15-7 同僚は美味しく頂きました
ミヤ、ユーリ、ノア、シモンの四名は、ソッスカー港から、山頂平野へと魔法で飛翔移動していた。
(ノア、機嫌よさそうだなあ。ずっとにこにこしてる)
すぐ横で笑顔で飛んでいるノアを見て、ユーリは思う。
(やっぱり人を殺すのは気持ちいいなあ。たまに誰か殺すと、心底すかっとする。しかもそれが死に値する屑だと、余計に気分爽快だ)
ノアが上機嫌な理由は、先程港で暴徒を何人も殺したからであった。他者の命を消去することで、充足感と爽快感と達成感を得られる性質を持つノアは、殺人の度に満たされる。
「念話が入った。居住区が暴徒に襲われ、避難所に多くの者が避難したが、その避難所が今襲われているらしい。人質にとるつもりのようだよ」
ユーリが持つバスケットの中にいるミヤが、他の三人に報告する。
「三十年前の意趣返しのつもりですかな」
シモンが渋い表情になる。
「あの時、ただ指を咥えているしかなかった拙僧が、三十年の時を経て関与することになる。これもまた因果」
かつての貴族による反乱があった時、シモンはまだ十代だった。王家の一員ではあったが、側室の子という事もあり、大した実権も持たず、動乱の様子を傍観しているだけであった。
「それもあるかもしれんが、戦略的なものだろうさ。それと、同時に連盟議事堂も襲われているとよ。あと、マーモが裏切ってあちらについたとさ。アデリーナとは連絡つかないとさ」
「色々と最悪なことですな」
ミヤの報告を聞いて、シモンはますます渋面になる。
「三十年前の意趣返しって?」
ノアが問う。
「三十年前、貴族共は王家の者や、魔術師達の身内を人質に取ったんだよ。見せしめのために殺された者もいてな。その殺された者が、K&Mアゲインの首領のアザミと、その弟のシクラメの仲間達だったのさ」
ミヤが神妙な口調で答えた。
「儂等が貴族に屈した理由は、それだけじゃないけどね。色々あったのさ」
そう言って溜息をつくと、ミヤがバスケットの中から飛び出し、シモンに並ぶ格好で、自らの魔法で飛翔しだした。
「二手に分けるよ。儂とシモンは議事堂に向かう。ノアとユーリは避難所だ」
「師匠、その編成は如何なものかと思われますぞ。避難所の方に半人前の弟子二人とは」
「心配いらん。あっちにはブラッシーをすでに向かわせてあるからの。それに加えて、もう一人、助っ人に来るよう声をかけてある」
ミヤの決定にシモンが異を唱えたが、ミヤは決定を覆さず、采配の理由を伝えた。
「それにの、アザミだけならともかく、アザミとシクラメが二人がかりだと、今の衰えた儂ではキツい」
「だからシモン先輩を呼んだんですね」
ミヤの話を聞き、ユーリは納得する。
「そのためだけにシモンを呼んだわけでもないがね」
思わせぶりに言うミヤ。
「よし、婆がいない場所でうんと羽根伸ばせる。いっぱい殺せる」
ノアが飛びながら思いっきり背伸びして、にっこりと笑う。
「まだここにいるうちに、羽根伸ばしているんじゃないよ。それと誰が婆だい。マイナス1」
「うっかりしてた……」
ミヤに叱られ、ノアは肩を落としてうなだれた。
***
「ブラム・ブラッシー」
突然現れてスィーニーを救った人物を見て、ケープは呆然としてしまう。他の魔術師達も同様だ。
「ほう。あのブラム・ブラッシーが貴族側についたと見ていいのか? 興味深いと言っておこうか」
ジャン・アンリが戦う手を止めて言った。
「『八恐』のブラム・ブラッシーがよう、こっちに味方してくれるのか?」
「そうよ~。ミヤ様に避難所の守備を任されて来たのよ~ん」
ランドが恐々と確認すると、ブラッシーは軽快にステップなど踏んでダブルーピースしながら、明るい口調で肯定した。
「数々の画家が画材として使い、彫刻家がモデルにして彫像とした、生ける伝説と呼ばれるスーパーモデル、ブラム・ブラッシーとこうして出会えるとは、光栄の至りと言っておこうか? 私も昔よく貴方の絵を描いた」
