7-2 騎士団長、真っ先に逃亡
ユーリとミヤは黒騎士団のアベルに連れられ、貴族連盟議事堂へと馬車で向かった。
「連盟議事堂に来るのも久しぶりだ」
恐ろしく豪奢な建物を前にして、ユーリが呟く。来るのは初めてではない。貴族連盟会議には、ミヤと共に何度か参加したことがある。この建物を見る度に、ユーリは嫌な気分になる。民から吸い上げた血税で、やりたい放題やっている貴族の横暴を見せつけているかのように、感じられる。
(そしてこれから、その搾取する選民派の貴族の巣窟に入っていって、連中の顔を見て、勝手な言い草を聞かないといけない。憂鬱だな)
珍しく、かなりネガティブマインドになるユーリ。何度か来て会議に参加しているので、会議の様子も大体知っている。
選民派の貴族達は、国民のことなど何も考えていない。如何に自分達の権威と利権を守るか、それだけにしか興味が無い。連盟会議に初めて参加した、十歳の頃のユーリにも、それは一目でわかったし、初めて参加した際、彼等の欲望はひどく醜く映った。
『気分が悪いかい? あれもまた世の中にある一つ。この世は綺麗なものばかりで出来ているんじゃないんだよ』
十歳の頃、帰り際にミヤが口にした台詞を今でも覚えている。
ミヤがユーリに向かって、似たような台詞を口にすることを、何度もあった。世界は、人間は、綺麗でも純粋でも無い。光が有れば影も有ると。最近ミヤから言われて衝撃だったのは、悪人の心が理解できないから未熟という台詞だ。あれはユーリの心に焼き付いているし、理解したくないと反発している。
「あれ? ケープ先生」
本会議場内に入った所で、ユーリ達はケープと遭遇した。
「あら、ユーリ君にミヤ様も来てらしたの」
「うむ。K&Mアゲインなる過激派組織の件でな。お前さんもその組織と関わりがあるのかい?」
「いえ……私は別件です。今日の会議で、鉱山区下層の医療支援金を減らされてしまったので、その抗議のために……」
「そうですか……」
「ふむ……」
曇り顔のケープの言葉を聞き、ユーリも表情を曇らせ、ミヤも難しそうな顔になる。その抗議が通るわけがないと、全員わかっているのだ。
「やり取り次第であるが、儂が一肌脱いでやろーかの。ケープにはうちのユーリも世話になっているようだし」
ミヤが珍しく茶目っ気ある声を出す。
「え……そんな。世話になっているのはこちらですよ。チャバック君が、ユーリ君に色々と目をかけて頂いて」
「僕とチャバックは友達だから、目をかけるも何も無いよ。僕の友達がケープ先生に色々とお世話になっているんだよ」
「そういうことさね。つまりユーリも世話になっているようなものよ」
ユーリも明るい声で告げ、ミヤがうんうんと頷いた。
「ありがとうございます。お気持ちだけでも嬉しいです」
「ふん、儂を舐めてるのかい? 儂が一肌脱ぐと宣言したんだよ。お気持ちだけで済ますわけがないだろう」
ケープの礼に対し、ミヤが不敵な口調で告げた。
「今日は千客万来だな。見ない顔が多い。貴族でない者も多い。荒れた会議になりそうで何よりだ。はっ」
ミヤ、ユーリ、ケープの方を見て、憎まれ口を叩いている年配の男がいた。
「蝉の真似していた男だ。あれがアベルの父親だね」
ミヤはその男の顔を覚えていた。男の座る席の前には、カイン・ベルカという名の名札が立てられている。
「ですね。前回僕達が来た時はいませんでしたし、わりと最近会議に出られる立場になったようですね」
「つまりここの顔ぶれの中では新参だろう? そのわりには偉そうな態度だね」
「聞こえてるぞっ。蝉の真似だと? 私がそんなことをすると思うかっ」
ミヤの言葉を聞いて、声を荒げるカイン。
「よくしているくせに……」
「ベルカ郷はしょちゅう蝉の真似しているだろうに……」
「議論で追い詰められると蝉になって、会議を中断させてばかりいます」
貴族達が眉をひそめてひそひそ囁く。
「ベルカ議員の発狂モードは、今や貴族連盟議事堂の名物となっております。本人に記憶はないようですが……」
後ろからゴートがやってきて言った。
会議が始まった。
内容は退屈で、眠気をさすものばかりだ。実際居眠りしている者も何人もいる。ミヤも眠くなって、欠伸を噛み殺している。
「師匠、相変わらず居眠りしている人ばかりですね」
「儂も眠いよ」
不快そうに言うユーリに、ミヤは薄目で溜息をついた。
「そもそも説明の仕方が悪いと、儂はここに来る度に思っている。簡潔に説明出来る者もいるが、回りくどい説明の仕方をする者が多いでの。議論になる際もそうじゃ。選民派と正道派で、しょーもない足の引っ張り合いばかりしおって。実に退屈なやり取りだよ。眠くもなるさ」
