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17-1 人喰い絵本の人員削減

 早朝。アザミは寝床で寒気を覚える。


「んぬぅ~……またかよ~、糞兄貴……」


 下着姿のアザミが思いっきり顔をしかめて、同じベッドに寝ている水玉パジャマのシクラメが独占している掛布団を引っ張り、自分の上にもかける。


「ねえねえ。寒いの? ちゃんと寝間着を着なって言ってるのに、着ないからだよう」


 シクラメが目を覚まして、アザミに抱き着いてくる。


「ほーら、お兄ちゃんの体温でぬっくぬく~」

「やめろ糞兄貴。くっつくと逆に熱いんだよ」


 口では嫌がるアザミだが、押しのけて拒もうとはしない。二人だけの場所になると、言葉の応酬はいつも通りだが、生まれてきた子猫同士のように身を寄せ合ってじゃれ合う。


(兄貴もあたしも時間が、頭の中の時間が止まっている。でもよ……いつまでこれを続けられるんだ?)


 ふとそんな疑問が、アザミの中に思い浮かぶ。


「どうしたのお? アザミ、何が不安なの? お兄ちゃんに言ってみてぇ」


 アザミの耳元で、猫撫で声で囁くシクラメ。わずかな感情の変化も、この兄は即座に感じ取ってくる。アザミのことは何でもお見通しだ。そしてアザミを全力でサポートしてくれる。アザミにとって、切り離すことは考えられない運命共同体だ。


(でも……正直あたしが兄貴に甘えてるだけで、兄貴からすれば、あたしが絶対必要ってわけじゃねーよな……)


 ふとそんな意識が、アザミの中に思い浮かぶ。


「糞兄貴、堂々とソッスカーの街を出歩いて、追ってきた騎士達を殺したって言ってたじゃねーか。どうしてそんなことすんだよ」


 アザミは嘘をついた。自分が不安を抱いていたことは見破られたが、その不安内容まで見抜かれていたわけではない。それを口にしたくはなかったので、全くの別件を振った。


「大丈夫だよう。殺したのは騎士だけで、魔術師は貴重だから生かしておいたからねえ。尾行もされないように、魔法で痕跡はちゃんと消してあるよう」

「ふざけんなよ。そういう問題じゃねーって。敵さんを舐めんなよ。そんなこと堂々とやってると、本腰入れて殺しにかかってくるぞ」

「んんー? この前だって本腰入れてたんじゃないの? でも僕達は生き延びたよねえ? 気にしなくていいよう」

「いや、気にしろって。あたし達の計画にも支障が――」


 アザミの言葉は途中で止まった。シクラメが両手を伸ばし、アザミの首を絞めてきたのだ。


「お兄ちゃんは大丈夫だって言ってるんだよ? アザミはお兄ちゃんの言うこと、信じられないのかな?」


 シクラメがアザミの耳元に顔を寄せ、冷徹な声で囁く。普段と異なるその声は、アザミの胸に突き刺さり、激しい恐怖と恍惚を呼び起こす。


「ご……ごめんなさい。お兄ちゃん。アザミが悪かったから……もう言わないから……許して……」


 全身を震わせ、気を抜けば膀胱が決壊しそうな感触に抗いながら、アザミは普段と全く異なる弱々しい声を発する。


 シクラメは無言でアザミの首から手を離すと、アザミの頭を優しく撫でる。


「もう一つごめん……あたし、兄貴に今嘘ついた」


 アザミが元の声に戻って語りかける。


「兄貴はあたしに無理して合わせて、付き合っていて……あたし達はいつまで続けられるのかって……それが……」

「全部アザミ次第だよ? アザミが望むなら、いつまでも一緒にいるよ? 望まないならすぐに離れるけど、望むのに望まない振りして――僕を気遣って離れるのは無しだよ?」

「あたしの側にいてくれることもそうだけど、それだけじゃねーよ。兄貴にはさ、復讐する気持ちは無えんだよな?」


 アザミがシクラメの手を握りしめて問う。


「正直言うと、悲しみはあっても、怒りや憎しみは無いよ。あれはさあ、運が悪かったんだよう。たまたまモミジやカキツバやスノフレのいた場所が狙われてさ。仕方ないことだよう。僕はそう考えることにしたんだあ」