「あらあら、魔王の配下とか八恐とか、そちらではなく、モデルとしての私をまず見てくれるのね~ん。嬉しいわー。別にモデルになった気は無かったけどー」
事務的な口調でジャン・アンリが伝えると、ブラッシーは両手で頬を押さえて腰をくねくねと動かして喜ぶ。
「ふむ。私にとっては画材としての比重が大きかったと言っておこう。ところで、貴方は八恐の中で何番目に強かったのだ?」
「あら、いい質問してくれるわね。気分いいから答えちゃおーっと。私とアルレンティス以外の八恐の伝説って、全く聞かないわよねえ? 何でだと思う~ん?」
両手の人差し指を立てて、顔の前で左右に振り、笑顔で問いかけるブラッシーから、強烈な殺気と妖気が放たれた。
「答えは、八人のうち、アルレンティスとディーグル以外の五人は、み~んな私が血を吸いつくしちゃったからぁん。というわけ……よ~ん!」
言うなリブラッシーは、快活な笑顔のまま両手を前方にかざし、魔力を放出した。
放出された魔力の中から、赤と黒の濡れた髪の毛のようなものが大量に発生し、ねじれて回転して絡まり合いながら、ジャン・アンリに向かって伸びていく。
伸びてくる赤黒の髪の毛モドキに対し、ジャン・アンリは前方に軽く片手をかざし、短い呪文を唱える。
ジャン・アンリの前に巨大な甲虫の背中が出現し、大量の髪の毛モドキを受け止めた。甲虫の大きさ、ジャン・アンリが三人以上は入りそうなサイズだ。
髪の毛モドキは甲虫の全体に広がり、まとわりつき、絡まっていく。さらには髪の毛モドキの先端が甲羅を突き刺して、中の体液をすすり出す。
巨大甲虫が髪の毛モドキの拘束などものともせず、髪の毛モドキをひきちぎりながら翅を広げると、大量の髪の毛モドキをまとわりつかせたまま、ブラッシーに向かって飛んでいく。
「あらあら、お返しなんていらないわーん」
ブラッシーが指を鳴らすと、ブラッシーのすぐ目の前まで飛んできた髪の毛モドキつき巨大甲虫が、水色の炎に包まれた。
甲虫は水色の炎に包まれたままブラッシーの顔に当たったかのように思われたが、ブラッシーの上半身を水色の炎が包むようにして駆け抜けたかと思うと、水色の炎は消え、甲虫と髪の毛モドキもどこかに消えていた。そしてブラッシーは何事も無かったかのように、微笑をたたえたまま優雅に佇んでいる。
「魔法使いか。魔王の直属の配下であれば、当然という解釈でよいのか?」
呪文無しで魔力を行使したブラッシーを見て、ジャン・アンリが言った。
「ブラム・ブラッシーが他の八恐を殺していたなんて初耳だ」
ゴーレムと戦いながら、ランドがブラッシーを横目に見て唸る。
「魔王を裏切って人側についたのがブラッシーだし、魔王の配下のままだった他の幹部とは、必然的に対立する格好になったんじゃなーい?」
ランドの肩に止まったイリスが推測を口にする。
ブラッシーが魔法を用いる。今度はジャン・アンリの周囲の足元から、無数の赤い触手のようなものが伸びた。
遠目からは触手のように見えるそれは、血だった。血液がゼラチン状に固まり、なおかつ触手のように長く伸びた形状になって、様々な軌道で、全方位からジャン・アンリに襲いかかる。
ジャン・アンリは避けようとしたが避けきれず、何発か攻撃を食らってしまった。触手が腕、肩、脚に一瞬刺さる。ジャン・アンリはすぐに触手を振り払ったが、傷口から血液が体内に侵入したのがわかった。
「中より浸蝕されるか。さて、耐えられるか? いや、打ち勝てるかな?」
自分だけにわかる言葉で呟くと、背中から翅を生やして上空へと飛ぶジャン・アンリ。血の触手の届かない場所まで飛びあがった所で、ホバリングする。
「あら……」
