37-1 カモメ=女神だとさ
ミヤ家広間。ユーリとノアが人喰い絵本の中で手に入れたカモメのペンダントを、ミヤは解析していた。
「カモメには覚えがあるんだよ。昔人喰い絵本の中で、正体不明のカモメと一戦交えたことがあってね」
「正体不明のカモメとかいう謎ワード」
テーブルの上で寝そべった格好で解析を行うミヤの言葉を聞いて、ノアが微笑む。
「カモメの手下が、イレギュラーが絵本の役に組み込まれていた。いや、イレギュラーが組み込まれる前提での物語が描かれていた。しかも絵本世界の生まれではない、また別の世界から来たイレギュラーさ」
「メープルFさんみたいものですかね?」
ミヤの話を聞いて、ユーリが尋ねた。
「そんな感じだね。ディーグルの話では、レオパとかいうヒョウアザラシもそうらしいじゃないか」
「女神を食べたとか聞きましたね。お腹の中に女神がいるとか」
「みそみそうるさい祈祷師が、カモメは別世界の女神を模しているって言ってたね」
ミヤ、ユーリ、ノアがそれぞれ喋る。
(あのカモメも自分を女神様と言っていたような? 手下のドームのことを神徒と呼んでいた。そしてこれが、別世界の自称女神が作ったペンダント)
ミヤは何年も昔のやり取りを思い出す。人喰い絵本の中でのあのカモメの台詞は、印象的だったので覚えていた。
「空間に干渉する魔法がかかっているってことはわかる。しかし、複雑すぎてそれ以上はさっぱりだ。儂だって多少は魔道具の類を造れるが、これは相当に魔道具造りに長けた者の作品だよ」
神妙な顔つきになって、ミヤが解析結果を述べる。
「魔道具造りに長けた魔法使いに当てが無いわけじゃないけど、これはダァグ・アァアアに任せた方がよかったかもね」
「師匠はダァグを信用しているんですかっ」
ミヤの発言を聞き、つい声を荒げるユーリ。
「先輩、どうどう」
「僕は落ち着いてるよ。大丈夫だよ、ノア」
ノアになだめられ、ユーリは軽く深呼吸する。
(落ち着いてないと自覚したから深呼吸のぜんまい回したのに)
そう思ったノアであるが、口に出して指摘するのはやめておいた。
「ふん、ノアのサポートもあって、少しは感情をコントロールできるようになったね。ポイントプラス1やろう。ノアにね」
「やったあ。俺の努力の甲斐あった」
喜ぶノア。本当はもっと高めのポイントがよかったと思ったノアだが、口にすると取り消しにされる予感がしたので、やめておいた。
「いいかい、ユーリ。冷静に考えてみるんだ。このペンダントを造った者は人喰い絵本の外から来て、物語を捻じ曲げ、こっちの世界に干渉しているんだよ。それはダァグにとっても都合のいい話ではない」
ミヤが柔らかな口調で諭す。
「でもダァグは、こっちの住人を絵本に呼び込むことは出来ても、絵本の住人を自由自在に外に出すことは出来なかった。ペンダントを解析して力を解き明かしたら、それを自由にやってしまうかもですよ」
「その懸念は的外れだよ。ダァグの目的はあくまで絵本を悲劇から救うこと。絵本の住人をこっちに送って、それが叶うとでもいうのかい? ユーリや。この件は儂等の世界にとっても不都合が大きい。メンコーイのように、人喰い絵本の住人をこっちに送り込むことを、今後恒常的にやられてしまったら、これまでの人喰い絵本の被害とは、比較にならんほどの災厄となろう。しかしそれがダァグの望むことか? 悲劇の物語の救済へと繋がるか? ダァグとてそのような混乱は避けたいと思うのではないか?」
丁寧に解くミヤだが、全て言われなくても話の途中で、ユーリは師匠が何を言いたいかわかっていた。そしてミヤがユーリの口で結論を言わせたいということも、ユーリにはわかっていた。
「ダァグと手を組めというのですか?」
「そういうことだよ。もちろん向こうの意思も確認しないと駄目だけどね。ただ、あ奴の性格を考えれば、手を貸してくれるだろうさ」
ミヤに言われ、ユーリはうつむいて押し黙る。
「次に人喰い絵本に入った時に交渉するの? 都合よくダァグと会えるかもわからないのに。ぜんまい回らないよ」
「いいや、ここにいて、こちらの意思を伝える方法がある」
ノアが疑問をぶつけると、ミヤはユーリを見据えたまま言った。
「ユーリ、儂が知らんと思うのかね?」