「復讐も……それ以外のことも、全部、兄貴はあたしに付き合っている。兄貴の時間は何もかもあたしに……」

「僕はそんな風に思ってないよう? アザミと一緒にいて楽しいよう。だからこれからもずっと一緒にいようねえ」


 沈みがちな口調で話すアザミの言葉を、シクラメは優しい声で否定しながら、安心させるように妹の頭を撫で続けていた。


「ああ、そうだ。言い忘れていた。新しい有力な同志候補がいるんだ。ジャン・アンリには話したんだけど、アザミに言い忘れてたよう。しかもその人、ジャン・アンリの昔の仲間だったんだって。無名の魔法使いだよう」

「使えそうな奴なのか?」


 頭を掻き、尋ねるアザミ。


「まだ会ってないからわからないなあ。ケープがいなくなった診療所の後を継いで、旧鉱山区下層でお医者さんしているって聞いたよう。フェイスオンていう名前」


***


 ミヤの家の扉が三回ノックされる。人喰い絵本の仕事依頼の合図だ。


「久しぶりに人喰い絵本の依頼だね」


 ノアが微笑を浮かべ、魔法でドアを開ける。そこには黒騎士団の団長ゴートと、騎士二名の姿があった。


「K&Mアゲインとのいざこざや、お前達がアルレンティスと特訓するとあって、しばらく依頼は入れてないでおいたのさ」


 祭壇に向かって祈りを捧げていたミヤが言った。


「依頼の前に悪い報告があります」

「そうかい。じゃあしなくていいよ」


 気まずそうな顔で前置きするゴートに、ミヤがからかうような口振りで言う。


「そういうわけにもいきませんので。人喰い絵本の対処法も改めました。魔術師の投入が制限され、初回は人喰い絵本の攻略経験豊富な騎士数名だけで、攻略に臨むことが増えました」


 ゴートは小さく微笑んでから、すぐに神妙な表情になって告げた。


「それだけではありません。救出に関しても、腕利きの魔術師と魔法使い以外は無闇に投入しない方向になっています」


 中途半端な方針にしたものだと、ユーリは悪印象を受ける。魔術師の犠牲者は減るかもしれないが、人喰い絵本の攻略自体の成功率は下がるだろうし、最初に吸い込まれた者の生存率は下がる。そして魔術師の同行が無くなった分、最初に突入する騎士達の危険度は上がってしまう。


「吸い込まれた者を救出しないというわけにもいきませんが、最近では……人喰い絵本に吸い込まれた者の救助で、吸い込まれた者の何倍もの人員が失われるケースが増加中で、特に魔術師を失うのは痛いとされ、放置した方がよいのではないかという声まで出てくる始末ですよ」


 嘆かわしそうに報告するゴート。


(人の命を天秤にかけるのか……)


 憤りを覚えるユーリ。魔術師不足と、それに繋がるエニャルギー不足が発生しているが故に、その処置も仕方が無いと理屈ではわかっているが、頭にきてしまう。


「無知な奴もいたもんだ。人喰い絵本を放置するわけにはいくまいよ」


 ミヤが言った。


「無知ですまんこ。放置しておいたらどうなるの?」


 ノアが尋ねる。


「人喰い絵本の空間の穴は次第に広がり、手近にいる者を吸い込みだすのさ」

「じゃあずっと放置しておけば、世界を覆い尽くすほど大きくなる?」


 ノアが興味本位で尋ねる。


「どうだろうねえ。試してみたいとは思わないね。人喰い絵本は人の多い場所に現れるから、発見が遅れるという事は滅多にないが、発見が遅れた人喰い絵本が、かなり巨大化した状態で見つかったケースは、過去何度かあったね」


 ミヤが答え、ゴートの方を見た。


「今、人喰い絵本に対処している魔法使いは?」

「アデリーナ殿は敵の手に落ちたので、穴埋めとしてシモン殿下に依頼しています。あとは……サユリ殿ですね。ブラッシー様にも協力してもらっています。寝返ったマーモですが、地方の魔物退治の任務に復帰させました」

「アルレンティスも使いな。今ソッスカーにいる。儂が協力するよう伝えておく」

「承知しました。ミヤ殿の御配慮、感謝の至り」


 ゴートが恭しく頭を垂れる。


「マーモの復帰も師匠の口利き?」

「そうだよ。ワグナー議長は儂の言うことなら何でも聞くさね。儂も無理な提案は出さんがね」


 ユーリが問うと、ミヤは肯定した。


「まるで師匠がア・ハイの支配者みたいだ」

「実績、実力共に、ア・ハイで最高の大魔法使いですしな」


 ノアが言うと、ゴートが何故か我が事のように、誇らしげに胸をそらして言った。


「ふん。三十年前の革命の時、儂は関知しないというスタンスを取った。おかげで貴族達からのウケはいいが、アザミには憎まれてしまったよ」


 褒められた当人は不機嫌そうに吐き捨てる。


 その後、ミヤとユーリとノアは準備を行い、騎士達と共に現地へ向かう。


(え……師匠、こっそり魔法使ってる?)