ブラッシーが微笑を消した。今の血液はブラッシーの血だ。そしてブラッシーの分身のようなものだ。その分身を敵の体内に侵入させて、内部から破壊するというおぞましい魔法であるが、分身故に状態もわかる。ジャン・アンリの体内に侵入させた血は、ジャン・アンリの体内で、激しい抵抗にあっている。
(魔力によって打ち消されたわけではないわね。何か……生物がいる。これは……虫だわ。あの御仁、体内にも大量に虫を仕込んでいるのね)
分身である血液との感覚共有を強めることで、ブラッシーはジャン・アンリの体内で抵抗する者の正体を突き止めた。そして突き止めた直後、ブラッシーの血液は全て、ジャン・アンリの体内にいる虫によって無力化された。
「中々やるじゃない。それならこちらも出し惜しみしないで、少しキツめにいくわよ~ん」
ブラッシーが闘志を滾らせる。久しぶりに歯ごたえのある相手と戦えることで、気分が高揚していた。
「最初から飛ばさず、最初は様子見伺いで力を押さえて行く。それが戦いにおける美しいセオリーだということにしておく」
無表情のまま言った後、ジャン・アンリは呪文を唱える。
ジャン・アンリが呪文を唱えている間に、足元の地面が全て血液に変化した。ジャン・アンリの体は血の中にあっさりと落下する。引きずり込まれる。そして地面の血液化は周囲にも広がり、ゴーレム達をも引きずり込む。
広範囲に血液化した地面は、巨大な渦を作って高速で回転しだす。
「すげえ……これがブラム・ブラッシーの力……」
「魔王直属の『八恐』の名は伊達じゃないな」
「味方でよかった……」
ブラッシーの繰り出した魔法を見て、騎士達が慄く。
しかし当のブラッシーは険しい表情をしていた。血は分身だ。故に血の中に引きずり込んだジャン・アンリが如何なる状態にあるかも把握している。
「これは……魔法?」
ブラッシーが呟いたその直後、血の渦の中で爆発が起こり、大量の血が空中めがけて噴射した。
その噴射したさらに上に、背中から生やした昆虫の翅で羽ばたくジャン・アンリの姿がある。そしてジャン・アンリの周囲には、様々な種類の巨大昆虫が何匹も宙を舞っている。
(今、魔術ではありえない、複雑な魔力の精製があったわね。そして……発動も早かった。そもそもあの血の濁流の中で呪文なんて唱えられないし……)
血塗れのジャン・アンリを見上げ思案するブラッシーであったが、さらに恐ろしい事に気付いた。
「何これ……」
ケープと交戦していたスィーニーが、怖気を感じる。複数の強大な魔術が同時に発動しようとしている事を感じ取ったのだ。しかもそれらは全て、ほぼ同じ場所から感じられる。
複数の口が同時に呪文の詠唱を行っている。複数の触媒が同時に魔術の発動の補佐を行っている。複数の肢が同時に印を結んでいる。
「理解してもらえたか?」
血塗れのジャン・アンリが、驚愕の表情のブラッシーを空から見下ろして呟いた。
ブラッシーは理解した。ジャン・アンリの周囲にいる全ての虫が、一斉に呪文を唱え、魔術を発動させようとしている事に。
火線が、火炎流が、光の矢が、重力弾が、真空波が、水流が、衝撃波が、電撃の渦が、ダイヤモンドダストが、不可視の魔力塊が、腐蝕ガスが、ブラッシーに怒涛の如く降り注いだ。
転移して逃れようとはしなかった。ブラッシーはすでに知っていた。空間が操られ、空間操作が出来ないように固定されている。ありったけの魔術が放たれる前に、先んじて魔法によって空間の固定が成された事を、ブラッシーは感じ取っていた。
ブラッシーの足元から大量の蝙蝠が飛び上がり、壁となってブラッシーを守る。魔術による攻撃は蝙蝠の壁によって防がれたものもあれば、蝙蝠の壁を突き抜けてブラッシーの体に届いたものもあった。
蝙蝠の壁が消え去ると、服も体もぼろぼろになったブラッシーが、荒い息をついてジャン・アンリを睨む。すぐに体は再生したが、服は復元させていない。かなり魔力を消耗した。
「流石は吸血鬼、流石は魔王の幹部と褒めておこうか? 今の攻撃を凌ぐとは」
