13-3 知られざる開戦
さらに一日が経過した。
ミヤはその日の午前中、黒騎士団に迎えられて、貴族連盟議事堂に訪れた。
会議室に、黒騎士団団長ゴート、副団長のイリス、白騎士団団長のマリア、元魔術師ギルドのギルドマスターのロドリゲス、貴族連盟議長ワグナー、そしてミヤの六名が座っている。
「皆さんを集めた理由は、お察しと思われますが、一昨日の張り紙の件です。一人の少年が、K&Mアゲインが革命すると宣言し、蜂起を促す内容の張り紙を、首都ソッスカーの至る場所に貼附しました。これにより、ア・ハイ群島全域が不安で揺れています」
「不安で揺れているのは、立場が危うくなった貴族達と、日頃から貴族達に忖度を欠かさぬ一部の商人達だろうに」
ワグナー議長の言葉に対し、ロドリゲスが皮肉たっぷりに嗤った。
「民衆の反応は、貴族の――特に選民派にしてみれば、不安をかきたてるものに違いありませんね。ここに来るまでに、旧鉱山区の様子を部下に伺った所、K&Mアゲインを支持する声をあげていた者もいたとの話です」
マリアが柔らかな口調で述べる。
「張り紙を貼った子は死んだそうだね。しかも重労働の末の過労死だとか。この話も、労働者達の心に火をつけるには十分だよ。恐々としているのは、貴族よりも経営者達だろうさ」
「確かに。真っ先にヘイトが向くのは、重労働を貸している彼等に対してでしょうな」
ミヤの発言に、ゴートが髭をいじりながら同意する。
「これを追い風として利用し、K&Mアゲインが動く可能性が高いと思いますが、皆さんはどう思われますか?」
ワグナー議長が他の五人に伺う。
「警戒し、こちらも動き出した方がよいであろう」
「同感です」
ゴートとマリアが言う
「儂以外の四人の魔法使いにも話は通してあるのか?」
「伝達はしてあります。シモン殿下以外は」
ミヤが問い、ワグナーが答える。
「伝達してもサユリが来るわけないだろうよ。シモンは……ホンマーヤ地方にいるだろうが、探しに行かないといけないね。あいつは念話も拒んで通じないようにしているから、面倒で仕方ないよ。てなわけで、シモンは儂が直接呼びに行く。他の二人――アデリーナとマーモはすぐに首都に呼び戻しな」
ミヤがぶっきらぼうに命じる。
「新緑の魔女アデリーナ殿と腐滅のマーモ殿は、すでに首都に向かっていますよー。あ……」
イリスが答えた後、部屋の窓の外に止まっている伝書鳩を見た。
ミヤが念動力で窓を開けると、伝書鳩が室内に飛び込み、イリスの横に着地する。
「新緑の魔女アデリーナ殿は首都に到着したそうでーす」
「じゃあさっさとここに呼びな」
イリスが報告すると、ミヤがぶっきらぼうに命じた。
***
夕方。ソッスカーの宿に、鮮やかなエメラルドグリーンのとんがり帽子とマント姿の、女性魔法使いが訪れた。彼女の名はアデリーナ。新緑の魔女の通り名を持つ。
アデリーナはソッスカーのすぐ隣貴族連盟の呼び出しを受け、宿に入って一息つき、うたた寝をしていたアデリーナであったが、ノックの音に起こされる。
不穏な気配がした。警戒しながら部屋の扉を見やる。
扉の鍵が勝手に回り、扉が開く。眼鏡をかけた、引き締まった顔立ちの男がそこにいた。
「ア・ハイで名の知れた魔法使い七人の中でも席次五番目の実力者、新緑の魔女アデリーナ。お初に御目にかかる。私はK&Mアゲインのジャン・アンリと申す者」
ジャン・アンリの名はアデリーナも勿論知っている。そもそもアデリーナがソッスカーを訪れた理由は、K&Mアゲイン対策のために、貴族連盟に呼び出されたからだ。
「貴女に是非K&Mアゲインの一員となって貰いたいと、勧誘しに来た次第――というわけだ。理解してもらえたか?」
「私がここにいる事までバレているなんて、内通者がいるか、とんでもなく優れた探知魔法が使える人がいるか、どっちかよね」
ジャン・アンリの誘いに対し、アデリーナは臨戦態勢で応じる。
「魔術師でありながら魔法使いも凌駕しかねない実力とやら、是非見せて頂戴」
「それでは、満足して頂けるよう努めよう。これならどうであろう?」