 歩いている最中、ユーリはミヤが魔力を働かせている事を察知した。


 ユーリもこっそりと魔法を使う。探知魔法と解析魔法の同時がけだ。魔力を最小限に絞り、一瞬だけ素早く発動させる。そうすることで、自分が魔法を使ったことを、ミヤに悟らせまいとする。


 ミヤが何の魔法を使ったか、ユーリにはわかった。念話だ。誰に対して念話の魔法を使ったのかもわかった。ゴートだ。

 何故か胸騒ぎを覚え、ユーリは再度魔法を発動させた。念話の盗み聴きを試した。


(知っての通り、儂は長くない……。ゴート、考えたくないことだけどね、儂が逝ったら、あの子達のことは頼む)

(そんな……ミヤ殿……)

(儂だってあの子達をしっかり一人前にするまでは、死ぬつもりはないさ。もしもの時のことだ)


 ミヤの言葉を聞いて、ユーリは心臓が凍り付きそうになった。


(特にユーリ。あれはしっかりしているようで、実は甘えん坊よ。それに色々と危なっかしい。まだ面倒を見てやる者が要る。過保護かもしれんがの)

(わかりました)


 ミヤの言葉を受け、ゴートは瞑目した。


(長くないって……師匠……)


 心臓だけではなく、全身が凍り付くような感覚を味わうユーリ。


 ミヤの体調が悪いことはわかっていた。しかし自分の寿命がもたないと、はっきりと口にした事で、ユーリは激しい恐怖と衝撃と絶望に襲われた。


(駄目だ。平静を装わないと――いや……)


 ユーリはすぐに頭を切り替え、決意する。


(僕が何とかして、師匠を助けないと)


***


 ミヤ達が現地に到着すると、空間の歪みの前に水色の髪をした青年が佇んでいた。


「あの水色の髪ってもしかして……」


 ユーリが青年を見てから、ミヤの方に視線を向ける。


「ああ、アルレンティスの一人だよ。あれはビリーだね」

「見たことない人格だ」


 ミヤとノアが言う。


「いよう、ミヤ様。人喰い絵本の調査依頼、承ったぜ」


 青年――アルレンティス=ビリーがミヤ達の方を向いて、にやりと笑う。


「被ってるよ。儂等と一緒に来ても仕方ないだろ」

「じゃ、同じ絵本内で別行動すりゃいいのかい?」


 ミヤが指摘すると、ビリーはにやつき笑いを顔に張り付かせたまま、肩をすくめてみせる。


「いや、他に人喰い絵本が出現して、黒騎士団から正式に依頼が入った際に、それに従えばいいんだ。ていうか、さっきも説明したろ?」

「いやいや、せっかくこうして来たんだからさ。まあ人喰い絵本の事に関しては俺に任せておきなよ。これまで散々探索しているんだ」

「話が噛み合ってないね。儂は探索しろとは言ってないからね。救出目当ての攻略が儂等の仕事だし、お前に命じたのもそれだ」

「わーってるって。じゃ、お先~」


 苛立ちを覚えて尻尾をゆっくり振りだすミヤだが、ビリーはお構いなしに空間の歪みへと飛び込んでいった。


「人の話聞かないタイプっぼい」

「大丈夫なのかな……。何かあの人、今までのアルレンティスさんの人格に比べると、軽いっていうか、信用がおけないっていうか」


 ノアがおかしそうに微笑み、ユーリが案じる。


「あまり大丈夫じゃないよ。ビリーは中々の曲者だ。ま、ミカゼカに比べれば大したもんじゃないけどね」


 と、ミヤ。


「問題有る人格って言われたね」


 ミカゼカの名を聞き、ノアが言った。


「ああ、もし儂のいない場でミカゼカに会ったら注意しな。できることなら、関わらない方がいいよ」

「わかりました」

「ムルルンにも言われた。面白そう。どんな奴かなあ」


 ミヤに警告され、ユーリが頷き、ノアは興味津々で不敵に笑っていた。

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