ミヤのその台詞だけで、ユーリには何のことかわかった。顔を上げ、目を丸くして、テーブルの上の師を見る。
「宝石百足から話を聞いたよ。ユーリは幼い頃から、あ奴と心が繋がっていたとね」
ミヤから指摘され、ユーリは眩暈すら起こす。例えミヤが相手でも、絶対に知られたくないことであった。知られたくない理由は、恥ずかしいという理由が強い。
(セント……何で話すのさ)
(ミヤにはいつかちゃんと話した方がいいと思ったからよ。貴方の口からは言えないだろうから、私から話したわ)
「師匠……見抜いていたのですか? それとも教えられたのですか?」
(ごめんなさい、ユーリ。私がミヤには教えたわ。貴方の親であるミヤは、知っておいた方がいいと思ってね)
ユーリが問うと、ミヤが答える前に、ユーリの頭の中で宝石百足が答えた。
(セント……僕に黙ってこっそり師匠に教えて……黙ってたんだ)
少しだけ嫌な気分を覚えるユーリ。
「師匠……秘密にしていたこと怒っていますか?」
「ちょっとね。マイナス0.01くらいには怒っているよ。しかしね、それ以上にほっとしているんだ。宝石百足が何かよろしくないことを企んでいて、ユーリを騙しているかと危ぶんでいたが、どうやらそんなことは無さそうだ」
ユーリが恐る恐る尋ねると、ミヤは微笑を浮かべて答えた。
「儂は宝石百足のことをずっと疑っていたけど、その話を聞いて、少しだけ信じていいかとも思ったさ」
ミヤはユーリと宝石百足の手前ではそう言うものの、未だに宝石百足を完全には信じきれていない。まだ何か隠しているだろうと見ている。
「何の話してるの?」
不思議そうに尋ねるノア。
「こ奴の精神は宝石百足と繋がっている。ユーリが宝石百足に化けることが出来るのも、おそらくはその影響だろうさ」
「マジでー?」
ミヤに真相を告げられ、ノアは軽くのけぞって声をあげ、ユーリを見た。
「儂に黙っていたことを責めはせん。隠し事の一つや二つ、誰だってある。儂なんて、とんでもない隠し事を持っておっただろう?」
身を起こし、にやりと笑うミヤ。その笑みにつられて、曇り顔だったユーリの表情が、少し明るくなる。
「うーん……驚いたなあ……」
ノアがユーリを見て唸る。
「人喰い絵本の住人をこちらに送り込む――もしくは呼び寄せるとなると、ろくなことにならん。断じて阻止せんとな」
「メンコーイ島も面倒なことになっていたしね」
ミヤとノアが言う。
「かつて儂も魔王となった際に、人喰い絵本から大量の魔物を呼び出し、この世界へ連れてきた。亜人達もセットでついてきたがな。今は同じことはできんが、あの時は、儂にその力があった。そのための扉を開いた。そして死ななくていい者達の命が、今も失われ続けている」
静かなトーンで語るミヤ。
(だから師匠からすれば、この件は絶対に放置しておきたくないんだね)
そう思ったユーリは、ここではっきりと気持ちを切り替えた。
(セント、頼む。ダァグに話して。扉を開けて貰うように)
(わかったわ。ちょっと待ってて)
ユーリが心の中で願うと、宝石百足が即座に応じた。
「宝石百足に、人喰い絵本の扉を開くよう頼みました。いえ、正確にはダァグ・アァアアに頼みに行ってもらいました」
「そうかい。御苦労」
ユーリが報告し、ミヤが満足そうにうなずく。
しばらくすると空間の扉が開く。空間の扉の出現の仕方や形状は様々だが、これは人喰い絵本が開く際の扉だ。
ダァグが扉の向こうに姿を見せている。
「話は聞いたよ。僕に解析を任せてくれるんだね」
ダァグの方から口を開く。
「僕のこと、信じてくれると受け取っていいのかな? 僕を信じられる?」
「信じ切っているわけではないが、多少は信じておるよ。だからこそ頼みたい」
確認するダァグにミヤが告げると、念動力でカモメのペンダントをダァグの手元へと運ぶ。
「じゃあ。確かに受け取ったよ」
「待ちな、ダァグ。話したいとこが幾つかある」
ペンダントを手にして去ろうとするダァグを、ミヤが呼び止めた。
「お前の見解を聞きたい。それと、儂からの報告だ。儂はずっと昔、人喰い絵本の中で喋るカモメと会い、戦った。かなりの力を有していたよ。その時、おかしな話を聞いた。カモメの手下がイレギュラーで、人喰い絵本の意思はイレギュラーだと承知で、それをあえて物語に組み込んできたとね。ドームという名の骸骨みたいな男さ。そいつも承知のうえで物語に乗ったらしい。その時のイレギュラーは、青い帽子だ」
