13-1 世の理不尽に憤りを感じないのが世の主流
朝。広間でノアは朝刊を読み、少し離れた場所でユーリはミヤにマッサージをしている。
「ホンマーヤ地方で、結婚式の最中にグリフォンが襲撃。新郎の前で新婦が生きたまま食われるだってさ」
ノアが朝刊の一面記事の内容を伝える。
(ホンマーヤ地方か……シモンがいるのはあの辺りだね)
ミヤは事件より地名に反応した。
「ほっこりする事件だね」
そう言って、本当にほっこりした笑顔になるノア。
「全然ほっこりしないよ……。酷過ぎるよ」
一瞬マッサージの手を止めて、ユーリが悲しげな顔をノアに向ける。
「俺は他人の不幸が楽しくてたまらない。それが幸福な人間だったら、余計に楽しい。心の底からすかっと爽快」
「ふー……こやつの人格矯正は中々骨が折れそうだねえ」
笑顔で語るノアを見て、ミヤが溜息混じりに呟いた。
(ホンマーヤのド田舎と言えば、あいつらだ。今頃何してるかな?)
ノアはホンマーヤ地方にいる知り合いを思い出していた。
(結婚して幸福の絶頂にある人に、そんな酷い運命を与えるなんて……)
この世の理不尽と悲劇に胸を痛めるユーリ。
世界は苦痛に満ち溢れている。それがユーリには納得いかない。苦痛に満ち溢れているのがデフォルトであり、皆それを受け入れて諦めているようも感じられる。しかしそれはおかしいと感じる
「神様、もう少し世界に優しくしてください。生きとし生ける者を苦しめないでください」
普段は恥ずかしくて言葉に出さないユーリだが、ノアを意識して、祈りの内容を堂々と口にした。
そして先日の嬲り神の指摘を思い起こす。確かに祈っている際に、世界の理不尽に対する怒りが湧いている。
「師匠、大変だ。先輩がとうとう狂った」
「どちらかというお前の方が狂っているからね?」
「え? どの辺が?」
ユーリの祈りを聞いて慌てて訴えるノアに、ミヤが冷たく告げる。
「神様は意地悪が多い」
ミヤに叱られるかもしれないと意識しつつも、ユーリは日頃から思っていることを口にした。
「うん。神様なんてものがいて、全ての運命を操作しているとしたら、そいつがとんでもなく意地悪なのは同意。性根が腐っている奴だと思う」
ノアが吐き捨てる。神様というものがいたら――自分に不幸な出生を与えたのも神様だとしたら、意地悪どころではない腐れ外道である事に、疑う余地は無いと、ノアは考える。
「多くの苦痛を運ぶ災厄、それは魔王によってもたらされたがの。ユーリや、手が止まってるよ」
と、ミヤ。
「神様には責任が無くて、悪いことは全て魔王のですか?」
マッサージを再開しつつ、ユーリが少し荒い語気で言った。
「お前は信心深いのか、背信的なのかわからんな」
「正直、どっちの気持ちもあります」
ミヤに問われ、ユーリは複雑な表情で答えオタ。
「何で世界はこんなに悲劇で溢れかえっているんでしょうね。神様はどうして世界をもっと優しく作ってくれなかったのかな……」
「全ては魔王のせいじゃよ。神を疑ってはならんよ」
「そう断じてしまっていいのですか? それこそ師匠がよく僕に駄目だと言っている、思考停止じゃないですか」
ミヤの言葉を聞き、ユーリはぶすっとした顔になって反論すると、マッサージを辞めてミヤの側から離れた。
「ったく、感情を抑えることのできない子だね」
ミヤが小さく溜息をつく。
「先輩、凄く不機嫌そうだけど、婆の言葉が何か気に障ったの?」
「そんなことない。いや、何でもないよ」
ノアがユーリの側にやってきて囁くと、ユーリは額に手を当ててかぶりを振る。
「誤魔化さなくていい。俺に向かってこっそり吐き出して。俺だって辛いことあったら先輩に吐き出す。先輩を愚痴ゴミ箱だと思って吐いて吐いて吐きまくる。だから先輩も俺にそうしていいよ。先輩の考えも聞きたいしね」
爽やかな笑みを浮かべて促すノアに、ユーリは諦めたように息を吐いて微笑み、話しだした。
