8-1 腹いせは必要
夜、スィーニーはチャバックに勧められて、旧鉱山区下層の飯屋で夕食を取っていた。
「ユーリも誘ったけどいなかったよう。猫婆もいなかったからきっと仕事だね。人喰い絵本の中で人助け、頑張ってるんだあ」
「わざわざ二人の家に行ったの?」
「山頂は宅配の仕事でよく行くから、そのついでなんだ~」
食事を取りながら会話を交わすスィーニーとチャバック。と、そこに――
「いやあ、儲けた儲けた」
上機嫌な酔っ払いの声が耳に入る。その声にスィーニーは聞き覚えがあった。
声のした方を見ると、昼間にムーンふりかけの値上げを豪商に抗議していた魔月丼の商人が、仲間達と酒を呷っていた。
「魔法使いってのはすげえんだなあ。子供が作ったエニャルギー結晶でさえ、そんな高額で売れるなんてよ。羨ましいぜ」
「つーか、ちょっと値段上がったからって、クレームつけにいっただけで、そんなタナボタ展開に恵まれるなんて、神様はろくでもない奴だわー」
商人の仲間の台詞を聞き、スィーニーは昼間の会話を思い出す。
(昼間はあの悪趣味な服装の豪商が、露骨に搾取しているように聞こえたけど、何かこの話だと違うっぼい? ちょっと値が上がっただけ?)
商人達の会話内容を聞いたスィーニーは、そのような疑いを持つ。
「俺の演技力の賜物だよ。こっちはもう首吊るしかないって勢いで、切実に訴えたあれは、我ながら見事だったぜ。あの糞野郎には通じなかったけど、たまたま通りがかった、お人好しの魔法使いの小僧には通じたわけだからな」
(オーバーに訴えて値を下げてもらおうとしていただけで、しかもユーリがそれに引っかかったってことね)
得意げに話す商人の台詞を聞き、スィーニーは猛烈な胸のムカつきを覚えた。
スィーニーが乱暴に立ち上がり、チャバックはぎょっとする。そしてスィーニーが怒りの形相であることを見て、チャバックはさらに驚いた。
「エニャルギー結晶、売り飛ばしちゃったんだ?」
商人達のテーブルの前に行ったスィーニーが、冷ややかな目で商人を見下ろし、ドスの利いた声をかける。
商人はスィーニーの顔を覚えていたし、今の会話を全て聞かれたと理解し、息を飲んだ。何よりスィーニーの迫力に圧倒された。
「お前……あの時魔法使いといた南方人の娘か……。はんっ、べ、別にいいだろっ。あの小僧だって、俺の足しにって渡してくれたんだ。魔月丼の足しにしようと、そのまま還元しようと、どっちも同じことだぜ」
唾を飛ばしながら開き直る商人だが、その声にも表情にも、動揺がありありと見受けられる。
「そっか。そうだよね。そりゃそうだ。でもさ、小僧じゃねーんよ。ちゃんとユーリって名前があんだよ。お人好しなのは確かだけど……さ!」
スィーニーが商人を殴り飛ばした。
「うわー! スィーニーおねーちゃんっ、何してるのーっ!?」
驚くチャバック。商人の仲間達はぽかんと口を開けているが、店での酒絡みの喧嘩は日常茶飯事なので、他の客達は大して驚いていない。
「物事を一面から見ては駄目って教訓なんよ。って、嘘。私がムカムカしたから、スッとするため。ただの腹いせよ」
自分だけにわかる台詞を吐いて、元の席に戻るスィーニー。
(ユーリにも後で教えておくかな? いや、黙っておいていっか)
ユーリの優しさと純粋さを考えると、スィーニーは哀しくなる。余計なことは喋られない方がいいと判断する。
(私が本当に根っからの商人だったら、こいつが抗議していた時の、あのオーバーな演技も見抜けたんかな? あの豪商はわかっていたからこそ、取り合わなかったのかもしれないね)
そう考えると、正義と悪があべこべだったという事実になるし、ますますユーリには黙っていた方がいいと思えた。
***
ノアが六歳の時、母に聞かされたある話が、ずっと記憶にこびりついている。
二人がア・ハイ群島の地方に滞在していた時、村の畑にミノタウロスが出没したというので、母が退治し、報酬を貰った。
「魔物って何なの?」
マミが屠ったミノタウロスの亡骸を見下ろし、ノアは尋ねる。
「普通の獣とは違う、人類に敵対する獣や種族のことよ。今から三百年前、魔王と名乗る恐ろしい存在が大勢の魔物を引きつれて、世界を滅茶苦茶にしたの。それまでは亜人や魔物なんていう存在はいなかったけど、魔王が現れてから、こいつら魔物と亜人達が世界に残って、今も人類を脅かしているわ。亜人ていうのは、エルフとかドワーフのことね。亜人の中でも人間と敵対関係にある奴は、魔物扱いされているわね。ゴブリンとかコボルトとかね。ま、都会とか人の多い場所には出てこないわ。こういった地方の街道とか畑で、被害が出てるみたい」
母の説明で気になったのは、魔物よりも、魔物を引きつれて現れた魔王という存在だった。
「魔王って何? 何で世界を滅茶苦茶にしたの? どこから来たの?」
「さあね。魔王に関しては謎が多くて、その姿さえ現代に伝わっていないわ。ただ、世界をというより、人類社会を滅ぼそうとしたみたい。襲っていたのは人の住む町や村だけで、動物を無闇に殺したり、自然まで荒らしたりはしなかったらしいの。だとするとやっぱり、人間が憎かったんじゃないの?」
魔王の話を聞いたノアは、ますます魔王に対する興味が強くなった。魔王についてあれこれ考えるようになった。
人が憎くて、人の世界を滅茶苦茶にして、三百年経った今でも語り継がれている恐怖の象徴――魔王。何という素晴らしい存在だろうと、ノアは胸をときめかせた。その存在を意識するようになった。強く惹かれた。とても憧れた。
やがて魔王という存在に羨望を抱くに留まらず、自分も魔王になって、人々を殺しまくりたい。自分より幸せな人々達を絶望させまくり、殺しまくりたい。そんな空想を思い描くようになった。
ノアは空想の中で魔王になって、何度も世界を壊した。しかし空想は空想でしかない。
魔王は確かに実在した。しかし、魔王はどうやって魔王になった? 何があって魔王になった?
