32-40 人間臭いって素晴らしい
「嗚呼……ついに魔王を……追い詰めた。さあっ、早くとどめを……」
動かなくなったサーレを見て、ミラジャが歓喜に満ちた顔で促す。
「悪いけど、サーレを殺させはしないよ。リメイク前との終わりでは意味がなかろう。ダァグ・アァアアも嬲り神も、そんなことは望んでいないだろう?」
「へっ、まあな~♪ まあなー♪ まーあなーあ♪」
ミヤの言葉に、嬲り神はへらへら笑いながら歌って肯定し、ミラジャは喜悦の表情から一片して愕然とした顔になった。
「ではどうするんです? 師匠」
ユーリが伺う。
「アルレンティスはケリをつけた。チャバックは……嬲り神の思惑で呼ばれたが、嬲り神……からすれば失敗したと見ていいね」
「そいつは間違った読みだぜ。チャバックを呼ぶのを最初に決めたのはダァグだ。あいつもチャバックが気に入ってるようだぜ」
ミヤの言葉を否定する嬲り神。
「何にせよ、これでもうおしまいにしないとね。こんなに人喰い絵本の中に長くいたのは初めてだし、あっちがどうなっているのかも心配だよ。人喰い絵本は放っておくと巨大化し続け、周囲にいる人間を見境なく吸い込み始めからね」
ミヤが疲労を感じさせる声音で言う。
「それでどうするのかって、先輩は聞いているんだけど」
「せっかちだね。黙って見てな」
ノアの言葉に、ミヤが小さく息を吐く。
「殺しなよ。これで僕ももう終わりだ」
サーレが掠れ声で言った。
「いいや。殺さんよ。お前はイヴォンヌと一緒に、しっかりと生きるんだ。ただし、人類との争いはもうおしまいにするんだ」
うつ伏せに倒れているサーレの側に寄り、ミヤは告げた。
「儂はお前を死なせたくない。哀しい結末にはしたくない。バッドエンドにさせないために、お前と戦かったんだよ。お前が追い詰められる時を待っていた。お前に凶行を止めるよう説得するには、今の状況しかない」
「説得? 次世代魔王が現代魔王に説得?」
ミヤの台詞を聞き、サーレは顔を上げた。間近でキャットフェイスが自分を覗き込んでいる。
「お前を説得できるのは儂だけだよ。悪を知り得る儂だけ。魔王と成り果てることの悲しみを知る儂だけだ。ま、少しはイヴォンヌの力も借りたい所だけどね」
ミヤの台詞を聞き、ユーリははっとする。
『お前は悪人の気持ちがわからん。欲の深い者も気持ちもわからん。その時点で浅い。未熟だ』
そう言われた際、ユーリは反感を覚えていた。そして今までずっと疑問を抱き続けていた。
(そんな気持ち……知る必要あるのかな? わかる必要あるのかな? 師匠にはわかるの?)
そんなものがわからないからって、未熟扱いするなんて、おかしい理屈だとユーリは思い続けていたユーリだが、この局面を見て、ようやくミヤの言わんとしていた事がわかった。
(ミヤ、あれを繰り返すわけかぁ。自分がやられたことをよ~。アルレンティスに続いてなぁ)
ミヤとサーレのやりとりを、嬲り神がにやにやしながら見ている。
(何にせよ、ミヤも役割を果たせそうだな。ダァグの期待通りによぉ。こっちは残念な結果だったが)
嬲り神がチャバックを一瞥する。
「冤罪で殺されそうになったあの時より、堪えるな。どうしてこの局面でそんなこと言ってくるんだ……」
力無く笑うサーレ。
「何度も言わせるんじゃないよ。お前を死なせたくないからだ。それが儂の正直な気持ちであったし、最初からこうするつもりでいた。この数週間、儂はイヴォンヌとして、お前の傍らにいて、お前を救う機会を待っていたんだ」
(ミヤ……ありがとう)
(礼を言うにはまだ早いよ。サーレの心を変えてからだ)
礼を述べるイヴォンヌに、ミヤが言った。まだサーレが心変わりしたかどうかはわからない。
「儂もかつてはお前と同じように、憎悪に駆られ、数多くの命を奪った。今では後悔している。お前はこのままいくと後悔も出来ず、ただ死んでしまう。儂は後悔してでも生き残ってよかったと思っているよ。憎しみから解放されて、本当によかったと思っているさ」
「数多くの魔族を犠牲にして、僕だけ生き残れというの? 出来ないよ」
自虐的な笑みを浮かべるサーレ。
「生き残っていいぞ。そんな潔さや気遣いは魔族にはいらない」
微笑を浮かべたクロードが発言する。
「魔族にそのような美徳は無い。それは人間の価値観だよ、サーレ」
