11-2 善意や正論は、時として凶器に変わる
山頂平野は、貴族、上級商人、高給職人、魔術師といった、身分の高い者達の居住区が多い。あるいはそれらに仕えている召使いや商売人もいる。
だがその日、スィーニーが山頂平野の繁華街の一つを訪れると、明らかに山頂平野の住人ではない者達が、視界に飛び込んできた。旧鉱山区に住んでいるような身なりの平民が、ばらけてあちこちを歩いている。何かを探しているように見えた。
「あ、魔術師様っ、お願いですっ。エニャルギーを分けてくださいっ」
「お前だけずるいぞっ。ちゃんと買いますから、仕入れ値で売ってください」
「うおおおー、あっちにも売ってくだちゃーいっ」
「哀れな平民にお恵みを~」
ローブ姿の魔術師を見つけるなり、何かを探していた市民達が、一斉に魔術師に群がり、取り囲む。
「な、何ですか貴方達はっ。エニャルギーが高騰しているのはわかりますが、こんな場所で要求されても困りますっ」
魔術師は困惑しつつ、群がる市民から逃げ出す。
(こりゃ酷い。ユーリは大丈夫なんかねー)
呆れながらスィーニーは通り過ぎる。
繁華街を出た所で、スィーニーはユーリと出会った。ユーリも繁華街を出た所だった。
「こんにちは、スィーニー」
「おいすー。ユーリは大丈夫だったん?」
「大丈夫って?」
スィーニーの言葉に小首を傾げるユーリ。
「鉱山区の平民さん達が、エニャルギー寄越せーって、魔術師に群がってたかってるのよ。あ、一応金払って売ってくれとは言ってたね」
「ああ……今日はまだだけど、昨日は僕もそういうことあったよ。ちょっと疲れた」
ユーリが微苦笑を零す。
「作って売ってあげたの?」
「うん。タダであげようかとも思ったけど、ちゃんとお金を取った。タダであげたら変な噂立って、僕の所に殺到しそうだし」
「そりゃそうよ。施しなんて安易にやるもんじゃない」
ユーリの話を聞いて頷くスィーニーは、以前ユーリが魔月丼の商人に施しをした時のことを思い出して、少し胸がムカついた。
「ていうか、そんなに魔術師少なくなってるの?」
「うん。最近人喰い絵本の発生頻度が増えて、魔術師の死亡者が増えてしまったからさ。エニャルギーの供給に支障が出るほどにね。このまま何も対策しないでいたら、もっとしんどいことになると思う」
ユーリの話を聞いて、危機水準を越えているのではないかと危ぶむスィーニー。今から魔術師の育成に力を入れた所で、エニャルギー不足を解消できるまでの育成に、何年かかるのかという話であるし、その間に人喰い絵本も発生しまくるであろう。
それ以前に、魔術師を本格的に育成しようにも、貴族が魔術師の活動を制限しているのだから、育成も難しい。ア・ハイでは個人授業で魔術を学ばなくてはならない。他の国のような魔術学校の類が無い。昔はあったが、今は禁止されてしまっている。
「せめて卸売りの商人がもう少し値を下げればいいのに。選民派の貴族と繋がっているせいで、どうにもしがたい」
「ユーリ、ちょっと怖い顔になってるよん」
「うん……頭にきてる。商人も貴族も、自分の欲のために、多くの人を苦しめてさ。そしてそんな人達にエニャルギーを売っているのが、僕達だ」
「確かにア・ハイ群島は中間搾取がひでー傾向にあるね。貴族と卸業者のズブズブっぷりが駄目なんだろーね」
この国は貴族が癌であるように、スィーニーには感じられた。
「あのさ、暇なら一緒にチャバックの様子見に行ってみない? この前あんなんだったけど、昨日会ったらわりと元気だったんよ」
「そうなんだ。それはよかった。行くよ。ノアも連れていってあげたかったけど」
スィーニーの誘いを受け、ユーリは笑顔になる。
「今から行くよーって、チャバックに魔法で連絡とれない?」
