1-4 王様にお手玉を教えたい
「婆やさんも、王様が傀儡にされているうえに、汚名を着せられていることを知っているのですか?」
会議室に移動した所で、ユーリが王様に尋ねた。
「婆やも勿論知っている。だからこそ其方等を呼んだのではないのか?」
「そ、そうなりますね。僕達はただ王様を助けてほしいと言われただけで……」
逆に問い返され、ユーリは若干動揺して答えた。今の質問は不味かったと思った。
「会議室にあの絵って面白いですね」
室内に飾られた可愛らしいリスの絵を見て、ユーリが言う。
「あれは余が描いたものだ」
王様が照れ笑いを浮かべる。
「そうなんですか。とても上手いですね」
心から称賛するユーリ。
「ふふふ、そう言われると嬉しいよ。国王など辞めて、絵描きになれたらどんなに素晴らしいことか」
「動物が好きなんですか」
「ああ。特にリスは好きだ。思い出がある。子供の頃、城の庭でリスをよく見かけたんだ。余はリスが見たくて、よく庭に出ていた」
王様が喋りながら憂いを帯びた顔で、うつむき加減になる。
「しかしある日を境に、そのリスを見かけなくなった。何日もリスを探していたら、隅っこで、潰れて干からびたリスの亡骸を見つけた。顔は眠っているかのように穏やかだった。死体なのに、それでも可愛らしかった。怪我だったのか、病気だったのか――死因はわからないが、可哀想に思えたし、色々と考え込んでしまったよ。独りぼっちで寂しく、苦しく、死んでいったのかとな」
そこまで喋った所で王様は顔を上げ、窓の外を見た。
「余には信頼できる者がいる。婆やがいる。しかし婆やがいなくなったら……余もあのリスのように、独りぼっちで死んでいく……」
(この王様、子供みたいに純粋で、それが逆に問題だ。だからこそ利用されやすい性質とも言えるし)
王様の話を聞いて、ユーリは思う。統治者が純粋であり幼くもあるのでは、それは暗君にしかなりえない。
「王様は優しい人ですね」
アベルがユーリの耳元で囁く。
「愛情が全く無く育てられたわけでは無いのでしょう。昔、親の愛情を受けなかった人を見たことあるけど、もっとひねくれて荒んでいました」
と、ユーリ。
「この王様はそのような歪さは見受けられませんね。愛情に餓えているようではありますが」
アベルが王様を見て言った。
「この王様を助けてあげれば、私達は人喰い絵本から脱出できそうですが、どうでしょう?」
話を変えて伺うアベル。
「それが理想ですが、無理なら王様は無視して、脱出できる手段を取ります」
ユーリが言った。その手段とは、婆やの殺害だ。
「人喰い絵本の中の住人にも、命があり、心があります。しかし――僕達が最優先する任務は、絵本に吸い込まれた人の救出であり、そのために、救出対象に害を成す者を排除や、脱出するための確実な方法を取ることも、必要だと僕は考えています。今回の場合、救出対象はアベルさん、貴方という事になっています」
「他は皆、死んでしまっていますからね。本来の救出対象の方々も、私と共に突入した救助隊も」
アベルが申し訳なさそうに言った直後、部屋の扉が開き、大臣達が揃って現れる。
「陛下、我々全員の急な呼び出し、一体何事ですかな?」
大臣の一人が、人を喰ったような口振りで問う。王様に向けるその視線には、侮蔑の念がありありと感じられた。
ユーリは無言で魔法をかける。大臣達の表情が一変した。
「ど、どうした……? 様子がおかしいぞ」
「催眠術をかけました。彼等に国民の前で自分達の悪事を自白させ、王様に汚名を着せていたことも全て語らせます」
「そ、そんなことが出来るのか……」
戸惑う王様にユーリが答える。すると王様は余計に戸惑っていた。
「これで王様はもう傀儡では無くなると思いますが、その先は王様も頑張らないといけませんよ」
「う、うむ。そうだな。わかっている。其方等の尽力に報いるためにもな。本物の王となって、この国を治めると誓おう」
