10-5 自分を変えれば世界も変わる
ユーリの念話による連絡を受け、ミヤとノアは魔法を使って、カトリーヌとその夫を連れて、瞬時にスラムの中にある地獄へと連れてきた。
「ここは……? ひっ!? ひぃぃっ! ばばば化け物っ!」
悪魔達を見て慄くカトリーヌの夫。
「シルヴィアっ、無事だったのねっ。よかった……」
ウルスラを見て、カトリーヌが泣きそうな顔になる。
「さっきの話の続きよ。私達の踊りを見た後に、カトリーヌ、貴女も踊るの」
「わかったわ」
シルヴィアの要求を受け、カトリーヌは覚悟を決めた表情で頷いた。踊り子の衣装は流石に無いが、動きやすい服装をしてきている。
「そして悪魔達に採点してもらう。私達とカトリーヌ、どちらか点数の低い方が地獄に残って、ずっと悪魔に魂を囚われたまま、地獄で過ごすのよ」
「そ、そんな……」
にやにや笑いながら宣告するシルヴィア。夫は慄然とするが、カトリーヌは泰然と構えている。
「これ、本来の物語は、二択ではなく三択だったかもしれませんね」
ユーリがミヤに囁く。
「なるほど……そういうことかい」
「どういうこと?」
ミヤが納得するが、ノアはわからない。
「二人のシルヴィアとカトリーヌ、三人の誰かが地獄に残るストーリーだったんじゃないかって、思ったんだ。でもウルスラがシルヴィアの霊と接したことで、セットになってしまった」
ユーリが解説した。
「なるほど。理解」
「カトリーヌ視点では、ある意味余計に悲劇的な展開になったね。三人のうち誰かなら、カトリーヌと娘の二人共助かる可能性があったのに、幽霊のシルヴィアと娘がセットになった時点で、カトリーヌはどちらにしても娘と離れ離れになるんだよ」
曇り顏のキャットフェイスになるミヤ。
「自分が地獄に落ちるか、娘が地獄に落ちるかだね。いい様」
「ま、本当にそういう流れになるのかどうか、わからないけどね」
嬉しそうににんまりと微笑むノアを見て、ミヤは呆れと諦めが混ざった表情になった。
まずシルヴィアが踊る。次にウルスラが踊る。ミヤ、ユーリ、イリス、騎士達も感心する。カトリーヌも目を奪われる。悪魔達は拍手して高得点をつける。ノアは欠伸の連発だ。
「やっぱり現役のウルスラにはかなわないかな」
「そんなことない。シルヴィアも素敵だった。一緒に踊れて嬉しい」
互いに称え合うシルヴィアとウルスラ。悪魔の得点もウルスラの方が上だった。
「さ、カトリーヌの番よ」
シルヴィアに促され、カトリーヌが踊り出す。
「素人目に見ても差がわかるですー」
「ブランクあるようだしねえ」
イリスとミヤが冷めた声で言う。二人の少女の見事な踊りの後で、カトリーヌのいまいちな踊りを見せられ、ギャラリーのテンションはがた落ちになっていた。
「これも絵本の設定と言ったら身も蓋も無いかな。そもそも人喰い絵本が、本当に作り物の絵本なのかどうか、俺は疑問」
「それは儂も考えているよ。実際に存在する異世界で起こった出来事を、リピートしているんじゃないかってね」
ノアの考えに、ミヤが同意を示す。
カトリーヌの踊りが終わり、悪魔達が得点を出す。シルヴィアとウルスラと比べて、大分低い点数だった。
「はい、決まり。カトリーヌは地獄に居残りよ。悪魔達と仲良くね。皆優しいから、心配いらないけどね」
小気味よさそうに言い放つシルヴィア。
「別にいいわ……これで……シルヴィアが救われるなら。最期に、娘の前で記念に踊っておこうと思っただけ。そしてシルヴィア……貴女とのけじめのため」
