五話
夏目こころの指すトイレとは、先ほどまで龍太郎が孤独の激闘を繰り広げていた三階最奥にある人気の少ないトイレではなかった。
変な妄想に憑りつかれて『思春期』真っ盛りを発動中の龍太郎にはそのような疑問は些末なものでしかなかったが、異性との会話に何を話せばいいのかもわからないため、話の種としてどこのトイレへ向かっているのか聞いてみる。
「夏目さん、なぜわざわざ遠くのトイレに向かってるんだ?」
「ふむ。少し説明が複雑だな。端的に言えば、あそこは人がいなさすぎるのさ。そういうところじゃダメなんだ。今だと、そうだね……………一年のクラス付近がいい。先ほどまで大勢の人がいて、今時分はみな体育館へ移動してる頃合いでちょうど人がいない。これ以上ないタイミングだ!!!」
『恥ずかしがり屋(自称)』で『お淑やか(自称)』で『美少女(事実)』の夏目こころは龍太郎の疑問に堂々と答えると、ふんすと満足げに鼻息を鳴らし足取りを速めた。
龍太郎は夏目こころの赤裸々な趣向の暴露を耳にして心穏やかではない。
夏目さんッ!!! キミはいったいッ!!!
さっきはあんなに恥ずかしそうにしていたじゃないかッ!!!!
恥じらいの中にスリルも欲しいというのかッ!?!?!? キミはッ!!!!!
キミは欲張りさんなのかッ!!!!! キミはッ!!!!!!
破廉恥すぎるッ!!!! 破廉恥すぎるのではないかッ!?!?!? それはッ!!!!!!!
オレはいったいこれから何をするんだッ!!!! 何をしてしまうんだッ!!!!!
まさか、大人の階段っていうものにこんな裏道入学があったなんてッッ!!!!!
階段どころかエスカレーター。いや、エスカレーターなんてもんじゃないッッ!!!
こんなのはエスカレーターを通り越してエレベーターじゃないかああああああ!!!!!!!
オレをどこまで大人にさせてしまう気なんだッッッッッッ!!!!!!!!
オレはこんなすさまじい上昇圧に耐えられるのだろうかああああああ!?!?!?!?!?!?!?
『思春期』の『心』は暴走していた。
龍太郎は頭の中でエレベーターを上昇させながら勝手に夏目こころの裸姿を想像していたが、圧倒的な知識の無さと致命的な想像力の欠如により解像度のとても低いものに踊らされていた。だが、夏目こころという存在が彼を狂わせていくのだった。
◇
「着いたぞ。では、さっさと済ませてしまおうじゃないか!!!」
「なっ、夏目さんッ、ほっ、本当にオレでいいの???」
「何を言ってるんだい? 私の目に間違いはないよ? さあ選んでくれ! 男子トイレか、女子トイレか、キミの意見が需要なんだ」
そ、そうだよな!!! ここまで流されてきてしまったがすべて女の子任せっていうのはよくないよな!!! オレも男だ!!! ここからはオレがリードしよう!!!
でも、どっちを選べば……オレが女子トイレに入るわけにもいかない、かといって夏目さんに男子トイレなんて入ってほしくない……
龍太郎は悩んだ。
「………すまない!!! やっぱりダメだ!!! こういうことはもっとお互いを知ってからッ!!! いや、場所も良くない。こんなッ………」
龍太郎の自制心が転がされるままだった心を踏み止まらせる。
「それにここはなんだか嫌な感じがする。――早く体育館へ行こう」
「むぅふ。やはり、――当たりか。」
夏目こころは満足げな笑みを浮かべている。
「当たり?」
「少年。 具体的に何が厭に思ったのか説明できるかい? 頼む、教えてくれ」
龍太郎は夏目こころの指す「何が」をすぐに回答できなかった。
単純なルール的、風紀的、校則的、社会的、その他すべての規範から外れた行動であるから、という理由が頭には浮かんでいる。
が、しかし、そんな規範だけが龍太郎を止めた訳じゃない。
「見えるのだろぅ?」
「そこにある何かが………それは、どちらの方だい?」
龍太郎には見えていた。
見えてしまっていた。
今まで彼が災いを遠退けていた理由。不幸にも友人や異性をも遠ざけざるおえなかった理由。
ずっと彼を一人にしていた力。
在るはずのないものが見える力。
「女子トイレの方。――そこから黒い靄みたいなものが見る あれは、たぶん、――よくないやつだ」
「手を貸してくれ。少年。」
夏目こころは龍太郎がこれまで誰にも理解されてこなかった言葉に納得すると彼の手を引き女子トイレの中へ入った。




