八話
―――ガチャ
「まだ、誰か残っているんですか? 始業式始まりますよ」
女性教員がトイレの扉を開けて、声だけを入室させる。
幸いにして龍太郎も夏目こころも教員に視認されることはなかった。しかし陰禍が思いもよらぬ反応を見せた。
女性教員の声に対して首、体と二段階の反応をみせ、龍太郎たちからトイレの出口の方へとへ踵を返したのだ。
あっという間だった。
陰禍が女性教師を喰らった。
「な、なんでだよ!」
女性教員は外傷のないまま、廊下へと倒れ込む。
陰禍は女性教員に対して喰らう動作を尚も続けている。
「ああ、失態だ。陰禍のターゲットなんてすべて把握できるわけもない、犠牲者が増える前に」
夏目こころは焦りを滲ませ陰禍へと向かう。
「終わりだ」
宣言とともに陰禍目がけ西洋製のナイフを振りかざす。
女性教師にくぎ付けになっていた陰禍だが途端に俊敏さを発揮して夏目こころの一閃を奇怪な手で庇いながら飛び退いた。
「浅いな……」
陰禍の腕が夏目こころにより切り払われた。
片腕を失った陰禍が金切声のような慟哭をあげる。
キィィィィィィイイイイイイイイイ!!!!!
陰禍は影のような姿をさらに奇形化させる。
女性教師を喰らったことにより力を蓄えたのか、体躯を膨張させ、失った腕の方から複数の腕を生やさせた。
《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》《ウざクなァイ?》
醜悪な口を体のあちこちに出現させ夏目こころへと襲い掛かる。
「ほぅ、人の心を喰らってパワーアップってところかぁい? 鬼らしくなったじゃあないか」
陰禍の動きは先ほどよりもさらに俊敏になり夏目こころを執拗に狙い追随する。
夏目こころはやれやれと言わんばかりに攻撃を躱し、複数生えた腕を一本また一本と切り払う。
「視えていればなんてことはない戯言なんだ。けどね、陰にひそみ、こそこそと悪意を孕ませれば、狂気が生まれる」
夏目こころは陰禍に対峙しながら龍太郎に語り掛ける。
「生まれた狂気はやがて災いの渦となる。陰から生まれた災いならば見えぬ姿で人を襲い喰らう鬼になる。わたしは陰禍手合いが一番嫌いなんだ」
夏目こころは淡々と語り陰禍を追い詰める。
《チョットだケかわイイからッテ》
《ちょうシのッテてサ》
《ちょうシのッテてサ》《ちょうシのッテてサ》
《ちょうシのッテてサ》《ちょうシのッテてサ》《ちょうシのッテてサ》
「わたしは「かなり」可愛いと何度言えば理解する? まったく、いくら校正しても更生しない。本当、嫌になる」
龍太郎は息をのむ。
やれやれと面倒事の跡片付けをするように、気だるげに蚊でも追い払うように鬼の四肢を切り払う夏目こころは美しかった。
陰より生まれた狂気に対する侮蔑と虚脱。
事実を謙遜もせず、誇張もせず、ありありと、有り体に言い放つ清廉さ。
そのすべてが美しくみえた。
《コろシてヤ、る……》
「自我を持ち始めたか、でももう終わり。人はね、思っていても言ってはいけない言葉ってものがあるんだよ。言ったら凶器に変わる言葉があるんだよ。そこが人と罪禍たちとの境界線だ」
《ナツメ、ココロッ!!! コロシ―――》
陰禍が言葉を言い切る前に夏目こころは西洋製のナイフで首を斬り落とした。
「少年、ありがとう。おかげで災いの延焼を防ぐことができた」
「お、終わったのか……」
「わたしはこの手の陰口が大嫌いで、間違いには訂正を入れらずにいられない。どうだい? 可愛くても可愛げがないだろぅ?」
夏目こころは珍しく「ふふっ」と自嘲気味に笑って見せる。
「ああ、確かに。可愛いが、可愛げはあまりなさそうだ。でも、オレはキミに目を奪われた」
「奪っていないさ。借りただけだよ。手を貸してくれてありがとう」
「返さなくてもいい。キミの役に立てるのならその目を君にあげる。だから―――」
龍太郎は宣言する。
身を正して、一歩を踏み出す。夏目こころに向かって手を差し出し懇願する。
「オレと付き合ってください!!!!」
「ふふっ、そ、そうかい、わ、わたしは目を奪ってしまったのか。罪な女だな、わたしは」
龍太郎のいきなりの告白に夏目こころは少し相貌を崩しながら、変わらぬ飄々とした態度をとる。
龍太郎は尚も宣言する。
「キミは美しいだけじゃなくてオレの心を救ってくれた! 一時でも永くキミの側にいたい!」
龍太郎は災い、つまりは『罪禍』が目に見えるせいでこれまで人と距離を置いてきた。そうせざるおえなかった。
人に危害が及ばぬよう、自身の無力を嘆かぬように。
愚直に、卑屈に、見える災いから目を背けてきた。
そんな理不尽を真っ向から否定して退けた『夏目こころ』という存在。
彼は目を奪われた。
彼女に心を奪われた。
手を貸してくれと必要とされた。
自分がどうありたいか答えは決まった。
無鉄砲な告白とわかっている。
だけど、伝えずにいられない言葉がある。
「夏目こころさん、キミが好きだ!!!!」
夏目こころは戸惑いながらも言葉を取り繕わない。
「困ってしまうよ。そらぁ、真正面からバカ正直に好意を表明されるのは、存外悪い気分ではない。しかしね、一時でも永くとか、好きとか、目的が不明瞭なうえ感情が雑然としすぎている。もっとこうわたしの気を惹こうという試行錯誤をだね。例えば月がどうたらとか言ってみたり、もっとロマンチックな比喩とかは考えなかったのかぁい?」
突然『乙女』を発動させこじらせをみせる夏目こころ。
龍太郎は揺るがない。
「ない!!! オレはキミとアイスが食べたい!!! そんな毎日を送りたい!!! どんな答えでもいい、さぁ返事を聞かせてくれないか!!!」
夏目こころは狼狽する。
「むぅ!? ま、まさかアイスと愛すをかけてもいるのかい!? どこまで愚直なんだキミは!!!」
「質問を逸らすのはズル、じゃないんですか?」
「言うじゃないか、ふふっ。わたしの好物だ。言っておくが妥協はないぞ? 類似では許さない。愛すが欲しい」
「仰せのままにお嬢様」
夏目こころは龍太郎の手をとった。
「ほら、早く、行くぞ? ―――『龍太郎』」




