ぬことでお話が終わるので短くしやすいためだ。


2つ目は主人公の生死を問わず、今まで主人公がなしてきたことが何の意味もない、世界にも主人公にも良い方向に働かなかったのでバッドエンドというもの。ただしこれには分岐があって次世代がいたなら、その次世代に良い結果が巡ってくるだろうと示唆されればそれはバッドエンドではない、とされることがある。これは1つ目にも当てはまるのだが、1つ目は主人公が死んでしまうと問答無用でバッドエンドとなるため、適応されない。なんとなく長く続いてきた作品でこうなる場合がある。まとめきれなかったのだろう。


3つ目はこれだと思う作品はないけど分類として入れておきたいものだ。ただ世界で様々なことが起こるものの、結局何一つ世界に影響を与えることが出来ずに終わり、お話が終わるもの。書いている間に一つ当てはまる作品を思いついたが、その作品はそのこと自体が作品としてのテーマだったと思うのでノーカンである。


私としてはこの3つのうち3つ目と、主人公が死んで世界がどうにかなるという話もありだと思うので、1つ目は除外とし、2つ目をバッドエンドとする。期待されたものではないという意味で真のバッドエンドだと思う。


ここまで書いてきて何だが、私のスタイルをここで言っておきたい。私はバッドエンドが大嫌いだ。そうだと知ったなら見る必要なしとして関わろうともしないというレベルで。ただし「短編作品」「映画」「演劇」は除く。


なぜこれらを除くかには明確な理由がある。短いからだ。短いので主人公のこともよく分からず、ゆえに感情移入も出来ていないことが多いためだ。だから「昔からバッドエンドは支持されてきた。たくさんのバッドエンドの物語が残っている」というのは、昔は演劇、一昔でも映画ぐらいしかなかっため、感情移入の度合いや教養の差など考える必要がなかったし、シナリオ作製技術も未熟だったために悲劇=バッドエンドの方が作りやすいというのもあっただけである。


現代における物語では圧倒的にハッピーエンドの方が良いと思われる。なぜなら現世は不幸=バッドエンドばかりだということがほぼ周知されているのと、長い物語を見させられた上で結局どうにもなりませんでした、などというお話を見せられるのは時間の無駄とも言えるためだ。もちろん過程に良い箇所があることも多いことは承知しているが、ならば別にハッピーエンドでもいいではないか、ともなる。


ハッピーエンドにせずわざわざバッドエンドにするのは以下の理由である場合が多い。


1つ目は長い時間、視聴者(読者)を引きつけておくためにセンセーショナルであったり意外であったりする展開を盛り込みすぎたがために収拾がつかず、バッドエンドにならざるをえなかった、というもの。これには蛇蝎の如く嫌われている夢オチも含まれている。また強引にハッピーエンドにすると「ご都合主義」という誹りを受けやすいため、それを回避するためとも言える。


大半がこの1つ目なのだがたまに2つ目がある。それが作者の主義主張のためのバッドエンドである。例えば人殺しの主人公が幸せになってはいけない、歴史を変えてはいけない、などという主張のため、あるいは俺はバッドエンドが好きなんだ、という主義のため、あえて主人公や近しいものを死なせてハッピーエンドにしない、という作品である。また明らかに世界の方が終わっており、それでもけなげに生き残っていた主人公が、けどやっぱりなすすべなく死んでいく、などという最初からバッドエンドが保証されているかのようなテーマを持った作品などがある。この2つ目の場合、長編であっても冒頭からそういう作品であるということはだいたい分かる仕組みになっているので、それでも嫌だと言う人は回避できる分、1つ目よりはだいぶといいし、理不尽さもあまりない。


よって私がバッドエンドが大嫌いな理由はあまりにも1つ目の理由のものが多いせいだ。2つ目の理由のものは受け入れる場合がある。


特に最近は最初に視聴者(読者)を掴まなければ簡単に逃げられてしまうため、序盤のできるだけ早いうちにインパクトのある、大きな魅力的な部分を置いておかなければならないため、非常にシナリオ構築難易度が上がっている。またより多数に見てもらわなければいけないため、分かりやすくかつ魅力的に、と相当な無茶を序盤にやっている場合が多い。視聴者(読者)としては、どうやってこれを解決するんだろう?と心惹かれるが、書いている当人は書き初めの頃は何も考えておらず未来の自分がなんとかしてくれるさ、という気分で書いていることがマジで多いのだ。そして未来の自分にもどうにもなりませんでした、で終わると。この場合バッドエンドで終わる場合はまだましで、へたしたらエタるから始末に悪い。ネット小説に多いが商業誌でもたまに見かける。


また最初と最後だけ考えて書きました、とかいうのは限りなく嘘に近いから騙されないように。書き始めているのだから最初を考えているのは当然で、この場合の最後はもっとも短く終わった場合のオチを考えていた、だけにすぎず、長く続いた作品であるほど、その場ののりやキャラ人気によって活躍度を変えたりして、最初に考えていたオチなど適応できるはずもない状況に陥っていることが非常に多いためだ。少なくともタイムリープものでのりで状況を変えてしまうのは矛盾を生み出す元なのでやってはならないことなのだが、それを公言していたタイムリープものを見たことはある。こういった作品はちゃんと組み立てていた序中盤の評価は高いが、のりやキャラ人気などの状況で展開を変えてしまったせいか、後半や締めに明らかな不具合が混ざっていたり、賢明な視聴者(読者)に見抜かれたりして人気がかえって下がることが多いと思われる。


悪人の主人公が好き放題して結果死ぬことになるというお話ならバッドエンドでもいい、というかバッドエンドでないと困ると思うが、そうでない人も多いようだ。

逆に善人の主人公が健闘むなしく悪の前に倒れてバッドエンドとか、何が言いたいねん、とか思ってしまう。そんなことは現実でも多くあるだろうし、全然スカッともしないしストレスを貯めるだけなので見たいとも思わないのだが。


ともあれ短編ならともかく長編になってくると終わりよければ全て良しと持って行くにも一苦労するのは確かである。これをより確実に成したいなら、常日頃から矛盾のない設定やキャラの動きをするべきである。本来慎重なキャラがそのときだけおバカになっていてその結果大失敗をし、取り返しのつかない事態に陥る作品など山ほどあるが、そういうことをするとキャラの一貫性がなくなって後ろに機械仕掛けの神が見えてくることになるので、できるキャラがそのときだけ出来ないとか、あるいはその逆をして、状況を一変させるという手法は使わないほうがいい、非常に手軽に状況を変えることが出来るのでよく使われるのだ、これが。世間で名作と言われているものでも結構多い。そのときはいいんだろうが、長続きするIPにはならないと思っている。

長い間放置していたように見えて、書いたけど様々な理由でボツにしたものが複数残っていたり。今回のはなんとか外に出してもいいだろう、というものになったので、ようやくといった感じだった

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