32-31 あの命令に逆わなければ……
・【純朴な心を持つ魔族アシュ】
魔族の社会は実力主義であり、個人主義を重んじる。欲望は素直に認めるのが美徳とされ、強さが絶対的価値基準である。
そんな魔族の中にも、大人しい性格の者は生まれる。そういう者は、魔族の社会に適さない存在で、最下級の者として虐げられる。魔族の戦士セインが知り合ったアシュという名の少年が正にそうだった。
その頃セインは、一回の戦士に過ぎなかったが、人一倍の野心を持ち、魔界でのし上がるために戦い続けていた。誰とつるむこともなく、一人で戦いの地を求めてさすらう日々を送っていた。
ある日、セインが仕事の関係上、どうしてもパートナーが必要となってしまう。
セインは魔物を使役することに特に秀でているが、知能の高い魔物は呼べないし、複雑な命令はこなせない。
セインは単独行動を好む。協調性も乏しく、集団行動にはいい思い出が無い。だが背に腹は変えられないとして、パートナーを雇うことにする。
「今回は……どうしても補助が必要な内容だし、しゃーないな……」
仕事のパートナーとしてセインが選んだのは、魔族にしては珍しい、いかにも気弱そうな顔つきの少年だった。
そしてアシュという名の少年は、驚くほど従順で誠実だった。
「最底辺で生きるが故、強者に媚びへつらって生き永らえるという生き方をしているわけか。虫唾が走るとはこのことだ……」
しかし強者にへつらうことで生き永らえている最底辺の存在として、セインは最初、アシュのことを侮蔑していた。
だがセインがその後アシュを雇い続けるようになった理由は、正にその二つの点にあった。セインは誰かと組んで仕事をすると、トラブルを起こす可能性が非常に高く、それはセインにとって多大なストレスになるので、自分の言うことに従うであるアシュは最適だったのだ。
仕事は大成功に終わった。アシュは自分の言いつけに従うばかりではなく、突発的なトラブルが起こった際にもアドリブを利かして、最適解にして最大限の働きをしたのである。
「ああ……よくやった。うん、お前がここまで出来る奴だとは思わなかった」
滅多に他人を評価しないし、ましてや称賛など一度もしたことがないセインが、生まれて初めて褒めた相手が、アシュだった。
「勿体無い御言葉、光栄に存じます。またお雇いして頂けることを願っています」
奢ることない謙虚な態度を示したアシュに、セインはますます好感を抱く。
その次の仕事も、補佐役がいるとはかどりそうな代物であったため、セインはアシュを雇った。
仕事は大成功を収め、想定をはるかに上回る報酬を得た。
「こ、こんなに貰ってもよろしいのですか?」
分け前を授かったセインは、目を白黒させていた。
「ああ……。少なくて文句言う馬鹿はよくいたが、多くて驚いている奴は初めてだな。これはお前の働きに対する、俺の正当な評価だ。文句は言わせないぞ」
「文句などと滅相もございません。感謝の至り」
アシュが地面に頭をこすりつけて礼を述べる。そんな仕草に気を良くする魔族もいるのだろうが、セインはいい気がしない。
「あー……アシュ、お前がよければだけどさあ……。お前、これからも俺と一緒に仕事しないか?」
「よよよよ、よろしいのですかっ」
セインが伺うと、アシュは鬱陶しそうに顔をしかめて、深い溜息をついた。
「よろしくないなら、俺の方からこんなこと言わないだろ。ただし、だ。いちいちオーバーにへつらうのはやめろ。それが条件だ。お前の必要以上に媚びへつらうその所作は、見ていてムカムカする」
「わ、わかりました」
こうしてセインは、アシュと行動を共にするようになった。
アシュのことがすっかり気に入ったセインは、仕事の時間だけではなく、日常においても自分の側においた。アシュは拒むことなく、セインの要求を全て受け入れ、従った。
