18-4 新生魔術学院オープン初日
(こいつは……)
ミカゼカを見たノアは、自身が幼い頃からずっと感じていた忌まわしい感触を、久しぶりに思い出した。
(母さん以来だ……。相手を服従させようとする、絶対的な威圧は……。いや、母さんよりさらに酷い)
倒れたまま、ノアはミカゼカを見上げる。ノアは立ち上がれなかった。ミカゼカから猛悪な殺気が放たれている。その殺気に圧倒され、立つことが出来ない。畏縮しながらも、震えを堪えているのがやっとだ。しかし首筋の毛は立っている。
絶対的な威圧と、それに対する恐怖。母親相手に何度も味わったあの感覚を、ノアは今、再び味わう事態になっている。
「ちゃんと謝ろうネ? そうしたら許してあげるヨ」
ミカゼカの口から出た台詞を聞き、ノアは総毛立つ。
『ここで謝らなければ絶対に殺す』
口で言わずとも、殺気がそう告げていた。脅しではない。脅しなら殺気にはならない。謝らなければこの場で即座に絶対に殺されると、ノアは確信した。
「すまんこ」
倒れたまま、ノアは謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「僕にじゃなく、僕のツレにネ?」
「すまんこ」
ミカゼカに言われるがまま、坊主頭の男の方に向かって謝る。
「オットー、謝ったけど、許してあげル?」
「許すわけねーけど、変に揉め事起こしたくもねーよ」
ミカゼカが伺うと、坊主頭の男――オットーは面倒くさそうに言い捨てた。
「糞っ……いきなり変な奴に絡まれちまった……。気分悪ぃ……」
「これで互いにおあいこって事にして水に流そうネ」
なおも悪態をつくオットーに、歯を見せてにかっと微笑むミカゼカ。
「あのガキの見た目はすげーな……。俺みてーな不細工でフケた奴なんて、大したことねーって次元だ。何だかほっとしたわ」
顔が半分欠け、欠けた部分に黒い輪が埋まっているガリリネの容姿を見て、オットーは言った。顔以外にも欠損と輪があるガリリネだが、それは全て服の下だ。
「あははは、不細工は不細工を救うんだネ。もしかしたらオットーも誰かにそう思われて、誰かを救っているかもだヨ」
「ムカつくこと言われている気もするが、ま、それはそれで構わねーよ」
ミカゼカが笑うが、オットーは大して気にかけなかった。
「ノア、大丈夫~」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫。あれはヤバい奴だった」
案じるチャバックに、血の気の引いた顔のまま立ち上がりながら、ノアは言った。
「この先どこ行くのー?」
「さあ……人だかりは凄いね。ここで待っていていいんじゃないか?」
チャバックが疑問を口にすると、ガリリネが周囲を見渡して言った。
学院の正門内には入学希望者達が集まっているが、そこで人だかりになっている。案内の看板等も設置されていないので、その先どこに行ったらいかわからない状態になってしまっている。
「私達もどこに行けばいいかわからないんです」
「ね。今日から魔術師希望者は入学可能と聞いて、ホンマーヤ地方からわざわざ来たっていうのに」
チャバックの声が聞こえた女性二人が言った。
「あ、僕もついこの間までそこにいたよ」
「へえ、そうなの……って、その顔どうなってるの? アクセサリー?」
声をあげるガリリネの、半分欠けて黒い輪がついている顔を見て、女性二人は慄く。ガリリネからすると慣れた反応なので気にしない。
「これも僕の体だよ。魔術学院に入ろうっていうなら、これくらいで驚いちゃいけないな」
冗談めかすガリリネ。
『入学希望者は外装日工事中の杯の塔に向かってくださーい。あ、間違えた。内装工事中の円盤の塔に向かってくださーい。あ、違った。取り壊し中の剣の塔に向かってくださーい』
魔術師のローブ姿のエルフの少年が、拡声魔術を用いてアナウンスするが、その内容を聞いて、正門内に集まった入学希望者達は一斉にざわついた。
「ミス多すぎじゃね?」
「取り壊し中の塔行ってどうするの?」
「あの子、エルフじゃん。ア・ハイで見るのは珍しいな」
「何か初日から色々とグダグダな……」
「案内の看板くらい設置しとけばいいのに、それすらしてないって……」
「不安だわ。予算不足で制服支給も無いって話だし」
呆れと不安の声があちこちで囁かれる。
『さ、さらに訂正でーす。杖の塔に向かってくださーいっ。すぐ右手でーす』
狼狽しまくったエルフの魔術師少年が、訂正のアナウンスを流した。
「担当者はあのガキか。もしかして俺みたいな奴かな?」