クロードの言葉遣いを聞いて、サーレは驚いた。サーレが魔王になってからは、クロードはいつも敬語だったし、サーレを呼び捨てにもしなかった。しかし今のクロードの話し方は、サーレが人間だった時――官僚時代の先輩として、上司としての話し方だった。
「クロードさん……」
サーレがクロードの方を向いて微笑む。
「今の気遣いも人間臭いですよ」
「ふふふ……それは君と接しすぎたせいだろう」
サーレがかつての上司を見る目で指摘すると、クロードもかつての部下を見る顔で言った。
「イヴォンヌ、出ておいで」
ミヤが言うと、ミヤの姿がイヴォンヌのそれへと変わる。ミヤの魔法で、イヴォンヌが表層に出され、主導権も渡されたのだ。
「サーレ、もう終わりでいいじゃない。復讐だって……もう十分にしたでしょ。私はすっきりしたよ」
「イヴォンヌ……」
イヴォンヌの顔を見上げ、サーレは実感する。自身の中に残っていた邪気が、急速に消えていく様を。
「私もね、全てが憎らしく、呪わしかった。もしかしたら貴方より強い怒りがあったかも。自分のことより、自分の一番大事な人間が、冤罪を着せられて、誰からも責められて、殺されそうになっている様を見せられて、私があの時どんな気持ちでいたか、誰にもわからないと思う。サーレ、当事者である貴方にもわからない。できれば貴方と変わってあげたいとも思った。だから貴方が魔王になって、私も魔族にされて、世界の敵になって、人間達を殺しまくるの、凄く楽しかったよ。その一方で、いつか報いを受けるって、私も貴方もわかっていたよね? でも――その報いを受けなくてもいいっていうなら、受けなくてもいいじゃない。世界に仕返しして、暴れるだけ暴れて殺すだけ殺した後は、のうのうと生き延びてもいいじゃない」
(すっごく同意。このイヴォンヌっていう女、俺は気に入った)
イヴォンヌの話を聞いて、ノアは腕組みして微笑み、うんうん頷く。
「馬鹿な……。魔王の暴虐を許して見逃すだと? そんなの……有り得ない。戯言も大概にしろっ」
ミラジャが掠れ声で喚く。
(ネロ、どう思う?)
チャバックが心の中でネロに伺う。
(僕は……本当にサーレがもう悪さをしないなら、見逃してもいいと思う。チャバック、今から言うとこを口に出して言って)
(わかった)
ネロの要求に頷くチャバック。
「罪なんて、人が作った尺度でしかない。決定権はミヤにある。サーレを倒したのはミヤなんだからさ。そしてそれでもなお諦めず、サーレを殺そうとするなら、戦争のやり直しになるよね。余計に命が失われる」
チャバックがミラジャの方を見て言った。ネロが心の中で言ったことを、ミラジャに伝えるためにそのまま口にした台詞だった。
「ふざけるな……。何のために私はここまで……。魔族を滅ぼすため、全てを投げうって、ここまで来たというのに……」
声を震わせ、悔しさのあまり床を爪で掻くミラジャ。
「僕は恨みが結構晴れてしまった。いっぱい殺したからだろうね」
サーレがよろよろと立ち上がり、ミラジャの方を向いて話す。
「でも君は復讐を忘れられないのか。君だって魔族をいっぱい殺しただろうに。殺し尽くさないと気が済まないのか。執着しているのか。囚われているのか。嗚呼、君を見て気付いてしまった。僕はそこまでじゃない。そこまで囚われていなかったよ。聖女ミラジャ、君のおかげで僕は踏ん切りがついた。ミヤの言葉を、イヴォンヌの言葉を受け入れられる」
「な、何だと……」
サーレが口にした言葉に、ミラジャは愕然とする。
「私を……出汁にしたというのか。私は……道化か? おのれ……」
サーレの台詞が、ミラジャにとってとどめになった。この時点で心が折れた。
「イヴォンヌ、それにミヤ、手間をかけさせてしまったね。すまない。そしてありがとう」
サーレがイヴォンヌに礼を述べると、今度はクロードの方を向く。
「撤退しよう。痛み分けだ。これ以上戦闘継続は出来ない。こちらの打撃は無視できない。これ以上の侵略は不可能だ」
「それでいいでしょう」
サーレの見立てに、クロードは同意した。元の魔王と参謀の間に戻っていた。
「ねえ、負けちゃったけど、舞踏会の続きしない?」
イヴォンヌがサーレの手を取って、笑顔で伺う。
「いいね。踊り明かそう。敗北の悔しさを踊って誤魔化そう」
サーレもイヴォンヌに笑い返す。