ウルスラとシルヴィアを交互に見て、カトリーヌは憑き物が落ちたような顔で言った。
「シルヴィア、君もここから出られないよ。戻れるのはウルスラだけだ」
悪魔の一人が告げた。
「そっか、私は幽霊で、すでに地獄の住人だったんだ。ウルスラと一緒にいたかったけど、よりによってこれからカトリーヌと一緒かー」
シルヴィアがニヒルな笑みを零す。
「やめてくれーっ! カトリーヌを奪わないでくれーっ!」
夫が喚く。
「あんたら、助けてくれよ! カトリーヌを地獄に悪魔と置き去りなんかさせないでくれえっ!」
ミヤ達に縋りつく夫。
「ヘーイ、ミヤ殿、どしますー?」
イリスが伺う。
「ここでカトリーヌを引き渡して、それでおしまいってのもおかしな話だと思うね。だが――カトリーヌとしてはどうしたいんだい? これを因果応報だと、素直に受け入れるつもりかい?」
「本心は受け入れたくない……。娘を助けるために……と思ったけど、貴方達が助けてくれるなら、助けてもらいたい……お願い……」
ミヤに問われると、カトリーヌは涙声で嘆願する。
「というわけだ。カトリーヌを助けるために、働くとするよ」
「ひゃっはーっ、そうこなくっちゃーっ」
「やっと暴れられる。この時を待っていた」
ミヤの方針を聞いて、イリスが歓声をあげ、ノアも不敵な笑みを浮かべて進み出る。
「な、何よっ。やる気? この数の悪魔達に勝てると思ってるの? 死に急いで私の仲間になりたいのねっ」
戦意を剥き出しにするミヤ達を見て、シルヴィアが若干動揺気味にうそぶくと、悪魔達が一斉に立ち上がり前に進み出る。
戦闘の開始はイリスの飛翔によって行われた。真っ赤な地獄の空へと、イリスが一気に飛び上がる。
悪魔達が殺到するが、ユーリが魔力の塊をぶつけて吹き飛ばし、ノアは猛吹雪を吹かせて凍えつかせる。
上空に舞い上がったイリスが急降下して、最も大きく強そうな悪魔の頭部を、鈎爪で強襲した。イリスの攻撃を受けた悪魔の巨体が、うつ伏せに倒れる。
ミヤの念動力猫パンチが十人近い悪魔達をひとまとめに薙ぎ払い、悪魔達の体を何メートルも弾き飛ばす。
残った悪魔達はあっさりと逃げ出していった。
「最初からこうすればよかったのに、そうしなかったのも、絵本攻略のための話の流れが必要だからってこと?」
「そういうことだね。ユーリのやり方も、それはそれでありだけどね」
ノアの疑問に答えるミヤ。
「そ、そんな……」
あまりにもあっさりと悪魔達が負けてしまったので、シルヴィアは呆然とした顔で、へたりこんでしまった。
「シルヴィア……私が貴女の名前を子につけた理由、教えるわ」
カトリーヌがシルヴィアを見下ろし、話しかける。
「貴女に戻ってきてほしかったからよ」
カトリーヌの台詞を聞いて、シルヴィアは目を丸くして絶句したが、やがて憫笑を浮かべた。
「カトリーヌは……私の魂をお腹に宿したかったの? ふふふ……だったら的外れもいい所だったけど、そう……そんなつもりで私の名前をつけたんだ」
嘲り笑いかけたシルヴィアであったが、途中で笑みは消えた。大きく息を吐いてうなだれる。
「悪魔達もいなくなって、私は地獄で独りぼっち。カトリーヌ、これで満足した?」
「貴女を地獄から解放する方法を……何とかして見つけるわ。私の生涯をかけて」
皮肉っぽく言うシルヴィアに、カトリーヌが告げる。
「期待しないで待ってる。でも子育ての方をおろそかにしないようにね」
シルヴィアがカトリーヌに微笑みかけると、ウルスラの方を見た。