「師匠は神様に肯定的だし、祈りを忘れてはいけないと言うけど、僕はよく思うんだ。どうして世界をこんな風に、苦しみと悲しみで溢れたものにした神様に祈るのかって。何で神様は世界をこんな風にしたんだって意識して、腹が立っている。師匠は魔王のせいだというけど、じゃあ全能のはずの神様はどうして魔王が現れることを許したの? 防げなかったの? この世の全てを神様が作ったなら、魔王だって神様が生み出したんじゃないの? それなのに神を疑うなって……。疑って当然だよ」
ユーリが心情を吐露すると、ノアはもっともらしく腕組みして、うんうんと頷く。
「俺は歴史の勉強をさせられていた際に、似たようなことを思ったな。人が新しい何かを見つけて、世の中をよくしようとすると、大抵その新しい何かは、見えないリスクを孕んでいる。マイナスになるものがある。それが世界の設計。神様がいるとしたら、確かに凄く意地悪な設定で世界を作っている」
「うん、それだよ。僕は神様がいると感じる。今ノアが言った話をとってみても、凄く意地悪な意思があるから、世界はそうなっていると思えるんだ」
「だから嬲り神?」
「え?」
ノアが出した名の脈絡の無さに、ユーリは目を丸くする。
「嬲り神とかいう気持ち悪いネーミング。そういう皮肉なのかもって、今ふと思った」
「ああ……」
そこまで言われて理解するユーリ。
「神様は意地悪だけど、そんな意地悪な神様にしょっちゅう祈りを捧げるって、先輩も矛盾してるよね」
(祈りの振りをした怒りだから……かな?)
ノアの指摘を受け、ユーリは先日嬲り神に指摘された事を思い出す。
「先輩。今の話、楽しかった」
「え……? そ、そう?」
「うん。機会があったらもっと先輩と腹を割って話がしたいな。それに嬉しかった。先輩が婆にも言えないところまで俺にぶちまけたおかけで、俺は婆に少し優越感持って接することが出来る」
「うーん……」
にっこりと笑うノアに対し、ユーリは苦笑いして唸るだけで、気の利いた言葉が思い浮かばなかった。
「ふん、優越感ねえ」
ミヤが鼻を鳴らす。ミヤは魔法で空気を操作し、二人の音声を自分の耳元に運んで会話をこっそり聞いていた。
「皆、世界の理不尽に諦めている。そういうものだと受け止めている。でも、たまに諦められずに、そいつを意識し、怒りを抱く者もいる」
虚しげに虚空を見上げて独り言ちるミヤ。
(ユーリも、おそらくノアも。そして儂も……同じ)
『確かにあいつにはその素質があるとも言えるな。ミヤ、お前と同じようになっちまう可能性も、無きにしも非ず……か』
嬲り神の台詞を思い出し、ミヤは微かに恐怖を覚えた。
***
旧鉱山区下層部の繁華街で、ケープはスィーニーの姿を見かけた。
「戻って来たのね。おかえりなさい」
「ただまーん。ケープ先生ちょっと顔青いよ? 大丈夫なん?」
スィーニーが心配そうにケープに尋ねる。
「患者が多くなって疲れ気味かもしれませんね。エニャルギー不足を人力で賄う仕事場が増えてきて、それで過労で倒れて病院に運び込まれる人が多いのよ」
「うへえ、私がいない間に、首都はそんなことになってたんだー。田舎には届いてなかったなー。新聞も読んでなかったし」
ケープの話を聞いて、スィーニーは顔をしかめる。
ふと、スィーニーの目が、壁に向けられる。
壁には張り紙がしてあった。
『K&Mアゲインが横暴な貴族達を討伐し、ア・ハイは変わる! K&Mアゲインに賛同する者達よ立ち上がれ! 革命を起こせ! 貴族を滅ぼし、王制と魔術師ギルドの復活を成し遂げよ!』
「何これ……」
張り紙に書かれていた文章を見て、呆然とし、蒼白となるケープ。しかしその表情をスィーニーは見ていなかった。
「うっひゃあ……革命を起こせとか書いてある。嫌だなあ」
思いっきり嫌そうに渋面になるスィーニー。
「でも革命が起きてくれたら……その結果、この国の腐敗も正されるかも」
「ケープ先生……何言ってんの? 革命なんてろくなもんじゃないよ。あんなん……ただの破壊、ただの鬱憤晴らしでしかないわ」
ケープの呟きを聞き、スィーニーはいつになく荒い口調で、抗議するかのように言った。
