14-6 あえて茨の道へと行きたがるタイプ
「そうだな。君の言う通り、魔法は決して万能ではない」
暗い面持ちでうなだれるフェイスオンの前で、眼鏡をかけたシャープな顔立ちの魔術師が告げた。
「自身と異なる者の体の恒久的な変形は、魔法使いでも上位の者でないと難しい。生まれついての特定の障害、魔力ではどうにもならない難病。それら全てを治せるわけではないと聞く」
「ああ……それ以前に、魔法では駄目なんだ。選ばれた者――魔法使いだけが習得できる魔法よりも、誰もが習得できる魔術か、さもなくば魔力も用いぬ純然たる医術でなくては……」
魔法で癒せるのは魔法使いだけだ。フェイスオンにはその力も不足している。例えあらゆる病を治せるようになったとしても、自分一人が頑張るだけではたかが知れていると、フェイスオンはそう思っていた。
「それを突き詰め、至極の癒しの術を編み出し、全ての病や障害を克服する方法を世に普及するのが、君の夢だったな」
「その通りだ。ジャン・アンリ。しかし私は……出来得ることは全てしてしまった。後はもう……」
自分の限界を察して絶望し、愚痴っているわけではない。方法はある。しかしその方法は、禁断の領域の先にある。禁断の領域に踏み込むか否か、フェイスオンはその手前で立ち止まっている
「迷っているのか。悩んでいるのか。結構なことだ。しかし大抵の場合、迷い悩む一方で、人は己の中で答えが出ている――という説はどうだろう?」
「つまり……私の中で答えは出ている」
目の前の男――ジャン・アリンに指摘され、フェイスオンは顔を上げて言った。
「答えが正しいかどうか、行いが正しくないかどうか、迷っている振りをしているだけだ。君は最適解が何であるか、すでに理解している。何をすべきか、何をしたいか、それもわかっている。君は信念のため、いや、夢のためか? 平穏や安寧を捨てて、あえて茨の道へと進むタイプの人間だ」
ジャン・アンリはいつも通り淡々とした口調であったが、まるで講義する教師のようでもあると、フェイスオンは感じた。
「思考をシャットダウンしてはいけない。自分で自分の前に壁を築いてもいけない。魂の奥で輝く光を無視してもいけない。ま、そうした方がいいタイプの人間もいるかもしれない。しかし君は違うはずだ。私はそういうことにしておく」
ジャン・アンリの言葉の一つ一つが、フェイスオンの心に突き刺していく。弱い気持ちが、迷いが消えて行く。
「夢を叶えるためには……犠牲がいる? 犠牲を出せば、夢は叶えられるかもしれない」
フェイスオンは指先を振るえさせながら、しかし力のこもった声で呟いた。
「では――犠牲を出し、手を汚す価値があるほどの夢かどうか――そう考えみてはどうか?」
ジャン・アンリが提案するも、この時、フェイスオンは決断していた。
「しかし君の苦悩する顔は実に素晴らしい。確かに記憶した。絵に描いて後で君に贈ろう」
「いや、欲しくないよ。そんなもの見たくないよ」
苦笑するフェイスオン。
「それならば、君が夢を叶えた時、その顔を私に見せに来てくれるというのはどうだろう? その時、どんな顔をしているか楽しみだ。きっと絵に描きたくなる素晴らしい顔をしているに違いない」
ジャン・アンリの奇特な言動には、辟易気味なフェイスオンであったが、背中を押してくれた彼には感謝している。
***
「先輩、俺の拘束を先に解いて。そうすれば2vs2に出来るよ」
戦闘中のユーリにノアが声をかける。
(言わないでほしかったな。忘れた頃にこっそりと拘束を解いて、ノアに奇襲してもらうつもりだった)