ユーリが真剣な口調になって釘を刺すと、王様は心なしか不安げな面持ちになりつつも、力と熱を込めて宣言した。
(これで上手くいく……? ハッピーエンドになる? いや、駄目だ。嬲り神の干渉が無ければこれでよかったけど、そうはならない。おかしくされた婆やが居る限り)
狂気に侵され力を身に着けた婆やが健在の状態で、このまま話が平和に終わるとは、ユーリには思えなかった。きっと一戦交えることになると見ている。
(そして婆やを殺してしまったら、王様もおかしくなりかねない。この王様、そんなにメンタル強く無さそうだし……)
そのためには婆やを殺すことなく、婆やを勝機に戻す必要があるが、果たしてそれは可能だろうかと、ユーリは疑問に思う。
「本当に魔法の力は凄いですね」
アベルもユーリの魔法の力に感嘆する。何でもありの力でもあるように感じられてしまった。
「催眠魔法と自白魔法の組み合わせです。しかしこの人数に一度にかけるのは、少し疲れます」
ユーリが答えたその時だった。殺気を感じ、ユーリとアベルの表情が強張る。
窓が派手な音を立てて割れる。婆やが会議室に外から飛び込んできた。
「ば、婆やっ」
王様が思わず立ち上がる。その表情は強張っている。
「うっひょーっ! 王様ゴキげンいカがーっ!? あきゃきゃきゃきゃ! あれあれあれ? 王様を苦しめている阿呆共が雁首揃えてるじゃなーいっ。こいつは好都合よねーっ! むひゃひゃひゃひゃ!」
婆やがハイテンションにけたたましく笑うと、両腕を大きく伸ばし、鞭のようにしならせて振り回した。
(不味い……)
ユーリが魔法で防ごうとしたが、魔法の発動が一瞬遅かった。先に婆やの両腕によって大臣達の首が一斉に切断されていた。
「お掃除完了! 王様を蝕むクソゴミ共を全員処分できたわー! やったね!」
嬉しそうににんまりと笑う婆や。
「あわわわわ……」
目の前で人が殺される場面を目の当たりにし、尻もちをついてへたりこむ王様。
「あらあら? 王様どうなされましたあ? よっしゃ、ここは一つ、東方の遊戯である、お手玉でもしてみましょうか。ほいほいほいっ。どうです王様~? 落ち着きましたかー?」
婆やが大臣達の生首を拾い上げて、お手玉をしてみせる。
「王様もやってみませんか~? 最初は上手くいかなくても、練習すれば出来るようになりますよ~。ほーれ」
「うわっ」
婆やに生首を二つ投げられ、王様は思わず悲鳴を上げて、身をのけぞらせる。生首二つが床を転がる。
(これで台無しになっちゃった……。迂闊だった。大臣を護れなかった)
自分の反応が遅れたことを悔やむユーリ。
「むっ! そこにいる者達は!?」
その時、婆やはようやくユーリとアベルの存在に気付く。
「ば、婆やの知己ではないのか?」
「存じませぬ! おのれ此奴等! 私の愛しい王様をたぶらかして何をする気だった!? 許さーんっ!」
憤怒の形相になった婆やが、ユーリとアベルに向けて殺意を膨らませる。
「断じてたぶらかしたつもりはありませんっ。私達は陛下の味方ですっ」
アベルが王様に向かって叫ぶ。
「正直に言います。私は陛下を暗殺するために雇われた者ですが、陛下に殺されるような非は無いと知り、陛下に味方することに決めました。もし陛下を殺めるつもりであれば、機会はいくらでもありました」
アベルが真摯な面持ちで訴える。王様はアベルをじっと見つめている。
(王様も婆やがおかしいことをわかっている。でも……僕達のことを信じ切ってくれる保障も無い)
ユーリは王様の反応を伺う。ここで王様が婆や側についたら、もう何をどうやっても収拾のつかない展開になると危ぶんだ。一応催眠魔法は未だ効果があるが、それも確実性は無い。婆やに対する愛情と執着心が強過ぎれば、催眠魔法も解けてしまいかねない。
しかし王様は立ち上がると、ユーリとアベルの前に立ち、婆やと向かい合う格好で、両手を大きく広げてみせる。
