9-4 無自覚差別
ユーリ達が劇場を出た時にはもう日が暮れていた。
ユーリ、ノア、スィーニーの三名は、ブラッシーに改めて礼を告げ、別れた。
ノアにチャバックを紹介しに行くため、三人で旧鉱山区下層へと向かう。
「別の先輩の友達を俺に、無理に紹介してくれなくてもいいんだけど?」
不思議そうな顔で疑問を口にするノア。
「だからさあ……あんたって何でそんな捻くれてるわけ? 憎まれ口も多いしさあ……」
スィーニーがノアを睨み、怒気を帯びた声を発する。
「憎まれ口? だって、どうしてそんなことするのかわからない」
不思議そうな顔のまま、さらなる疑問を口にするノア。
「あんた今まで友達誰もいなかったの?」
邪気の無いノアを見て、スィーニーは真面目に問うた。
「えっと……」
どう説明したらいいかと悩むユーリ。
「いなかった。俺、おかしいのかな? おかしいんだろうな。人とまともに接すること、出来ないんだろうね。不愉快な思いさせたらすまんこ」
「そっか。それなら人との接し方は素直に学んでね」
ノアの話を聞き、スィーニーは小さく息を吐いて微笑みかける。
三人が旧鉱山区下層に入り、チャバックが務めている清掃会社に向かう途中、とぼとぼと歩いているチャバックを発見する。
「おいすー。今日はあがるの早いのね」
スィーニーが声をかけると、チャバックはふらふらと歩いたまま顔を上げる。
チャバックの虚ろな表情を見て、スィーニーとユーリはぎょっとした。
「どうしたんだい? チャバック」
「ごめん……気持ち悪いから……仕事おしまいで……オイラ……帰るとこ……」
ユーリが尋ねると、チャバックは力無く暗い声でそう答え、三人の横を通り過ぎた。
「今の子。よくないね。顔つきが異常だ。確かに気持ち悪いオーラ出てたし」
「あんたいい加減にしなよっ!」
ノアの台詞を聞いて、スィーニーが思わず声を荒げる。
「二人は思わなかったの? 気持ち悪いオーラが出てたよ。あれはよくないよ。あの感じがわからない? 顔つきがどう見てもおかしかったし。病気なのか、ショックなことがあったのかわからないけど、凄くヤバい。ていうかスィーニーは何で怒るの?」
「え……いや……顔のことけなしているのかと思ってさ……。顔つきか……」
ノアの言葉の真意を聞いて、スィーニーは苦笑する。
「はあ……そういう風に結び付けるスィーニーこそ、どうかと思うね。人の顔のこと差別的に見ている証拠」
「ぐぬぬぬ……こ、こいつぅ……。あんたの言い方がややこしかったから悪いんじゃないのっ」
肩を落として半眼になるノアに、スィーニーは憮然とする。
「そうかな? そうだったらごめん」
「そうかなってあんた……」
「スィーニーはそんな子じゃないよ。それに、ノアの言う通り、チャバックはおかしかった。何かあったんだと思う。話を聞こう」
ユーリが決定し、三人はチャバックの家に向かったが――
「会いたくない……ごめんなさい。元気になったらで……」
チャバックは扉も空けず、外に出ることも拒んだ。
「せめて魔法だけでもかけさせて。身体の調子が悪いなら、癒しの魔法をかけるからさ」
「わかったよう……」
ユーリに要求され、チャバックが扉を開ける。
チャバックの家に入って、ユーリは複数の魔法をかける
「解析したけど、体に目立った異常はない。疲労回復の魔法もかけたけど、精神的なものみたいだから、意味は薄いかもね」
「先輩何言ってるの? 頭ぽんこつ? 目がぐるぐる? 異常はあるだろ? 脚の障害とか。手だっておかしいよね?」
「それは僕の魔法では治せないんだ……。何しろ生まれついての障害だ。師匠でさえ難しいって言ってたよ」
ノアに指摘されると、ユーリは困り顔で答えた。
チャバックの家を出た所で、ユーリは両手を合わせ、祈りを捧げる。
「何してるの?」
ノアがユーリを見て訝る。
「チャバックが元気が出ますようにって祈ってたんだ」
「何に? 神様? 神様なんか信じてるの?」
「ほらほら、また棘のある言い方してる。なんかって言い方、小馬鹿にしているみたいで感じ悪いんよ」
ノアの言葉遣いをスィーニーが注意する。
「そうなのかな……。俺、喋り方、そんなに棘ある?」
「結構感じるね。注意してくれる人いなかったん?」
「いない。ずっと母さんと一緒だったし。母さんも俺の言葉遣いを色々と注意はしていたけど、棘があるとか、そんな注意はしてこなかった」
「そうだったのね……」
ノアの話を聞いて、ノアはおかしな家庭環境でこうなってしまったのではないかと、スィーニーは勘繰った。
「そのお母さんてのは、もしかして……」
「もういない。ついこないだ俺が殺したよ。すっとした」
「……」
母が死んで、それでミヤの家に引き取られたのかと思って、恐る恐る尋ねたスィーニーであるが、爽やかな笑顔であっさりと答えたノアに、絶句してしまう。
「ノア……その話はあまり外でしないようにって言ったよね?」
「あ、そうだった。すっかり忘れてた。俺の人生がスーパーハッピーになった記念すべき出来事だから、ついつい自慢したくなっちゃうんだ」
ユーリが困り顔で注意すると、ノアはドヤ顔で胸を逸らしてのたまい、それを見たスィーニーはぽかんと口を開いたまま絶句し続けていた。
***
チャバックの家の中は綺麗に掃除が行き届いている。家の掃除は健康に関わる大事な事だからちゃんとするようにと、ケープにしつこく念押しされているため、チャバックは毎日掃除をかかさなかった。
まだ眠るには早い時間だが、チャバックはベッドに寝転がって、明かりも消していた。
チャバックは欝になっていた。清掃会社でのいじめに、相当精神がやられてしまっている。今日はどういうわけか社長が優しかったが、あれでいじめが止んだとは思わないし、思えない。そして彼等の物理的な暴力よりも、言葉の暴力に傷ついている。
(お前は頑張り屋さんだ。頑張っていれば、きっと人に認められる)
脳裏に優しい声と笑顔が蘇る。
「叔父さん……叔父さんの言う通りにしてるけど……」
幼い頃からチャバックを可愛がり、励まし、護ってくれた人物を思い出し、涙する。
やがて眠りに落ちたチャバックが、見覚えのある光景を目にする。薄暗い廃鉱の中だ。
(ここは……人喰い絵本の中?)
