8-5 世界で一番幸せになった少女は未来図を描く
目の前に出現した宝石百足を見て、ノアとマミは絶句していた。遠方から見ていたミヤとゴートも言葉を失っていた。
宝石百足のことは、マミとノアも知っている。人喰い絵本の中に現れ、人喰い絵本に吸い込まれた者達を救出する存在。嬲り神と共に、複数の人喰い絵本に跨るイレギュラーとされている者だが、現実世界ら現れたという話は――ましてや人間が宝石百足に変身した話など聞いた事が無い。
「魔法で変身したの?」
マミが呟いた直後、宝石百足は蛇が鎌首をもたげるような動きで、上体を大きく上げた。
頭部の下の腹部――本来は女性が埋まっている場所に、女性ではなくユーリの裸体が埋まっていた。裸体ではあるが、目を含めて体のあちこちは宝石で隠れている。
ユーリの顔がマミの方向に向いた直後、宝石百足の二本の触覚から、二条の細い光線が放たれて、マミの体を貫いた。
光線は触覚の動きに合わせてマミの体を切り裂く。血が、肉が、臓腑が飛び散る。
ただ肉体を切り裂いただけではない。マミの魔力も、ごっそりと削り取っている。
ボロ雑巾のようになって、地面に薙ぎ倒されたマミを見て、ノアは力を振り絞って立ち上がった。マミの体は、少しずつじわじわと肉体が再生しているが、その再生速度が極めて遅い。
魔法使いは魔力を働かせて行う自動再生機能を肉体に備えているので、たとえ脳が破壊されて意識が途切れても、破損した肉体は治る。ただし、魔力の減少によって、再生機能も低下する。
今のマミは、相当に魔力が減少しているとノアは見た。絶好の好機であると見た。ノアも相当消耗しているが、これが正真正銘のラストチャンスと思い、残った力を全てだし尽すつもりで動いた。
ノアが右腕を突きだす。右手のガントレットから、赤い光が槍上に長く伸び、無残な姿で倒れたマミの体を貫いた。
「今度という今度こそ……終わらせろ! 死ね! 俺に自由を寄越せ!」
自分を弄ぶ運命を意識して、瞋恚の炎を浴びせるが如く叫ぶノア。
赤い光が収縮する。ミクトラのルビーにマミの魂が吸い込まれた事を、ノアは実感する。
マミの体の再生が止まった。
魂の抜けたマミの体を、ノアが憎々しげに見やる。
「死ね……。消えろっ!」
ノアが怒号と共に、残った魔力を全て解き放つ。
マミの体が豪火に包まれる。
髪の焼ける臭い、人の体が焼ける臭いが漂い、ユーリは気分を悪くする。この臭いを初めて嗅ぐわけでもない。
ノアは無表情で、焼け焦げていく母を凝視していた。
「ユーリっ」
ミヤが宝石百足となったユーリの元に駆け寄ると、ユーリは宝石百足から元の姿に戻った。ちゃんと服も着ている。帽子は吹き飛ばされてしまったので、被っていない。
「師匠、大丈夫ですか?」
「それは儂の台詞だよ。それよりあの子を見ておやり」
ミヤに言われ、ユーリはノアを見る。
「ノア……」
火に包まれたマミの亡骸を見るノアに、ユーリが声をかける。
「素敵な焚火だ。そうは思わない?」
震える声で、皮肉たっぷりに言うノア。
「殺人鬼の最期は、実の娘に殺され燃やされた。殺人鬼の娘は実の母親を燃やして殺す。愉快だよね? 滑稽だよね? 皮肉だよね? とてもとてもとっても素晴らしいシナリオだ。愉快で楽しいよ。俺さ……自分がずっと不幸だと思って、他人は皆俺より幸せなんだろうって、他人を妬んで、劣等感ばかり感じていたけど……今、俺は確かに幸せを感じてるよ。これが――幸せだよ。世界中の全ての奴等に対して、優越感を覚えているよ。今の俺、今の俺の運命、この世界の誰よりも最高だよ。ねえ、ユーリはそう思わない?」
「……」
静かな口調で、心底嬉しそうな笑顔で、そしてとめどなく涙を流しながら語るノアに、ユーリは憔悴しきった表情のまま何も応えない。何と言って返したらいいかわからない。
「何か返事して? そう思わないの? 俺、幸せなはずだよ? 幸せを感じてるよ? この感情は確かに幸せのはずだ。胸がふわふわして、すーっとして、温かくって、熱くって、透き通る感じで、じんわりして……」
「ノア、じゃあ何で泣いてるの?」
ユーリに指摘され、ノアははっとして、目の下を撫でる。
「あ、本当だ。涙が凄い……。これ、きっと幸せすぎて涙が出てきているんだ。それとも何? ユーリは俺が母さんを殺して哀しいから泣いていると、勘違いしているの?」
「勘違いじゃないよ」
ユーリが静かな口調で言い、ノアの元へと寄り、その体をそっと抱きしめた。
(ああ……またあの時の感触だ)
以前、ユーリに抱き着いた時のぬくもりと心地好さを再び味わうこととなり、ノアの全身が弛緩する。
