34-5 噛む理由
ワダチは狩人の家に生まれ育った。
子供の頃のワダチは、すでに変わり者だった。学校に行っても他の児童と馴染めない。それどころか、すぐにキレるうえに、怒りの導火線に火がつくと、クラスメートだろうと教師だろうと見境なく噛む悪癖があったので、周囲からは徹底的に避けられて、孤立するようになった。
ワダチが他者に噛みたくなるには、噛むには、理由があった。
小さい頃、リスを罠で捕らえた際の話だ。死んだと思っていたらそのリスは生きていた。そして凄まじい力で噛んできた。小さくても顎の力は凄い。歯も固い どんなに小さい生き物でも噛む力は凄まじいし、噛まれると痛い 自分も誰が相手だろうと、例え大人だろうと、噛みつきだけなら通じると、ワダチは知った。
それからワダチは、キレると噛みつくようになり、そのうち噛みつきたくなる衝動に駆られるようになった。
「その着ぐるみにはどんな意味があるんだい?」
暗黒神を崇拝する教団の同僚の幹部の一人が、ある時ワダチに尋ねたことがある。
「これは友達だ。俺と遊んで友達となった者だ」
ワダチは微笑み、着ぐるみを撫でながら答えた。
「お前は狩人の子と言ってたな。もしかしてそれは――」
「そうだよ。俺が狩った動物の皮だよ。全部に名をつけている。魔法で大きくしたり小さくしたりできる。俺のサイズに合わせて、俺といつも一緒の友達だ。こうして一緒にいることで、友達が俺に力をくれるんだ」
ワダチの話を聞いても、別にその同僚の幹部は引くことは無かった。この教団に入って、異質な者は沢山見てきたからだ。
(思い込みは馬鹿に出来ない。特に魔法使いはな。狩った動物に親しみを込め、力をくれると思い込むことで、実際に力を引き出しているのだろう)
同僚幹部は、ワダチの魔法使いとしての強さの根源が、少しわかった気がした。
***
カークの両前腕部が変形する。手が消えて、長い筒状になる。筒の先端には赤い宝玉のような半球が取り付けられている。あるいは球体が埋め込まれて半分覗いているのかもしれない。
赤い宝玉のようなものが発光しだす。かなり危険な攻撃が来ることを予感し、イダとフォボスは身構えた。
二条の閃光がカークの両腕から放たれる。
フォボスは両腕で顔を覆い、目を細めながら横に跳ぶ。
反射的に回避したフォボスであったが、攻撃はフォボスに向けて放たれていなかった。
「イダ?」
光の残滓が残る空間を見て、フォボスは愕然とした。地面には靴が二足転がっていた。靴の中身はある。足首と断面が覗いている。しかし足首より上の、イダの体はどこにも見当たらない。イダが使役する猛禽ダクティルの姿もどこにもない。
(こんなに呆気なく……)
フォボスは恐怖に震えていた。イダは経験豊富な強者だった。だがフォボスの横で、成す術なくあっさりと殺された。狙われていたのが自分であったら、自分がああなっていた。そして次は、カークは自分を狙ってくると意識した瞬間、フォボスの鍛えられた大きな体が小刻みに震え出した。
「あ、怖いんですか? でも安心してくださいませ。この魔道具はまだ調整中でございまして、一度使うとチャージが長いんですよねえ。だから別の方法で攻撃いたします故」
震えるフォボスを見て、カークが丁寧な口調で断りを入れると、左腕は元に戻し、右腕は長い刃へと変える。
カークが飛翔する。両足の裏から火を噴き、高速でフォボスめがけて突っ込んでいく。
フォボスは大きくのけぞり、そのはずみに尻もちをついた。
上体を下げた直後、フォボスのすぐ頭の上を、長い刃が振るわれた。
そしてそのままカークはフォボスの遥か後方へと飛んでいく。勢いが付きすぎてすぐには止まれないようだ。
(ムーン、エウロパ……助け……)
助けを呼ぼうとして、フォボスは思い止まった。この危険極まりない敵を前にして、あの二人を呼んだとしても、犠牲を増やすだけなのではないかと思った。
(馬鹿野郎がっ。何ビビってやがる。俺が命に代えても、こいつを止めてやる)
自身を叱咤して立ち上がると、フォボスはカークを睨みつけた。
一方で、ワダチは屈辱に顔を歪め、自分の喉に噛みついているレオパの頭部に掌を当て、魔力弾を霊距離から撃ちこんだ。
レオパの頭部が吹き飛び、ワダチの足元にアザラシボディーが落下する。
すぐに吹き飛んだ頭部が再生し、レオパは速攻で身を起こし、再び猛然と噛みつきにいく。
