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7-1 可愛い子だから血を吸わせろ

 繁華街で買い物をしているユーリの前に、唐突にその男装少女が現れた。


「ノア……」

「報告に来たよ。そろそろ母さんが動き出す。XXXX(クアドラエックス)としての活動が出来なくなって、ストレスが凄くて、もう我慢できないみたいだしね」


 ユーリを前にして、ノアが淀みない口調で報告する。


「例え母さんが君達を始末しても、君達が母さんを探知する魔法を他の魔法使いに教えていたら、意味無い気もするけど。他の魔法使い達にまた追われるだけだし」

「他の魔法使いって……師匠含めこのア・ハイ群島で名が知られている魔法使いは七人しかいないけど、そのうち一人以外は会ったこと無いし……」


 ユーリが知るその一人の魔法使いも、所在が知れない。


「そうか。ま、それはどうでもいいね。まあ、警戒しておいて。もし余裕があったら、母さんと俺が動き出す直前に報せる」


 そう伝えてから、ノアはうつむき加減になる。


「ユーリ……こんなこと頼めた義理じゃないけど……」


 何か思いつめたような響きの、暗く沈んだ声を発するノア。


「俺を助けて……。これが多分、最後のチャンスだよ」


 偽りの無い、心からの懇願を口にする。ノアがこれまで生きてきて、誰かにここまで切実にお願いをした事は無かった。


「助けるよ」


 ユーリが微笑む。


「全てをいい方向に繋げよう。僕も殺されたくないし、ノアのことも助けたいと思っているからさ。一緒に頑張ろう」

「うん、ありがとう……ユーリ」


 ユーリの力強い言葉を受け、ノアは顔を上げてはにかむ。


(念押しなんてしなくても、ユーリはちゃんとやってくれそうだ)


 ユーリと別れてから、ノアはほくそ笑む。


(一緒に頑張って、俺の母さんをぶっ殺そうね、ユーリ)


 そして心の中で、届かぬ声でユーリに呼び掛けていた。


***


 ジャン・アンリは虫が好きだ。

 ジャン・アンリは感情が表に激しく出る様を見ることが好きだ。

 ジャン・アンリは絵を描く事が好きだ。

 ジャン・アンリは魔術を極める事が好きだ。

 ジャン・アンリは貴族が大嫌いだ。


 そんなわけでジャン・アンリは、大嫌いな貴族を大好きな魔術で大好きな虫と混ぜて、貴族が絶望している表情を見て、その顔を絵に描くのが大好きなのだった。


「ポーズを取れと言っておく。ダブルピースということにしよう」


 アトリエの床に座っている素っ裸の貴族の老人に向かって、ジャン・アンリが要求すると、老貴族は救いを求めるような眼差しを向けながら、要求に応える。


「ポーズを取り続けなくてもよいということか? 一度ポーズすれば私は記憶できるということだ。細部まで全て記憶できる。これは私の特殊能力――でよいのかな」


 絵を描くジャン・アンリに言われて、老貴族はへらへらと笑いながら、ダブルピースを辞めた。ジャン・アンリはそれを見て、絵を描く作業を一時中断する。


「へつらいの笑みと見てよろしいか? 今まで他者を見下していた、選民派の貴族が。うむ。良いとしておく。褒美をやらねばならないのではないか?」


 ジャン・アンリが呪文を唱える。すると数匹の細長いイモ虫が貴族の首元に現れ、老貴族の耳の中へと入っていく。


「あひぇ~」


 老貴族が恍惚とした表情になり、裏返った声をあげる。白目を剥いて、口の端から涎を垂らす。


「快楽物質を刺激する虫だ。褒美としてどうだろうか? へつらった事への褒美ではない。君は表情豊かであるから、その褒美だ。私の気持ちとしておこう。しかし無理に表情を作る必要も無い。自然が一番ではないか? 表情は、心から自然に派生するからこそ美しい。魂の光表れだ。愛想笑いは気持ち悪いと言っておく。へつらいの絵みを作り笑いと見る見方もあるが、私は違うと思う。へつらうという気持ちが、その笑みを自然と出すのだろう」


 喋りながら、ジャン・アンリは絵を描いていたが、彼の言葉は、快楽に打ち震えている老貴族の耳には届いていなかった。


(私は感情を表に出すことが出来ない、欠陥人間であるがな)


 だからこそジャン・アンリは、他人の表情に惹かれる。強い感情が表に出る様に美を見出す。


(あの少年は素晴らしかった。美しい少年だった。美しい表情だった。大魔法使いミヤの弟子、魔法使いユーリ。私の贈り物を受け取って、どう感じただろうか。どんな顔をしたか。もっとあの少年の色んな表情を見たい。描きたい)


