9-3 ケープ先生の夜
ケープは医師であり、魔術にも精通しており、首都ソッスカー下層の生活困窮者や障害者の支援活動やカンウンセリングも行っている。元貴族の娘という事もあり、貴族連盟ともツテがある。
旧鉱山区下層を訪れたケープは、しばらく歩いた所で立ち止まり、石畳の道の脇を見て懐に手を入れる。懐の中には、母の形見である懐中時計があった。
懐中時計を握りしめ、瞑目するケープ。そこは彼女にとって特別な場所。自分の今の生き方を定めた場所だ。ただの道。ただの壁。しかし二十年前、ケープがそこで見た光景は記憶に焼き付いて離れない。
それはケープにとっては良くない原風景。しかしかつては悲痛が呼び起こされたこの場所も、今は落ち着いて見る事が出来る。年齢を経て、心に余裕が出来た。
ケープが向かった先は、チャバックの仕事先だった。
「ああ、これはケープ先生」
清掃業の男がへつらいの笑みを広げて、ぺこぺこと頭を下げる。
この清掃作業所は、従業員も社長も皆愛想がいい。しかしケープはいつも違和感を覚えていた。本当に誰にでも愛想のいい人達ではないと思っていた。立場の強い相手や、目をつけられては困る者相手にだけ、へつらっていると。
と、そこにチャバックがやってくる。うつむき加減でとぼとぼと歩いている。
「よー、チャバック。ケープ先生来てるぞー」
従業員が明るい声をかけると、チャバックが顔を上げた。暗い顏だ
「あ……おはようございます……」
「どうしたの? 元気無いけど」
「ん……あ……」
ケープに問われ、チャバックは従業員を一瞥した。従業員はチャバックを睨んでいる。余計なことを言うなと、視線で告げている。それを見たチャバックは畏縮してますます縮こまる。
「あ、これはケープ先生、お疲れ様です。おい、ちょっと来い」
そこに社長がやってきて、従業員の腕を掴んで、作業所の建物の奥へと連れ込んだ。
「何です?」
「いいか、しばらくチャバックを甚振るのは無しだ。ここのところやりすぎたせいで、あいつ、おかしくなっちまってる。それに、あのケープという医師に怪しまれている。わかっているだろうが、あの女は貴族とも繋がりがあるし、目をつけられていいことはねーよ。こっそり監視しているかもしれねえから、いなくなったからって、すぐにチャバックにキツくあたるな。しばらくは用心しろ」
「へ、へい……わかりました」
社長に釘を刺され、従業員は頷いた。
「チャバック、本当にどうしたの? 何かあるなら話して。ね?」
「んんん……」
ケープが優しい声で問いかけるが、チャバックはケープから視線を外し、困ったように呻くのみだ。
(困ったわね。ここで何かされて口止めでもされているんじゃ……)
悪い想像が働くケープ。
「おいチャバック、こないだは悪かったなー」
「え……うん……」
と、そこに従業員が戻ってきて、チャバックに明るい声をかける。チャバックは戸惑い気味に頷く。
「チャバック、調子悪いようなら今日は休んでおけ。いや、休め。社長命令だ。他の仕事もやろうとするんじゃねーぞ。大人しくしておけ」
「は、はい……。わかりました……」
社長までもが優しいので、チャバックは余計に戸惑いながら、掃除道具を片付け始めた。
ケープはその様子を不審げに見る。
(気遣いもしてくれているようだし……。でも、私の前だから、そういう演技をしている可能性もある。どうもこの人達は信じられない)
しばらくこまめに足を運び、こっそりと監視しようとケープは決めた。
***
ケープはまた別の場所へと赴く。訪れたのは同じ旧鉱山区下層部区の、黒騎士団の詰め所だ。
黒騎士団は都市部の治安維持を担当している。ソッスカーの下層市民達はトラブルを多く起こし、時折暴動さえも発生させるため、兵士団だけでは手に負えず、騎士団も常駐して目を光らせている。
「ああ、ケープ先生。お疲れ様です」
黒騎士団詰め所に行くと、黒騎士団のランドという年配の騎士が出迎えた。彼は黒騎士団の旧鉱山区下層部区部長だ。
隻眼のこの騎士は、いつもくたびれた顔をしている。決して悪い男ではないのだが、その覇気の無さが、ケープには気になっていた。カウンセリングを受けるよう勧めた事もあるが、やんわりと断られた。
ランドは、元々は副団長補佐にまで出世したが、酷い失態を犯したために下級騎士にまで降格されてしまい、出世の道も閉ざされたという経歴を持つ。堅実なベテランなので、下級騎士達からは一目置かれている一方、ランドのそのくたびれた中年男っぷりから、一部の同僚からは敬遠されがちでもあった。
「相変わらず顔色が優れませんね」
ランドを見て、思ったことをはっきりと口にするケープ。
ケープがここに来たのは、ランドの様子を伺うためだ。最近、同じ詰め所にいる黒騎士達に、ランドをこまめにチェックしてほしいと懇願された。場合によっては診療に踏み切って欲しいと。
「ははっ、そうでしょうねえ。いつまで経っても、私は嫌な記憶から立ち直れんのですよ」
大きく溜息をつき、ランドは茶をすする。