顔を真っ赤にしていそいそと去っていくエルフの少年を見て、オットーが言う。
「へえ、それがわかるノ?」
「いつもいつも馬鹿みたいなドジして、しかも手違いの連続で、どうにもならない状況作っちまう奴、俺以外でも見たことあるわ。俺もその一人だけどな。社会に一定数はいるもんだ。そういう奴に大事な仕事を任すと、こういう事態になっちまう」
「なるほどネ」
オットーの話を聞いて、ミカゼカは納得した。
入学希望者全員が、杖の塔に入る。
「ノアーっ」
塔の一階ホールにて、何者かが弾んだ声でノアの名を呼んだ。少女の声だ。
ノア達三名が声のした方を見ると、一人の少女が手を振っていた。まだ十歳くらいの子だ。
「あ、ウルスラだ」
ウルスラを見つけて手を振り返すノア。両者が近寄る。
「君も魔術師になりに来たの? あ、俺はこっちにいるチャバックの付き添いね」
「私、ノア達に人喰い絵本から助けて貰ったでしょ? 私には魔法使いの才能は無いから、魔術師になって、人喰い絵本に吸い込まれた人を助ける仕事をしたいと思って」
ノアに問われ、ウルスラは魔術学院に入学希望した動機を答えた。
「おい……あのウルスラがいるぞ」
「あの神童の? 劇団病辞めたっていうけど」
「最後に物凄い伝説を作って辞めた、あの天才踊り子にして舞台役者のウルスラも魔術師志望なのか……」
ウルスラの姿を確認して、入学希望者達がざわついた。
「人を魔法で攻撃するような屑と仲良しなのかよ」
ウルスラと親しげに話すノア達を見て、オットーが忌々しげに舌打ちをする。
「仲間に入りたいノ?」
ミカゼカがオットーの顔を覗き込み、にやにや笑いながら尋ねる。
「そんなわけねーだろっ」
オットーはぷいっと横を向く。
「友達は作った方がいいヨ」
向いた方向に回り込んで覗き込むミカゼカ。
「いらねえ」
反対を向くオットー。
「照れてるノ?」
「しつけえ……」
さらに回り込んで問うミカゼカに、オットーは根負けして嘆息した。
『これより院長のパブ・ロドリゲス先生より挨拶がありまーす』
さっきの少年魔術師が壇上に立って告げると、入れ替わりで一人の老人が壇上に上がった。
『初めまして。私は旧魔術師ギルドマスターのパブ・ロドリゲスです。三十年の時を経て、魔術師達の学び舎が復活した事は大変に喜ばしく――』
「K&Mアゲインだった奴が、ここの院長になるのか……」
「俺は知ってた。魔術師不足が深刻だから背に腹を変えられないんだと」
「それにしても重犯罪者に院長の権限与えるってどうかしてるわ」
院長のロドリゲスが挨拶する最中、入学希望者達は不信感いっぱいに囁き合っていた。
***
「あ、スィーニー」
その日の朝、ユーリが山頂平野の繁華街を歩いていると、中央公園で露店を出しているスィーニーの姿を見つけた。
「お、最近いつもノアとセットのユーリが一人とか、何か新鮮な光景なんよ」
スィーニーがユーリを見て、悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「ノアは今日、チャバック達の付き添いだからさ。明日は僕が当番なんだけど」
「知ってるー。つ、ま、りぃ、今日は私がユーリを独占できる、かな?」
笑顔でおどけた口調で言うスィーニーに対し、ユーリは口ごもった。
「いや、引かないでよ……。せっかくの機会だと思って、思い切ってお誘いかけたのにさ」
ユーリの反応を見て、スィーニーは肩を落とす。
(ノアは色々と面倒臭い性格だけど、ユーリとはできるだけ親しくなっておいた方がいいからね。その方が私の仕事もしやすくなる)
スィーニーにはそういった下心があった。
「お誘いって……その……」
「デートのお誘い。嫌?」
「あ……え……デー……えと……」
明るい笑顔ではっきりと告げるスィーニーに、ユーリは狼狽する。異性からデートを誘われたことなど、生まれて初めての事だ。自分には全く縁のない話だと思ってすらいた。
「いやいやいや、そ、そんなことないよ」
「動揺しまくっておもしろー。じゃあオッケーなんね?」
「あ、はい……」
流れに圧される形で、畏縮気味に承諾するユーリ。
「そんな固く考えることないってー。それとも用事ある? にゃんこ師匠に怒られる?」
「いや、今日は午前中なら空いてるよ」
「んじゃ、午前中だけでも一緒に遊ぶんよ。行こ行こ」
嬉しそうな笑顔でスィーニーがユーリの手を取り、歩き出す。
ユーリは動揺しまくりながらついていく。顔が熱くなっていることを意識して、思わず開いている手で帽子を目深にかぶり直す。