 へつらった笑みを浮かべてダブルピースをする老人の絵を描き上げると、先日、『K&Mアゲイン』の棟梁から宅配された物を見る。


西方大陸(ア・ドウモ)で創られた魔道具か。人喰い絵本の中で力を得た私の力を、さらに伸ばすべきか? それとも誰かの力を伸ばす事に使うべきか?」


 肉声に出して呟き、眼鏡に手をかけて思案する。


(私はすでに――魔法使いとも遜色無い力を有している。やはり優秀な駒を増やす方がよいのではないか? そういう事にしておこう)


 絵を描き上げ、一息ついている所で、隠れ家の呼び鈴が鳴った。


 訪問したのは同じ『K&Mアゲイン』の魔術師の女性だった。


「君か」

「ジャン・アンリ。棟梁から、魔術師を魔法使いにする魔道具が送られてきたと聞きました」

「欲しくて来たのか? 早いな。一番乗りだ。一番乗りの君に渡してよいだろうか?」


 女性が言うと、ジャン・アンリはおかしな疑問形で言葉を紡ぎ、宅配されてきた荷包みを見せる。


 女性は躊躇っていた。確かに魔道具目当てに来たが、こんな気前のいい話は無い。魔道具を譲り受けるため、自分を売り込むための交渉も必死に考えてきたのに、何の意味もなさなかった。


「魔法使いにランクアップできるなんて、夢のような話です。是非試してみたい」

「では君にしよう。君で構わない。早い者勝ちということでいいだろう」


 ジャン・アンリはあっさりとした口調で言うと、荷包みの包装を開き、中からグラスを取り出し、女性に差し出す。


「貴方は使わないのですね」

「棟梁は使う相手を指名してはいない。私もさっきまで迷っていたが、私は元々大きな力を持つし、力を持つ同志を増やした方が、組織としては有益と判断したというわけだ。理解してもらえたか?」

「なるほど……では有難く使わせて頂きます」


 女性は緊張した面持ちで、ジャン・アンリからグラスを受け取った。


***


 ユーリが買い物で家を空けている間に、ミヤの家には客人が訪れていた。


「御所望の、ミミズマンの生体を四匹、ガオケレナの聖灰と、聖者プンスカの肝、聖アクルの血は容易できましてよーん。残念だけど、ナイトエリクサーと聖果カタミコは、手に入れられなかったわーん」


 テーブルの上には、ミヤが所望した品を並べられている。


「御苦労さん。さて……どの程度効果があるかねえ。まあ、数年でもこの命を永らえさせれば、それでいいよ」


 そう言ってミヤは、テーブルの上の品々を、念動力で片付ける。


「おや、丁度帰ってきたみたいだ」

「ただいまーって……お客さ……ん」


 広間の中央のテーブルの上にいるミヤと向き合って座る、身なりのいい男を見て、ユーリは息を飲んだ。


 白く透き通るような肌。オールバックにした銀色の髪。貴公子然とした身なりと佇まい。絶世の美男子と呼んでも全く誇張にならぬほど整った容姿。しかしその男と初めて会うにも関わらず、ユーリはその男の顔を何度も見ている。町の様々な所で肖像画が飾ってある。絵の題材として画家達に好まれている人物だ。


(この人、見た目吸血鬼みたいな服装してる。魔王を裏切った吸血鬼ブラム・ブラッシー……と同一人物なわけないよね)


 よく似た別人か、あるいは他人の物真似をしたがる人なのかと勘繰っていると、男が立ち上がった。


「はじめましてえん。お邪魔していまーっす」


 男が裏返った声をあげて、優雅な仕草で一礼する。


「お初ぅ。私はミヤ様の知己、ブラム・ブラッシーよーん。よろしくねえ、弟子のユーリ君」

「は、初めまして……ユーリです」


 気さくなオネエ口調で挨拶してくる絶世の美男子に、ユーリは思いっきり戸惑いながら挨拶する。


「師匠……この方、本当にあのブラム・ブラッシーさん……? あの『八恐』の……」

「本物だよ」


 呆気に取られたまま尋ねるユーリに、ミヤはあっさり答える。


 ブラム・ブラッシーの名を知らぬ者は、よほどの未開の地か、赤ん坊でもない限り、いないと思われる。

 かつては魔王の大幹部の魔物『八恐』の一人であったが、魔王を裏切って人間側に寝返った吸血鬼。彼の裏切りがあったからこそ、勇者ロジオは魔王を討つことが出来たと伝えられている。そして三百年経った今も生きているリビング・レジェンドだ。


「ミヤ様とは長い付き合いですわーん。って言っても、会うのは二十年振りくらいだけどー。ミヤ様が弟子を取ったと聞いて、どんな子かなーって興味が湧いて、ここに来たのよーん」

「ブラッシーさんみたいな凄い人と、師匠が知り合いだなんて」

「いやあねえ。ミヤ様だって大魔法使いと呼ばれてるお方ですし、私なんかよりずっと凄いわよーん。何しろ『破壊神の足』を――」

「ブラッシー、くだらないお喋りをする気ならとっととお帰り」

「あら、ごめんなさーい。そう言えばミヤ様、あの話は御法度だったのよね~ん。おほほ、長いこと会ってなかったし、すっかり忘れちゃってましたわん」


 ミヤが不機嫌そうな声を発すると、ブラッシーはなよなよした仕草で謝罪した。


(まさか伝説のブラッシーさんが、オカマさんだったなんて……)