かつてスィーニーと共に人喰い絵本の中に吸い込まれ、目指した場所に、チャバックはいた。
「ぐったりチャバックすぐおねむ~♪ 限界チャバックもうだめぽ~?♪」
おかしな歌が廃鉱の中に響き渡る。
大量のゴミを引きずり、嬲り神がチャバックの目の前に現れた。
「オイラ、また人喰い絵本の中に入ったの?」
「ちげーよ。ここは夢の世界――お前の夢の中だ。へへへ。俺がお前の夢の中に入っているだけさ。そしてお前の夢をちょっとだけ書き換えてやった。これって結構力を使うんだぜ?」
チャバックの問いに、嬲り神がへらへら笑いながら答える。
「チャバック、人喰い絵本の中に入ったことを、ジヘのことを覚えているか?」
嬲り神がいつになく真剣な声で問うた。
「うん」
「お前のおかげでジヘ達は救われた。あの絵本は悲劇から救われた。あの世界に吸い込まれたお前が頑張らなければ、ジヘ達は悲惨な最期を遂げていた。俺はよう、お前達を引きずり込むことも、絵本を多少操作することも出来る。でも絵本を悲劇から救うことは出来ない。そしてそっちの世界にいるお前達を、どうこうしてやることもできねえ。せいぜいこうして夢の中で声をかけてやる程度だ」
そこまで話した所で、嬲り神は少し間を開ける。
「お前、このまま潰れるんじゃねえよ。ジヘは助かったんだ。お前も助かるべきだ」
力強い声で嬲り神が告げる。
チャバックの胸が熱くなる。確かな優しさ、偽りの無い励ましを感じとった。
「で、でもオイラ……」
うつむきかけたチャバックだが、すぐに顔を上げた。
一人の少年が現れた。小柄な少年。チャバックの記憶に残っている少年。
絵本の中で、チャバックが役を演じた少年――ジヘが目の前に現れ、チャバックを見ていた。
「連れてきたぜ」
ジヘの隣にいる嬲り神にやりと笑う。
「君が……僕を助けてくれた? チャバック? 君が別の世界の僕なの?」
ジヘがチャバックを見て問いかける。
「オイラのことわかるのぉ?」
「そりゃこうして向かい合ってるんだ、わかるだろ」
尋ね返すチャバックに、嬲り神が言った。
「ジヘ……どうしてここに?」
「だからよー、俺が連れてきたって言ってんだろーがよ」
「僕を助けてくれた君がピンチだと聞いて、夢の中で会わせると聞いて、それでここに連れて来られたんだ」
ジヘが答える。
「チャバックが苦しんでいるって聞いて、それで来たんだけど、一体どうしたの?」
「オイラ……もう、嫌だ……。悪口言われて、意地悪されて、いじめられて……」
ジヘに問われ、チャバックは頭を抱えて苦しげな顔になる。
「チャバックを助けてくれる人はいないの?」
「心配かけたくないんだよう……。それに、告げ口したら、もっとひどいことされるかもしれない……。皆にも仕返しするかもしれない……」
「だからってチャバック一人でそのまま耐えていたら、きっと限界が来るよ。そんなのダメだよっ」
ジヘがチャバックのすぐ側まで歩み寄り、熱を帯びた声で訴える。
「君にはちゃんと味方がいる。僕にも味方がいた。助けが欲しい時には助けを求めていいと思う。君は僕達を助けてくれた」
言いながらジヘは、そっとチャバックの肩に手を置いた。
「可能なら、今度は僕がチャバックを助けてあげたい。でも、僕はこっちの世界にいるし、そっちに行けないから、気持ちしか伝えられない。言葉しかかけられない。ごめん……」
そこまで話した所で、ジヘの体が薄く淡くなっていき、空間に溶けるようにして消えた。
「わかった。考えてみるよぉ……」
すでに聞こえていないだろうと思いつつも、チャバックは声に出して言った。
「ははっ、考えるより先に動け馬鹿野郎」
嬲り神が笑う。
「どうせオイラは馬鹿だよう……。誰からも言われる……」
「ユーリにも言われるのか?」
「ユーリは……絶対に言わない」
「じゃあユーリを信じろ」
嬲り神の力のこもった明るい声を聞き、チャバックは自分の中を覆っていた、大きくて重い何かが動いたような、そんな気になった。
「ちっ、ガラにもねーこと言っちまった。あー、気分悪ィ。これもお前が世話焼かすせいだぞ」
嬲り神が吐き捨てた後、チャバックの意識は薄れ、深い眠りの中へと落ちていく。
九章、終。