淡々と称賛するジャン・アンリ。
「虫に魔術を使わせているのね……。いえ、それだけじゃない。今、二回くらい魔法を使ったわね? 血の中で一回。出てきてから空間操作。貴方、魔法使い? いえ……『昇華の杯』を使って、魔法使いになったの?」
西方大陸で、魔術師を魔法使いにする魔道具『昇華の杯』が盗まれたという話を、つい最近までア・ドウモにいたブラッシーは聞いていた。
「違う。これの力だ」
ジャン・アンリが自分の周囲を飛んでいる巨大昆虫の一匹――巨大テントウムシを指すと、テントウムシが自分の胴を、ブラッシー達のいる方に向ける。
絶望の表情をした女性の顔が、テントウムシの胴にへばりついていた。その顔を、何人かの騎士は知っていた。
「新緑の魔女アデリーナ……ジャン・アンリの手に落ちて……いや、取り込まれていたっていうの?」
愕然として呻くイリス。つまり、虫の中に取り込んだ魔法使いの魔法を、ジャン・アンリは己の力として使えるのであろうと、何人かは理解する。
「うむ。これはもう私の画題だ。魔道具と言ってもいい。あるいはペットの虫とも呼べる。その全てであるとしてもよいか?」
イリスの言葉に頷き、ジャン・アンリはブラッシーを見る。
「吸血鬼ブラッシー、君はすでに私の画題だが、私の虫の中に取り込めば、魔道具としても使えるし、ペットにもなれる。リクエストがあれば、どの種類の虫に取り込むか、今のうちに言ってくれ。私はそのリクエストを聞く。君が生涯を共にする虫であるから、よく考えたうえで決めてくれたまえよ」
「うふふふふ……」
挑発するでもなく、真面目に語るジャン・アンリの台詞を聞いて、ブラッシーは笑い声を漏らす。
「ふー……私より貴方の方が、ずっと化け物じみているわよ。魔法使いを凌駕する魔術師ってのは、誇張でも何でもなかったわね」
「よく言われる。まあ、努力と工夫と研鑽と信念と研究の賜物と言っておこう」
称賛を込めて言うブラッシーに、ジャン・アンリは抑揚のない声で述べる。
「超越者同士の戦いって感じねー」
「私達が入る隙は無いですね」
ブラッシーとジャン・アンリの戦いを見て、イリスとアベルが言った。
一方で、スィーニーは再びケープと交戦していた。
頭を冷やせとブラッシーに言われ、今は冷静に、十分に用心して戦っている。
「相当に戦闘訓練を積んでいますね。本当に行商人ですか?」
「そっちこそ、医者とは思えない」
ケープが指摘すると、スィーニーが不敵に笑って言い返し、ハルパーを交互に振るう。
スィーニーの攻撃を巧みに回避ながら、ケープは魔法を使う。
「ぐぶっ……」
くぐもった声を漏らし、腹部を押さえて後退する。ケープの攻撃を食らってしまった。
実はもうすでに何度か攻撃を受けているスィーニーである。ケープは派手な攻撃を行わず、わずかな隙を突いて魔法を用いて瞬間的に攻撃を行っている。魔力の小さな礫を放ち、スィーニーに確実に当てている。一発一発は、致命傷には遠い。しかしダメージは少しずつ蓄積されている。
(チマチマと……でも、よけにくいんよ……。こっちの攻撃は当たらないし、このままじゃヤバい。ペース変えないと)
スィーニーがそう思った矢先、状況が変化しそうな出来事が起こった。空からユーリとノアが降りてきたのだ。
「ユーリっ、ノアっ」
二人を見て、チャバックが歓声をあげる。
「おや? 何でチャバックここにいるの? スィーニーとうちのオカマ吸血鬼社員も」
ノアが訝る。
「え? ケープ先生? それにスィーニーも……」
スィーニーと戦っているケープを見て、ユーリは目を丸くした。一瞬戸惑いはしたが、どういうことか、ユーリはすぐに理解する。
「おや、魔法使いミヤの弟子の少年ではないか」
ブラッシーと対峙していたジャン・アンリが、ユーリを見て言う。
「ジャン・アンリ……」
ユーリもジャン・アンリの姿を認め、険しい顔になった。