ユーリが戦いながら顔をしかめて、念話で思い描いていたプランを伝える。
(それなら先に念話で伝えてよ)
(そうだったね。ごめん)
言い返すノアに、ユーリは謝る。
(すまんこって言おう)
(嫌だよ。それ何なのさ……)
ユーリが魔法で、ノアの縄を解こうとするが、魔力は弾かれてしまった。
「魔力に反発する仕掛けが、縄に施されているみたいだね。それなら、魔力で作った物質を使えばいい」
ユーリが言い、側にあった石を加工してナイフを作る。
「元からある物質を加工して作られたものは、魔力と切り離されてるからね」
ナイフを飛ばすユーリ。縄をノアもろとも切り裂く。
「痛いっ。乱暴だよ」
抗議するノア。傷はすぐに再生する。
「ごめん。念動力でナイフを動かして切断するとなると、また反魔力作用が生じると思って、遠くから飛ばしてその勢いで切った」
それに加えて、ヴォルフとガリリネの戦闘の合間に行った事なので、念動力を駆使して傷つけずに器用に切るのも面倒だった。
(先輩、頭がよく巡る。見習わないと)
抗議したノアであるが、内心ではユーリに感心してもいた。
「ノアがフリーになっちゃったね」
「俺がノアを担当する」「一対一が二組では少し不安だな」
ガリリネが引き続きユーリと戦闘し、ヴォルフはノアの方へと突っ込んだ。
「少し攻撃が緩くなって、余裕が出来たよ」
黒い輪を飛ばすガリリネに、ユーリが微笑みかける。
「そっかー、こっちは楽していたけど、少し忙しくしないといけないね」
ガリリネが挑発気味に言い放つと、飛来する黒輪の数が倍以上に増えた。しかも速度も増しているうえに、一つ一つの軌道がより変則的になる。
(威力も増してそうだ。魔力でいちいち受けていたら、消耗するだけだね)
ユーリが転移して、ガリリネの背後に出現する。
「ノアと同じ手を使ってきた」
ガリリネがほくそ笑み、呟いた直後、ガリリネの胴体を中心として、黒い輪が飛び出て、一気に大きく広がった。
転移したばかりのユーリは完全に虚を突かれた。気が付いたら黒い輪が目の前に迫り、魔法を使う間も無かった。
輪の外側は鋭い刃になっており、ユーリの胴体を一息も着かぬ間に切断する。
上半身と下半身が分かたれた状態でユーリの体が地面に倒れ、大量の血と臓腑が飛び出た。
常人なら致命傷の大ダメージを受け、ユーリはそのショックによって動きが止まったが、多くの魔法使いは、重傷を負った際に、意識せずとも自動的に再生の魔法が発動するように仕込んである。
振り返ったガリリネが両腕を広げ、ユーリを見下ろして笑う。両手を中心にして大きな黒い輪が現れ、激しく回転しだす。
「え?」
ガリリネは追撃しようとして、出来なかった。黒い輪が飛ばない。腕が、全身が動かない。
「彫像膜。これは疲れるんだけどね。君の全身を薄くて強い魔力の膜で封じた」
上半身と下半身がまだ分かれたままのユーリが、額に脂汗を滲ませながら言った。
この魔法はユーリが編み出したものだが、相手と距離が近い位置にいて、薄い膜にたっぷり魔力を凝縮させたうえで、対象にくまなく張り付かせるには、精密なコントロールを要し、魔力も体力もかなり消耗する。
「僕の奥の手の一つだよ。これを僕に使わせただけでも、君は大したものだよ。膜を圧迫していけば、圧死させる事も出来るよ? 君は魔法使い並の再生力はある?」
やっと胴体が繋がり、身を起こすユーリ。この技は魔力をかなり消耗するうえに、ユーリが対象に近い場所でないと使用できない。
ガリリネの黒い輪が消える。ガリリネは固まったまま、瞬きと呼吸しか出来なくなっていた。顔も一切動かせないので表情の変化も無い。