「きっとノアの中に、ノアの母さんを殺した悲しみも混じっている。それもあるからの涙なんだよ」
「嘘……だ。ぞんなの……無い。無いがら……うう……うぇぇ……」
耳元で囁くユーリの言葉を聞いて、ノアの中で感情が決壊し、嗚咽を漏らす。嗚咽はすぐに号泣へと変わる。
(あの時と同じだ。俺、またユーリに抱かれて、ぴーぴーみっともなく泣き喚いている。堰き止めていた水が一気に溢れて、川が氾濫したみたいに)
号泣する一方で、自分を冷静に観察するノアだった。まるでもう一人の自分が、自身を俯瞰して観ているかのように。
「いつまでぴーぴー泣いているんだか」
ノアが泣き止むと、ミヤが声をかけてきた。
「師匠、血を吐いていましたね。そんなに体調が――」
「だからブラッシーに治癒するためのものを届けさせたと言っておるだろ。これ以上心配せんでいいわ」
心配するユーリに、ミヤは不機嫌そうな声でぴしゃりと告げた。
「しかし……今回は迷惑かけちまったね。お前達二人で……よく頑張ったよ。プラス33やろう」
「おお……二桁ですか。何か嬉しい。しかも30越えなんて……」
ユーリの顔が綻ぶ。
「その数字って何?」
ノアがミヤを見て尋ねる。
「ポイントだよ。評価だ」
「評価……そっか」
何となく納得するノアだった。
「それとユーリ、今変身したこと、覚えているのかい?」
「ええ……一応は……」
ミヤに質問され、ユーリは複雑な顔になった。自分が宝石百足になった自覚ははっきりとある。記憶も残っている。しかし変身した理由がわからない。
(まさかセントになるなんて……どういうこと?)
(ユーリ、貴方の魔法によって引き出された力よ)
心の中で問いかけると、聞きなれた柔らかな女性の声が返ってくる。
「無我夢中で……僕の魔法であの変身が行われたようです」
「無意識の魔法ってわけかい。まあそういうことはあるが、それにしても何だって宝石百足なのさ」
「そう言われても……」
心の中で宝石百足と会話していることは、誰にも教えたくないユーリだった。
ゴートと黒騎士団もやってくる。結界はいつの間にか消えていた。
「見ての通り、XXXXは討伐したよ。ゴートや。功績は儂の弟子という事にしておいてくれ。いや、実際そうなんだからね」
「承知しました」
「それとゴートや……今のユーリの変身……宝石百足の件、記録せず、他言無用にしてくれぬか。部下達にも……」
「承知いたしました。他ならぬミヤ殿の頼みです」
ミヤの二つの要求を、ゴートは即座に承諾した。
「ミヤ……だっけ? 俺を弟子にして」
ノアが真摯な表情でミヤを見下ろし、懇願する。
「母さんは死んだ。俺が殺した。行き場が無くなった。身寄りも亡くなった。師匠も失くなった。だから……。俺は魔法使いとしてもっと腕を上げたいから」
「いいよ」
ミヤは二つ返事で応じた。心なしか、キャットフェイスが笑ったかのように、ノアの目には映った。
「よかったね、ノア。これから僕達兄弟弟子だよ」
「うん。よろしく、先輩。それとも兄貴って呼べばいいのかな?」
微笑むユーリに向かって、ノアも微笑み返す。
「いや、兄貴呼びはおかしいかと……。ユーリで呼び捨てでもいいよ。先輩呼びでもいいけど」
そう言ってからユーリは、ミヤの方を見た。
「それにしても師匠、あっさりと了承しましたね」
「アホかい。こんな立場の子を見捨てられるわけがないだろ」
ミヤが言うものの、理由はそれだけではなかった。
(それにこの子は、心に明らかに闇を抱いている。ユーリ、まだひよっこのお前には、それが見抜けないみたいだけどね。儂の目の届く場所で管理していた方がいい。そして儂とユーリが側にいれば、矯正も出来るかもしれないからね。母親の方とは違って、根っから腐っている子でも無さそうだし。それと――)
ミヤに目論見はもう一つあった。
***
ノアはミヤとユーリに連れられて、ミヤの家へとやってきた。
「ここで暮らすの? いい家だね」
扉を開けてすぐ大広間になっている家を見渡し、ノアは素直に思った事を口にする。
「このお爺さんのついた古時計、何だか不思議なパワーを感じる」
古時計を興味深そうに見るノア。
ミヤが魔法で戸棚を開け、とんがり帽子とマントを取り出し、ノアの前へと念動力で運んだ。
「ほれ。ユーリのお古だけど、今はこれで我慢しな」
「ありがとさままま。俺も婆みたいに、途中から折れている方がいいな。折っていい?」
「好きにしな」
ミヤが許可を出したので、ノアは帽子のクラウンを折る。
(いいかい、今から言うことは、ユーリには言うんじゃないよ)
ノアの頭に、ミヤが念話で囁きかける。
(お前を弟子にしてもいいが、条件があるよ)
(弟子にする条件て?)
