10-3 ユーリはキレやすい子だから
「町の外れにあるスラム街が怪しいのではないかと言ってました。スラム区域の半分は、すでに人が住んでいません。数年前に暴動があった際、スラム住民の多くが掃討されましたから」
カトリーヌが答える。
「ここも絵本なのに設定細かいね。前に入った時もそうだった」
まるで本当に別世界に来ているようだと、ノアは思う。
「んでんで、どういう理由でスラムに行ったんですかねー?」
緩い口調でさらに尋ねるイリス。
「怪しい者が潜伏できるような場所は無いかと尋ねたので、心当たりとしてはそのスラムしか無いので、そう答えました。実際私達も噂に聞くだけで、訪れたことはありませんが」
「ほうほう、さらわれた娘さんがそこにいる可能性は大とー?」
「わかりません……。昨日の人達だけではなく、町役場にも届け出をして探してもらっています」
うつむき加減になるカトリーヌと、その肩に手を置く夫。
「今頃拷問とかされてるんじゃない?」
「そ、そんな……」
「何てことを言うんですっ」
楽しそうににやにや笑いながら言うノアに、カトリーヌが涙目になり、夫が声を荒げる。
「これ、ノア。ポイント2マイナス」
「ノア、絵本の住人だって心があるし、僕達と変わらないんだから、そんな酷いことを言うもんじゃないよ」
ミヤがポイントを引き、ユーリが注意する。
「大丈夫、絵本の中じゃなくても俺は同じこと言ってる」
「はーん? それはもっと悪いでしょーが、発言も考え方も変えなさいよー。おっと、魔法使い殿に口出し失礼ちゃーん」
イリスがおちゃらけた口調で注意した。
「シルヴィアの霊が再び来るのを待つか、スラムに捜索に行くか、あるいは二手に分かれるか、悩ましいところだが、お前達の考えは?」
「二手に分かれましょう」
ミヤが伺うと、間髪を容れずにユーリが答えた。
「ノアの加入と、最強の黒騎士であるイリスさんがいるので、戦力としては申し分ありません。二手に分かれても問題無いと見ていいと思います」
「そうだね。ただ、シルヴィアの霊の力がどれほどのものかわからない。それは念頭に置いているのかい?」
ユーリの意見に対し、ミヤがさらに突っ込んで伺う。
「御言葉ですが師匠、そんなこと言ったら何もできません。魔法使い三人の時点で戦力過剰とも言えますし」
「ふー……そのうち二人は半人前だけどね。ま、それでも並みの魔術師よりは全然強い。まあいい。儂が慎重になりすぎていたようだ。ユーリの案で行こう」
ユーリの主張を聞き、ミヤが決定した。
「で、どう分けるの?」
ノアが尋ねる。
「ユーリとイリスと騎士二名の四名で、スラムに捜索へ。儂とノアはこの家で、シルヴィアの霊が来たら迎え討つとしよう」
さらにミヤが決定した。
「そういう振り分け方にした理由は何? 師匠は俺のことあまり信じてないから、お目付けって感じ?」
「信じてないは言い過ぎだよ。儂はお前の戦闘スタイルもよくわかっていないし、指導することも多いからさ。そういった捻くれた受け取り方するもんじゃない。マイナス1だ」
ノアが少し不満げな表情で問うと、ミヤは厳しい声を発する。
「疑問に思ったから聞いたのに、そんな程度でマイナスするなんてひどくない?」
「ひどくないね。ひどいのはあんたの思考回路さ。そういう捻くれた考え方をおやめ。そういう考えでの発言は、他人に不快な思いをさせるのはもちろん、自分にも負を呼び込むよ」
さらに不機嫌になるノアに、さらに厳格な口調で叱りつけるミヤ。
「ノアって僕以上に師匠のマイナスを気にするんだね」
「気になるに決まってるよ。点数にされると結構響く。その分、プラス貰った時は嬉しいから、点数付け自体は嫌いじゃないけどさ。でもマイナスは簡単につけるくせに、プラスは凄く渋いよね」
おかしそうに微笑むユーリに、ノアが仏頂面で言った。
「厳しいとお言い。プラスが欲しければ、プラスするに相応しい言動を示しな」
ミヤが言ったその時、ほのかに妖気が漂い、カトリーヌとその夫以外が警戒モードに入る。
「おげーっ。ふげーっ。ぼげーっ」
赤ん坊も妖気を感じ取って、激しく泣きだした。妖気はどんどん濃くなっていく。カトリーヌと夫は、騎士と魔法使い達の雰囲気の変化を見て、動揺している。
「窓の外だ」
ミヤが告げた直後、窓ガラスが割れた。
内側に向けて吹き飛んだガラスの破片は、ミヤが魔法で全て止めた。空中で止まったガラスの破片が、一気に床に落ちて行く。
窓の外に二人の少女が浮いていた。
「シルヴィア!」
