15-12 シャーデン・フロイデ
翌日、暴動は完全に収束した。
朝。ミヤの家。
「新聞新聞♪」
笑顔で新聞を取りに行くノア。
「ノアは新聞好きだねえ」
毎朝、いの一番に新聞を取りに行って読みふけるノアを見て、ユーリが言った。
「うん、新聞は大好き。人の不幸は最高の娯楽。新聞はその娯楽を伝える最高の媒体」
「ははは……」
新聞に目を落としたまま笑顔で答えるノアに、ユーリは苦笑するしかなかった。
「儂は新聞など、読めば読むほど馬鹿になるものだと思ってるけどね。道理でノアは馬鹿なわけだよ」
「じゃあ師匠は何で新聞取ってるのさ」
ミヤに馬鹿にされ、ノアがむっとして師匠を見る。
「見出しだけ、事件だけ、世情だけ、知ることが出来ればいいのさ。記者の書いた文章は読む価値無いよ。最近の新聞は、教養も無く性格の悪い記者が主観で書いた薄っぺらな戯言ばかりで、読んでいると頭が痛くなるよ」
「俺はそんな風に思わないけど、歳を取ると偏屈で頑固になるんだね」
「マイナス1。歳を取ると文句が多くなるのは確かだけど、お前はいつになったら目上の者に対する口の利き方を覚えるんだい」
「師匠の前では、正直者でいたらいけないってことかなあ」
「さらにマイナス1。調教のし甲斐がある子だよ」
喋りながら次第に険悪な顔と声になってくるミヤとノア。ユーリはそれをはらはらしながら見守っている。
「あ、連盟議長のワグナーが、魔術学院を復刻させる決定をしたってさ」
ノアが新聞の内容を報告した。
「まあ、エニャルギー不足の件もあったし、暴動の理由の一つでもあったし、こうするしかないだろうね。例の演説が暴動の引き金とあって、選民派の貴族達は肩身が狭いだろうし、反対はできんだろうさ」
「結局K&Mアゲインの思惑通りですか……」
ミヤはこうなる展開も予測していたが、ユーリは釈然としなかった。
「しかしこれはこれでよかったと言える。奴等のやり方はよろしくなかったが、良い結果を導いたのも確かだよ」
ミヤが冷静に告げる。
「癪に障るなー。こっちが勝ったのに負けた気分」
ノアもモヤモヤした気分だった。
「方法が悪いだけなのさ。あいつらの目指す理想そのものに、儂は反対はせん。しかしね、理想の結果だけを追い求める連中ってのは、今回の騒動のようにろくでもないことをしでかすもんさね。しかも自分達が正義だと思って、犠牲もやむなしと考えているから、余計にタチが悪い」
ミヤが嘆かわしげに喋っている間に、呼び鈴が鳴った。
訪問してきたのはブラッシーと、水色の髪と目をもつ青白い肌の小柄な少女だった。
「おっはよ~ん、ミヤ様ぁん。体調はどうかしらん」
「おはよう。一晩寝たら治ったよ。二人して来るとはね」
「おはようなのー」
三人が挨拶をかわす。
「師匠、そちらの方は?」
少女を見て尋ねるユーリ。
「八恐の一人、アルレンティスさ。今は……正確には違うけどね」
「えっ?」
ミヤの言葉に、ユーリは目を丸くする。
アルレンティスもブラッシーと同じく、肖像画が残っている。水色の髪と目をした青白い肌の魔族の少年だ。しかし肌と髪と瞳はともかく、目の前にいるのは、肖像画で描かれた少年とは全く異なる容姿の少女だ。
「正確には違う?」
ノアはその言葉がひっかかった。
「今はアルレンティスじゃなくてムルルンなのー。よろしくなのー」
少女が片手を上げて微笑み、自己紹介する。
「アルレンティスはねー、多重人格なのよん。人格に合わせて姿も名も変わっちゃうの~」
「そうなのー」
ブラッシーが解説し、ムルルンが頷いた。
「面白い設定」
「設定とか言われるのは嫌なのー」