「ウルスラ、貴女と会え――」
シルヴィアの台詞は途中で途切れた。
周囲の風景が変化していた。おどろおどろしい地獄ではなく、劇場の控室に、シルヴィアとカトリーヌと夫以外の全員がいた。全員、元の世界に戻っていた。
「あれ? これで終わり? 何か唐突」
「絵本から出る時に、本来の絵本の結末も見られなかったのー」
ノアとミヤが訝る。ハッピーエンドの際は、絵本の本来の結末がどうだったか、脱出する際に映し出されない事もたまにある。
「両者で話がついて、それでおしまいって感じじゃないですかねー。ま、ハッピーエンドでいいんじゃないですかー。先発隊が全滅していたのは残念でしたけどー」
イリスが言う。
「ユーリの終わらせ方ではなくてよかったよ。なあ? そう思わないかい? ユーリや」
「ううう……すみません……。もう暴走したりしません」
嫌味を言うミヤに、しょんぼりとして謝るユーリ。
「シルヴィア……」
ウルスラは先程のシルヴィアのようにへたりこみ、涙ぐみながら虚空を見上げていた。
***
数日ぶりにウルスラが家に戻ると、両親が泣いて喜んで迎えた。
「うわああああんっ! ウルスラが無事戻ってきたわうあぁあん!」
「もう駄目かと思って心配したぞぉぉ! 明後日に大事な公演も控えているってのになあっ!」
「怪我とかしてない!? 舞台に差支えある怪我があったら大変よぉぉうぅう!」
「ほんげーっ! 精神面のケアも必要だぁぁぁっ! PTSDになんかなっていたら、演技にも踊りにも影響出るぅぅぅっ! 支障出ちゃうぅぅっ! 色々出ちゃうぅぅぅ! ケープ先生の出動だぁぁぁぁぁ!」
「そうねっ。生還したウルスラを明後日の公演に向けて、心身共にベストな状態に仕上げましょうっ。そうしましょうっ。よっしゃあっ」
「ウルスラ、今日はもうゆっくり休みなさい。明後日の公演のためにぃぃぃ」
ウルスラの両親は、ほぼいつも通りのノリでウルスラに接した。
(嗚呼……やっぱりそうなんだ。二人にとって大事なのは、娘のウルスラ以前に、劇団の踊り子で役者のウルスラなんだ)
ウルスラは心底げんなりした後、部屋に戻って一人になって、決意を固めた。
「シルヴィア、カトリーヌさん。貴女達と出会って、喋って、私……変われそう。いや、変えてみせる。私、変わるから」
虚空を見上げ、たっぷりと気合いを入れた声で呟くウルスラであった。
***
翌日、ウルスラの元にケープがカウンセリングに訪れたが――
「先生、もうカウンセリングは要りません」
ウルスラはケープを真っすぐと見据えて、明るい笑顔できっぱりと言い切った。
(どういうことなのかしら。今まで私が会ったウルスラとはまるで別人じゃない。凄く覇気と生気に満ち溢れている)
ウルスラの変貌を見て、ケープは不思議がる。
「明日の舞台、もしよかったらケープ先生も来てくれませんか?」
そう言ってウルスラは、ケープにチケットを渡した。
***
さらに翌日。公演の日。
ミヤ、ユーリ、ノア、イリス、同行した騎士二人にも、ウルスラからも舞台の招待状が届いていた。スィーニーも連れてきた。
「別に興味ないのになあ」
ノアはぶつぶつ言いながら、つまらなさそうに参加した。
舞台が始まった。主人公はウルスラだ。
ウルスラの演技と踊りを、ミヤもユーリもスィーニーもイリスも見入っている。少し離れた席で、ケープが若干心配そうに見守っている。ノアは何度も欠伸をしている。
やがて劇がクライマックスを迎える。ウルスラ一人の踊りで〆られる予定であった。