「その件はもちろん覚えているよ」
ミヤの話の区切りを見計らって、ダァグが口を開く。
「まず僕の見解。僕の世界を荒らす者達を、僕は放置しておけない。僕の世界の住人の流出も、快く思わない。三百年前のミヤの時だって、それは同様だったよ。でもあの時は僕にも止められなかった。今度は出来る限り止めるよう努める。どこで実行するかわからないから、難しい話ではあるけどね。そしてドームという男とカモメだけど、青い帽子の件以降、女神と呼ばれていたあのカモメはあまり見かけなくなったよ。その後、僕とドームは水面下で静かな攻防を繰り広げていたけど、段々とドームも人喰い絵本では見かけなくなった。女神はもっと早くに見なくなったな」
ダァグはそこまで喋って、三名の反応を伺った。
「カモメの姿をした女神か」
ぽつりと呟くノア。何とも妙ちくりんな存在と感じられる。
「カモメの姿をしていても、僕と同じく世界の創造者だよ。自分の世界を放り出して、どうして世界を渡り歩いているのか、謎だけどね」
ダァグが言った。
「つまり他の神様が世界を跨いで縄張り荒らしか。何のためにそんなことするのかな?」
ノアが疑問を口にする。
「はっきりとした目的はわからない。ただ、僕だって君達の世界に害を与え、利を得ようとする存在だ。何らかの事情や理由で利を得るために、神――世界の創造主が、他所の世界に干渉することは有り得るよ。僕と同じ目的とは思えないけどね」
心なしか申し訳なさそうに話すダァグ。
「ダァグには、レオパとかいう奴が女神を食った云々の話も、伝えておくかね。一応同盟を結んでいるんだし」
「何それ?」
女神を食ったという、ミヤの台詞に反応するダァグ。
「俺達にもよくわからない。人づてに聞いた話だし」
肩をすくめるノア。
その後、ミヤがレオパの存在をダァグに伝えた。
「じゃあ、何かあったらまた宝石百足経由で報告して」
ダァグが恐々とユーリを見ると、ユーリは無言で頷いた。
空間の門が閉じる。
「あいつ、先輩のこと怖がってない?」
ノアがおかしそうに言ってユーリを見たが、ユーリは無言無表情だった。
「さてと、じゃあそろそろ出かけるかい」
「はい。支度します」
「どこへ?」
ミヤとユーリの言葉を聞き、ノアが小首を傾げる。
「お前は昨夜、話を聞いてなかったのかい」
「ああ、そうか。お墓参りだね。先輩の母さんの命日で。寝ぼけて聴いてたから」
ミヤが呆れ気味に言うと、ノアがユーリの方を見た。
「うん、そして師匠や嬲り神との出会いの日でもある」
「あんな奴と儂をセットにするんじゃないよ。ポイントマイナス1」
ユーリの台詞を聞いて、ミヤは憮然とした顔になった。
***
ミヤ達が墓参りの支度をしだす数時間前に、時間は遡る。
魔術学院が復刻してから、生徒の数は日に日に増えていった。それに応じて、教師の数も増やさなくてはならなくなった。
「で、そのために、K&Mアゲインの連中を全部教職につけたわけだ」
教室内で、ガリリネ、ウルスラ、チャバックを前にして、オットーが言った。
「魔法使いの中には魔術にも長けた奴がいて、そういう奴も教師にされている。アザミ・タマレイとシクラメ・タマレイとかな」
「魔法使いミヤの采配で、K&Mアゲインの生き残りがこっちに回されてよかったね」
「猫婆はこうなることもお見通しだったんだー。猫婆すごーい」
オットー、ガリリネ、チャバックがそれぞれ言う。
「国家反逆したK&Mアゲインは全員厳罰にしろって主張していた奴も多かったから、そういう奴等からすると気に食わない構図だろうな。俺も厳罰にされるべき対象だけどよ」
「もう、オットーさん、その話に繋げないでよー」
オットーの自虐的な台詞を聞いて、ウルスラが口を尖らせたその時、教室の扉が開き、エルフ少年の担任教師が現れる。
担任教師の後ろから、宙を泳ぐアザラシが入ってきて、教室内が少しざわついた。
「えっと……クラスに人が増え過ぎたので、副担任をつけることにしました。魔法使いのレオパさんです。魔術も使えます」
「ゴォォ、よろしくねっ」
エルフ担任教師が紹介すると、レオパは愛くるしい顔立ちに笑みを広げて、空中で上体をのけぞらせて、短い前肢を振ってみせた。




