9-2 才能という名の宝くじを当てた者を尊敬できるのか?
三日が経過した。ノアはユーリと共に、ミヤから魔法使いとしての修行をつけてもらう日々を送っている。
ミヤが祭壇にお祈りをしている間に、ノアとユーリは魔法で家の清掃をしていた。
「先輩、僕っていう一人称やめたら? 軟弱だよ。俺みたいに俺にしなよ」
ユーリの歯に衣着せぬ物言いに、ユーリは苦笑する。
「そんなの勝手だろ。別に軟弱だとも思わないよ。そんなこと言ったら、ノアは女の子なのに俺呼びだろ」
「俺は男として育てられたし、今更変えられない。変える気も無い」
「じゃあ僕も変えられないって話だよ。ずっと僕呼びだったんだ」
「そっか」
ユーリにそこまで言われた時点で、ノアも納得して引き下がる。
「ああ、そうだ。先輩、あの婆って魔法使いの修行以外にも礼儀作法とか、日常のあれこれ、やたらうるさくない? 俺、手の洗い方までケチつけられて、わりとうんざり」
不満顔でぶーたれるノア。
「婆って……そんな呼び方しちゃ駄目だよ。それにノア、手洗う時に水飛ばしまくっていたし、洗った後の手を服で拭いてたし、あれは確かに駄目だよ」
再度苦笑いを浮かべて注意するユーリ。
「本人の前では呼ばないよ。でもあの婆、本当にうるさいからさ……。俺のこと目の仇にしてない? 昨日といい今日といい、あれこれ注意しまくりだし。まあ母さんよりマシだけど、顔さんと別の面でうるさい。あの猫は婆でいいよ」
「いつまで掃除に時間かかってるんだい。午後の修行を始めるよ」
祈りを終えたミヤがやってきて声をかける。
「婆……じゃなかった、師匠」
「お前は……今のはわざとかい?」
ノアの呼び方を聞いたミヤが、険のある声を出す。
(思いっきり呼んでるし、これはわざと疑惑)
短時間で三度目の苦笑を浮かべるユーリ。
「掃除はまだ終わってない。ここで修行始めたら中途半端に終わる」
「修行が終わった後にやらせるから問題無いよ。儂が修行だと言ったら修行だ」
ノアが主張するも、ミヤが有無を言わせぬ口調で言い、ユーリとノアは修行に移った。
二人で並んで座り、ミヤが指示する通りに、空中に浮かべた水を魔力で加工する修行を行う。ミヤは宙に浮かび、二人の頭上から、二人の魔力の流れをチェックしている。
「ほらノア、また魔力の扱いが大雑把になっている。お前は魔力をゆっくり動かす訓練を重点に置いた方がよさそうだね。そうすることで、魔力の扱いの精密さが自然と上がるからね」
「婆……じゃなかった師匠、とても丁寧な教え方だね。凄いよ」
ミヤの指導を受け、ノアはミヤを見上げながら微笑み、称賛する。
「そうか? 普通だと思うけどね」
「母さんの教え方もれなりに論理的ではあったけど、師匠に比べると雑って感じだったな。おまけに俺が上手くやれないとすぐに怒って、俺を罵倒して、俺を殴って、俺に謝らせて、俺はゴミです無能ですみたいな台詞を強要させていたよ」
「そうかい……大変だったね」
ノアの台詞を聞いて、ミヤは同情して優しい声をかける。
「母さんと一緒にいた時は、毎日脅えていたのに、もう脅える必要が無くなったんだね。それが凄く……安心していると同時に、違和感も凄い」
そこまで喋って、ノアははっとして、隣にいるユーリを見る。
「先輩も師匠に育てられたってことは、親は……」
「うん。僕もいない」
ノアの言葉を聞いて、ユーリは曖昧な微笑を浮かべて肯定した。
それからユーリは、自分がミヤに育てられたこと、母親が絵本世界で死んで、ユーリを助けたのがミヤで、その際に引き取られて育てられたことを話した。ノアは特に憐憫や同情の言葉をかけず、黙って聞いていた。