うそぶくアデリーナに向かって、ジャン・アンリが呪文を唱える。
アデリーナは魔法で攻撃する。緑色の光の槍が続け様に繰り出され、ジャン・アンリを襲う。
ジャン・アンリは避けようとしなかった。アデリーナが繰り出した光の槍は、全て消滅した。
(何かの魔道具? 強い力が働いたように見えたわ)
アデリーナが推測する。予め力を備えた魔道具であれば、呪文を唱えずとも、自動的に力が働くという事もある。
ジャン・アンリの呪文が完成する。
不可視の力がアデリーナに飛んできたが、アデリーナは即座に防壁を築いて防いだ。
「やはり……いちいち呪文を唱え、触媒を用い、印を結んで、あげく魔力の出力も低めで精度も……ぎゃあ!」
防壁で防いだ後、アデリーナが喋っている間に、さらにもう一発攻撃が飛んできた。一発目よりずっと強い一撃で、防壁はあっさりと砕かれ、アデリーナは悲鳴をあげて吹き飛ばされた。
アデリーナの腹部がざっくりと避け、内臓が零れ落ちている。
「魔力の出力が低かっただろうか? 強くしたつもりであったが、まだ足りないか?」
眼鏡に手をかけ、誰とはなしに問いかけるジャン・アンリ。
(嘘……最初の魔術は防いだのに、二発目が間を置かずに飛んできた……。呪文も唱えていなかったでしょ……。しかもこの威力……)
腹部に手を当てて再生を行いながら、アデリーナは驚愕していた。
「誤解が二つある。魔法使いに比べた時の魔術師最大の弱みは、呪文の詠唱、触媒の有無、そして呪文によっては印を結ばねばならないことだが、魔力の出力や精密さは、必ずしも魔法使いに劣るものではない――ということにしておくが、いかがだろうか? いや、実際その通りだと、今ここで証明されてしまっているが、貴女はそれを知らず、見くびっていたようだな」
嘲るでもなく、講義でもするかのように、ジャン・アンリは淡々と語る。
「そして私は元々魔力が強めであったが、人喰い絵本の中でお鼠様と融合し、イレギュラーの力を得てますます強くなったようだ」
ジャン・アンリが喋っている間に、再生を終えたアデリーナが立ち上がる。
「再生――それも魔法使いの強みだな。致命傷を受けたにも関わらず、傷を即座に治すことは、魔術師には出来ない。呪文の詠唱などする間もなく死ぬ。魔力を手足の如く意志一つで操作する魔法使いの強みというわけだ」
未だ喋り続けているジャン・アンリに、アデリーナが攻撃しようとして思い止まった。
ジャン・アンリの背後から、足元から、大量の虫が現れたのだ。虫はどれも非常に大きく、両手にも余るサイズだ。種類は様々で、アデリーナが見たことがある虫もいれば、全然知らない形状のものもいる。
虫たちが一斉に鳴く。ただ、虫が鳴き声をあげているだけではないことに、アデリーナはすぐに気づいた。魔力が凄まじい勢いで膨れ上がっている。
「呪文の詠唱は、虫たちに賄わせている。印もな。触媒も、これらとは異なる虫の命で賄っている。おかげで私はただこうして会話しているだけで、他に何もしなくても、私の意思一つで、虫達が複数の呪文を唱え、複数の魔術を同時に発動可能なのだと言っておく」
「ば、化け物……」
慄然として呻くアデリーナ。膨れ上がる魔力を見て、ジャン・アンリの解説が真実であることは一目でわかった。
「むっ、今の表情は素晴らしい。私を見て慄然とした君の顔、絵になる。絵にする。しかしその絵を君に見せてあげられない。残念だ。皮肉ではないぞ。私は描いた絵を当人に送る事を喜びとしている。だが君には送って見せてあげられない。実に残念だ」
虫達が呪文の詠唱を終え、蛇に睨まれた蛙のように固まっていたアデリーナの体めがけて、複数の攻撃魔術が一斉に放たれた。
「魔術師の上位互換――いや、オリジナルとも言える魔法使いが、下位互換でありコピー品と呼んでもいい魔術師に恐怖するという構図、これも絵に描きたいものだ。しかしその事実を信じる者がいるのだろうか? いや、そもそもコピーという表現もおかしいか。魔法使いは選ばれた者しかなれないが、魔術師は勉強すれば誰にでもなれる。どちらも魔力を扱うことに変わりはないが、扱い方が異なるという話だから、オリジナルだのコピーだのといった表現はおかしい。私の口にした理論、理解して頂けたかな?」
