六話
「ま、待ってくれ!!! 夏目さん!!! もしかしてキミにも見えるのか!? あの――気味の悪い鬼が」
龍太郎の目に、それはしっかりと映っていた。
目の前には女子トイレの中をぬらぬらと徘徊する鬼がいる。
姿は人間を模している。しかし、そこだけ空間が切り取られたのではないかというほどに光を跳ね返さない、すべてが真っ黒。
女子生徒と同じ制服のようなものを身に纏っているようにも見える。
四肢は骨のように細く、長く、人体の構造を無視した奇怪な曲がり方をしている。
目や耳などは無く、醜悪に歪む口だけが顔と思しき場所に浮かび、にたりと笑っていた。
あれは鬼、龍太郎はそう確信していた。どこか人と似ているものだが非なるものと決別していた。
「あれは罪禍というものだ! 人の心を餌にし、人に災いをもたらす鬼。中でもああいう目には見えにくいものを陰禍といって、なかなか捉えることができないんだよ。実はわたしにあれは見えていない。だから、少年。手を貸してくれないかい? いや、正確には目を、貸してくれ!」
「あんなのどうするんだ!? どうすることもできないものだ!!! こちらが逃げるだけしかないものだ!!!」
「ふぅむ。方法ならある。あれの居場所を教えてくれ。少年。できるだけ正確に頼むよ」
「教えるって……………今、奥から二番目のトイレの扉から出てきたところ、こちらを伺っているように見える。……でも、無理だ!!! あんなのに触れることはできない!!! 石を投げても!!! 棒で振り払っても!!! ただ空を切るだけだ!!! なのに!!! アイツらはこちらを喰らう!!!」
「ありがとう。少年すぐに終わらせる」
夏目こころは言うと、おもむろに前へと踏み出し、鬼めがけて手を一閃振り払った。
「なにをッ………」
夏目こころが何をしたのか龍太郎にはわからなかった。
彼女が何をしたのかわからなかったが、龍太郎にはその事実が見えていた。―――鬼が真っ二つに両断された。
それまで、触れられない、抗えない、漫然とした理不尽、災いでしかなかったなかった存在。
彼女はそれを『斬った』のだ。
「夏目さん………キミはいったい………」
「おやおやぁ? 言ってなかったかぁい? わたしは――――殺禍だ」
「……さっか?」
「そう。罪禍というものが、先ほどの鬼。それらを葬るのが殺禍だ』
夏目こころは龍太郎の方へ振り返り、短い説明不足を終える。
「危ない!!! 夏目さん!!!!」
龍太郎は夏目こころをかばった。
彼女をひっぱり倒すことによって鬼の腕から彼女を守ったのだ。
鬼は尚も彼女へと手を伸ばす。
先ほど切り払った鬼ではない、別の鬼が夏目こころに狙いを定め奇怪に曲がった腕で掴もうとしている。
あれに触れられるのはよくないこと、龍太郎はこれまでの経験でそれだけは知っている。
「すまない、少年。助かったよ。もう一体いたのか、……失態だな」
《なツめェ? ダれソレぇ?》
《ウちチュがクおなジだッタんだけド》
《チョットだケかわイイからッテちょうシのッテてサ》
《イるよネそうイうコ》
《ウざクなァイ?》
突然鬼の口から声がした。口元はにたりと笑ったまま、様々な女子生徒の声が不気味に響き渡る。
「厄介だな。これは」
「どうしたの? さっきみたいにパッと斬ることはできないの?」
「名前を聞かれてしまった。さっきまではわたし個人を標的にしていなかったが、今はもうヤツの次の餌はわたしになってる」
夏目こころは焦った。
名前を聞かれた。
個人を特定された。
見えない相手から目標として捉えられた。
圧倒的不利な状況である。
「ご、ごめん! オレがさっき名前を……」
「少年、キミのせいじゃない。おそらく、わたしもターゲットだったのだろう。陰禍とは陰口から生まれる、妬み、嫉妬、哀れみ、侮蔑、嘲笑、その他、陰で発せられた悪意が災いになる。今回その標的にわたしもいたということだよ」
先ほど鬼の口から発せられたのは夏目こころへの陰口。おそらく、今日、ほんの数分前に言われたであろう陰口だ。
名前も顔もろくに知らない相手に向けた悪口。
龍太郎には見えている。そんな人の醜悪さが生み出した真っ黒な鬼が。
「少年。もう一度わたしに手を貸してくれないかい?」
「もちろん! 手でも目でも使ってくれ! 言っただろ! 何でもするって!」
「ありがとう。少年。では、第二ラウンドを開始しようか!!!」
龍太郎は夏目こころの手を引き鬼から離れて体制を立て直した。
「陰禍を校正してあげよう。わたしは「チョット」じゃない、「かなり『可愛い』」だ。間違えてくれるなよ?」