「でも居眠りしているって事は、仕事をサボっているってことじゃないですか。税金絞り取っている立場で……」
「お前は本当に……マイナス1だね。儂は一概にはそうは思わんよ。ゴートを見てみい」
「あ……」
うたた寝しているゴートを見て、呆気に取られるユーリ。
「あ奴もサボっておるな。しかし……あ奴は会議以外の場ではしっかりと働いているぞ。他の貴族もそうよ。会議に出るだけが彼奴等の仕事ではないのさ。徹夜で資料に目を通し、抱えた難題に頭を悩ませている者もおるよ。そうした者が居眠りして、それを批難できるのか? ま、ただ眠くて寝ているだけの者もわりといそうだけどね」
「そうですか……」
「お前は上っ面だけ見て、善悪を容易く決める癖を、いい加減改めるようにしな。安っぽい正義を振りかざす愚かな子にはならないでおくれ。小さい頃からそう躾けてきたつもりだけどね。どうにもその傾向が強い。潔癖すぎる浅はかな優等生タイプになんてなるんじゃないよ」
「わかりました……」
表面上は納得して頷いていみせるユーリだが、実の所納得していない。ミヤに同じ説教を受けるのは何度目かわからない。しかしこの説教に関しては、どうしても反発があるユーリである。
「次に、鉱山区下層の医療支援の予算問題についてですが――」
ここでケープの出番がやってきたかに見えたが、先に発言する者があった。純白の鎧に身を包んだ女騎士だ。
「医療予算は元に戻すべきです。鉱山区下層で働く医療従事者に負担がかかってしまっています。元から反対でしたが、こうして現場の人が訴えてきているのです。相当深刻な状況になっていると受け止め、改めるべきです」
発言したのは白騎士団の団長マリアだった。ケープが先に訴える前にマリアに言われてしまったので、ケープは特に言うことが無くなってしまった。
正道派の貴族達は次々と支持するが、選民派の貴族達は小馬鹿にした態度で取り下げようとする。
正道派の一部の貴族達も、後ろ向きな姿勢を示している。一部の医師が医療支援の横領をしていたために、その制裁のニュアンスもあって、予算減額をしたためだ。
「その問題、儂からもお願いするよ。予算額を元に戻してやってくれないかね。まあ、これはあくまでお願いなんだがね。何せ魔術師と魔法使いは、政治に口出しは御法度だ」
ミヤが口を出すと、正道派を選民派の貴族達も顔色を変えた。
「み、ミヤ様がそう仰ったならば……」
「この国の――ア・ハイの最大の貢献者と言ってもいいミヤ様の願いとあれば、この程度の問題、聞き入れないわけにはいきませんな」
「では医療支援の予算額の再度見直しの決を採りますか」
その後は選民派の貴族達でさえ反対せず、あっさりと見直しが決まる。
「師匠、凄いんですね」
「出来る事と出来ない事があるよ。もっと大きな問題となれば、いくら儂の訴えでも、貴族共は聞き入れやしないさ」
感心するユーリに、ミヤは素っ気ない口調で言った。
「大魔法使いミヤ様が何と言おうと、私は断じて反対だーッ!」
しかし一人だけ反対する者がいた。アベルの父カイン・ベルカだ。こめかみに青筋をうきあがらせ、口元を思いっきり歪めて歯を剥きだしにして、鼻息を荒くしている。
「下賤な民に余計な金など与える必要は無いだろーがーっ! 奴等は馬車馬のように働かせ、とことん重税を課して搾り取るに限る! 医療支援など超絶不要! 病気になったらそのまま死なせておけェーッ! どうせまた勝手に盛って、勝手に生まれてくる! 民など虫のようなものだ! いや、余計な主張をする分、虫よりタチが悪い! 民は日陰に生えた苔のように生きていればそれでよいのだ! 陰湿でじめじめした民の性格を考えてもそれが相応であーる!」
「ベルカ郷、落ち着きなされ。また追い出されますよ?」
「ベルカ郷、うるさいですよ」
喚き散らすカインに、貴族の何名かが注意する。
「黙れぇーっ! 私が主張するのだから、断じて私が正しい! 何故それがわからーん!」
貴族達を一喝し、突然席を立って走り出したかと思うと、本会議場の柱にしがみつくカイン。
「また蝉ですか……。いや、違うっ、あれは……」
呆れて溜息をつきかけたが、カインの鳴き声を聞いて顔を強張らせて青ざめた。
「オーシーツクツクっ、オーシーツクツクっ、オーシーツクツクっ、オーシーツクツクっ、キゾクヨーシ、キゾクヨーシ、キゾクヨーシ、キゾクヨーシ」
「いかんっ、ベルカ議員がツクツクボウシの真似をしだした」
「あれが始まると……駄目だっ、ベルカ殿を止めろ!」
「すまん、私は逃げるっ」
