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9-1 猫とショッピングへ

 五歳のユーリの目の前で、ユーリの母親は溶けて死んだ。

 それまで母親だったものが、どろどろに溶けて、母親の姿ではなくなった。


 ユーリはずっと泣いていた。母親だったどろどろを見て、ただ泣き続けていた。ここにいることが危険であることはわかっていたが、母親を失った悲しみに浸り、その場から動こうとはしなかった。


「おかーちゃ~ん、死んじゃった♪ おかーちゃ~ん、くたばったー♪」


 泣きじゃくるユーリの耳に気色の悪い声と歌が響いた。


 歌のした方を見ると、ぼろ布を纏い、紐にくくつりけたゴミを大量に引きずる、真っ黒い男が、ゆっくりとした動作で歩いてきた。


「めそめそしてねーで動け。お前も死ぬぜ? こっちだ」


 ゴミ男が手招きするが、ユーリはすぐ動こうとしない。


「死にたくないなら動け。俺についてこい」


 ゴミ男が再度促した時、ユーリは恐怖に硬直した。ゴミ男とユーリの前に、全身の輪郭がぼやけた、穴のような真っ黒な眼と口を持った異形が現れたのだ。手も足も確認できないが、頭部だけはある。身体を不定形に歪めながら、こちらに向かってくる。

 この化け物が口と目から出して液体を浴びて、母親はユーリと共に逃げている最中に次第に溶けていった。最期は人の姿も保てず、どろどろになった。


「ああ、自己紹介が遅れたなァ。俺は嬲り神って呼ばれている」


 そう言って嬲り神が腕を振るう。すると化け物が大きな音を立てて破裂した。


「こいつは一体じゃないぞ。さあ、ついてこい」


 嬲り神が移動する。ユーリはようやく立ち上がり、嬲り神の後をついていく。


「俺から離れるなよ? 俺だって万能ってわけじゃねーんだからよ」


 喋っている間に、さらに二体の異形が現れ、口と目から液体を噴射する。


 嬲り神が連続で手を振ると、液体も異形も弾け飛んだ。


 移動を再開した所で、別の形状の化け物が現れた。全身宝石で覆われた、真っ白な巨大百足だ。


「よう、宝石百足」

「どういう風の吹き回し?」


 へらへら笑いながら挨拶する嬲り神に、宝石百足が問う。


「どうもこうもねーだろ? お前さんだってこいつを死なせたくはねーだろ? お前が遅いから、仕方なく俺が助けてやった。ふへへへ、何しろこいつはお前の……」

「それ以上言わないで」


 嬲り神の台詞を、心なしか不機嫌そうな声で、宝石百足は遮る。


 宝石百足がユーリの前で、上体をそらす。するとそこに、百足の腹に体が半分埋まって、女性の姿があった。その姿を見せて、ユーリを安心させようとしたのだ。


「安心して、ユーリ。こんな姿をしているけど、私は貴方を傷つけない」


 微笑みながら、優しい声で語りかける宝石百足。


(僕の名前を知ってる?)


 宝石百足の女性の顔を見上げ、ユーリは訝る。


「私の名は宝石百足。またの名をセント。私は貴方であり、貴方は私でもある。これからはずっと一緒にいましょうね」

「へっ、だから助けてやったのさ。そして……あっちの俺ももうすぐ来るな。運命の悪戯って奴か」

「いいえ、これも縁の導きよ」


 宝石百足はそう言い残し、姿を消した。


 嬲り神はそのまま残っている。これから現れる者と言葉を交わすためだ。


 そこに、魔術師と騎士達が現れる。一匹のはちわれ黒白猫も現れる。猫はマントを羽織り、中折れ帽子を被っていた。猫は魔法使いだった。


「嬲り神……その子は?」


 猫の魔法使いがユーリと嬲り神を交互に見やって尋ねる。


「こいつを保護してやってくれ。そうでないと、俺が助けた行為も無駄になっちまうぜ」

「どういう風の吹き回しさね」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ、また同じ台詞かよ。ただの気まぐれって奴か?」