「念話は緊急時以外するなって言われててさ」
スィーニーに問われ、ユーリはかぶりを振った。
***
チャバックを取り囲む清掃会社の従業員達。その中には社長もいる。
社長はにやにやといやらしい笑みを浮かべている。チャバックは猛烈に不吉な予感を覚え、身を縮めた。
(チャバック? それにあいつらは? 何だか様子が変だ)
たまたま通りかかったノアが、物陰に隠れて様子を伺う。
「よし、そろそろ解禁といくか」
「ひゃっはーっ、待ってましたーっ」
「チャバックいびりできない日が続いて、毎日手が震えてたわ」
「おうおう、もう俺達が何もしないと思って安心してたか? 残念でしたーっ」
社長の一声を聞いて、従業員達は喜悦満面になって、チャバックを軽く小突きだす。
「ま、またひどいことするの? や、やめてようっ」
「あひゃひゃひゃ、やめてようだってー。ウケるー、そそるー。こいつは御褒美だ」
半泣きになって懇願するチャバックの頭に、従業員が泥水で濡れモップを叩きつけた。
「おいチャバック、お前はウスノロだ。仕事はトロくて、満足に出来ないから俺達が尻ぬぐいばかりしている。それでも俺は、お前に給料を払ってやっている。雇ってやっている。この意味がわかるか?」
泥水で頭と顔を濡らした状態で蹲ったチャバックに、社長がネチっこい口調で問いかける。
「お前みたいな役立たずでもな、人様のために役立てることが一つだけあるんだ。それは何かっていうと~、俺達にいびられて、俺達のストレス解消の道具になることだぁァーっ!」
大声で叫ぶなり、社長がチャバックの口の中に石鹸を押し込もうとする。チャバックは懸命にもがく
チャバックが甚振られる光景を見て、社長や従業員の台詞を聞いて、ノアの胸の中で真っ黒な炎が燃えていた。
『貴女は役立たずの使えない低脳なんだから、せめて私の鬱憤晴らしの道具になりなさいよ。それが貴女の存在価値よ』
「違う……」
脳裏に蘇った母親の台詞を、ノアは肉声に出して否定する。
ノアはチャバックと自分を重ねて見ていた。昔の自分だと、母親に道具扱いされていた自分と似ている。これでチャバックが社長達に服従する態度まで取れば、完全に自分と同じ存在になる。世界で最も惨めな存在へと堕ちると、ノアは思う。
「うぐぅうぅ!」
チャバックが呻き声と共に社長を睨む。
「お? 何だ? また俺の頭にゴミ箱の蓋をぶつけるのか?」
チャバックが反撃しようとしたと見なし、社長は面白がるかのように言った。
以前、社長に暴力を振るったことが、チャバックはトラウマとなって、何度もフラッシュバックしていた。暴力など、チャバックが最も忌避する行為だ。
(オイラはいくら殴られてもいい。でもオイラは……誰かを傷つけるようなことしたくないよ……)
抵抗をやめ、うなだれるチャバック。
それを見て社長はにやりと笑い、従業員達に目配せをする。
従業員達はその後もチャバックを嬲った。怪我を負うような直接的な暴力は極力避け、ゴミを食わせようとしたり、泥水をかけたりなどに留まった。
ノアはその光景をただ黙って見ていた。
その後、チャバックは全身ゴミと汚水で汚れた状態で掃除を行い、仕事を済ませた。
「ほらよ、満足に仕事もできないお前に、給料だ。ありがたく思え」
帰り際に、社長はチャバックに金を渡す。すっかり消沈しているチャバックは、無言で受け取る。
給料を貰って帰路に就こうとするチャバックの前に、ノアが現れた。
「それだけ働いて、日給たったそれだけ?」
ノアに声をかけられ、チャバックが顔を上げて立ち止まる。
「君はピンハネされてるんじゃない? いや、搾取されていると言った方がいいかな?」