「婆や、この者達からは誠意を感じた。余から実権を奪って傀儡の王に仕立て上げ、余に汚名を着せている大臣達を催眠術にかけ、真実を明るみにしようとしてくれた。この者が余を励ます時にも、それが余の信用を得るための偽りであるとは思わなかった。余は愚昧な王であるが、人の心くらいは感じられる。嘘吐きかどうかくらいわかる」
ユーリの悪い予感は、杞憂で終わった。王様が明らかに異常な婆やに与することは無かった。
「余からのお願いだ。聞き届けてくれ。この者達に手をあげないでくれ。そして元の婆やに戻ってくれ」
その双眸から涙を零しながら、痛切な口調で訴える王様であったが――
「おおおお……何ということでしょう。陛下、すっかり洗脳されてしまっているのですね。おのれぇ、この糞虫共が……王様を洗脳してくれよってからに~……絶対に許さん! そうだ、お前達の首をはねて、王様にお手玉させてやるわ! そうすれば王様の洗脳もきっと解ける! 解けるッ!」
確信を込めて力強く言い切ると、婆やが歪んだ笑みを広げて、ユーリとアベルを見る。
「アベルさん、王様を外に連れ出してください」
「承知っ」
ユーリに促され、アベルは王様の腕を取り、会議室の外へと出ようとする。
「すまん……婆やがこのようなことになっているせいで、其方等も危険に巻き込んでしまって……」
アベルに向かって、苦しそうな顔で謝罪する王様。
「ぬふゥ! 私の王様をどこに連れてイグブッ!?」
婆やがアベルの方を向いて叫びかけたが、衝撃波によって吹き飛ばされて声は中断された。
アベルと王様に婆やの注意が逸れた瞬間、ユーリは魔法で攻撃を仕掛けていた。婆やの注意をアベル達に向けて隙を作らせることも計算して、ユーリはアベルに避難を促していた。
ひるんだ婆やに、ユーリはさらに魔法をかける。婆やの精神状態を正常な状態に戻そうという試みだった。
精神に影響を及ぼす魔法は、先程から王様や大臣達にも使っているが、これはさらに高度で複雑な魔法となった。そもそもユーリはこの手の魔法があまり得意というわけでもない。
「ぬううぅううぅぅぅん……」
婆やが唸り声を漏らしながら立ち上がり、悪鬼の形相で、ユーリを睨みつけた。
(駄目だ。効いてない。もう少しダメージを与えればいけるかな)
ユーリは再度魔法での攻撃を試みる。不可視の魔力の弾が三発放たれ、婆やに向かって飛来する。
婆やはユーリの攻撃を避けて、会議室の入口を見た。狙いはアベルだ。
(駄目だ。ぬるい攻撃をしていたら駄目だ。婆やさんを殺すことになっても、王様を悲しませることになっても……。ここで躊躇していたら駄目だ)
ユーリは方針を改めた。鋭く冷たい殺気がユーリから放たれる。
ユーリの表情が激変する様を、会議室の入口からアベルは見た。これまで柔和な表情で喋っていたユーリからは想像もつかないような、冷徹な顔つきになっていた。
先程、アベルの前で口にした台詞を、ユーリは思い出す。
絵本の住人達にも命があって、生活があって、心がある事もわかっている。しかし彼等にとってのハッピーエンドよりも、優先しなくてはならない事がある。ユーリの任務は、人喰い絵本に囚われた者達の救出である。それを最優先させなければいけない。今ユーリがしなくてはならない事は、アベルを死なせずに脱出する事だ。
婆やが跳躍する。会議室への入口へと向かう。アベルと王様は廊下に逃げる。
婆やも会議室の外へと出ようとしたその刹那、ユーリが魔法を発動させて、魔力の槍を婆やの足元から突き出した。
「ぐぎぃっ!」
婆やの体が下から貫かれ、床に崩れ落ちる。しかし出血は無い。
その時、ユーリは近くの空間が歪む気配を感じた。その現象が何を意味するかはわかっている。
転移魔法を使ったミヤがゴートと騎士一人を連れて、会議室に現れた。
「この馬鹿弟子がっ。勝手に突っ走りおって」
ミヤが叫ぶと、ユーリの上体が大きく傾いた。念動力で軽く猫パンチを食らわせたのだ。
「すみませんっ」
ユーリが頭部を押さえて謝罪し、念動力猫パンチでずれたとんがり帽子を被り直す。