1-2 精神の限界? なら蝉の真似をしよう!
「確かにこの絵本の中に嬲り神がいるね。もしくは最近までいたね。気を付けな」
ミヤがゴートを見上げて注意を促す。絵本世界に入る時、絵本の内容がおかしかった。あのようなふざけた内容になっているのは、『嬲り神』という、人喰い絵本内に現れる超越者的存在の干渉があった証明だ。そうなると、絵本の内容は本来の物から変化し、攻略がさらに困難になる。
「嬲り神の干渉があったとすると、宝石百足殿の助力も期待できませんか?」
ゴートがミヤに伺う。
「不可能では無かろうが、期待は薄いだろうね。嬲り神の力が働いている世界では、あの露骨なデウス・エクス・マキナ――宝石百足の力をもってしても、救出が難しくなるらしいからの」
ミヤが言った。人喰い絵本に干渉し、物語を歪めて難易度を上げる嬲り神という存在があるが、それとは対照的に、人喰い絵本に吸い込まれた者を救助し、元の世界に送り返してくれる者もいる。それが『宝石百足』だ。嬲り神と宝石百足は、複数の人喰い絵本を跨いで現れる存在であり、彼等は『イレギュラー』と呼ばれている。
宝石百足によって救助の手が差し伸べられれば、人喰い絵本に吸い込まれた者達も、救助に入った者も、全て元の世界へと戻される。ただし、それまでの間に死んでいなければの話であるが。
「絵本の内容は、どこまで原典通りで、どこからが改ざんされたものなのでしょうね?」
ゴートが疑問を呈する。
「暗殺者が婆やを脅した辺りまではまともなんじゃないでしょうか。その先が改ざんされていそうです」
「脅威となるのは、召使いの婆や、王様。吸い込まれた被害者が演じる役は、暗殺者あたりかねえ? あるいは王様に殺される家臣という可能性もあるよ」
ユーリとミヤが私見を述べた。
「王城を目指しましょう」
ゴートが平野の先に見える都市を見て言い、歩き出した。他の四名も続く。
「ユーリ、今回のミッションの最優先は被害者の救出として、何をすべきか、わかるね?」
ミヤが歩きながら、新参騎士達に問いかける。
「はい。召使いの婆やを討伐する。あるいは絵本のストーリーをある程度は正常に進めたうえで、バッドエンドは回避する。この二つのどちらかですね」
「うむ。改ざん前に戻す形でストーリーを進めるか、改ざんした嬲り神の思惑通りにストーリーを進めるか、という分岐もあるけどね」
新参騎士の一人の答えを聞いて、ミヤは付け加えた。
「改ざん前にストーリーを戻せるのですか?」
「改ざん前とオリジナルとで、どこかに必ず歪が生じている。そこにヒントがある。その歪を突く所で、高い確率で元の絵本に戻せるのさ。確実性は無いけどね」
他の新参騎士が尋ね、またミヤが答える。
「我々が絵本の登場人物になる気配はありませんな」
「つまり、最初に吸いこまれた者か、あるいは昨日に救助に入った者は、まだ生きているという事だ」
ゴートとミヤが言う。
人喰い絵本の中に最初に吸いこまれた者は、最低一人、物語の登場人物になってしまう。大体は服装が変わるだけで、容姿に変化は無い。そして物語通りの進行が起こる。
もし登場人物が死ぬ話である場合は、登場人物に成り代わった者も、抗わなければ死に追いやられる。そして人喰い絵本が現れて人が吸い込まれた際、死に導かれる可能性は非常に高い。故に魔術師と騎士による救出が必要となる。
登場人物になった者が死ぬと、人喰い絵本に吸い込まれた別の誰かかが、また登場人物の服を着せられ、その役割を与えられる。
人喰い絵本の脱出方法は幾つかある。一つは物語を進行させて、吸い込まれた者の死を回避する形で、物語を終わらせること。ただし、物語にそのまま従う形だと悲劇的な結末を迎えるし、キャラクターの役割を担わされた者が死ぬ可能性も高まるので、悲劇的結末はできるだけ回避した方がよい。できればハッピーエンドに修正する形が望ましい。
もう一つは、物語の鍵となっている存在を排除し、物語が進行できなくなるようにする。これは強引な終わらせ方だ。