自分も本当に魔王になりたい。その方法は無いものか? ノアはそんなことを真剣に考えるようになった。魔王が何者であったかも謎のままだが、そのルーツを調べれば、その謎が解けて、自分も魔王になれるのではないかと、そんな期待を抱いていた。
しかしマミに連れ回され、殺しの手伝いをさせられ、中々自由な時間がとれないノアに、魔王のルーツを調べるのは難しい。せいぜい出来ることと言ったら、マミの目を盗んで、図書館で魔王に関する文献を調べる程度であったが、魔王のルーツに繋がるようなことは、何もわからないままだ。
そして今、ノアは別の方法で魔王になれないかと考えている。
***
ミヤとユーリへの復讐のために、マミは何日もの間、準備を進めていた。
しかし、復讐のために余念が無い――という程ではない。どちらかというとマミは、腹いせの殺人の方に行動の比重が割かれていたように、ノアの目には映った。XXXXとしての活動が出来ない事が、マミには相当なストレスになっていたようだ。
そもそもミヤ達にバレる前のマミも異常だった。XXXXの活動頻度が異常に増していた。その原因はノアにあるという事も、ノアにはわかっている。
マミのノアに対する当たりは、年々キツくなってきている。母の思い通りにならない娘。母を満足させてやれない娘。その腹いせのために、リスクを省みず、XXXXの殺人へとぶつけている。
ただ殺すだけではなく、血文字でXXXXの仕業とアピールする事で、マミの欲求は満たされる。日々のストレスも解消される。それはマミにとって大事なライフサイクルになっている。
「ノア、この襲撃、絶対ヘマは許されないのよ」
怖い顔でマミが念押しする。
「母さん、俺がそんなに信じられないなら、俺に大事な役なんてさせない方がいいよ」
怒られて殴られるのも覚悟のうえで、ノアは反抗的とも取れる言動を取る。色んな意味で、今こんな発言はしない方がいいと、ノアはわかっている。しかし言わずにはいられなかった。
「いや、信じてるわ。というか、信じるしかないのよ」
突然相好を崩すマミに、ノアはきょとんとした顔になった。てっきりいつものように、歯を剥いて目を血走らせて、キーキー喚きながら怒るかと思ったのに、この反応は完全に予想外だった。
「どうしたの?」
意外そうに大きく目を見開いたまま固まっているノアに、訝るマミ。
「生意気言ったから、怒られるかと思った……」
「確かに貴女は、最底辺で価値が無い、顔だけしか取り柄の無い、駄目で駄目で駄目な子よ」
ノアの言葉を聞いて、マミはにんまりと笑いながら、ひどく柔らかく穏やかな口調で、いつもの罵倒を口にする。
「でも、そんな貴女でも、私だけは見捨てないでいてあげているのよ? だって私の子だし」
恩着せがましい言い方ではなく、猫撫で声でもなく、あっさりとした口調で言い放つ。今日のマミは、いつもと言っていることは同じなのに、喋り方がいつもと異なるので、ノアの耳には新鮮に聞こえた。
「世の中の屑共を見なさい。あいつらみーんな、私に殺される程度の価値しかない屑なの。でもね、そんな屑でさえ、ノア、貴女よりはマシよ。貴女はあいつらにも劣る、何も出来ない、最底辺の屑以下の存在。それなのに私はこうして、貴女の面倒をみていてあげる。何でだかわかる? 貴女が可愛いからよ。貴女が私の実の娘だからよ。貴女が私の言うことをちゃんと聞くからよ」
聞きなれた台詞。ノアはいつもこれらの言葉を聞いて、最悪な気分になる。しかし今日は違う。
(これで母さんの戯言を聞くのも最後だ。せいぜい俺に燃料注いでくれ)
ノアは母親の言葉を受け止め、闘志へと変換していた。しかしその闘志も必死に内に収め、隠していた。
「いいこと? 私のいうことをしっかりと聞いて、あの魔法使い二人を殺すことに全力を注ぎなさい。まだ貴女はヘマをしていない。例え貴女が無能でも、私にはノアしか頼れる者はいないのよ。だから貴女に大事な役目を託す。だから貴女がヘマすることは許さない。無能だろうと許さない。いい? わかった? 命をかけて私のために頑張ると誓いなさい」
「命をかけて母さんのために頑張ると誓うよ……」
硬質な声で、しかし瞳に決意を漲らせて、強要された台詞を口にしたノアを見て、マミは再びにんまりと笑う。
「いい子ねえ~。とってもいい子よノア。この世界で、私にとっていい子と呼べるのは、貴女一人だけなのよ~、ノアだけがガチでいい子よ~」
いつもの気色悪い猫撫で声をあげ、マミはノアの頭を抱き寄せて撫で続けた。




