32-33 死んでも別に悪くない理由
子供の頃のヴ・ゼヴウは、魔族として生まれてきたことに誇りを感じ、人間を見下してきた。
しかしある日、魔族が作った文明の利器の多くが、実は人間が作ったものを勝手に模倣しただけだと知る。
個体としては人間より魔族の方が強い。だが実際にこの世界で我が物顔に反映しているのは、人間の方だという事実も知る。
ヴ・ゼヴウは人間という種族に畏れと憧れと敬意を抱くようになり、例え魔族であっても人間に負けないようにと、ひたすら修行に明け暮れ、自身の個としての力を磨き続けていた。
ある日、ヴ・ゼヴウは人間の戦士と戦うことになる。
その戦士は信じられないほどの強敵だった。人間の中には時折、凄まじい強さを持つ者が突然変異的に現れると、ヴ・ゼヴウは話に聞いて知ってはいたが、初めてそのような者と遭遇した。
ヴ・ゼヴウは深手を負ったが、何とかその人間の戦士に打ち勝った。
「おのれ……魔族めが……いずれお前達は……滅ぼされる」
大の字に倒れた戦士が、ヴ・ゼヴウを恨めしそうに見上げ、呪いの言葉を発する。
ヴ・ゼヴウは戦士の前でかがみ、戦士の手の上に己の手を重ねる。
「貴公が私が戦った人間の中で、一番強かったぞ」
敬意を込めて告げたヴ・ゼヴウの言葉に、戦士の顔から険が取れた。恨みの念がどこかに無くなった。
種族など関係無く、ヴ・ゼヴウは自分と同じ戦士であり、互いに死力を尽くして戦った者同士であると、死にゆく人間の戦士も受け止めた。そして自分を屠った者への尊敬の念も湧いた。
「じゃあ……俺に勝ったお前は……誰にも負けてくれるなよ」
「約束しよう」
微笑みながら残した人間の言葉に、ヴ・ゼヴウは力強く頷く。
「ところで貴公の名は?」
ヴ・ゼヴウが尋ねるも、彼はすでに事切れていた。
***
転移されることなく、中庭に残っていたユーリとノアと勇者軍の兵士達の前に、大量の魔物達が出現した。セインの軍の管理下にある魔物だ。
「数多すぎ」
「空にも大量にいる。倒してもすぐにあれらが降りてくるね」
中庭とその上空にひしめく魔物達を見て、ノアとユーリが言う。
戦闘が始まる。勇者軍がセイン軍の魔物と戦い出す。
「ノア、今は出来るだけ力を使わず温存しておいて」
ユーリがノアに釘をさす。
(雑魚の相手は兵士に任せて、俺達の力は雑魚相手に使わず、強敵相手に取っておいた方がいいってことかな。先輩、すぐにそんな風に頭が回るんだね)
ノアがユーリの意図を汲み、微笑んで頷く。
しばらく魔物との戦闘が続く。勇者軍側にも多少の犠牲は出ていたが、魔物側に比べるとはるかに少ない。
「暇だ。そろそろ強いの来ないかな」
一切手出しすることなく、勇者軍の兵士と魔物の戦いを見物しながら、ノアが欠伸をしかけたその時だった。
「来た」
強い妖気の接近を感じ取り、ノアが微笑む。
ユーリも警戒し、接近する妖気の方へと目を向けた。城内に続く門の方からだ。
現れたのは黒い甲冑で身を包んだ騎士団だった。
「セインの魔物部隊をものともしないとはな。大したものだ」
先頭にいる髭面の黒騎士が感心する。三将軍の一人ヴ・ゼヴウだ。
「あれは強そうだ。あれと遊ぼう」
ノアがヴ・ゼヴウを指して、嬉しそうに言う。
「勝てるかな……」
一方でユーリは表情を曇らせていた。ヴ・ゼヴウから発せられる膨大な量の妖気から見るに、少なくとも自分一人では絶対に勝てそうにない強者である。
「ふむ。熱い視線を感じるぞ」
ヴ・ゼヴウがユーリとノアを交互に見てにやりと笑う。
「若輩なれど、修羅場をくぐっているな? そしてその身に強い魔力を宿している。その闘争心も大したものだ。これはこちらも全力でかからんとな。魔王軍三将軍ヴ・ゼヴウ、参る」
笑みを張り付かせたまま、ヴ・ゼヴウは剣の柄に手をかけた。
***
全身に食い込んだ命の輪のおかげで、チャバックは超人的な力を発揮して戦うことが出来た。