他にも幾つか脱出方法はあるが、解決方法としては、主にこの二つを選ぶ。これらの方法を行うことで、人喰い絵本の中に入った者は全員解放されて元の世界に戻り、人喰い絵本の入口である歪みも消えるという流れだ。
不意にミヤが足を止め、空を見上げた。
「何か来るよ。気を付けな」
他の面々も足を止めて、ミヤの視線の先を見ると、何者かが猛スピードで空を飛んできた。
「うおりゃああぁぁーっ! お掃除開始でーす!」
メイド服姿の老婆が喜悦満面で空中を走り、雄叫びをあげながらユーリ達のいる方へと突っ込んで来る。手にははたきを持っている。
危険を感じたユーリが、不可視の魔力障壁を張る。
空中を走りながら一直線に突っ込んできた老婆は、ユーリが張った障壁が見えているかのように、途中で横に直角に曲がり、壁を横から回り込んできた。
ユーリは慌てる事無く、空を走るメイド老婆めがけて、十本近くの魔力の矢を撃ちこんだ。
(呪文も使わずに……これが魔法使い……)
初めて魔法使いと魔法を見て、新参騎士は驚いていた。
魔術師は魔術を発動する際に、呪文を唱える。身振り手振りの動作が必要となる事もある。触媒も必要となる。自身の魔力を消耗する。しかし魔法使いは魔法を使う際、呪文も触媒も印を組む動作も一切不要だ。魔力の消耗も魔術師に比べて少なくて済む。
「あひゃーっひゃひゃひゃひゃひゃーっ! ぬるいぬるーい!」
老婆はけたたましく笑いながら、光の矢をはたきで弾き飛ばして、ユーリへと迫る。
「危ないっ!」
騎士が叫び、ユーリの前に出て、身をもってユーリをかばう。さらにもう一人の騎士も少し遅れて、ユーリと老婆の間に割って入る。
(駄目だよ……。そんなことしたら殺されるだけなのに……)
ユーリもそれなりに修羅場をくぐってきたので、この老婆の危険さはすぐにわかった。騎士達の行為は、余計なお世話だ。ユーリは自分の身くらいなら守る事ができるが、自分を護ろうとして飛び出した騎士二人までは、護れそうにない。
老婆が騎士の一人に飛びかかり、騎士の頭部めがけてはたきを振り下ろさんとする。その人間離れした速度に、若い騎士は反応しきれていなかった。
ユーリが騎士の前に不可視の盾を発生させて、老婆の振り下ろしたはたきを弾いた。
一瞬怪訝な顔になった老婆だが、すぐに気を取り直し、もう一人の騎士へと飛びかかる。
「ふん、やらせるかいっ」
ミヤが声をあげ、魔法を使った。空間に亀裂が走ったかと思うと、老婆の体を大きく吹き飛ばした。
「ちっ……しくじっちまったよ……」
忌々しげに舌打ちするミヤ。老婆を魔法で吹き飛ばし、もう一人の騎士を護れたかと思ったが、護れていなかった。
「ほげ……?」
頭にはたきが突き刺さった新参騎士が、白目を剥き、頭から血を流しながら、上擦った声をあげる。老婆が投げたはたきが、騎士の頭を貫通していた。はたきで冑ごと頭を貫かれるというシュールな格好で倒れ、騎士は果てる。
「おっほーうっ! 王様を狙う不届き者、成敗完了でーすッ! ぬははっ! しかし多勢に無勢のようですし、ここは一旦出直しますことよーっ!」
歓声をあげ、老婆は高速で空中を駆けていく。行き先は都市だ。
「ふん、中々手強い相手じゃないか」
老婆の後姿を見送り、ミヤが鼻を鳴らす。
「物語の登場人物に投影しているわけでもないのに、問答無用で襲ってきましたね」
「嬲り神の干渉で、物語そのものが歪められているせいだよ。人喰い絵本の定石が通じなくなっているね」
ゴートとミヤが揃って渋い表情になって言った。
「師匠……申し訳ありません。護れなくて」
新参騎士の亡骸に向かって祈りを捧げながら、ユーリが謝罪する。
「お前だけの責任じゃないよ。儂もしくじっちまったからね。お前はポイントマイナス1。儂はポイント5くらい引いておくかね」
ミヤが皮肉めいた口調で告げた。
「魔術師殿を護るのは我々の役目です。ミヤ様達は魔法使いですが。それを果たせず、悪い意味で果てるなど、騎士として情けないことしきりです」
