18-1 デリカシーの無い人達
「ジヘ……ジヘ。居眠りジ~へ~♪ サボリ屋ジーヘー♪ 怒られる~♪」
何者かの歌声で、ジヘは目を覚ました。
びっくりするほど汚らしい存在が部屋の中にいて、ジヘは驚いたが、顔見知りでもあるので、さほどの驚愕でもなかった。
「嬲り神さん……どうしたの?」
「別にぃぃ~? 様子を見に来ただけだぜ。それが悪いかァ?」
寝ぼけまなこで尋ねるジヘに、嬲り神はおどけた口調で言った。
嬲り神は何度かジヘの前に顔を出していた。夢の中に現れることもある。ジヘは何故この異形の存在が、自分の前に時折姿を現すのか、全然理由がわからなかった。尋ねても嬲り神はとぼけるばかりだ。
「お前を助けたチャバックは、あの後、色々あったみたいだぜ~。でもなァ、勇敢なお友達のおかげで、その困難も乗りきった」
「僕も一度夢の中で会いに行ったよね」
「また頼むこともあるかもな。夢の中でならば、あっちの世界と繋がりやすい。魂の横軸とあれば猶更だ」
「魂の横軸……」
嬲り神が口にしたその一言に、ジヘは強い言霊を感じる。
「お前とチャバックはよぉ~、同じ魂を持つ者同士ってことだ。世界を隔てた同一人物とでもいうか? 見た目も性格も記憶もなんもかんも違うけど、それでもなァ、同じ魂なんだわ。あはははははっ」
チャバックが別の世界の自分と言われ、ジヘは驚くことは無かった。何となくそんな気はしていた。
「嬲り神さん、もしチャバックがピンチになったら、遠慮なく僕を連れて行ってね」
「ああん? ははははははははっ、いい子ちゃんぶりやがってよォ。やっぱりお前は……いや、お前に言われなくても、俺が無理矢理にでも連れて行くからなァ~。覚悟しとけ~」
屈託の無い笑顔で申し出るジヘに、嬲り神は心底おかしそうに笑っていた。
***
ユーリとノアは午前の家事と修行を終え、くつろいでいた。
「魔王はこれだけ世界に大きな影響与えているのに、大した伝承残ってないって不思議。勇者ロジオもだけど」
広間にて、書物に目を通しながらノアが言う。
ミヤの家には膨大な量の書物がある。ノアはその中で、魔王関連の書物をよく読んでいた。魔王関連の書物も非常に多いので、全て読破するにはかなりの時間を要する。まだ四分の一程度しか読んでいない。
「どんな姿をしていたかも、全然伝わってないよね。ブラッシーさんやアルレンティスさんは何度も質問されているらしいけど、絶対に答えないらしいし」
と、ユーリが言ったその時、自室にいたミヤが広間へと出てくる。
「ああ、師匠が出てきたから、この話はおしまい」
ユーリがノアにだけ聞こえる声の魔法を使って、話題を中断させる。
「何で婆は魔王の話をやたら嫌うんだろう」
同じく魔法で、ユーリにだけ聞こえる声を発するノア。
「同じ時代を生きてきたから、きっと辛いことがあったんだと思う。魔王の被害を直接受けているのかもしれないよ。聞きにくいし、聞きたいとも思わないけどさ」
祭壇に向かって祈りを捧げるミヤを見やり、ユーリが言った。
「そっか……。それなら仕方ない。俺も気を付ける。でも興味ある。刺激しないようにそれとなく触れてみる」
ノアもミヤに視線を向けていた直後、ミヤが激しく咳こんだ。
しばらく収まっていたが、最近になってまたミヤは咳をするようになった。
ユーリがミヤをさする。
「師匠、こんなにいろんな治癒の術を試して、ブラッシーさんからも色々と取り寄せて貰って、薬も試しているのに……。どうして……」
先日、ミヤがゴートに念話で長くないと訴えていたことを思い出しつつ、ユーリは声をかける。
「緩和はされておる。しかし癒すことはできまい……」
掠れ声で力無く断定するミヤに、全身凍り付くような感覚を覚えるユーリ。
