想像力と知識
知識なんて要らない、ググればいいし、高等数学とか歴史とか覚えている必要はない、という論調を聞いたことはないだろうか?
部分的には正しいのだけど、重大な要素がこの意見には含まれていない。それはなにかといえば。
【想像力は知識を元にして生まれてくる】ということと。
【大体において車輪の再発明をしても無駄】だということだ。
たまに見かけるのだが、何も知らないままそのジャンルに挑む、とかやっちゃう人がいる。これはその人がそのジャンルでのいわゆる天才でなければ成功はしないと言い切れる。そして何も知らないのだから、そのジャンルにおいてその人が天才である、などと事前に判断できる人は本人を含めておらず、無謀な挑戦であるとしか言えない。
知っていると想像力の邪魔になるという人もいる。それは単に才能がなく車輪を再発明する可能性を考慮に入れていない意見だ。すでにあるものを新たに想像しても何の利益にもならない。本人がその手法のエキスパートになれる可能性もなくはないが、それならすでに確立しているであろうそれの手法を学んでおけば更にエキスパートになれたかもしれない。
知っていると邪魔になる、というのはそのジャンルでのタブーや一般的なやり方などがあって、それに従わなければ、と無考慮でそう思ってしまうことがあるせいだ。それは類似他ジャンルをちゃんと学んでいたり、論理的に考えればそれがなぜタブーなのか、どうすればタブーでなくせるかを考えていくことが出来るなら回避できることであって、それを恐れるあまりに知らないでいる、というのはあまりにリスキーにしか思えない。
なんというか人間の積み重ねを甘く見ているというか、歴史に学ばないのよね。
実際のところ、テスト用でしかない歴史で何がいつ起こったのか? というのはあまり覚えなくていいとは思う。ただし正確でなくても何時頃だったのか? は覚えておいたほうがいいとは思う。それがやがて教養となる。
あと何も知らないとググることすら出来なくなる。単なる知識の範疇のものであればググれば解決するだろうが、知識がないとそこからの派生はしないので、非常に狭い、正しくないかもしれないことが知れるだけだ。
というか昨今では「ググる」という言葉も死語と化している気がする。最近では検索した先を見て回るということ自体が減ったから、検索するという行為自体があまり行われていない気もする。……検索すらしないのに知識が要らないとは?
無知であることを誇るようになればおしまいだと思う。
新たになにか書こうと思ったら、何やら抹消されずに残っていたので、なぜボツにしていたのかあまり考えずに公開したもの。