新参騎士の亡骸を見やり、厳粛な口調で言うゴート。
人喰い絵本の対処の際、メインとなるのは魔術師だ。だがその際に必ず騎士が同行し、命がけで魔術師を護る役割を担う。
「あの空飛ぶ婆や、我々に問答無用で攻撃してきた時点で、情けをかける必要も無いですな」
「そうだね……げほっ! ごほっ。けんっ。けんっけんっ!」
ゴートとの会話途中で、ミヤが突然苦しそうに咳き込み始めた。
「ミヤ殿?」
(師匠が咳を……不味い……)
ゴートが訝り、ユーリは素早く頭を巡らした。
「ゴートさん、師匠を頼みます。僕はあの老婆を追います」
ユーリが早口で告げると、魔法を使って空を飛び、都市に向かう。
「これっ、一人で行く奴があるかっ! ポイントマイナス6! げほっ!」
ミヤが叫んだ後、激しく咳き込み、血を吐き出した。
「ミヤ様……体調が優れぬのですか?」
ミヤの喀血を目撃したゴートが、重々しい声で尋ねる。
「ゴートや……頼む。血を吐いた事は、ユーリには黙っておいておくれ……」
「わかりました……」
今まで一度として聞いたことのない、ミヤの弱々しい声を耳にしたゴートは、恭しく頭を垂れる。
「情けないったらありゃしないね。あっちの婆はあんなに元気いっぱいなのに、こっちの婆は棺桶に片足突っ込んじまってる。やれやれ……」
自嘲するミヤ。
「ゴートよ、ユーリの今の行動、如何に思うね?」
「無謀に突っ走った――と思う者もいるかもしれませんが、私はそう思いませんね。最適解です。そしてわずかな時間でその答えに行き着き、即座に実行しました。これもミヤ様の教えですか」
ミヤの問いかけに、ゴートが思ったことを正直に口にした。
「いい答えだ。ポイント1くれてやるよ。状況を考えれば、ああするのが正解だろうさ。しかし……あ奴はポイントマイナス6じゃ。儂を役立たずの婆扱いしよったからのー。後でたっぷりお仕置きしてやらねば」
「ミヤ様、それはどうかと。勘弁してあげてくださいませ」
ミヤの言葉を聞き、ゴートが笑った。
***
飛んでいった婆やは途中で見失ってしまったが、王に仕える婆やなのだから、王城にいる可能性が高いと踏み、ユーリは都市めがけて飛ぶ。
「おーいっ! おーい!」
ユーリが空を飛びながら都市の領域に入った所で、空中のユーリに向かって両手を振るい、呼びかける者がいた。
(あれは……)
手を振っている青年の姿に、ユーリは見覚えがあった。人喰い絵本に入る際に見た、絵本の映像の中にいた、暗殺者の格好をしている。
ユーリが青年の前に降りると、青年はユーリを見て、安堵したように微笑んでいた。
青年が腰から吊るしているのは、黒騎士団の剣だ。つまりこの青年は、救出対象の騎士だと、ユーリは判断する。
「僕は魔法使いミヤの弟子のユーリと申します。救出に来ました。貴方は昨日、この人喰い絵本に入った騎士さんですよね?」
「はい、黒騎士団のアベルと申します」
一礼する青年騎士の名を聞いて、ユーリは先程蝉の真似をしていた中年貴族を思い出す。
「ああ、貴方が……」
「私を存じておられるのですか?」
ユーリのその一言を聞いて、アベルが尋ねる。
「その……外でお父さんが心配なされていましたので、その時に名を聞いて……」
「父はみっともなく喚いていたでしょう?」
ユーリの話を聞いて、アベルは思いっきり苦笑いを浮かべた。
「ええ……」
「どんな感じでした?」
「両手をぶんぶん振り回して叫んでいました。そのうち木にしがみついて、泣きながら蝉の真似をして、平民に家族皆を奪われたと――」
言ってからユーリはしまったと思った。蝉の真似をしていた事は、伝えない方がよかったかもしれないと。
「やはり父はそのような意識ですか。ああ、蝉の真似はいつものことです。父はある悲劇をきっかけに、心が壊れてしまいました。時々おかしくなって、奇行に及ぶのです。蝉の真似は特にお気に入りのようですね。精神が崩壊寸前になると、蝉の真似をして、精神の崩壊を食い止めるのです」