「え? ピンハネ? 君は何? 誰?」
突然現れてわけのわからないことを口にするノアに、戸惑うチャバック。
「生活は労働で賄う。生活を盾に取られて労働を強いられる。搾取される側は低賃金で辛く苦しい生活を強いられる。経営者はそれでボロ儲けして、楽しく暮らす。わりにあわないし、おかしな話だよ。俺だったらそんな条件で働くくらいなら、強盗でもする」
「強盗なんて駄目だよう。人の物を盗むなんて絶対駄目だよう。盗まれた人が可哀想だろう?」
とんでもないことを口にする子だと、チャバックはノアの言動に呆れる。
「何で? 可哀想なんて思わない。これは社会の責任であり、応報だ。国が、社会が、民を守ろうとはしない。そんな社会の法を守って、嫌な目を見るなんて馬鹿馬鹿しいよ。そんな社会の側に立つ者も連帯責任。物を盗まれても命を奪われても文句は言えない。虐げられた側からすれば敵なんだから」
「お、おかしいよ、その考え方」
「そうだろうね。きっと俺がおかしい。そっちから見たらね。君はそっちの側だからね。でもそっちの側の最底辺にいて、上に踏みつけられて搾り取られる身分だ。そっち側から抜け出した方がいいと思うけど?」
「オイラは誰かを傷つけるなんて絶対に嫌だっ」
チャバックはノアの主張に怒りすら覚え、語気を荒げた。
「君がそんなに傷つけられても?」
ノアのその台詞を聞き、チャバックも理解した。ノアは自分がいじめられている現場を、全て見ていたのだと。
「殴られるのも、罵られるのも、全部嫌だよ。でも、誰かを傷つけるくらいなら、オイラが傷つけられている方がいい」
チャバックの台詞を聞き、今度はノアが呆れる番だった。
「変わってるね。ああ、俺のこと忘れてそうだから改めて自己紹介。ノア・ムサシノダだよ。口うるさい婆の魔法使いミヤの弟子。兄弟子はユーリ」
「そうなんだ。猫婆の……」
確かに魔法使いの格好をしていると、ノアの服を見てチャバックは納得する。
「ところでさ、その足とか顔とか腕とか治さないの?」
「ユーリ……試してみてくれたんだけど、上手くいかなかったの。まだ修行が足りないって。生まれつきの障害だから、魔法使いでも治すのは難しいって」
ノアの疑問に答えるチャバック。
「じゃあ婆……うちの師匠は?」
「猫婆はユーリに任せるって言ってたよう。オイラもそれでいいと思ってる。それに、ユーリが修行を積んで、そのうち治せるように頑張るって言ってくれてるんだ」
「それって、チャバックのことを魔法使いとしての腕をあげるために、練習台にしているようなものだな。あの婆も先輩も結構酷いね。さっさと婆が治せばいいのに」
「そ、そんなことないようっ。オイラの障害は、猫婆でも治すのは難しいとも言ってたんだ。それにオイラだって、治してもらうならユーリがいいもん」
憤慨するノアの言葉に対し、チャバックが反論した。同じようなことをユーリも言っていたことを、ノアは思い出す。
「え? 何がいいの?」
そこにユーリとスィーニーがやってきた。着いたらチャバックの側にノアがいて、しかも自分の名があげられていたので、ユーリは笑みを零す。
「チャバック……泥だらけじゃんよ。しかもまた怪我してるし……」
一方スィーニーは、チャバックの姿を見て啞然とする。
「あのさ、ユーリもスィーニーも知らなかったの? チャバックは職場の奴等にいじめられているんだよ」
「言わないでようっ」
ノアが半眼で伝えると、チャバックが慌てる。ユーリとスィーニーの顔色が変わる。
「まさかチャバック……この前洗剤を飲んだのも……」
「ち、違うっ、社長に無理矢理飲まされたとかじゃないからっ、チャバックが間違えてっ」
「それ、無理矢理飲まされたと言ってるようなもんじゃん……。そんな酷いことするんだ、あんたの働いている所」