大きな口を開けたレオパが、空中で口を閉じる。ワダチの喉を噛みちぎろうと刹那、ワダチの体が沈んでいた。
今度はワダチがレオパの喉に噛みついていた。そして噛みついた口から、破壊の魔力相手の体内に送り込む。
レオパの喉が爆ぜる。血肉が吹き飛ぶ。
レオパの顔から笑みが消える。常に笑っているような顔立ちをしているが、今は明らかに真顔になっている。
距離を取るレオパ。今度のダメージは大きいので、少し再生のための時間稼ぎが欲しかった。
ワダチも無理に追撃はしない。カウンターを食らう危険性を考慮するくらいには、冷静さを取り戻していた。
レオパがペンギン数匹を呼び出す。横一列に並ぶペンギン。
ワダチが光の弓を呼び出し、光の矢を弓につがえて、ワダチに向ける。
先にワダチが攻撃を放った。放たれた光の矢が途中で分裂し、何十本もの光の矢がそれぞれ異なる軌道でレオパに飛来する。
「ゴォオォオオォ!」
レオパの唸り声に応じたかのように、ペンギン達が一斉に飛び上がり、放物線を描いてワダチめがけて襲いかかった。
レオパの体に光の矢が降り注ぐ。何本もの光の矢が丸っこいアザラシボディーを貫き、レオパは血塗れになった。
ワダチは反射的に回避行動を取ったが、狙いはワダチでは無かった。黒い獣だ。
ペンギン達が着弾すると、白煙が立ち込める。
「またか」
白煙が晴れると、氷塊の中に閉じ込められた黒い獣の姿があった。それを見て、ワダチは忌々しげに舌打ちする。物質運動を遅らせる力――つまりは低温化の攻撃は、黒い獣による運動無効化作用が働きづらい。
レオパが巨大な魔力塊を三つ放つ。
ワダチはそのうちの二つを回避したが、二つ目の回避直後に隙が生じてしまい、三つ目の直撃を受けて吹っ飛んだ。
「効いたぞ……」
倒れたワダチが、血塗れのまますぐに起き上がる。
「君の名前を聞いていなかった。僕はワダチだ」
血塗れのレオパの方を見て、ワダチが声をかけた。
「ゴォォ、俺はレオパだっ」
応じるワダチ。
「レオパ。僕の友達にしてやるぞ」
「え? 友達にしてやるって言い方、何か面白いねっ。威張ってるようにも聞こえるけど、親しみも湧くって言うかなー。あははっ」
「君の皮を剥いで、僕の着ぐるみの一つにする。それで君は僕の友達だ」
「あはははっ、そういうことかっ。やれるもんならやってみなよっ」
ワダチの宣言を聞いて、おかしそうに笑うレオパ。
「肉も何日もかけて全部食べてあげる。骨も色んな利用法がある。君の体全て余すことなく頂く。それで真の友達になれる」
「あはっ。そうなると俺の腹の中の女神はどうなっちゃうのかなー?」
レオパが笑いながら、戦闘を再開しようとしたその時だった。
「人喰い蛍」
夥しい数の光滅が、ワダチの後方から放たれた。
体が穴だらけになり、ワダチは崩れ落ちる。
「そっちから遊びにきたんでしょう? まだ遊び足りませんよ? もう少し遊んでください」
全身から血を噴き出して痙攣しているワダチを見下ろし、ディーグルが清々しい笑顔で告げ、刀を抜いた。
「あはは、君強そうだねっ」
突然現れたディーグルを見て、レオパが上機嫌に声をかける。
「そちらこそ」
レオパの方を見てディーグルが微笑むと、すぐにワダチに向かって刀を振るった。
斬撃はワダチに届かなかった。届く寸前に、念動力でワダチの体が動かされた。
「あのさっ、これは俺が遊んでいたオモチャなんだよねっ。それをいきなり現れて横取りはどうかと思うよっ?」
ディーグルを見たまま、ワダチが告げる。ワダチを念動力で動かしてディーグルの攻撃から守ったのは、レオパだった。
「ぐはあっ!」
その時、全身血塗れで、両手両足が粉砕骨折してあちこちに折れ曲がったフォボスが、倒れているワダチの横に吹っ飛んできた。
「ワダチ……そっちも駄目か……」
すぐ横に倒れているワダチを見て、フォボスが呻く。
「ワダチ! フォボスっ!」
スィーニーとンガフフによって引き離されていたムーンが、ようやく戻ってきて叫ぶ。少し遅れてエウロパも駆けてくる。
「馬鹿……来るな……全滅する……」
フォボスがムーンとエウロパの姿を見て、掠れ声で制止をかけるが、声は届かない。
カークが飛来し、ムーンとエウロパに攻撃を仕掛けようとした所で、フォボスは決断した。死の覚悟を自らの意思で決めた。
「これしかないな」
折れた手で胸元をまさぐり、ポケットの中から呪符を一枚取り出す。
(かなり強い魔力が込められた呪符。自爆するつもりですか?)