「そ、そうですか……」
にこやかな笑顔で父親の異常性について語るアベルに、ユーリは鼻白む。蝉の真似をしている時点で、もう精神崩壊しているのではないのかと思ったが、口には出さないでおいた。
「父は『選民派』ですが、私は『正道派』です。貴族には平民を護る義務があります」
アベルが己の胸を拳で軽く叩き、力強い声で言いきる。
ア・ハイ群島は、貴族達による議会制によって政治が行われている。元々は王政であったが、王政はユーリが生まれるより前に排除された。
貴族は大きく二つの派閥に分かれている。選民派と正道派だ。
選民派は文字通り選民思想が強く、何かと搾取をしたがり、平民を慮る事が無い。王政が排除されてしばらくの間、彼等が台頭したおかげで、ア・ハイ群島は格差社会が酷くなったと言っても過言ではない。
正道派は、貴族は平民を護る義務があると考え、格差の是正を訴える者達だ。騎士団は全て正道派である。現在は正道派の勢力が増しているが、それでもア・ハイ群島の法は、持てる者にとって圧倒的有利に出来ており、中々改善できないのが現状だ。
「父も元々正道派だったのです。ある時、平民の一揆が起こり、父が説得しようとしたのですが、暴徒と化した民衆に、私の母と祖母と兄を殺されて、その悲しみと恨みによる反動で、激しい選民派になってしまったのですよ。ですが私はかつての父の意思を引き継ぎました」
「では、御父上のためにも、アベルさんは必ず生きて帰りましょう。そうでないと、本当にアベルさんの御父上は、平民に家族皆を殺されたという意識を引きずって生きていくことになってしまいますし」
「お気遣いありがとうございます。ユーリ殿」
笑顔で力強く告げるユーリに、アベルもにっこりと笑った。
「私は入った瞬間、この暗殺者の格好になりました。一緒に入った同僚の騎士と魔術師の方々は全員、あの婆やに殺されてしまいした。残っているのは私だけです。今、自分は王を殺す暗殺者の役目を担っていますから、婆やか王のどちらかに接近することで、話の進行があると思われます」
アベルが自分の推測を交えて、現状を伝える。
「最初に引きずり込まれた被害者も暗殺者――あるいは家臣の役を与えられている可能性が高い……かな?」
ユーリが勘繰る。人喰い絵本出現時に絵本の中に引きずり込まれた人は、死ぬ役になる事が多い。入る際に見た絵本の内容では、物語を動かすのは暗殺者なので、今回の被害者もアベル同様、暗殺者になっているのではないかと、ユーリは推測した。
そしてアベルだけが入った瞬間に物語の役割を与えられたという事は、被害者はすでに死んでいる可能性が高い。被害者が死んだからこそ、後から入った者に新たに役割を担わせたのだ。人喰い絵本はそういうシステムである。
「あの婆やに、同胞も魔術師殿も全て殺されて、途方に暮れていた次第です」
「僕は婆やを追ってきました。あれは危険ですし、一旦、王様を見つけ出して、物語をハッピーエンドにする手がかりを、王様から探ってみる方がよいかもしれません」
「しかしある意味皮肉ですね。貴族の手で王政を廃止されたこのア・ハイ群島で、貴族の私が王を殺す暗殺者の役を担うなんて」
冗談めかして微笑むアベルだが、何がおかしいのかユーリにはわからなかった。
「ところでユーリ殿もお一人なのですか? 他の――」
「いえ、ゴートさんと師匠と他の騎士さん達と共に来ましたが……」
ユーリは言葉を濁した。単独行動に走った理由は、体調を崩したミヤを慮ったが故だ。
「確かにあの婆やは手強かったです」
「魔法使いのユーリ殿にも手強いと言わしめるとは……」
「修行中の身ですけどね」
神妙な顔になるアベルに、ユーリは気恥ずかしさを覚える。
「では王城に向かうとしましょう。ユーリ殿はこれより私が守護します」
「よろしくお願いします。アベルさん」
優雅に一礼するアベルに、ユーリもお辞儀を返した。