「何故なんでしょうね」
「何故? 理由はお前にもとっくにわかっているだろう? 寿命じゃよ。これでも儂は相当無理をして長生きしておるからね。猫の命は人より短く、例え魔術師だろうと、猫魔術師はせいぜい五十年しか生きられん。儂は大魔法使いじゃから、無理してかなり長生きしておるが……それでももう、これ以上お迎えを遠ざけるのは無理じゃな。お前も覚悟はしておくんだよ。儂はもういつくたばるかわからんからね」
非情な現実を突きつけられ、ユーリはすっかり血の気を失っていた。
「そんな……まだ生きていてくださいよ。例え寿命だろうと、師匠に死んでほしくない。そんなこと……言わないでくださいよ……」
「情けない声出すんじゃないよ。鬱陶しいね。男の子だろ」
半泣きになるユーリを見て、ミヤが叱る。
「師匠、何歳くらいなの?」
ノアが尋ねた。
「三百歳以上だということはわかるが……覚えとらんよ」
「先輩も言ってたけど、魔王がいた時代から生きてきたんだね」
「そうだね……」
「師匠、実際に魔王の被害とかも見たの?」
聞きにくい質問をストレートにぶつけるノアに、ユーリははらはらとする。
「ああ……嫌という程記憶しておるよ……」
何故か自嘲するような声を発するミヤ。
(ノアさあ……刺激しないようそれとなく触れてみるって言ったのに、直球で質問ぶつけてるよ)
(すまんこ)
ユーリが念話で注意すると、ノアは念話で謝罪し返しつつ、ぺろりと舌を出して悪戯っぽく笑ってみせる。
「先輩、そろそろ変わるよ」
「うん」
ノアが申し出たので、ユーリはノアとマッサージを交代した。
「ふん、ノアもマッサージが大分上手く……けふっ、けんっけんっ、上手くなったね……。ついこの間までやたら乱暴だったってのに、成長したもんだ。ポイント1やるよ」
褒められ、ポイントを貰っても、ノアは嬉しくなかった。
ふと、ミヤがユーリに視線を向ける。ノアと交代したユーリが読みだした書物に注目した。
「ユーリ……その本は……」
秘薬を記した書物を見て、ミヤはキャットフェイスをしかめる。
「アルレンティスさん……いえ、ルーグさんから教えて貰い、中央図書館から借りてきたんです。秘薬ナイトエリクサーに関する本を。出来れば手がかりを探しに行きたいのですが……」
「そんなことをしている暇があったら、修行しろ。この半人前がっ!」
ミヤが急に怒声をあげたので、ノアはびっくりして撫でる手を止める。
「でも……」
「わしの言うことが聞けぬなら破門で勘当だよっ!」
ユーリがなおも食い下がろうとすると、ミヤはさらにキツい声で怒鳴った。
「師匠……先輩は心配してるのに、そんな言い方酷いよ……」
ぽろぽろと涙を零しながら、涙声で訴えるノアを見て、ミヤの怒りが覚める。
「はあ……悪かったよ。お前はいつも生意気な口叩いているくせに、何で急に泣くんだい」
「自分でもわからない。母さんと離れて、先輩や婆と付き合っているうちに、簡単に涙が出るようになっちゃって……」
ミヤが一転して優しい声で謝り、ノアが涙声で言う。
(長くないなんて、ゴートさんにこっそりと弱音を吐くくらいだ。相当悪いんだろう。このまま手をこまねいてはいられないよ)
ユーリはミヤの言いつけを聞くつもりは無かった。
***
旧鉱山区下層部黒騎士団詰め所。
前日、スィーニーはランドに商品の仕入れを頼まれていたので、それを届けに訪れた。
「おっはよー、ランドさん……って、ちょっと、朝から最悪のもの見たんよ……」
スィーニーが詰め所に入るなり、机の上に足を投げ出して座り、鼻毛を抜くランドの姿を見て、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ひでえ言い草だなあ。鼻毛抜いてただけだろうがよ。お前だって鼻毛ぐらい抜くだろ。痛っ!」