「あ、そうだ。注意しておくことがあったんだ」
ユーリが身の上話の後で言った。
「破壊神の足の話は、師匠の前でしちゃ駄目だよ。魔王の話と、西方大陸の話もしない方がいい」
「何で?」
ミヤが離れているのを見計らって、小声で釘を刺すユーリ。
「わからないけど、それらの話題を出すと、凄く不機嫌になるんだ」
「そう」
ノアはにっこりと笑うと、ミヤの方を向く。
「婆……じゃなかった、師匠。ユーリから聞いた。魔王の残した災厄、破壊神の足は師匠がやっつけて、それで師匠は有名になったって。凄いね、婆。じゃなかった、師匠」
「ちょっとちょっとノアーっ!」
ノアがにこにこ笑いなが尋ねると、ユーリが大声をあげる。
「実際に不機嫌になるかどうか試してみた。何か問題有る? やめろと言われると、俺は是が非でもやりたくなる。立ち入り禁止なんていう立て札があったら、何が何でも入ってしまう性分だし」
一切悪びれることなく、あっけらかんと言ってのけるノア。
「中々愉快な性格の子が弟子になったもんだ。シモン以来の逸材だねえ。こいつは調教し甲斐があるっていうもんだよ。マイナス23」
冷たい声で言い放つと、ミヤはノアに念動力猫パンチを放った。ノアがうつ伏せに床に倒れる。
「ここも体罰ありなんだね。母さんよりはずっと優しい仕置きだけど」
ノアが身を起こし、しれっとした様子で言う。
「師匠がここまで怒ること滅多に無いし、出来るだけ怒らせないように努力しようよ」
「どうしても好奇心を抑えきれなかった」
注意するユーリに、ノアは悪戯っぽい笑みを広げてみせた。
***
夕方、ユーリとノアの二人は外に出て、会話を交わしながら山頂平野を散歩していた。
ノアからすれば、近い年の子と親しくなれた事が、非常に新鮮であったし、嬉しかった。ユーリとお喋りしている時間も非常に楽しい。
その二人の前に、露出度の高い衣装で肉感的な肢体と小麦色の肌を大胆に晒した、金髪碧眼の少女が現れた。行商人のスィーニーだ。
「おいすー、ユーリ。って、その子は……男の子の格好してるけど……女の子よね。彼女できたん?」
ユーリに挨拶してから、ノアを見て、またユーリの方を見てにやりと笑うスィーニー。
「違うっ、違うよ。弟弟子だよ」
「女なのに妹弟子って言わずに弟弟子って言うんだな」
「ま、格好でわかるけどねー。あははは」
少し慌て気味にユーリが訂正し、ノアが呼び方に関心を示し、スィーニーは朗らかに笑ってみせる。
「それにしてもユーリがあのXXXXを退治するなんてねー。もう一人前の魔法使いって言っていいんじゃね?」
「いやあ……僕だけの力じゃないし」
「XXXX討伐、評判になってるんだ」
スィーニーの振った話題に、ユーリは謙遜し、ノアは興味を抱く。
「討伐の翌日にはソッスカーでもちきりの話題だったよ。ま、話題なんてすぐに冷めるし、今日は今日でまた別のことで話題だけどね」
「今日の話題は何?」
ノアが尋ねる。
「ウルスラが昨日、ソッスカー芸能賞を取ったことかな」
「誰?」
「劇団の役者で踊り子よ。まだ十歳なのに神童と呼ばれる天才的な役者」
ノアの問いに答えるスィーニー。
「一緒に見に行かない? これから公演あるんよ」
「うん、行こう」
スィーニーに誘われて、ユーリは快く受けたが、ノアは何故か憮然とした顔でついていった。
三人が繁華街の劇場前までやってくると、長蛇の列が並んでいた。
「人いっぱい」
ノアが呟く。
「うわあお。こりゃとても入れそうにないわねー。残念」