ノアがムルルンを見て面白がると、ムルルンは頬を膨らませた。
「師匠、ブラッシーさんだけでなく、他の八恐の方とも知り合いなんですか」
「ミヤ様はそれだけ偉大な大魔法使いってことよ~ん」
ユーリが驚きながら尋ねると、ブラッシーが言った。
「で? 二人して何しに来たんだい」
「今日はただ遊びに来ただけなのー」
「そういうこと~ん。お茶しましょー」
「あっそ。お入り。ユーリ、ノア、茶の用意をしな」
ミヤが二人を招き入れる。
五人で朝のティータイムとなる。
「まあ、アルレンティスには聞きたいことがあったんだ。お前、ずっと人喰い絵本を調べてると聞いたよ。儂には全く報告しないでこそこそと。どこまで調べたか教えて貰おうじゃないか」
ムルルンを見て、ミヤが有無を言わせぬ口調で要求する。
(この子も人喰い絵本を調べていた。母さんやジャン・アンリ、フェイスオンと一緒に)
ノアが興味を示す。
「ミヤ様でも教えられないのー」
しかしムルルンは答えることを拒んだ。
「ムルルン、秘匿せねばならぬ理由は言えぬか?」
「ムルルン達、皆で頑張って調査したんだから、ミヤ様だろうと、ただでほいほいとその研究成果を教えたくないのー」
「儂に支払えるものは無いしのー。儂の知っている情報も知れている」
ミヤがそう言ったその時、また呼び鈴が鳴った。
訪ねてきたのはメープルFだった。
「あー、メープルFなのー。おひさぶりーん」
「あらムルルン。おはよ」
ムルルンが顔を輝かせ、メープルFに抱き着く。メープルFは微笑みながらムルルンを抱きとめる。
「お別れに来たわ。私は元の世界に戻るから。まだあの世界を調査しないと」
ミヤを見て、メープルFが告げた。
「お前の力で戻れるのか?」
「今、人喰い絵本の入口が開いているみたい。そこから戻る。もし会うことがあったら、メープルCによろしく」
「ふざけるんじゃないよ」
メープルFのその一言に、全身の毛を逆立てて、牙を見せるミヤ。
「ごめんなさい。よほど嫌いなのね。それともトラウマ?」
「両方だ」
謝罪するメープルFに、ミヤは吐き捨てた。
***
昨日の革命騒動で、多数の負傷者が出ているおかげで、フェイスオンとガリリネとロゼッタとヴォルフは、朝からソッスカーの診療所で大忙しだった。
「お主等、しばらくの間監視させてもらおうと思ったが、その様子では不要そうだの」
フェイスオンの御目付け役としてソッスカーに滞在しているシモンが、休憩時間に入ったフェイスオンに声をかける。しかしこの言葉は嘘だった。監視はまだ必要だとシモンは考えている。
「師匠は甘いね。師匠の性格を知ったうえで、今大人しくしているだけかもしれないのに」
冗談めかして微笑むフェイスオン。
「カカカ、そうか? なら拙僧もホンマーヤに戻らず、ソッスカーに留まるとしよう。K&Mアゲインの者共めも、またいつ来るか知れんでの」
シモンも笑いながら言うが、こちらは冗談ではなかった。
「罪も犯したが、私の生き方は変わらない。罪は犯したけど、絶対的な過ちでもない。ジャン・アンリに背を押されたとはいえ、私は私の意思で人を犠牲にした。そのおかげで私の医療魔法は格段に進歩している。まあ……もう二度と過ちは犯さない」
「人は迷うものよ。理屈だけで最短距離でゴールはできん。お主の迷いは人に迷惑すぎたがのー」
沈鬱な表情で語るフェイスオンに、励ましの言葉をかけるシモンであるが、内心逆のことを考えていた。
(反省し、罪の意識と良心の呵責に苛まれ、悔んでいるのは事実だろうよ。人助けをしたいという気持ちも本心だろう。然れど此奴は信ずるに足らず。何かの弾みでまた悪に手を染める。然様な性質なのじゃろて)