「正直おかしいとは思ってたけど」
スィーニーが険悪な表情になり、ユーリは冷たい怒りのオーラを放ちだした。
「何で黙ってたのさ。何でそんな所でいびられながら働いているのさ」
「俺もそれ不思議。やめて別の所で働いたら?」
ユーリとノアで問い詰める。
「真面目に働いていれば、いつか必ず報われるって、叔父さんが言ってた。嫌だからって、すぐ逃げ出すのは間違っているって……」
「それさ、叔父さんが間違っているから。今いる環境で真面目に働いていても、いいことは無いよ。ずっと苦しいままだ」
「そ、そんなことないっ。オイラは叔父さんを信じるよっ」
ノアがにべもなく言い捨てたが、チャバックは聞き入れなかった。
「チャバック……この件に関しては僕もノアが正しいと思うよ」
ユーリが硬質な声で告げる。
「ちょっと先輩、この件に関してはって言い方。まるで俺がいつも変なことばかり言ってて、たまたまいいこと言ったような、そんな言い方。失礼にも程がある」
「私、ノアとこないだちょっと一緒に歩いた程度だけど、あんたはいつも変なこと言ってそうな子って印象なんよ……」
ノアがむっとして抗議すると、スィーニーが突っ込んだ。
「社長だって……意地悪も多いけど、それでもオイラのこと見放さずにいてくれる。お掃除の所と、宅配の所以外では……オイラあちこちで叱られて、クビにされてきたんだよう。でも、お掃除の会社の社長は……こんなオイラのこと、クビにせず雇ってくれてるのに……オイラの方から辞めるのは……」
「チャバック……だからといって、あんたが受けている仕打ちは見過ごしていいもんじゃない」
泣きべそをかきながら訴えるチャバックに、スィーニーが力強い声で言い切る。
「その通りだよ。このままいじめられていいわけがない。社長のやったことは立派な犯罪だ。許せない」
怒気を孕んだ声で同意するユーリ。
「先輩、また無闇に熱くなっている。どうどう」
「無闇にって何だよ? これは怒って然るべきだろ」
「わかってるけど落ち着いて」
ノアがユーリをなだめる。
「じゃあ……明日……オイラの口から、社長達にお願いしてみるよ……。もうオイラにひどいことしないでって」
「そんなお願い聞くようなら、最初からいじめたりピンハネしたりしない。無意味だよ」
「それでも……オイラ……やってみる……」
ノアが否定したが、チャバックは聞き入れなかった。
「どうする? チャバックにあのまま任せていいの?」
チャバックが立ち去ってから、スィーニーがユーリとノアを見て伺う。
「よくない」
「いいと思えない。口の中に洗剤入れるような人達、まともじゃないし、チャバックが心配だよ」
ノアとユーリが即座に答える。
「俺に任せて」
「あんたに~?」
名乗り出るノアを見て、スィーニーは不信感たっぷりな声をあげた。スィーニーのノアに対する印象はすこぶる悪い。普段の言動の悪さもそうだが、先日、ウルスラが舞台で行った奇行の際に、一人だけ立ち上がって絶賛して拍手した場面も目撃している。すでに相当おかしな子という認識だ。
「明日、チャバックを見張っておく。危ない雰囲気が見受けられたら、すぐに止める」
「ノアの申し出は嬉しいけど、僕も一緒に監視するよ」
「却下。先輩は辞めた方がいい。変な暴走癖があるから」
ユーリが申し出ると、ノアが笑顔であっさりと取り下げた。
「いや……それは……大丈夫だよ。暴走はしないからっ。抑えるよっ」
ユーリが食い下がる。
「私は今夜から明後日にかけて、ちょっと遠出する用があるから、二人にお願い」
「任された」
「うん」
両手を合わせるスィーニーに、ノアとユーリは揃って頷いた。