「あ、ウルスラだ」
カトリーヌが叫び、ノアが呟く。カトリーヌと夫の目には、二人のシルヴィアが空中浮遊しているように見えるが、魔法使いと騎士達の目には、少女の一人はウルスラに見えている。
「おおっと、これは、二手に分ける必要無くなりましたー?」
「まだわからんし、取り敢えず向こうの話を聞いてみようじゃないか」
「ウルスラちゃんの様子も何かおかしいですしねー。シルヴィアちゃんに洗脳されたとか、そんなパターンですかねー」
イリスとミヤが言う。
「ウルスラ……確かに様子が変だね。隣にいるシルヴィアと同じ表情してる」
「イリスさんの言う通り、洗脳されたのかな?」
ユーリとノアが言う。
「ふん、どうやらあれは、同調しているみたいだよ。洗脳とは微妙に違う」
「同調? ジャン・アンリの時のように?」
ミヤの台詞を聞き、ユーリが尋ねた。
「同調は同調だが、あれともまた毛色が少し違うね。そもそもジャン・アンリが吸い込まれたケースは、かなり特殊だよ。お鼠様の役をジャン・アンリが務めるはずだったんだろうに、どういうわけかお鼠様も同時に存在していた。『被り』って奴さ」
絵本の登場人物の役を担った際、該当するキャラは消える。しかし担ったキャラと、吸い込まれた役の担い手が、同時に二人、絵本の中に存在するというケースも、ごく稀に有る。ジャン・アンリとお鼠様が正にそれであり、二人のお鼠様がいることになってしまっていた。
「まーた来たの? ウルスラと同じ世界の住人。絵本の外からウルスラを助けにとか、余計なことをしに。そんなことしなくていいのよ。ウルスラはもう、私とずっと一緒にいるって決めたんだから」
いつまでもひそひそと喋り合っているだけのミヤ達に、シルヴィアが声をかけた。
「絵本の住人が、こっちのことを認識してる? しかも絵本の存在も知ってる」
「これまた珍しいケースだけど、無いこともないですよー」
不思議がるノアに、イリスが言う。
「シルヴィアっ、私の娘をどうするつもりなの!?」
「カトリーヌ……貴女の娘はもうシルヴィアじゃない。そんな名前じゃない。ウルスラよ」
カトリーヌが叫ぶと、シルヴィアが冷たい声で告げる。
「な、何言ってるの?」
「同じ名前が二つでややこしいってのもあるけど、本人がそう言ってるんだからそうなるのっ。ねー? ウルスラ?」
「うん。ま、そういうことで」
シルヴィアがウルスラの頬を撫で、ウルスラは照れ臭そうに微笑みながら頷いた。
「ウルスラは私と同じなのよ。カトリーヌ。同じ劇団の、貴女みたいな才能の無い屑に妬まれ、ずっといじめられて、苦しんでいたの」
「本当なの!? シルヴィア!?」
シルヴィアの言葉に驚いて、カトリーヌはウルスラを見た。
「だからウルスラだってば」
シルヴィアが苦笑する。
「本当……だ」
答えたのはウルスラではなく、カトリーヌの夫だった。
「あなた? どういうこと……?」
カトリーヌが夫を見る。
「シルヴィアは私に訴えていた。しかし母さんには言うなと言って、黙らせた。いじめていた同僚が私の商売のお得意先の娘だったんだ……」
「何てこと……」
夫の話を聞いてカトリーヌは愕然とした。ユーリとノアとイリスは、夫を白い目で見ている。
「何で私には言ってくれずに、この人に話したの……?」
カトリーヌがウルスラを見て尋ねる。
「父さんに口止めされるまでもなく、母さんに言うつもりはなかった。母さんは……弱いから、ショックだろうと思って話さなかった」
ウルスラはあえて娘のシルヴィアを演じてみせた。
「どうやらカトリーヌの娘シルヴィアの記憶と感情、ウルスラも共有しているようだね」
ウルスラの言動から、ミヤはそう判断する。
「仕方がなかったんだ……。私にはどうにも出来ない……。シルヴィアに我慢してもらうしかないだろ。私の体面というものが……」
「体面のために、臭い物に蓋するかのようにして……娘に我慢を強いて、苦しませておいたのか。勝手すぎるだろ! あんたそれでも親か!」
苦しげに釈明する夫に、ユーリが立ち上がって激昂した。
「うおー、ユーリ君熱いぃっ。まるで英雄譚の主人公っ。いいねいいね、いいですよー」
「よくないよ。話の腰を折るんじゃないよ。すぐに頭に血上らすんじゃないとも言ってるだろ。ポイント2引いとくよ」
イリスが囃し立て、ミヤは溜息をついて言った。
「すみません……」
謝罪して座るユーリ。
(俺と同じように親に振り回されて不幸……か。でもちょっと違うような気も)