ウルスラが踊りだしてしばらくしてから、途中で踊りを止めた。かなり中途半端なタイミングだ。
「え? まさかこれで終わり~?」
「どうしたんでしょうね?」
「あれれ~? 何だかおかしなタイミングで終わってないかい?」
観客席がざわつく。ウルスラが突然踊るのを辞めたので、バックステージでも舞台関係者達が動揺しまくっている。
「皆さんに報告したいことがありまーす! 私はこの劇団で、毎日ずーっと、酷いいじめを受けてきました。どいつもこいつも、私の才能を妬んでいたようでーす。マリー、ガブリエル、ソノコ、お前達のことだよ! この腐れマ××共! 私に役取られたこと妬んで、私を毎日いじめやがって! 絶対許さなねーし、一生恨むし、仕返しに今ここで晒してやったし、ざまーみろだ! クソガキャー! 妬んで陰湿ないじめする前に、てめーらの無能を省みろや! この大根役者共! まざーふぁっかー!」
ひとしきり叫ぶと、ウルスラはバックステージの方を向いて、袖の裏にいる劇団の娘達に向かって、憤怒の形相で両手の中指を立てみせた。
「それからなあ、頭の中に糞ため込んだうちの馬鹿親! お前達は娘が大事じゃなくて、劇団の天才踊り子としてのウルスラが大事なだけなんだろうが! お前達に付き合うのもいい加減うんざりなんだよ! あすほーる! お前達みたいな、自分の子供を自慢の品みたいに思っている馬鹿親の元に生まれてきた事が、私の最大の不幸だ! 親ガチャは絶対にあるんだよ! 私は親ガチャ大外れ! お前達糞親から愛情感じたことなんて、十年生きてて一度も無かったわ! 私が精神病んでメンヘラ化して定期的に往診受けるようになったのも、お前等のプレッシャーのおかげだバカヤロー! もう沢山! 糞小便ゲロぶっかけられた方がましだっ!」
続いて、客席にいる両親を指して喚きたてるウルスラ。最後に両親に向かって首を掻っ切るポーズを取り、人差し指と中指の間で親指を抜き差しし、中指も立てておく。両親は揃って固まってしまっている。
「それから客席にいるインポ野郎共と、腐れマ〇コ共と、ロリコン変態のチンカス共と、短小包茎早漏の童貞豚の皆さーんっ、お前達に見せる踊りはもうねーから。私、もう劇団は辞めますね。こんな糞の掃きだめみてーな場所、うんざりでーす。普通の女の子になりまーす。今までありがとさままま。あー、すっきりした。あ、それと――」
たっぷり嘲りを込めてまくしたて、観客席に向かってあっかんべーをした後――
「はああぁあぁぁぁっ……すまんこ!」
叫びながらガニ股になって、体と垂直にした両手で股間を叩きながら、腰を大きく前に突き出すウルスラであった。
舞台の上の役者達も、バックステージのスタッフ達も、客席の全員も、呆然として固まっている。
しかしただ一人、満面に笑みをたたえ、立ち上がって激しく拍手する者がいた。
ノアだった。隣の席のユーリとミヤが、ノアを見上げる。ノアは心底感動に打ちひしがれ、朗らかな笑顔で、一人で称賛の拍手を叩き続けていた。
「最高! 素晴らしいよウルスラ! 心から感動した! ブラボー! エクセレンテ! ホーリーシッ! オーチンハラショー!」
思わず賛辞の歓声をあげてしまうノア。こんなに興奮したのは久しぶりのことである。母親を殺した時以来だ。ノア自身、無意識的に立って拍手して歓声を送った自分に対し、驚いている。
「ありがとさままままー! ノアーっ!」
ノアの方を向いて、笑顔で手を振って感謝を叫ぶウルスラだった。
十章はこれにて完