スィーニーが諦めて肩を落としたその時――
「あーら、ユーリ君もウルスラ目当て?」
ブラッシーが現れ、にこやかな笑顔で話しかけてくる。
スィーニーもノアも驚いた。様々な所で絵画や胸像になって飾られている、伝説の英雄――かつて魔王の幹部でありながら、魔王を裏切って勇者について人類に勝利をもたらしたという、吸血鬼ブラム・ブラッシーその人がいたからだ。
「はい。そのつもりで来たんですが、ちょっとこの列では……。あ、こちらはブラム・ブラッシーさんね。こちらは弟弟子のノアと、友人のスィーニーです」
双方に紹介するユーリ。
「マジで……あの吸血鬼ブラム・ブラッシーなん」
「先輩、凄い人と知り合いだ」
「師匠の知り合いだよ」
驚いているスィーニーとノアに、ユーリが言った。
「おー、流石はにゃんこ師匠ね」
「婆、あんなんでも凄い猫だった」
スィーニーとノアが感心する。
「ここに入りたいなら、VIP席で入らせてあげるわよん。ここの劇場のオーナーは私だし~」
「ええっ、いいんですか?」
「さ、流石ブラッシー様……」
「様はいらないわよ。ま、ユーリ君はXXXX討伐の功労者ってこともあるし、その御褒美よん。ほら、おいでなさ~い」
ブラッシーの計らいで、ユーリ達は並ぶことなく劇場内に入ることが出来た。
三人が席に着く。
「うふふ、母さんを殺したおかげでVIP席に着けるんだって。素敵だね」
「ノア、そういう嫌味はやめてよ……」
隣のノアの台詞を聞いて、ユーリが顔をしかめる。
「先輩に対して言ったんじゃないよ。気にしなくていい」
そして劇が始まる。
役者であり踊り子でもある神童ウルスラは、序盤ですぐに登場し、観客席を沸かせた。細身の美少女だ。
まだ幼いが神童と呼ばれるだけあって、ウルスラは天才的と言っても過言でない演技を見せ、観客達の心を一人残らず――否、一人を除いて魅了する。
「ムカつくな。不快だよ、あの餓鬼」
まだ十歳程度のウルスラを見て、ノアが毒づく。
「え? 何が? あの子の演技もダンスも素晴らしいじゃない」
「だからムカつくんだよ。わからない?」
驚いて尋ねるスィーニーに、ノアは言った。
「世の中は本当に不公平だ。生まれつき才能を持った、恵まれた子。きっと環境も恵まれているんだろう。あの餓鬼はただ生まれの運がよかっただけだろ。おかげで小さい頃からいい思いをして生きている。これがムカつかないなんて――そんな餓鬼に魅入られているなんて、ここにいる皆、頭おかしいの?」
「才能とか環境だけじゃなく、本人の凄い努力があって、あれだけの演技が出来るんだと思うけどな。そんな見方するのはどうかと思うよ」
思ったことをストレートに口にするノアを、ユーリが諭す。
「まあ……貴族だけどね」
「ほら見なよ。やっぱり腹が立つ存在だ。俺みたいなド底辺で育ったみじめな人間を、よりみじめにさせるための存在だ。そう、あの餓鬼の存在そのものが、世界がもたらした悪意の賜物だ」
「あんたはどんだけ捻くれてるの……。そんな見方して生きてたら、余計みじめな気分になるだけじゃないの」
ノアの悪態を聞いて、スィーニーも気分が悪くなって指摘する。
「才能ある奴なんて、出生の宝くじに当たっただけの奴だ。俺はそんなものに憧れるとか尊敬するなんて嫌だ。癪だ」
「あのさ……ノアだって物凄い才能に恵まれているんだよ? 魔法使いの才能持っているなんて、一万人に一人もいないって言われているし、例えその才能があっても、気付かないままってケースの方が多そうだしさ」
憎まれ口を叩き続けるノアに、ユーリが言う。