 そんな話は初めて聞いたユーリ。その話が世に伝わっていない事が不思議に思えた。


「お弟子さん、可愛い子ねえん。こんなに可愛ければ、そりゃミヤ様も、弟子に取りたくなるわ~。ミヤ様、面食いだし~」


 ブラッシーがうっとりとした表情で言いながら、自分の顔をユーリの顔に寄せてきたので、ユーリは慄きながら上体を逸らす。

 しかしブラッシーはいつの間にかユーリの顔に手を伸ばし、ユーリが逃れられないように片手で引き寄せた。


「それじゃいっただっきまあ~す」

「え? ええっ?」


 ブラッシーが大きく口を開き、ユーリの首筋へと迫る。ユーリは何をされるか頭で理解しつつも、軽くパニくっていた。


「ずごぶ!」


 念動力猫パンチを頭頂に食らい、ブラッシーはおかしな声をあげて、床に頭から突っ込むようにして倒れる。


「マイナス5。とっととお帰り」

「何よぉ。ちょっとくらい吸ってもいいでしょー。この子に吸血鬼の血を与えるようなことはしないわよーん」


 ミヤが冷たく言い放つと、ブラッシーがくねくねした動作で立ち上がって唇を尖らせる。


「せっかく来たんだし、しばらく私もア・ハイ群島に滞在するわーん。ここに知り合いも多いし、私がア・ハイで経営しているお店の様子もチェックしておきたいし、ユーリ君も可愛い子だし」

「ううう……」


 ブラッシーの台詞を聞いて、嫌そうな顔で唸るユーリ。


「それとね、ミヤ様。西に不穏な動きが二つほどあるわよーん。そのためにも、私が傍にいた方がいいと思うのん」

「ふん。今更かい」


 ブラッシーの台詞を聞いて、ミヤは鼻を鳴らした。


「一つはメープルC、もう一つはアザミよ」

「メープルCはともかくとして、アザミが……?」


 訝るミヤ。


「アザミってば、西である物を手に入れたわん。そのために派手に立ち回ったみたいよん」

「ある物って何だい。勿体ぶってないではっきり言いな」

「『昇華の杯』よん。それと、対魔王軍虐殺用魔道具『バブル・アウト』。他にインスタント・ゴーレムとか~」

「はんっ。そうかい。何を企んでいるのやら」

「虐殺用魔道具って……」


 ブラッシーが口にした不穏な名前の響きに、ユーリが反応する。


(そういえばディーグルとは会ったのかい?)


 ユーリに聞こえないよう、念話で尋ねるミヤ。


(会ったわ~。元気だったわよーん)


 念話で返すブラッシー。


「じゃ、またねえん、ミヤ様。ユーリ君も~」


 ブラッシーはユーリに向かってウインクすると、家を出て行った。


「師匠、西に不穏な動きって……? アザミって、あのアザミ・タマレイさんのことですか?」

「知らなくてもいいことさ。説明するのも面倒だし、話したくもないこともあるしね。でもアザミのことは……そのうちわかるよ」


 問いかけるユーリに、ミヤはアンニュイな口調で言った。


「そうだ。ノアと会ったんです。どうやら近々、XXXXが師匠と僕を狙ってくるみたいです」

「そうかい。ノアはこっち側でいいんだね?」

「僕はノアを信じます」


 鋭い視線を向けて確認するミヤに、ユーリは言い切った。


 呼び鈴が鳴る。扉を開くと、黒騎士団のアベルがいた。


「ミヤ様、突然の訪問、失礼します。先日の人喰い絵本の中で遭遇した、K&Mアゲインの魔術師ジャン・アンリに関しての話を伺うため、この度の貴族連盟会議に、ミヤ様を招聘申し上げることが決まりました」


 恭しく頭を垂れたままのポーズで、アベルが用件を述べた。


「何時だい?」

「これより一時間半後です」

「また急な話だね。まあいいさ。行くとしよう。ユーリ、支度しな」

「はい」


 そんなわけでミヤとユーリは、アベルと共に貴族連盟議事堂へと向かう事になった。


「ゴート騎士団長も、議員の一人として出席されます。白騎士団長のマリア様も出席するという話です」


 ユーリが支度中に、アベルが話す。


「私の父も出席します。見苦しいものをお見せすると思います……」

「あ、はい……」


 少し暗い面持ちなって言うアベルに、ユーリは蝉の真似をしていたあの貴族のことを思い出した。


「ユーリ、そのうちわかると言ったけど、訂正するよ。アザミのことはすぐにわかる。会議で話すよ」


 支度を終えたユーリに、ミヤがうそぶくような口振りで告げた。

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