セインが四条に分かれた黒い鞭を振るう。一振りで、四つの鞭が様々な角度で襲ってくるが、チャバックは巧みに回避し、セインに向かって剣を突き出す。
チャバックの突きを避けたセインが、床に向かって鞭を叩く。すると床から獅子の頭が飛び出し、下からチャバックに食らいつかんとする。
だがチャバックは冷静に剣を振るい、獅子の頭部を一刀両断した。
セインはその間に距離を取り、鞭を大きく横に振り回す。
四つの鞭がそれぞれ異なる高さとタイミングで、チャバックの側面から襲いかかる。チャバックは素早く後方に飛びのく。
避けたと思ったが、振り回されている最中の鞭が、チャバックの体に届く距離まで伸びた。
飛んでいる途中に剣を振り、伸びてきた鞭を払う。
「ははは……やるじゃないか」
嬉しそうに笑い、称賛するセイン。
剣技など全く覚えが無いチャバックであるが、剣の扱いを体が知っている。それは命の輪の力であり、ネロに成り代わっている事によって得られる勇者の力でもあった。
(助太刀しようにも、二人の強さが頭抜けていて、私なんかが割って入るのは難しいんよ)
スィーニーは鎌剣を構えたまま、二人の戦いをただ見守るしかなかった。
(迂闊には手出しはできないけど、チャンスがあったら――)
あるいは、チャバックが真剣に危なくなったら、その時には手を出そうと、スィーニーは心に決めた。
「アシュの生まれ変わりかどうかはわからないが、そうだったら嬉しいな。例え殺し合う間柄になっても……アシュにまた会えたんだからな」
セインがうわごとのような喋り方で独りごちると、鞭で壁と天井を叩く。
叩かれた壁からフロストサラマンダーが、天井からはワイアームが出現し、チャバックに襲いかかる。
飛びかかってきたワイアームを一刀両断するチャバック。しかしフロストサラマンダーは接近せず、遠方から冷気のブレスを吹きかけてくる。
チャバックが手をかざすと、緑の淡い光の膜が出現し、冷気のブレスを防いだ。
そこに今度はセインの鞭が唸る。四本に分かれた鞭が斜め上からチャバックの頭部へと振り下ろされる。
今度は後方に飛んではかわさなかった。チャバックはあえて前方に飛び出た。
チャバックの頭部を鞭がかすめたが、ダメージにはなっていない。鞭が当たる軌道の内側へと、素早く飛び込んでいた。
「おっ」
それを見て、感心と驚きが入り混じった声をあげるセイン。
チャバックはそのままセインめがけて突っ込んでいき、剣を突き出す。
(チャバック、あの鞭が見えてるんね。ちゃんと反応して対処してる)
少なくともスィーニーにはセインの鞭の速度が速過ぎて、まるで見えない。
「ふう……やるもんだ……が」
セインは体を捻って、チャバックの剣をかわす。
「詰めが甘い」
剣をかわすと同時に、セインはカウンターの膝蹴りをチャバックの腹部に叩き込んだ。
体制を崩したチャバックの側頭部に、回し蹴りを見舞うセイン。崩れ落ちるチャバック。
「チャバック!」
スィーニーが叫んで助けに入ろうとしたが、フロストサラマンダーがその前に立ちはだかり、至近距離から冷気のブレスを吹きかけた。
「邪魔すんなっ……」
際どい所で冷気のブレスを避けたスィーニーが、鎌剣を振るう。振るった瞬間、鎌剣から青い光の刃が伸びて、フロストサラマンダーの首を切断した。
倒れたチャバックに、セインが鞭を振るう。
とどめのつもりで振るった鞭は、チャバックに届かなかった。その瞬間、チャバックの体から生える命の輪が一斉に緑の光を放ったかと思うと、凄まじい衝撃波が放たれ、セインの体を吹き飛ばしたのだ。
「ふう~……流石は勇者と褒めればいいのかね?」
セインがすぐに身を起こしながら、大きく息を吐く。
(困ったね。セインはかなり強い。魔王サーレとの戦いに、ある程度の力は残しておきたいのに、ここでかなり削られてしまっては……)
チャバックの中で、ネロが焦燥に駆られる。そしてその感情はチャバックにも伝わる。
(もっと勇者の力を使うしかなんいじゃないのぉ?)