「で、舞踏会をそんなにしたかった理由は何?」
サーレが尋ねる。
「ううう……それを喋るのは恥ずかしいなあ。子供の頃にさ、素敵な王子様に……あ、やっぱりやめた」
「うん、まあ何となくわかった気がしたし、それ以上聞かないでおくよ」
途中で照れ笑いを浮かべるイヴォンヌに、サーレは言った。
「一件落着かなあ」
「ケッ、ひでー茶番だ」
シクラメがにこにこ微笑みながら言い、アザミは悪態をつく。
「ジヘ、どうして死ぬようなこと言ったの? あれはないよう」
チャバックが嬲り神の横にいるジヘに向かって言った。
「正直いきなり呼ばれて何が何だかわからないけど、チャバックがピンチだから、僕が助けられるものなら助けたいと思った」
「そっか……」
頭をかきながら答えるジヘを見て、チャバックは自分が逆の立場だったらと考えた。その時は自分も同じことをするのではないかと。
「御苦労様だ。今送り返してやるよ。じゃあな」
嬲り神が言うと、ジヘの姿が消える。
「ジヘ、元の世界に戻ったの?」
チャバックが嬲り神に尋ねる。
「ああ。戻した。お前達もすぐに――」
嬲り神の言葉は途中でかき消された。その場にいる者――人喰い絵本の外から来た者達全員が、強制転移されたからだ。
***
ミヤ、ユーリ、ノア、チャバック、スィーニー、ディーグル、アルレンティス、シクラメ、アザミは、漆黒の空間の中にいた。周囲は闇一色だが、互いの姿ははっきりと見える。
「何ここ?」
「あいつが挨拶したいらしいわ」
訝るノアに、少し遅れて現れた嬲り神が答えた。
ダァグ・アァアアも現れる。
「皆、おつかれさままま」
一同を見渡して、ダァグが労う。
「アザミ、あれが噂のダァグ・アァアアだよう。いいもの見れてよかったねえ」
「いいものなのか?」
シクラメがダァグを指し、アザミはどうでもよさそうに言った。
「ダァグ・アァアア、嬲り神、これで満足いく結果になったの?」
ユーリが不機嫌そうな顔で問うと、ダァグは嬲り神を見た。
「ジヘという子に、ヨブと同じことをさせようとしたみたいだけど、目論見が外れたね、嬲り神。あの時はロジオという子が望んだ結果で、ヨブが受け入れたようだけど、今度は逆。チャバックは同じ展開を拒んだ」
「はん、ミヤと同じ台詞言ってんじゃねーよ」
ダァグに言われ、嬲り神は肩をすくめる。
(ネロとお別れの挨拶したかったな。もうネロが心の中からいなくなってる)
チャバックが胸を押さえながら思う。
「アルレンティスとミヤは成し遂げたなァ。ダァグの望むよう動いてくれた。だがチャバックの奴は拒みやがった。あーあ、またヨブと会えるかと、ちょーっとだけは期待していたけど、やっぱり駄目だったかあ」
「チャバックとジヘの魂を融合させたからといって、ヨブの記憶や人格が蘇る可能性は低かったよ。むしろそんなことが起こる根拠は無いでしょ。奇跡をあてにしていただけだ」
嬲り神が大袈裟にぼやくと、ダァグが呆れ気味に言った。
「ひゃははははっ、その奇跡の後押しを願っていたのさ。何かの弾みでな。ま、自分でも馬鹿だと思ってるけどよ。最高に馬鹿で惨めな道化だぜ。俺」
虚ろに響く笑い声をあげると、嬲り神は虚空を見上げて目を細める。
「ほんの少しでもいい。五分もなくてもいい。ヨブともう一度会って、話がしたかった。そんな奇跡が起きないかなーって、期待していた。俺はそれだけなんだ。ひゃははははっ! 笑えよっ。大馬鹿だろっ」
「あはははははは。あはははははは。ああはははははは。あははははは」
無表情に、ちっとも楽しく無さそうな抑揚に欠ける笑い声をあげ続けるノア。
「おいおい、やめろよ、そのおかしな笑い声。つーか笑えよとか言って本当に笑う奴はいねーだろ」
嬲り神が珍しく渋面になって、ノアを止める。
「これで終わりなん?」
「そうだよ。サーレは死なずに済んだ。イヴォンヌが必死に止めたという話で、ハッピーエンドだよ」
不安げに確認するスィーニーに、ダァグが告げる。
「ダァグ・アァアア。神様ポジションにいないで、次は君も絵本の登場人物として参加したらどうかな?」
ユーリがダァグの方を向いて、静かな口調で提案した。挑発したわけではない。本気での提案だ。しかし目論見が無いわけでもない。
ユーリの提案を聞き、ダァグは顎に手を当てて思案した。