「ゴート団長! デカい図体してるくせに、郷が真っ先に逃げるとは何事だ!」
「それでも黒騎士団長か! 恥を知れ!」
たちまち騒然とする本会議場。
「ゴートさんが逃げだしちゃいましたよ」
「何かよろしくないことが起きそうだね」
ユーリとミヤは何が起こるのか知らないが、すぐに対処できるように身構えていた。
カインが柱にしがみついたまま、ズホンを脱ぎ始め、下半身を丸出しにしていく。
「ああっ、始まってしまうっ。早く引きずり下ろせ!」
「嫌だ! 私はもう服を汚されたくないっ。おい衛兵! ベルカ議員を外に連れ出せ!」
貴族の一人に命じられ、衛兵達がカインを柱からひっぺがし、本会議場の外へと連行していった。
入れ違いにゴートが戻ってくる。
「真っ先に逃亡した恥知らずの騎士団長殿、帰りもお早いですなっ」
「すまぬな。私はもう服や鎧を濡らされるのはたまらんのでな」
貴族の一人が嫌味を言うと、ゴートは髭をこすりながら笑っていた。
「次の議題は、旧王制と魔術師ギルドの復権を目指す反体制組織、K&Mアゲインの対処について――」
「ふん、ようやくかい」
ミヤが息を吐く。
「御存知の通り、今会議では大魔法使いミヤ殿にお越し頂いておる。ミヤ殿は先日、人喰い絵本の中で遭遇した、K&Mアゲインに属する魔術師、ジャン・アンリと遭遇している。ミヤ殿、仔細をお願いします」
貴族連盟議長ワグナーに促され、ミヤが立ち上がる。
「報告はすでに受けておるだろうが、彼奴は人喰い絵本で力を得たよ。イレギュラーとなった。魔法使いと同等の脅威と見てよいな」
ミヤの言葉を受け、本会議場がざわついた。
「加えてK&Mアゲインのトップも脅威と言える。儂の推測だけど、あの組織の長はアザミじゃないかと見ているからね」
「アザミ……!? アザミ・タマレイか!?」
「ミヤ殿、根拠はあるのですか!?」
ミヤが口にした名を聞き、さらに騒然とする本会議場。
「王政が廃棄された時、魔術師ギルドを解体して、魔術師の組織化が禁じられた時、アザミは不満たっぷりでね。儂に直接、貴族共を皆殺しにして、魔術師と魔法使いが治める国にしようと、誘いをかけてきよった。きっと他の魔法使いにも誘いをかけただろうね」
ミヤが皮肉げな口調で語ると、またざわつく。
「それは……ほぼ決定的ではないでしょうか」
白騎士団長のマリアが神妙な面持ちで言う。
「このようなことを言いたくはありませんが、何故今まで黙っていたのですか?」
貴族の一人が問う。
「あくまで推測だしね。アザミに同調する魔法使いといったら、アザミの兄のシクラメくらいしかいないだろうし、シクラメに特に不審な話は聞かない。この三十年間、アザミがそれらしい行動を取った形跡も無かった。しかし……アザミの奴、西方大陸で『昇華の杯』と『バブル・アウト』を手に入れたと聞いた。魔法使いであるアザミが、そんなものを手に入れる必要があるかい? つまり、そういうことさ」
「失礼。昇華の杯とバブル・アウトは何ですか?」
ケープが尋ねた。
「昇華の杯は魔術師を魔法使いにする魔道具さ。一つにつき一回しか使えないけどね。バブル・アウトは西方大陸が、魔王軍用に作った虐殺兵器だよ」
ミヤが答える。
「アザミ・タマレイがK&Mアゲインの者と仮定すれば、配下の魔術師を魔法使いにして、組織の力を高めるために、昇華の杯を手に入れたという答えに行き着きますな。そしてバブル・アウトで、逆らう者を始末すると……」
「そうなるね。そしてK&Mアゲインはこれで、ア・ハイ群島で名の知られた七人の魔法使いのうち、二番手の実力者であるアザミと、さらに魔法使いがもう一人加わる組織になっちまうって事だよ。そして当然、アザミの兄のシクラメも、アザミにつく。つまり魔法使いが最低でも三人だ」
ゴートとミヤが言った。
「他の四人の魔法使いの中に、賛同者がいる可能性はありますかな?」
「無いとは言い切れないが、可能性としては低いよ。王政と魔術師ギルドが廃棄され、魔術師と魔法使いの扱いが悪くなっても、皆争わずにそいつを受け入れちまったのさ。儂もね。当時の貴族だって、魔法使い達が盾突かないと確信していたからこそ、クーデターに踏み切ったんだよ」
ワグナー議長の質問に対し、ミヤは私見を述べる。
「師匠、アザミという魔法使いがア・ハイ群島で二番目に凄い魔法使いなら、一番凄い魔法使いって誰なんですか?」
「そりゃ儂に決まっとろーが。大勢の前でアホな質問しよってからに。ポイントマイナス2。儂の弟子のくせに、そんなことも知らなかったのかいっ」
ユーリの質問に対し、ミヤは苛立ち混じりの声で叱った。