シモンは弟子を信じられなかった。当分監視しておく必要があると思っている。
「ところで、ジャン・アンリは元気だった?」
フェイスオンが尋ねると、シモンは首を横に振る。
「残念ながら拙僧はその者に会っておらんよ」
「そう……」
会ってもう一度話したいという気持ちもあったフェイスオンであるが、一方で怖くもあった。またジャン・アンリと話せば、また手段を択ばず、最短距離でゴールを目指す自分に戻ってしまいそうで――
***
旧鉱山区下層部区部長ランドは正午過ぎ、チャバックの自宅を訪ねた。
「おーい、チャバック、大丈夫……ではなさそうだな」
元気の無いチャバックを見て、ランドは渋面で頭をかく。
「ほれ。メルルが――うちのカミさんが作ってくれたお菓子だぞ」
「ありがとさままま~」
ランドから菓子袋を手渡されると、チャバックはあっさり上機嫌になった。
「ケープ先生のことは残念だったな。だがよー、人生はこういう辛いことが沢山だ。信じていた人に裏切られるってこともな、珍しいことじゃねーんだよ」
「うん。知ってる。でも……それでも悲しいよう……」
袋の中の菓子をぼりぼり食べながら、また意気消沈するチャバック。
「オイラのことあんなに気にかけてくれたケープ先生が、悪い人だったなんて……実は悪い夢でそんなことは全然無くいい人でしたー……ていう夢見たよう」
「そいつはしんどい夢だな……」
半泣きで話すチャバックに、ランドは苦笑いを浮かべる。
「しかしお前は男の子だ。辛くてもよ、へこたれず乗り越えなくっちゃなー。強くならねーとよ」
「うん、わかってるよう」
ランドに力強く励まされ、チャバックはキリッと顔を引き締めた。
「俺も初恋だったミーちゃんに告白して振られた時とか……二番目に付き合った天使みたいに可愛い子が、別の男と浮気して身ごもって俺の子だって嘘ついてた事がバレた時とか……憧れ上司の女騎士をやっとのこと口説き落として、ベッドインできたと思ったら、ちんちん生えてた時なんかよー……そりゃあそりゃあキツかったぜ。でも生きてりゃあ、そうしたひでーことでいっぱいなんだよ」
「嫌だようっ。オイラ、ランドさんみたいな酷い人生は嫌だようっ」
ランドの話を聞いているうちに、引き締まったチャバックの顔は再び半泣きに変わった。
***
アザミ、シクラメ、ジャン・アンリ、ケープの四人を含め、K&Mアゲインのメンバーの多くは、首都ソッスカーから脱出した。あくまで一時的な避難だ。すぐに戻る予定でいる。
ロドリゲスと、再生したマーモは捕らえられていた。
「成果は悪くない。いや、上々だという事にしておこう。これで魔術師の復権はなされたと言ってよい」
アザミ、シクラメ、ケープを前にして、ジャン・アンリが淡々と告げる。
「現時点で無理に王政まで取り戻す必要は無いから、これで良しだよねえ」
「ケッ、貴族は依然としてのさばったままだぜ……」
シクラメが同意したが、アザミは仏頂面だ。
「ケープよ、大丈夫かと気遣ってみるがどうか? その浮かない顔――魂の中の光がひどく弱々しい」
ずっと無言のケープを気遣うジャン・アンリ。
「彼等を欺いていたことが……いえ、すみません」
「謝るこたーねーよ。嫌な役目やらせちまってすまねーと思ってる」
何か言いかけてやめて謝罪するケープを見て、アザミが口元を綻ばせて、いつになく優しい口調で言った。
「ケープのカウンセリングが必要だねえ」
皮肉とも取れる言葉を口にするシクラメだが、彼が皮肉のつもりでそのような発言をするわけもなかった。