「さて、私は前からユーリをここに連れてきたかったんよ」
服屋の前で立ち止まり、にんまりと笑うスィーニー。
(女性用の服屋だけど、買い物に付き合えってことかな)
ユーリがそう考えていると、スィーニーはユーリの手を取ったまま中へと入っていく。
「ねえ、いつも魔法使いの格好してるけど、そうじゃない私服って持ってないん?」
「えーと、寝間着は……」
「寝間着の話してねーって」
「ごめん……そうだよね。僕ズレてるな」
頭をかくユーリ。実は誤魔化そうとしたが、誤魔化し方が悪かったと、言ってから思った。
「謝らなくてもいいけど、ま、無いってことかな。ちったあお洒落もしなされ」
「あのー……お洒落はいいけど、これ全部女の子用の服だよ?」
「何か問題でも? はい試着試着」
「流石にそれは嫌だよ」
笑顔で服を見繕いだすスィーニーであったが、ユーリは拒絶した。
「ちぇっ……引っかからなかったか。奇跡の絵描き屋さんみたいにしたかったのに」
「奇跡の絵描き屋さんって、最近話題の小説だよね。名前だけは聞いたことあるけど、面白いの?」
「面白いよー。主人公がユーリみたく見た目女の子っぽい男の子のせいで、女装させられるの」
「そ、そっか……。でも女装は勘弁して」
小説に影響されて、自分を女装させようとしてくるスィーニーの神経を疑うユーリ。
その次は、男性ものの服も売っている服屋に入る。
「こっちのさっぱりした服いいね。貴族向けの服だとごちゃごちゃしたの多いけど、これはそうじゃないし」
「うん。装飾過剰なのは僕もいまいちだと思ってた」
そんな会話を交わしながら、二人で服を選んでいると――
「聞いたか? あのウルスラが踊り子やめて、今日から始まる魔術学院に入学するって」
「勿体無いなあ。あの子の踊りは最高だったというのに、その才能を投げ捨ててしまうとは」
「最後の舞台でのあの激白がね……。本人は嫌々やっていたようだし、仕方ない」
他の客が交わす噂話が、二人の耳に入った。
「ウルスラ、ノア達とも学院で会いそうね」
スィーニーが言った。
「そうかもしれないねえ。どういうわけかウルスラ、ノアのことをやたら気に入ってるみたいだし……」
苦笑いを浮かべるユーリ。
「それってさ、ウルスラが最後の公演で罵詈雑言かました時、ノアが拍手してたからなん?」
「うん、そうみたい。味方というか、理解者というか、あの時拍手されて凄く嬉しかったみいだよ」
尋ねるスィーニーに、ユーリが話す。あの後ノアと共にウルスラと何度か会い、会話したユーリであるが、ウルスラはすっかりとノアに懐いている印象だ。
その後二人は中央公園で、吟遊詩人の歌を聴いたり、大道芸人の芸を見たりして、楽しんでいたが――
「お前の飴細工マシーン、すぐ壊れちまったぞ! なーにが優れものだよ。この嘘吐きがっ!」
「嘘吐きはあんただろうがっ。飴細工に使うつもりじゃなくて、砂金取りになんかに使えば、壊れるに決まってる!」
「使い道は買い取った方の自由だ! 優れものだと謳っておいてすぐ壊れたのは不良品だし、誇大広告だろうが!」
「勝手すぎる理屈だろ!」
商人と思われる服装の男二人が、激しく言い争っている。今にも殴り合いが始まりそうな剣幕で、通行人達はじろじろと二人を見ている。
理屈として、売りつけた方が正しく、買った方に非があるとユーリには思えた。
「はあ……二人共商人繋がりでの知り合いだわ……。もう、みっともないなあ。大勢の目に止まっちゃってんじゃんよ」
スィーニーが腰に手を当てて息を吐くと、言い争いをする商人達の方に歩いていく。
「おっさんらー、いい歳してヒートアップしすぎぃ。つか嘘吐きは言い過ぎだろー。互いに騙そうとしているんじゃなかったんだし、行き違いって奴だろー」
「小娘は引っ込んでろいっ!」
「いや、スィーニーちゃんの言う通りだ。俺が最初にカッとなって、ボロクソ言い過ぎた。引っ込みもつかなくなっちまって……。すまなかった」
スィーニーがたしなめると、一人は怒鳴り散らしたが、もう一人は怒りを覚まして謝罪した。
「そ、そうか……。俺も悪かった。スィーニーにまで当たり散らして、恥ずかしい所見せちまった」
喧嘩相手が大人な対応を見せたので、もう一人も怒りを覚まし、頭を掻きながら謝罪する。
「スィーニー、いい仲裁だったね」
ユーリがスィーニーに微笑みかける。
「今のは、片方があっさりと引っ込んでくれたおかげもあるんよ。両方頭に血上っていたままだったら、こいつの出番だったよ」
顔の前で拳を握りしめてみせると、スィーニーはにやりと笑った。