 耳障りな声で笑うと、嬲り神は姿を消した。


***


 ノアがミヤの弟子になったその翌日。ミヤはユーリと共に繁華街へと外出していた。


「師匠とショッピングとか久しぶりですね」

「昔はよくお前を遊びがてら連れていってやったもんだね」


 二人並んで歩きながら、会話を交わすユーリとミヤ。


「しかし今日は、儂の買い物でもお前の買い物でもないけどね」

「えー、ついでですし、僕と師匠の分の買い物もしましょうよ」

「特に買わなくちゃいけないもんもないだろ」


 買い物はノアのためのものだ。ノアの服や日用雑貨を揃えるために来た。


 肝心のノアは寝ている。つい昨夜、自分の母親を殺して、そのショックも大きいだろうということで、そっとしておく事にした。


 ある程度買い物をしたところで、二人は人が集まってもめている場面に出くわした。


「ギルドの既得権益関係ガー!」

「搾取ガー!」

「公正取引の違反ガー!」

「労働基準ドーコーガー!」

「ガーガーガーガーガーガー!」


 何人もの商人が、怒りの形相で騒ぎ立て、抗議を行っている。


「独占禁止法には触れていないし、既得権益はあってしかるべきだろう」


 商人達と一人で対峙している男が、貫禄と余裕たっぷりに言い捨てた。ユーリはその男に見覚えがあった。先日魔月丼の販売者と揉めていた悪趣味な服の豪商だ。


「おや。あいつは」


 ミヤもその豪商を知っていた。


「またあの人か……。強欲な商売して、足元見て、搾取して、色んな人に恨みを買いまくってるんだな……」

「む? こら、待てユーリ。こら……言うことを聞かんか。マイナス1」


 突然飛び出したユーリを制するミヤだが、ユーリは言うことを聞かず、豪商の横に小走りに向かう。


 商人達は諦めたのか、ぞろぞろと引き上げていった。代わりにユーリ一人が豪商の前に立った。


「貴方はまたそんなことをしているのですか?」


 ユーリが険のある声で、豪商に食ってかかる。


「おやおや、君はあの魔月丼の販売者に、エニャルギーを渡した魔法使いだね。確かミヤ様の弟子だ」


 豪商がユーリを見て、笑顔で言ってのける。


「知っていたのですか……」

「あの後、風の噂で聞いたよ。というかね、あの商人本人が言いふらしていたそうだ。お人好しの魔法使いのおかげで儲けたと、君のことを小馬鹿にした物言いでね」


 嘲るように告げた豪商の言葉を聞き、ユーリは絶句した。


「おっと、そこにおられるのはミヤ様でないですか。お久しゅうございます」


 遅れてやってきたミヤを見て、豪商が和やかな笑みを広げる。


「ふん。二年振りかい。随分とまた腹が出てきたじゃないか。元気そうで何よりだよ」


 ミヤが親しげな口調で豪商に声をかけたので、ユーリはさらに驚くことになった。


「ははは、これは手厳しい。同じ山頂平野に住みながら、中々顔を合わせぬものですな」

「あまり体調がよくなくてね。仕事以外では、家にこもりっきりだよ」

「それはまた……どうか御自愛を」

「はっ、自愛してなるべく引きこもってると言ったばかりだろうに」

「師匠、お知り合いだったのですか?」


 二人のやり取りに割って入る形で、尋ねるユーリ。


「ふん、大した知り合いじゃないよ」

「ミヤ様にとっては大したことないかもしれませんが、私にとっては命の恩人です。ミヤ様に助けられなければ、今の私はありませんから」


 ミヤは鼻を鳴らすが、豪商は恭しい口調で述べる。ユーリや商人の前では傲然としていた豪商であったが、ミヤの前では極めて謙虚な態度だ。


「どうせ暇だろ? ちょっと儂の弟子に、世の中の仕組みというのを教授しておやり。この子はどうもすぐに突っ走る傾向にあってね。これでも色々と教えちゃいるんだが、まだまだ尻が青い」

「わかりました。暇ではありませんが、ミヤ様の申しつけとあれば断れません」


 ミヤに言われ、豪商はにやりと笑って、ユーリと向かい合った。


「さてさて、君はそんなことをしていると言ったね? どんなことだと言うのだ? 私にどのような文句があるのかな?」


 豪商がにやにや笑いながら、ユーリに問う。


「貴方は多くの商人相手に、様々な商品を卸している立場の人でしょう? だからその立場を利用して、足元を見ているのでは? そしていいように搾取している。それで多くの商人が苦しんで、ああして訴えにきているんじゃないですか」

「文句を言っている連中は、商人ギルドのルールに従わず、自分勝手に儲けたいから騒いでいるだけだよ。ギルドによる既得権益は確かにあるが、それについて文句があるなら、ギルドに入ればいいだけの話だ。もちろんすぐに上位の商いと同じ立場にはつけないが、それは仕方ないよ。しかし業績次第では、ギルドの権益にもちゃんとありつける。そもそも既得権益を一切認めるなと言ったら、長年頑張って事業を開拓してきた功労者達は、後からやって来た連中に美味しい所だけ毟られて大損で、立つ瀬も無い。それでもいいというのかね?」


 ユーリの問いかけに対し、豪商は淀みない口調で答える。


「それとね、私に文句を言ってくる下級商人の話を、一切聞かないわけでもないよ。助言を行うこともあれば、援助のために貸出しをする事もある。ま、彼等は私の話には耳を貸さない事の方が多いけどね。自分より稼げる者を妬み、理屈を屁理屈でねじ伏せようとして、周囲や後先を考慮せず、闇雲に目先の利益を欲しているだけだ。貪欲さは評価するが、やり方がよろしくない。あれでは私のようにはなれん」