(あの母さんの元で生まれた時点で、物凄い低確率の大ハズレを引いているのが俺だっていうのに、その俺に向かって、恵まれているとか言うなんて……)
ユーリの台詞を聞いて、大きな溜息をつくノア。その溜息の音が周囲にも聞こえてしまい、観客の何名かが怪訝な視線をノアに送る。
(まあいいか。もう母さんはいないんだし。今は底辺というほど不幸でもない)
そう思いながら、ノアは退屈な気分で、舞台の上のウルスラを見やる。
演目が全て終わり、スタンディングオベーションになったかと思われた会場の中でも、ノアは一人だけ着席したまま欠伸をしていた。
***
神童と呼ばれている踊り子にして役者のウルスラは、今年で十歳になる。
ウルスラは物心ついたころから劇団の中で育った。ウルスラは劇団以外の世界は知らない。
しかし今ウルスラは、この世界に嫌気がさしている。いや、絶望している。
夜。山頂平野の繁華街に往診に訪れた医師のケープは、劇場の豪奢な控室で、ウルスラのカウンセリングを行っていた。
「誰にも言えない秘密があるって言ってたわよね? それは何なの?」
ケープがウルスラの元に往診に来るのは、これで四度目だ。しかしウルスラは中々悩みを全ては打ち明けようとしなかった。
「私、年上の人達から……嫌がらせを受けているんです……」
しかしこの時ウルスラは、心を病んでいる原因をとうとう口にした。
「私が一番小さいのに、皆に注目されて、ちやほやされて、それが気に入らないからって……。誰かに喋ったら、顔を焼いて手足をへし折ってやるって脅されて……」
「それは今ここで初めて話したの?」
「はい。お父さんお母さんにも話せません。だって二人共……私ではなくて、役者として踊り子としてのウルスラが大事なんだから……。それが二人にとっての自慢で……」
そこまで喋って、ウルスラはうつむいてぽろぽろと涙を零す。
ウルスラの両親は、ウルスラに過剰なまでの期待をかけ、自分の娘が世間に評価されている事を鼻にかけている。
ウルスラは幼い頃から、両親の期待に応えることだけが全てのように教育されている。そんなわけで、ウルスラは両親の期待に応えようと必死な毎日を送っていた。
もし劇団内でハラスメントがあれば、醜聞としてイメージダウンになる。ましてやその被害者が自分であれば、両親を悲しませることになると思い、ウルスラはずっと耐えてきた。しかしその辛抱も、限界に来ていた。
「よく話してくれたわ。それは私の方から劇団に話してみるわ。さもなければ、黒騎士団に告発という流れでもいいけどね」
そんなウルスラの苦悩を全て見透かして、ケープが微笑み、ウルスラの肩に手を置いて告げた。
「昔と違って、ア・ハイ群島では子供のいじめも立派に犯罪よ。そうでなかった時代がおかしかったんだけど。子供同士のいじめだろうと、一生トラウマを引きずる事になって、人生そのものに悪い影響を受ける人だっているからね」
「でもそんなことしたら……私に嫌がらせしている人達が捕まっちゃうかも……」
「仕方ないわ。例え子供だろうと罪は罪。罰を受けないといけない。それとも、何も悪いことをしていない貴女が、このまま辛い目を見続けていいの?」
ケープの問いかけに、ウルスラは首を横に振った。
「さて、これからまた旧鉱山区下層に戻って……チャバックを見ないとね」
劇場を出たケープが、夜空を見上げて呟く。
一方、ケープが出ていった直後、控室にいたウルスラは――
「え?」
控室全体の空間が歪んでいる光景を見て、ウルスラは呆気に取られる。
歪みは渦状に大きく広がって、ウルスラの体は渦の中心へと飲み込まれた。