ランドの言葉を聞き、スィーニーはランドのこめかみを小突く。
「ランドさんさあ、奥さんや娘さんの前でもそんなノリなん?」
「そうだけど……つーか娘と同じ理由で殴られるとか、何で女って奴は皆こうなんだよ。俺は鼻毛抜いちゃいけないってのかよ」
こめかみを押さえ、ぶつぶつとぼやくランド。
「はい、これ頼まれていたもの」
スィーニーが机の上に商品を置く。
「ああ、それとさ、チャバックが家にいないから、ここに遊びに来てるかなーと思ったんだけど。来てない?」
「今日は定期健診だとよ。ケープさんがいなくなったあの診療所な。名前忘れたけど、あの新しい医者は名医だよなあ。チャバックの体をほとんど治しちまいやがって」
「ケープにさんづけはしなくていいんよ。犯罪者なんだし」
不機嫌顔になって吐き捨てるスィーニー。
「お前だってたまにさんづけしてるだろ。別に意識して変えなくていい。それにあの人が悪い組織の一員だったのは事実として、あの人のおかげで助かった人が多いのも事実なんだぜ? 必要以上に忌み嫌うこともねーさ」
「別に過度に憎んでいるわけじゃない。本気でムカついてるだけなんよ」
スィーニーの台詞を聞いて、ランドは小さく息を吐く。
「そういう悪い感情には、あんまり捉われない方がいいぜ。ろくなことねえ。そういう気持ちってのはな、落とし穴から這い出て、足を掴んでくる手だ。そんで、落とし穴に一瞬で引きずり込んできやがる」
「はいはい、おっさんの説教、御拝聴痛み入りまーす」
ランドにたしなめられ、スィーニーが鬱陶しそうに言ったその時、詰め所に二人が知る人物が訪れた。
「おっはよ~、ランドちゃーんて、スィーニーちゃんもいたのね~ん。おっはよー」
朝からハイテンションで、ブラッシーが挨拶する。
「ちょっと息抜きに来たわーん」
「朝っぱらから息抜き?」
ブラッシーの台詞を聞いて、スィーニーは小さく微笑む。
「朝っぱらから忙しいのよーん。黒騎士団からの依頼で、人喰い絵本の対処に追われている毎日なの~ん」
「魔術師不足だもんなあ。魔術師の大半を人喰い絵本の対処から外し、先発隊は黒騎士団だけで行かせるとか、キツいぜ。おかげで今度は黒騎士の死亡率が上がっていやがる」
皮肉げに吐き捨てるランド。
「ミヤ様の言いつけだから仕方ないけどね~ん。しばらくは私もア・ハイに滞在になりそうよ~ん」
「頼もしいし助かるよ。吸血鬼の旦那。俺の血分けてやろうか」
「鼻毛抜き男の血だけど飲むん?」
ランドが冗談めかし、スィーニーがにやりと笑って言う。
「いらないわ~ん。ランドちゃん、女の子の前で鼻毛抜いてるの~ん。はしたないわねーん」
「当分鼻毛ネタで引っ張られそうだな」
ランドが肩を落とす。
「しっかし、元魔王の部下の八恐のリビングレジェンドさえ、ミヤ殿には頭が上がらないなんてねえ」
(そりゃそうよ……。だってにゃんこ師匠は……)
ランドの台詞を聞いて、スィーニーは自分の任務を思い出す。
「それはそうよ~。何てったってミヤ様は、あの『破壊神の足』を討伐するほどの大魔法使い様なんだからねー」
「魔王とどっちが強いん?」
スィーニーが浴びせた質問に、ブラッシーが一瞬真顔になった。そしてその瞬間を、スィーニーは見逃さなかった。
「同じくらいかもねえ」
にっこり笑って答えるブラッシーだが、目が笑っていない。
(踏み込み過ぎちゃった? いやいや、このくらいの会話内容でいちいち怪しむものなん? でもブラッシーさんの様子……ヤバいかも。迂闊だったんよ……)
ブラッシーの眼光に危険な気配を感じ、スィーニーはしくじったと感じた。