魔王との戦いのために、力を温存しておきたいというネロの考えもわかるが、この場で必要以上にダメージを受ける方が、不味いのではないかとチャバックは思う。
(仕方ない。もう少しだけ飛ばしていこう)
チャバックの考えももっともだと思い、ネロは方針を少し変えた。確かに今は温存していられない。
「じゃあ……行くよ」
ネロにゴーサインを出されたので、チャバックは全身に力を込める。
命の輪から力が引き出される。そしてネロの魂からも勇者の力が流れ込む。チャバックの全身から淡い緑色のオーラが立ち上る。
「ふうん。まだまだ底は見えないか」
チャバックの変化を見て、セインも闘志を燃やす。
「セインよ。苦戦しているようだな」
その時だった。セインの後方から聞き覚えのある声がかかる。
「こっちに来たのかよ……」
振り返ることなく、意外そうに言うセイン。声の主はヴ・ゼヴウだった。
「勇者の仲間を相手にするよりも、勇者の相手をした方がよかろう。私と貴公の二人がかりで屠るぞ。よもや自分一人にやらせろとは言うまいな?」
ヴ・ゼヴウが剣を抜きながら伺い、セインの横に並ぶ。
「気分的にはこのままサシでやりたいが……そんな我儘言っていられないな」
セインが少し落胆したように言う。
(強そうな人がまた出てきたよ……)
(何てこった……。ここでもう一人三将軍の一人が現れるなんて……)
ヴ・ゼヴウの登場を見てチャバックが臆し、ネロも愕然とした。
(この場を切り抜けるためには、力の出し惜しみはしていられない。チャバック。こうなったらもう、遠慮なく力を振るっていいよ。そうするしかない)
ネロが苦渋の決断をする。そんなことをしたら、魔王との戦いで振りになってしまうが、そうしないと蠱の場は切り抜けられない。
(魔王と戦う際は……ミラジャ達の助力を期待するしかない。この戦いが終わった後に、少しでも回復させるしか……)
この場を切り抜けた後の、魔王との決戦をどう行うか、思索を巡らすネロ。
(違う……。この気配、私は知っている。あの魔族は――)
スィーニーがヴ・ゼヴウを見る。その正体をスィーニーだけが見抜いていた。
「がはっ!?」
背中かから胸の中央を貫かれ、セインは大きく目を見開いて声をあげる。口から血が噴き出される。
「ヴ……ゼヴウ……?」
「申し訳ありませんね。私は誰かに化けることが得意なもので」
セインが名を呼ぶと、ヴ・ゼヴウとは異なる者の声が、すぐ背後から発せられた。
(やっぱり……)
セインを貫く者を見て、スィーニーは安堵する。すでにヴ・ゼヴウの姿ではない。そして複雑な気分になる。かつてその者に殺されかけもした。
「誰かに化けて、騙し討ちをすることも得意です。それは今、証明されていますよね?」
黒い刀でセインを後ろから貫いたディーグルが、涼やかな声で告げる。
「あうう……貴様……は……」
「黒蜜蝋」
ディーグルが術を発動させる。黒い刀身から黒いタールのようなものが溢れ出て、セインの内部から浸蝕する。たちまちセインの全身が、黒蝋化していく。
セインの体が地面に落ちた。頭部から下は全て黒蝋化している。
「あーあ……アシュに救って貰った命……絶対に散らさないと決意して、ここまで頑張ってきた……。守り通した……。生き抜いた……。それなのになあ……」
自分の敗北と死を受け入れ、セインは掠れ声で呟きながら、目を閉じる。
「いや、でもさ……死ねば……アシュにまた会える。だから死んでも別に……悪いことはない。嗚呼……ほら……やっぱりだ。アシュ、迎えに来たんだな。今度は……勝手に俺から離れるなよ……。はは……はは……ははは――」
やがて頭部全体にも黒蝋化が及び、セインの笑い声は途切れた。