「どうしたのスィーニー? ちょっと怖い顔になってる」
「ごめん。一年半前、南方にいてさ。そこのとある国で、革命騒動に巻き込まれたんよ」
ケープに言われ、気持ちを落ち着けてから、スィーニーは話しだす。
「私、南方人に見えるけど、生まれは違うんだ。だから私と同じ南方人ばかりいる南方に行く時、ちょっとわくわくしたんだ。でもすぐ幻滅した。貧しくて……汚くて……街並みだけじゃなく、人の心も荒み切っていて、慢性的な搾取や紛争の結果そうなったんだけど、国への不満が溜まり、革命の気運が高まって、とうとう爆発したの」
そこまで喋って、スィーニーは眉間にしわを寄せ、ますます渋い表情になる。
「革命って言うと響きよく聞こえる? 世直しみたいに聞こえる? 素晴らしい変化が起こって、世の中よくなるよう思える? 答えはノー。私が見たのは、ただの糞みたいな暴動だった。革命なんだから暴れてオーケーって感じで、暴力と略奪を正当化して、無様で醜い騒ぎだったよ。貧しい者が貧しい者から奪い、道のそこかしこに、壊れた人形みたいに死体が転がっていたわ。私は襲われていた家族を助けて、逃がしていたんだけど、お笑いだわ。その家族が寝ている私を襲ってきて、身ぐるみ剥いで売り飛ばそうとしてきたわ。もちろん、そんな奴等にやられる間抜けじゃないし、返り討ちにしてやったけど、精神的なダメージが残っちゃった……」
「そう……。色々大変だったのね。貴女もカウンセリングに来る?」
「いいわ。ケープ先生の手を煩わせるまでもなく、自分で処理する」
ケープがスィーニーの肩に手を置いていたわるが、スィーニーは力なく笑い、やんわりと拒んだ。
「こう言っては何だけど、その国では教育が行き届かず、道徳心や慣習が育まれなかった国だから、そうなってしまったんじゃない?」
「それもある。でもア・ハイ群島だって大概じゃね? とにかく私は、革命なんて真っ平御免て考え方。こんなので世の中良くなるなんて信じない」
ケープの言葉も一理あると感じたが、それでもなお、スィーニーには受け入れ難い代物だった。
***
「町中に張られているそうだ」
「組織の誰かが先走った結果なのか?」
街中にK&Mアゲインの蜂起を促す張り紙が張られていると、パブ・ロドリゲスから報告を受けても、ジャン・アンリは一切狼狽することなく、平然とした顔で尋ねる。
「私もそれを思ったが……記憶逆向の魔術をかけて、犯人の特定がされたようだ。犯人はK&Mアゲインのメンバーではない。魔術師ですらない。十四歳の少年だ」
「ほう。随分と大規模な悪戯だ。実に迷惑。十四歳にもなってそのような暇なことをするとは、嘆かわしいということか?」
妙な発言を行い、ジャン・アンリは口元に手を当てて思案顔になる。
「そこで何故疑問形になるのか……。その少年は事情聴取の際に血を吐いて死んだそうだ」
「何者かに消されたという事だろうか?」
事情聴取中に死んだという時点で、どうしても都合が悪いから消されたという考えにいきついてしまう。
「そうではない。病と過労だ。最下級の貧民で、父親は飲んだくれで働かず、母親は亡くし、幼い三人の弟と妹を養うために、身を粉にして働いていたとのことだよ。ここからは私の推測だが、この少年は自分の最期を悟って、K&Mアゲインの噂を知ったが故に、一縷の望みをかけて、我々を焚き付けるために、このようなことをしたのではないかな……」
心なしか沈痛な面持ちで話すロドリゲス。
「そうだとしたら……迷惑という言葉は取り消そう。すまないことを口にした。そして、焚きつけられてやるとしよう。今すぐには動けないがな」
ジャン・アンリがそう言って瞑目する。少年の冥福を祈っていた。
「仇を討つというわけではないが、我等の目的が叶えば、少年の無念も張らせると、少年の魂の光の尊厳も守れると言ってもよいかな?」
「ああ、失われた命は取り戻せずとも、魂に報いることは出来る」
ジャン・アンリの疑問に対し、ロドリゲスは厳かな口調で言い切った。