シルヴィアとウルスラの境遇を知り、自分の境遇を重ねる一方で、違和感を覚えるノアであった。
「それで、何の用だい。そろそろ本題に入りなよ」
ミヤが促す。
「母さん、父さん、私とシルヴィアの踊りを見にきてほしい。二人で踊るから。そして二人のシルヴィアに償って」
シルヴィアがカトリーヌに向かって告げると、ミヤ達の方を向いた。
「私を助けにきた人達も、よかったら見にきて。私達は地獄にいる」
ウルスラがそう告げる。
シルヴィアはまたカトリーヌの方を見る。
「見ることが償いになるの?」
不安げな顔で尋ねるカトリーヌ。
「その後でカトリーヌ、あんたも踊って貰うわ。ああ、衣装は踊りやすければ何でもいいわ」
「私はもう、とうの昔に引退してるのよ?」
「だから何? 要求に応じないなら、貴女の元に、貴女の娘のシルヴィアは帰らないわよ?」
シルヴィアが嘲笑を浮かべて言ったその瞬間、シルヴィアの体が凄まじい衝撃で吹き飛ばされ、その場にいる全員が驚いた。
否、ユーリだけは驚いていない。何しろユーリが魔法でシルヴィアを攻撃したのだから。
「こらっ、ユーリ!? 何してる!?」
ミヤがユーリに怒鳴る。
「どっちもこっちも勝手だね。同情はするけど、茶番に付き合っていたら、救える者も救えない」
「シルヴィア!」
ウルスラが悲鳴をあげ、吹き飛んだシルヴィアの方に向かって飛ぶ。
そのままシルヴィアとウルスラは、空を飛んでいって逃走した。
「ユーリ君、この話の流れだと、二人が踊りを披露して、カトリーヌさんが見るという流れを遮断してしまっては、絵本を抜け出る方向に、話が進まないんじゃないですかー?」
「僕はそうは思いません」
イリスの言葉を否定するユーリ。
「ここで物語を強引に途切れさせて、それで脱出も出来そうですよ。物語を進めなくても、ハッピーエンドにしなくても、主要人物を討伐することで、物語を強引に終わらせて脱出する事も出来ますし、ここで幽霊のシルヴィアの思い通りにさせてしまう方が、危険ですよ」
「儂はそうは思わんな……。ユーリ、その判断は短絡的かつ性急すぎるよ。急いては事を仕損じるの典型じゃ」
ユーリの主張を聞き、ミヤは穏やかな声で諭す。
「主要人物の殺害によって脱出を図るのは、物語を進めそこなった時や、進め方がわからなくなった時にした方がいい。いつもそうやっていただろ? 何でこのタイミングで強引に締めくくろうとする?」
「すみません……。師匠の言う通りです。少し答えを導くのに急ぎすぎました。誰も彼も身勝手で……シルヴィアだって結局復讐したいだけですし」
静かな口調でミヤが問うと、ユーリはうなだれてそう答えた。
「ユーリ君、どうしちゃったんでしょー」
イリスがノアの側にやってきて囁く。
「苛々していたせいもあるんじゃない? 先輩が絶対に間違っているとは思わないけど、今の局面では、師匠やイリスの言う方が正しいように、俺も感じられた。だってさ、こんな中途半端に話が終わってもつまらないじゃない」
ノアがユーリの方を向いて言った。
「何より、同調しているウルスラが危険だよ。元の世界に戻っても、イレギュラーとして、シルヴィアと同調しっぱなしになるかもしれない。そこまで考えなかったなんて、お前らしくないね」
と、ミヤ。
「しかし……何故お前はそう急に暴走するんだい」
「自分でもわかりません……」
「そのうえ何度言っても、単純な二元論で計ろうとする。世界は善いことと悪いことの二つだけで、簡単に分けられるもんじゃないよ。小さい頃から駄目だと言い続けてるのに……。いや、言い過ぎたからこそ反発しているのかい?」
「そうでは……ないと思います」
ミヤに問い詰められ、ユーリは言葉少なに否定する。
「さて……ユーリのせいで話がややこしくなってしまったね。カトリーヌと旦那を連れて、シルヴィアとウルスラの元に行こうにも、行き場所を聞き逃しちまったし、ユーリが途中で攻撃したせいで、踊りを見る云々の話もどこかに吹っ飛んじまって、どうなるかわからなくなっちまったね」
ミヤが状況をまとめる。
「本当にごめんなさい……」
立ち上がり、深々と頭を下げて謝罪するユーリ。
「すまんこって言おう」
「え? 何それ……?」
ノアが謎のリクエストを出し、戸惑うユーリ。
「仕方ないから当初の予定通りでいくよ。シルヴィア達はまたカトリーヌの前に現れるだろうさ。その間にスラムとやらに行って、先発隊の安否を探る」
「ま、戻ってこない時点で……望みは薄いんだけどねー」
ミヤが方針を口にすると、イリスが投げ槍に言った。