(ミヤの弟子のユーリいう少年は、中々筋がいいと見てよろしいか? 私の昆虫の指示系統を見抜き、文字通りの一網打尽にして大半を無力化した。中々の機転の速さと称賛しておく事にしよう。一方で……ノアという子は、マミの悪い部分を引き継いでいるかのように見える。しかしノアは母に対し悪感情を抱いているようであるし、見所が無いと見なすのも早計)
一方、最初にケープを気遣ったジャン・アンリは、全く別のことに思いを馳せていた。
「あたしらの悲願の半分は叶ったが、ア・ハイに蔓延る腐れ貴族共を掃滅しねーとな」
「アザミからすると半分という比重か。私としてはもっと大きいな」
アザミが言うと、ジャン・アンリが主張した。
「あたしは復讐心の比重が大きい。そいつが不健全なのはわかってるさ」
素直に認めるアザミ。
(完全に成功したわけじゃない。敗走してるし、作戦は半分以上失敗している。だがよォ、失敗も計算に入れておいたからこそ、三十年も時間がかかっちまったんだ。これで終わりじゃねーぞ。すぐ戻ってくるからな。ミヤ)
心の中でミヤを意識し、挑戦的に語りかけるアザミ。今や立ちはだかる最大の障壁としてい意識している。
(そして嬲り神のあの台詞、何だったんだ? 次世代の魔王だァ? 戯言とも思えねえ……。ミヤとあんな会話をしていた時点で、ミヤも何か知っているだろう。そもそも何でミヤはあそこで人喰い絵本と繋げて、嬲り神が嗤いながら出てきたんだ。ヤバい力を借りた……とは憶測できるけどよ)
ミヤとの戦いの際に繋がった人喰い絵本、嬲り神が発した台詞の数々を思い出し、アザミは不審に思う。
***
スィーニーは遠方と音声を繋げる魔術を発動させ、革命騒ぎの報告を行った。自分が言いつけを破り、干渉した事も全て報告した。
『命令違反を行ったことまで、わざわざ報告するとは、スィーニー、貴女は忠義者であり、不忠者とも言えますね。いえ、貴女は感情を抑えられない人材として、認識を見改めます。貴女の運用方法も、今後は変えていく事にします』
「申し訳ありません……メープルC」
事務的な口調での決定に、スィーニーは落胆する事も無かった。全て予想通りだ。
『スィーニー、私は貴女に失望しているわけでも、怒っているわけでもありませんよ。悲観するのはおやめなさい』
「え……?」
しかしその後に告げられた言葉は、完全に予想外の代物であり、スィーニーは我が耳を疑った。
『貴女はエージェントとしては不適切な行動を行いました。任務に徹することが出来ない者として、運用を改めますが、叱責するつもりはありませんし、左遷するわけでも、降格するわけでもありません。引き続きターゲットMの監視を続けてください』
いつも通りの淡々とした物言いで、任務続行を伝えられ、スィーニーは安堵しながら同時に戸惑う。
『そしてここからは、管理者としての私とは別の――私の個の意見です。スィーニー、貴女が私の命令を破ったことで、多くの者が救われました。これもまた偽りの無い事実です。貴女の行いは、エージェントとしてはよろしくないものですが、人としては最良の選択だと、私は受け止めます。だから悲観してはいけません。そして貴女はそのままで良いのです』
通信は終わった。
しばらくの間、スィーニーは硬直していた。思いもよらなかった台詞をかけられ、思考停止してしまっていた。
(氷の心を持つ人って言われていたし、実際今まで優しい言葉や温かい言葉をかけてくれたことはなかったけど、メープルC、こんな心も持ってたのね……)
やがて思考停止から解かれ、直属の上司から、初めて人間味のある台詞をかけてもらったと意識して、スィーニーは胸の高鳴りを覚える。
15章はここまでです。