(儂の目の届かぬ所で、ユーリを支えてやって欲しい)
それがミヤの、ノアを弟子にするもう一つの目論見だった。
(あれは突然暴走しだす。突っ走る。急に感情的になり、短絡的になる。儂はそんな風に育てた覚えは無いが、突然変なスイッチが入っちまうんだ。そういう癖がある。そしてすぐ白と黒とで物を決めたがる。これも何度も口を酸っぱくして、よくないと注意しているが、中々直らん。一体何の影響なのやら……)
「妙な話だね」
念話で喋っている間に、ユーリが浴場へと入っていったので、ノアは声に出して話した。
「儂の目の届かない所でそれが起こったら、お前が制してやっておくれ」
ユーリがいなくなったことを確認し、ミヤも声に出してお願いする。
「わかった。約束する。指切りげんまん」
「儂の手で指切りをやれと?」
「肉球と小指でやろう」
「断る」
にっこりと笑って小指を差し出すノアに、ミヤは憮然とした声を出して拒絶した。
「じゃあ約束のパワーが半減する。指切りげんまんしないと、約束した気分になれない」
「はん、妙な子だね。まあ、いい。ほれ、好きにせい」
溜息をつき、前肢を差し出すミヤ。その肉球に、ノアが小指をつける。
「指切りげーんまん。ちゃんと婆も言って」
「儂、これからお前の師匠になるのに、婆呼びかい」
指切りをしながら、ますます憮然となるミヤだった。
***
魔法使いの衣装に身を包んだノアが、ミヤの家の外に出て、街道と草原を見渡す。
先程の戦闘があった方を見る。マミが果てた場所を意識する。屠った場面を思い出す。
「母さん……母さんのいない生活の始まりだよ。魂は側にいるけどね。宝石の中の地獄はどんな気分?」
夜空を仰ぎ、口を開く。風が強い。雲が高速で流れている。マントも先程からたなびき続けている。
「もう母さんの目を気にしてびくびくしなくていいし、自分で自分を糞扱いして、卑下する台詞を口にしなくてもいいんだよ。母さんを殺して、殺すことが出来て、本当によかったよ。せいせいしたよ。晴れ晴れだよ。ハッピーだよ」
本当に晴れ晴れした顔で、声に出して喋り続けながら、ノアはミクトラを現出させ、ガントレットにはめられた大きなルビーに顔を寄せた。
「母さん、ユーリもミヤもとてもいい人達だし、あの人達についていくよ。きっと母さんと一緒にいるより、得られるものは多いと思う。頑張って修行して力をつける」
ルビーに閉じ込めた母親の魂魄を意識し、語りかける。
「二人共お人好しの偽善者みたいだしね、利用させてもらう。俺は強くなる。力をつける。魔法使いとしての力を上げていくし、人喰い絵本の中にいっぱい入って、イレギュラーを集める。力をつける。強くなる」
今後の予定を、本音を、決意を、ノアはマミの魂に向かって告げる。マミに聞こえているかどうかは、問題としなかった。
「そしていずれ、俺は第二の魔王になって、俺より幸せな人をいっぱいぶっ殺すんだ。殺して殺して殺しまくるんだ。だから母さん、そこで見守っていて」
八章、終。