かろうじて生きているだけの状態で倒れたアデリーナの前で、ジャン・アンリは語り続ける。再生のための魔力も尽きている。壮絶な攻撃を受けて、魔力も大半が吹き飛ばされた。
「何で黙っている? 興味が無いのか? ああ、死ぬのが怖くてそれどころではないという事か。それなら殺すのはやめにしよう。それでよいかな?」
話しながらジャン・アンリは、床を蠢く虫の一匹を手に取った。
「この虫達が何故呪文の詠唱が出来ると思う? 何故虫でありながら魔術を使えると思う? 理由は少し考えれば察しがつくのではないか?」
両腕で抱えた大きな虫を、まるで赤子をあやすかのような動作で小さく振りながら、ジャン・アンリは問いかける。
「魔法を使える虫が作れるかどうか、よい実験にならないか? 君も死なずに済むかもしれない。つまり恐怖もせずに済むし、私の話にも聞き答えしてくれるのではないか?」
「……」
アデリーナは絶望して、壊れた天井を眺めていた。喋ろうにも、声帯もすでに破壊されていて、喋る事も出来なかった。
それから数分後、ジャン・アンリは破壊された宿を後にした。宿の店主にはちゃんと修繕費を払っておいてある。
***
ア・ハイ群島の外れの島にある港町。
マーモはア・ハイ群島で知られている七人の魔法使いのうちの一人だ。七人のうちの格の序列では、六番目に位置するが、実績の高さは、上位にいる五人に決して引けを取らない。
彼は白騎士団と共に地方に赴き、魔物討伐を専門に行う魔法使いだった。騎士団だけでは手に余る強力な魔物を、何十匹と駆除している。
そんなマーモが。白騎士団団長マリアによって首都ソッスカーに召喚された。K&Mアゲイン対策の一員として組み込まれる予定だ。
「西方大陸から、ア・ハイ群島に帰ってきたのはいいけど、大陸と船で行き来する港と、他の群島と飛空艇で行き来する港が、結構距離離れているのは大変だねえ。港を一つにまとめちゃえばいいのにねえ。半日も坂道歩いた先だし。これも確か一部の貴族と商人の利権が絡んでいて、できないんだっけ」
「歩くのも旅の醍醐味よ。あたしは景色見て自分の足で歩くのは嫌いじゃねーわ」
聞き覚えのある二人の声がして、マーモはぎょっとした
「おや……? マーモじゃねーかよ」
二人のうちの一人――大荷物を背負った、ぼろぼろの赤帽子と赤マント姿の少女が、マーモに気付いて声をかけた。
「ああ、マーモ君だあ。久しぶりだねえ。いい子にしてたあ? 魔物退治、頑張っているんだってねえ。ああ、僕達も西の大陸で魔物退治してきたよう。向こうは都会でも魔物が出るんだ。魔物化現象といってねー、人間が魔物に変わっちゃう現象の発生率が高いんだって。ア・ハイでは滅多に見られないし、地方によって魔王の残した災厄の発生率が違うって、面白いよねえ」
少女の隣にいる、白いとんがり帽子と白マントの少年もマーモに気付き、嬉しそうにぺらぺらと喋る。
「シクラメ・タマレイ。そしてアザミ・タマレイ……同じ船にいたとはな」
緊張に顔を強張らせて、少年と少女の名を口にするマーモ。
「アザミ、K&Mアゲインの頭目をしていると聞いたが……」
「だから何だよ。まさかお前、貴族の犬としてあたしに噛みつこうってのか?」
マーモが話しかけると、アザミは若干藪睨み気味の目を細め、並びのいい白い歯を見せて不敵に笑う。
「ま、ア・ハイ群島の魔法使いは全員、懐柔するか刺すか、どっちかにする予定だったし、探す手間が省けただけの話だな。名前の知られていない魔法使いはどーにもできねーけど。マーモ、一応聞いてやる。お前はどーすんだ? こっちにつくか?」
「つかない。刺されたくもない。逃げる」
マーモが短く告げ、先に魔法を使った。
「糞兄貴、頼むわ」
アザミが一転して不機嫌そうな顔になり、こちらも魔法を使う。