一方、ノアに飛びかかったヴォルフは、ノアの魔法で反撃を受けていた。
光の矢が何本も体に突き刺さり、ヴォルフの動きが止まる。
「痛え」
「強いな。しかし俺の方がまだ強い」
光の矢が消滅する。ヴォルフは出血していない。体に穴も開いた様子が無い。
(刺さったように見えたけど、刺さってなかった。光の矢が体表で止まっていたのか)
この時点で、ノアは次の攻撃の方針を決めた。
ヴォルフがひたすら近接攻撃を仕掛ける。ノアは防戦一方だ。たまに避けきれずに攻撃を受けるが、すぐに再生する。
ノアがあまりにも受けに徹し、攻撃をしてこないので、ヴォルフはノアが何か狙っていると見て、警戒しながら攻撃していた。
『むっ?』
ノアの右手に現れた手甲を見て、ヴォルフの二つの頭が同時に唸る。警戒していたが故に、すぐに気が付いた。
篭手にはめられていたルビーから赤い光が生じ、ヴォルフは咄嗟に身構える。
赤い光が大きく伸びる。3メートル以上も伸びた光の刃と化す。それを見たノアは思わず口笛を吹く。
「フルパワーだ。長く続いた母さんの魂への苦痛が、エネルギーに転換された結果。でもこれ、蓄積できる力に上限があるから、定期的に使わないと損かな。蓄積上限にいくと、母さんの魂が拷問されないみたいだし。母さんには出来るだけ苦しんでもらいたいから。でも無駄使いすると、いざという時に困るし。ジレンマ」
自分だけにわかることを独りごちると、ノアは右腕を振るった。
横に振られた赤い光の刃を、ヴォルフは後方に跳んで避けようとしたが、振られた際に光はさらに長く伸び、ヴォルフの胴を真っ二つに切断していた。
「先輩とお揃いだね。って、先輩は再生しちゃってるか」
上半身と下半身が分かたれて転がるヴォルフを見て、小気味よさそうに言うノア。
「痛みが無え……」
「出血も無え……」
倒れたヴォルフが、下半身の切断面を見て不思議がる。しかもヴォルフの意思で、切られた脚も動かす事が出来る。
「俺が死なないように、切られた血管や神経を空間操作で繋いでいるんだ。傷口も、内臓が飛び出てこないように塞いでいる。これ、結構面倒なんだよ。降参するなら、魔法でくっつけて元通りにする。さっき俺を殺さないでいてくれたから、そのお返し。これでおあいこ」
『降参するわ』
ノアの言葉を聞き、ヴォルフは観念して、二つの口で同時に大きく息を吐いた。
「しかし、そんな切り札があるなら……」
「何でさっき使わなかったんだ?」
「切り札を使っても勝てそうになかったからだよ」
ヴォルフの疑問に、ノアは小さく微笑んで答える。
「ふん、弟子のくせして儂より早く勝負をつけるとはね。やるじゃないか。二人共、ポイントプラス2やるよ」
高次元生物達相手に戦っているミヤが、ユーリとノアの勝利を見て、上機嫌な声で褒めた。
「たまにプラスしたと思ったら、低っく……。ひどいなこのドケチ婆」
不満前回でぶつぶつ呟くノア。
「師匠、手助けは――」
「いらないよ。こいつらはちと厄介な性質だからね。単純な力押しは効かない」
助太刀を申し出るユーリに、ミヤは多重に魔法をかけながら言った。
ミヤが魔法をかけると、黄色の光を放つ三角形の大群の動きが止まって、小刻みに震え、空間の歪みの中へと逆に帰っていく。一つの魔法を使ったわけではない。複数の魔法で、高次元生物の精神に干渉した。探り、掘り起こし、惑わせて心の壁を突破しやすいようにして、心の空隙を見つけた瞬間、魔力を流し込んだ。