「俺が出世コースから外れて、この歳で下層部の区部長をやっている事にも、よく陰口を叩かれているようですなー。しかし……それは今や何とも思いません」
ランドが寂しげに語る。
「俺……いや、私の出来る範囲内で、ア・ハイ群島の治安維持に貢献すればいいんです。ただねえ、私がいつまでもくすぶっていることで、家族に肩身の狭い思いをさせているのはちょっと心苦しいですわ……。貴族って奴は体面を重んじますから」
「立場や面子で気に病んでいるのはわかります。私も没落貴族の娘ですからね」
と、ケープ。
「せめて区部長の座を外れて、人喰い絵本の対処部隊に入り、大きな功績を狙ってみたらどうかと、同期の騎士達には勧められているのですけどね。死んだとしても名誉の戦死として称えられますし」
そこまでランドが喋った所に、巡回の黒騎士団がやってくる。鉱山の中であるため、馬には乗っていない。
「ランドさーん、元気してる~?」
どこからか女性の高い声が聞こえた。黒騎士の中の誰かだろうと思ったが、ケープが見た所、騎士達の中に女性の姿は無い。
「あれは副団長殿です」
ランドが先頭の騎士を見て告げた。戦闘の騎士はまだ十代にしか見えない少年だった。肩には武装した大きな鷲が乗っている。
「あ、初めまして。医師のケープです。ゴート団長さんにはよくお世話になっています」
「いえ、副団長は私ではありません」
丁寧に挨拶するケープに、若い騎士が微苦笑を零す。
「こっちこっち~、私がイリスでーす。ケープさん、私のこと知らなかったのー? 私は知ってたのにー」
若い騎士の肩に乗っていたワシが、翼を広げてみせる。翼を広げると途轍もなく巨大に見える。
(喋るオウギワシ……。これが黒騎士団副団長とはね)
イリスを見るケープ。動物の中にはたまに喋れる者が現れ、それらは大抵の国で人間同様に扱われる。そしてそれら喋る動物は、非常に高い能力を持ち、要職に就く事が多い。
「単純な強さだけなら、ゴート団長をも上回ると囁かれている女傑ですぜ」
「へっへっへっ、ランドさんに褒められちゃったー。ランドさんは昔、私の上司だったから嬉しいな~」
ランドが言うと、イリスは嬉しそうな声をあげて、首を左右に振り続けていた。
その後、ケープは黒騎士団詰め所のすぐ横にある、地区役場へ赴き、作っておいたエニャルギー結晶を販売する。
「魔術師の数が減って、エニャルギーの値段が上がっているなか、以前の価格での販売は助かります」
役人がケープに向かって感謝の言葉を述べる。
「人喰い絵本に駆り出された魔術師の死亡者が増えていますからね」
と、ケープ。
「人喰い絵本とやらの発生率が、最近とんでもなく上がったと聞きますな」
「年月の経過と共に増加傾向と聞きます。魔王が斃された直後は、ここまで多くなかったとか」
役人としばらく世間話を交わしてから、ケープは役場を後にして、今日の最後の仕事へと向かった。
***
午後十一時。ケープは再び山頂平野へと上がる。貴族や上級商人や魔術師達が住むエリアだ。これが今夜の最後の仕事だ。
ケープが訪れたのは、貴族のベルカ家だ。
「ケープ先生、こんな夜中に往診、申し訳ありません。父が仕事を終えて帰宅する時刻でして……」
「いえいえ」
屋敷の扉を開くと、黒騎士アベル・ベルカが出迎え、本当に申し訳なさそうに告げた。
「私はお前の父ではなーい! 兄だ! 今日から兄になるーっ!」
家の中に入り、当主であるカイン・ベルカの前に行くと、アベルを見て目を血走らせて、わけのわからないことを喚いていた。
ケープは半年以上前から、カインの往診を続けている。彼は奇行が非常に多く、誰の目から見てもその精神状態はおかしい。
「むっ、この小娘は……いや、もう小娘という年齢ではないが、没落貴族で、平民の手助けなどしているケープではないかっ。何故こんな奴を家にあげた!? ふぅぅぅっ!」
ケープを見て、歯を剥きだしにして威嚇するカイン。
「父上、毎週来られていますよ。父上の往診に足を運んでもらっています」
「何だとぉぉぉ! 私はまだ痴呆になる歳ではないぞ! みーんみーん!」
アベルがなだめると、カインは手をぐるぐる振り回して家の奥へと駆けていく。
ケープがアベルに薬を渡す。
「お薬の量を増やしておきました。あと、新しい薬を……しかし新しい方は効果が強すぎて、副作用も強いので気を付けてください」
「わかりました。いつもありがとうございます。薬を飲んで何時間かは落ち着くのですが……。会議の時などは、薬の効果も切れて突然興奮してしまうことが多いです」
「本人が感情的になると、薬の効果を打ち消してしまうようですね」
恥ずかしそうに報告するアベルに、ケープが述べる。
ケープがベルカ家を出ると、深夜零時を回っていた。一面の晴れ渡った夜空。月と星々の光が山頂平野の草原を照らしている。
「今日も一日……私、御苦労様……」
疲れた顔で呟いた直後、夜空を見上げるケープの目が煌めく。
「少しでも歩んでいく。理想に向かって。でも……これだけでは足りない……。このままじゃ……届かない。だから私は……」
決意を口にして、ケープは帰路に就いた。