港には沢山の人がいる。派手に魔法で戦闘になったら、巻き添えも出る。マーモは巻き添えが出る事もお構い無しに、有色の毒ガスを魔法で発生させて、周囲に撒き散らした。アザミはそれを見て、港にいる人達が毒ガスを吸い込まないように、魔法で空気を操って毒ガスの流れを制御していた。
マーモがほくそ笑む。アザミの行動は想定内だ。いや、アザミがそうするように誘導した。
シクラメがマーモと向かい合う。シクラメはあどけない顔に朗らかな笑みをたたえており、とても戦う前とは思えない様子だ。
「マーモさん、僕と戦うんだね。魔法使い同士で戦うなんて、わりと久しぶりだなあ。わくわくする。楽しもうねえ」
笑顔で両腕を広げて歓迎のポーズを取るシクラメ。その時、すでにシクラメは魔法を発動させていた。
マーモは反射的に転移してその場から移動した。
転移した後で、マーモは自分のいた場所を見る。足元に色とりどりの花が咲き乱れているのが見えた。
「む……」
マーモが唸る。左肩と左腕、さらには左足にも、花が咲いている。
よく見ると花にはファンシーな目と口がついていた。皆マーモを見て笑っている。
体に咲いた花が黒い液体に覆われたかと思うと、たちまち腐れ落ちた。マーモの腐敗の魔法だ。マーモは異名通り、物体を腐らせる魔法を好む。
(アザミが動けないうちに、上手く逃げ出さなければ)
魔法で発生させた毒ガスを見やり、マーモは算段を立てる。あの毒ガスはマーモが離れても、何時間か残り続ける。解除魔法でも容易に消す事が出来ない。ただし、所詮はガスなので、空気の流れ次第で、いくらでも防がれてしまう。
アザミはカラフルな毒ガスを上空へと送り続け、散らし続けていたが、ガス自体が重いせいか、魔法の特殊効果のせいか、中々上手くいかない。そのうえガスは延々と出続けている。
「ケッ、うざってー。しかし何気によく出来ている魔法だよなー」
アザミは辟易とする一方で、称賛の念も沸いていた。
「な、何だこれはっ。きりがないっ」
狼狽するマーモ。身体のあちこちから次から次へと花が生えてきている。咲いた花から、体内の魔力が外に放出されていく感覚がわかる。腐敗の魔法で腐らせているが、きりがない。
「マーモさん、ひょっとして魔法使い同士の戦い初めてなのかなぁ? 心身から生じる魔力そのものを、効率よく削る魔法をかけあうのが、魔法使いの戦闘なんだよう。ただ闇雲に魔法うつとか、人喰い絵本の中や魔物相手に戦闘するのと同じにしちゃ駄目だよう」
笑顔で解説するシクラメ。マーモの全身から生える花の数はさらに多くなり、マーモは膝を突いた。
そうこうしているうちに、アザミはマーモが発生させた毒ガスを全て空に散らし終えていた。これで二対一だ。
(こんな……一瞬にして敗北するとは……)
両手を地面につき、全身花で覆われたマーモは愕然とする。
「マーモ、死にたいなら殺してやる。でもあたしはお前が貴族の犬になっていた事も、あたしらに今噛みつこうとしたことも、全部許してやる。あたしらの側につけ」
花だらけになったマーモに歩み寄り、アザミは改めて勧誘する。
「断ったら?」
「ケッ、決まってんだろ。見逃してやるァ」
にやりと笑って告げるアザミ。
「刺すんじゃないのか?」
微笑みながら問うマーモ。
「あたしが刺す前に、糞兄貴に負けてるだろ。ま、昔お前に世話になった事もあったしな。その時の借りを返す意味で、今回だけは見逃してやるわ。次は無えけどな。ただ、一つ言わせろ。あたしとお前は、同じ魔法使い。本来こっち側じゃねーか? K&Mアゲインに降れよ。貴族の糞ったれ共を一緒にぶちのめそうぜ。魔法使いと魔術師の居場所を取り戻そうぜ。王族の体制に戻そうぜィ」
アザミが快活な笑顔で呼びかけると、マーモは微笑んだまま大きく息を吐く。
「わかった。K&Mアゲインに降ろう。しかし……この組織の安直でダサい名はどうにかできないのか?」
「いらねーや……こいつ。刺すわ……」
「す、すまん。悪かった……今のは聞かなかった事にしてくれっ」
険悪な形相になったアザミを見て、マーモは慌てて謝罪した。