文字が光り鮮やかなブルーの渦に対しては、精神攻撃ではなく物理魔力攻撃を行った。魔力の渦を発生させて、ブルーの渦状生命体に逆回転で被せたのだ。二つの渦が激しく回転を増したかと思うと、やがてどちらの渦も消えた。
上下に激しく揺れる銀色の小さな十字状の群れには、最も用心して対処した。扱いを間違えると、そのサイズに見合わぬ大爆発を起こすと、解析の結果わかったからだ。衝撃でも、強い感情を伴った精神波でも、爆破は引き起こされる。魔力の糸を軽く引っかけて、ゆっくりと空間の歪みの中へ引っ張り、元の次元へと返す。
垂れ下がって揺れる老婆の乳房のような半透明の物体は、念動力猫パンチであっさりと吹き飛ばした。
「尽く対処してしまうとは、凄いな……」
「全くだわ。解析能力の高さもさることながら、対処する最適の方法を瞬時に導き出すなんて、流石はミヤ……」
フェイスオンもメープルFも、高次元生命体を退けたミヤの手際の良さに感心する。
「これくらいのことで褒められても嬉しくないよ。さて、こちらの本命が来たようだね」
ミヤが魔力の接近を察する。
空から2メートルを越える巨漢の南蛮人の僧が降ってきた。
「カッカッカッ、久しいのう、不肖の弟子めっ」
「師匠、御無沙汰だね」
シモンとフェイスオンが向かい合い、互いに笑い合う。
「師匠、孫弟子相手に意外と手こずりましたか?」
「馬鹿め。マイナス1だ。師匠であるお前に、弟子の不始末のけじめをつけさせてやろうと思って、待っていただけだ」
シモンの台詞を聞いて、憮然とした声でのたまうミヤ。
「カッカッカッ、そうでしたか。こりゃまたかたじけない」
笑いながら禿げ頭を平手でぺしぺしと叩くシモン。
「ではこの馬鹿弟子の後始末は、拙僧にお任せあれ」
シモンが宣言し、両手を合わせる。
「仏罰砲!」
シモンが叫んだ直後、巨大な魔力の奔流が放たれ、フェイスオンを飲み込んだ。
樹木が何本も吹き飛び、地面が大きくえぐられる。フェイスオンの体はボロ雑巾のように吹き飛ばされる。
「凄い威力だけどネーミングセンスはよくない技。舌噛みそう」
広範囲に広がる破壊跡を見て、ノアが言った。
「毎度のシモンの戦闘方法だね。強烈な破壊の魔法を一度に大量に放出しちまう。避けられた時のこととか考えちゃいない。だからお前はア・ハイの七人の魔法使いの中で末席扱いなんだよ」
「末席? ってことは、七人のうちの七番目? これで?」
ミヤの言葉を聞いて、ノアは驚いた。途轍もない量の魔力が瞬間的に生み出され、放たれ、目の前の広範囲の地面がえぐられ、樹木が倒壊しまくり、凄まじい破壊の跡が見受けられる。フェイスオンもぼろぼろになって倒れている。
「そんな……夢見る病める同志フェイオンが……」
「一発でこれかよ……」「強すぎるぜ」
ガリリネとヴォルフが愕然として、倒れたままぴくりとも動かないフェイスオンを見た。
「これで一番弱い? じゃあ他の六人はどれだけ強いの?」
ノアがミヤに尋ねる。
「魔法使いの席次は、強さや内在する魔力の量で決めているんじゃないよ。シモンは精密な魔法の使い方が苦手で、極めて大雑把だからね。だからこうやって、一度に魔力を放出しすぎてしまう傾向もあるし、持続力に乏しい」
ミヤが喋っているうちに、シモンは片膝をついて荒い息をついていた。
「おかげで評価が低い、か」
一発でガス欠を起こしているシモンを見て、ノアも納得した。
「カカカ、言いたい放題じゃが、拙僧はまだまだ戦えるぞ。どーれ、とどめといくかの」
シモンが笑いながら立ち上がったその時――
「やめてくらさーいっ!」
泣き声による制止と共に、ロゼッタが現れた。