「はんっ、貧民窟で野垂れ死にしそうになっていたあの痩せ細った小僧が、いっぱしの御高説を垂れるようになったじゃないか」


 黙って聞いていたミヤが、おかしそうにからかう。


「これまた手厳しい。ミヤ様が語ってきかせろと言ったから語ったのですよ」


 豪商が頭をかきながら、気恥ずかしそうに言った。


「ありがとうよ。これでこの子にもちったあいい薬になったろう。ユーリ、まだ反論することはあるかい?」

「いえ……」


 悔しさと恥ずかしさと苛立ちの入り混じった、とにかく嫌な感情で胸がいっぱいになり、憮然としてうなだれるユーリだった。


「今言った通り、あいつは貧民窟の生まれだ。昔、儂が助けてやった。今は孤児院を幾つも立てて、貧民窟の子供達を数多く引き取っている篤志家だよ。ふっ、あの時儂が助けてやったあいつが、より多くの子供達を助けてやるなんてねえ」


 去っていく豪商の背を見送り、ミヤは懐かしむように言った。


「さて、ユーリよ。今どんな気分だ?」

「凄く恥ずかしいです……」


 ミヤに問われ、ユーリは正直に答えた。


「はっ。上辺を見ただけで、勝手にどっちが善か悪かなど決めつけて、突っ走って暴走した結果がこれだよ。儂も師として恥ずかしいわ。しかし、だ。この件では、ただ恥をかいただけで済んだ。お前のその暴走癖と、浅薄さ、薄っぺらい正義感は、早い所何とかしないと、そのうちとんでもない落とし穴に落ちることになりかねないよ」

「で、でも僕は……」

「これ以上反発するか? 儂の言うことが聞けぬなら破門で勘当だ」


 反論しようとしたユーリに、ミヤが厳しい口調でぴしゃりと告げた。


『お前は悪人の気持ちがわからん。欲の深い者も気持ちもわからん。その時点で浅い。未熟だ』


 先日、ミヤが口にした台詞を思い出すノア。


「ま、今日はいい勉強になったね。プラス5だ」

「プラスつくんですか」

「マイナスもあるけどね。そのマイナス分差し引いてもプラス5だよ」


 意外そうな声のユーリに、ミヤは上機嫌に言ってのける。


(この子の性質は、儂がこの子の面倒を見る前からずっとあった。これだけは言っても中々直らないね。一番心配な所だよ。今日の出来事が、いいお灸になってくれるといいんだがね)


 ミヤが歩きながら案じる。ユーリもミヤについていく。


 二人は服屋の前で止まる。


「女の子用の下着も何とかしなくちゃね」

「ええ……? それも僕が買うんですか?」


 引きつった顔になるユーリ。


「儂もそこまで鬼じゃないし、それは儂が買ってやるよ。それと……食事もこれからは三人分に増えるから、そいつも意識しとかないとね」


 そう言ってミヤが服屋に入ろうとした時――


「あーら、XXXX討伐の英雄様のお出ましね。町中噂でもちきりみたいよ~ん」


 ブラッシーが現れ、声をかけてきた。


「えー、もう噂になっているんですか?」

「そりゃあもう。でもユーリ君本当に凄いわよねーん。十年以上も捕まらなかった連続殺人鬼をやっつけちゃったんでしょーん? しかもXXXXは魔法使いだったっていうじゃなあい」

「おやおや、そこまで公表したんかい」


 呆れるミヤ。


「御褒美にちゅっちゅしてあげるわ~」

「いやいや、そんな御褒美はいりません」


 抱き着こうとしてくるブラッシーから、ユーリは必死に逃げる。


「ブラッシー、あんたに貰ったもの、昨夜に全部試してみたけどね、幾つかは効果あったみたいで、今日は体が軽いよ。ありがとうね」


 ミヤがブラッシーに礼を述べると、ブラッシーはユーリを追うのをやめて、ミヤの方を見た。


「あれま。一度に全部試しちゃったの~ん? それじゃどれがどの程度効果あるか、わからないじゃなーい」

「まあね。でも緊急だったから仕方ないよ」

「緊急……。ミヤ様、そんなお体にガタが来ていたのねーん。おいたわしや~。私が血を吸ってあげれば、一発で治るのに~」

「お断りだし、多分儂は吸血鬼化はせんよ。免疫機能が強過ぎてのー。それと、あんたの情報、ちょっとは役立ったよ。アザミの奴、このア・ハイ群島で本格的にひと暴れしそうな気配だわ」

「知り合いの貴族に聞いたわ~ん。『K&Mアゲイン』とかいうダサい組織の首領してるんでしょ~ん」

「その口の軽い馬鹿貴族の名も教えて欲しいもんだね」

「ゴートちゃんよ~ん」

「あの馬鹿髭……」

「えー? でも私が人類の英雄ブラム・ブラッシーだからって、そういう理由で信用されて教えてもらたのよ~? ゴートちゃんがそんなに口が軽いってわけじゃないと思うわーん」


 しばらくの間ミヤとブラッシーはお喋りを続けていたが、やがて別れて服屋へと入る。


「師匠……さっきのK&Mアゲインの話って……」

「お前も他人事では済まなくなる。儂の弟子である限り、巻き込まれるからね。それも遠い先のことじゃない。せいぜい覚悟しておきな」


 心配そうに声をかけるユーリに、ミヤは真面目な声で告げた。

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