呪符の効果はわからないが、ディーグルは取り敢えずその場から遠のいた。
呪符が効果を発動させる。呪符にフォボスの全生命力が吸い取られ、フォボスの体があっという間にミイラ化する。
空間が激しく歪み、駆けてくるムーンとエウロパ、そして昏倒していたワダチの姿が消えた。
「ゴォォ……どういうこと?」
「命を触媒にして魔力を爆発的に発生させましたね。それで仲間を絶対逃がす長距離強制転移魔術を使ったんですよ。あれは多分、ア・ドウモにまで逃げ帰ったでしょう。いやはや、敵ながら天晴です」
小首を傾げて唸るレオパに、ディーグルが解説する。
「どなたか存じませんが、助かりましたよ。御助力まこと感謝いたします」
ディーグルに向かってぺこぺこ頭を下げるカーク。
「いえいえ。では私はお暇します」
にっこりと微笑むと、ディーグルは堂々と背を向けて立ち去った。
その様子を、スィーニーは遠巻きに見つめていた。
(カークさん、本当にわからないの? ディーグルのことわかっていて、わからない振りしているんじゃ。まあ、その方がいいんだけど)
両者のやり取りを見て、スィーニーは思った。
***
ワダチ、ムーン、エウロパは、フォボスの緊急離脱用の長距離転移魔術によって、ア・ハイ群島から西方大陸ア・ドウモにまで移動していた。
彼等がいるのは、彼等が本拠地として使っている施設の一室だった。
「作戦大失敗だ。フォボスとイダを犠牲にして……」
「このタイミングで管理局が襲ってくるなんて……」
ムーンとエウロパがうなだれる。
「そうか……フォボスが……。僕達は負けたのか」
意識を取り戻したワダチが、虚しげに天井を仰ぐ。
「シリン様に報告しないと。加えて、管理局がこちらの動きを読み、襲ってくるのも変な話だぞ。おかしな話だぞ。ずっと監視されていたんだな」
悔しげに言うワダチ。いずれ管理局にも借りを返してやると、心に決めた。
***
カーク、ンガフフ、スィーニー、レオパは、宿の一室へと移動し、メープルCに戦闘の経緯の報告を行った。
『ワダチを取り逃したことは残念ですが、二名も始末出来たのは十分な成果です。御苦労様でした』
報告を聞いたメープルCが、淡々とした口調で労う。
「レオパさんがいたから何とかなった部分が大きいですね。あのワダチと互角以上に渡り合っていましたから。いやはや実に、非常に頼もしい助っ人ぶりでしたよ」
「あははっ、そんなことあるかなー」
カークに持ち上げられ、レオパは照れ笑いを浮かべる。
(ディーグルのことも全部報告しちゃったけど、メープルCは何も触れない。実際どう思っているのか聞きたいけど、聞くのも怖いような……。でもメープルCが何も思わないはずもない)
スィーニーが腕組みして考え込む。
「お願いがあるんだけどさー」
レオパが発言する。
「新しい水棲生物園作ったら、是非お客さんとして来て欲しいんだっ。メープルCもよかったらどうぞっ。あはっ」
「おお、それは是非お伺いさせてくださいませ」
「ンガフフ!」
笑顔でお願いするレオパに、カークとンガフフが快く応じる。
「メープルCも来てよっ」
『立場上、流石に難しい話です。いずれレオパの方で、ア・ドウモの方にも水棲生物園を開園して頂ければ、伺いますよ』
レオパの誘いに対し、メープルCは相変わらず事務的な口調のまま答えた。
***
その後、ディーグルはミヤの元に訪れた。
「ふん、それでそいつらはア・ドウモに戻ったのかい」
丸くなったまま、鼻を鳴らすミヤ。
「シリンの性格を考えれば、また刺客を送り込んでくるでしょう」
「相変わらず面倒な奴だよ。メープルCとはまた違った意味でね」
ミヤが顔を上げ、ディーグルを見る。
「くれぐれも油断しないでおきな。アルレンティスとブラッシーと共に、引き続き警戒だ」
「心得ています。ミヤ様もお気を付けて」
「ふん。シリンは儂よりお前の方に執着しているんだ」
「もし彼奴がミヤ様を狙ったとしたら、それは私を誘き寄せる目的でしょうね」
「また西に行くっていう選択は無しだよ」
ミヤが釘を刺す。
「お前は当分儂の側に居ろ。これは命令だ。今度は儂から離れるな」
「承知しました」
ミヤの言葉をディーグルは重く受け止め、恭しく一礼した。
34章はここでおしまいです。