それから何年もの間、二人は常に共に時間を過ごしていたが、ある日、二人に別れの時が訪れる。
セインとアシュは敵に包囲され、死闘を繰り広げていた。やがてこの敵にはかなわないと悟り、逃走の判断に至る。
しかし敵の追撃は執拗であり、中々振り切れない。
「アシュ、こっちに来い! お前は先に逃げろ! 俺がここで踏ん張っておく!」
アシュだけでも先に安全に逃がしたいと思ったセインは、後方を走るアシュに命じた。アシュが無事に逃げ切ったのを確認してから、自分も逃げるつもりだった。
「アシュ、早く来いって!」
しかしアシュは最後に、セインの命令に逆らった。セインは、自分が逃げるまで戦い続け、そこでセインが果てるような気がして、アシュは命令に従うことが出来なかった。
「セイン様一人なら、逃げられるでしょう」
セインに向かってにっこりと笑うアシュを見て、セインはぞっとした。アシュが何をするつもりなのか、わかってしまったのだ。
アシュが逆走しだす。
「やめろ! アシュ!」
セインもアシュの後を追って走り出したが、その直後、アシュは敵複数から放たれた投げ槍を身に受け、致命傷を負って倒れていた。
「お逃げ……くださ……い。セイン……さ……ま」
アシュは力を振り絞って言い残し、目を閉じた。
セインは逃げた。泣きながら逃げた。アシュの死を無駄にしたくないという思いから、必死で逃げ続けた。
***
空間の扉から魔王城へ突入したその数秒後、頭の中に絵本が流れた。
「どうしたんでい。何があった?」
「四人揃って何なの?」
ユーリ、ノア、チャバック、スィーニーが揃って固まっている様を見て、キンサンとウスグモが訝り、声をかける。
「こんなタイミングで絵本見せられるなんて」
ユーリが呟き、嬲り神を見る。
「しかも魔族側のキャラ。どういう意図があるの?」
「さーてね。ダァグ・アァアアの思し召しだろぉ? 俺が知る由もねーぜ」
ノアが尋ねるが、嬲り神はとぼけた口調で、へらへら笑って肩をすくめていた。
空間の門は魔王城の内庭へと繋がっていた。
チャバックやミラジャ達は、先に城の中へと入って様子を探る。勇者軍の兵士達はまだ内庭にいる。
「魔王城、普通の城だね。もっとおどろおどろしいものを想像していたのに」
城内の内観を見て、ノアが残念そうに言う。
(俺が魔王になったら、城は絶対に魔王の城っぽいデザインにしなくちゃ)
そう決意するノア。
「どんどん入ってくる」
チャバックが内庭に開いた空間の門を見て言う。入ってきているのは勇者軍だ。すでに何百人もの兵士が中に入っている。
「え? 何?」
門の方から轟音が響き、スィーニーが声をあげる。
「おおっと、こいつは……」
「やっぱり見逃すわけはないわね」
キンサンとウスグモが空間の門の方振り返り、渋い顔になる。
勇者軍が空間の扉に入り出してからしばらくしてから、門の向こう側で、雷が立て続けに空間の門近くに落ち、さらには竜巻が発生して、これから空間の門をくぐろうとしていた勇者軍兵士達が、空高く舞い上げられていた。
***
轟音が響く一分半前。会議室。サーレと三将軍、そしてミヤとビリーもいる。
ミヤとビリー――ではなくアルレンティス=ムルルンが、顔を見合わせる。彼等も当然、絵本を見ていた。
「ここでセインのエピソードに触れるとはね」
「セインは魔王城の警備を務めていたけど、勇者と遭遇して殺されるのー。リメイク前はそうだったのー」
「何だい。ちょっと目離した隙にムルルンに変わっていたのかい」
ついさっきまでビリーだったアルレンティスが、絵本を境に、ムルルンになっていた。
「セインがいつもアシュアシュと言ってることは、知られていたのー。魔族のくせに、故人のことをいつまでも引きずっていて、女々しい奴だと馬鹿にされていたのー。ムルルンは可哀想だと思うのー」
「はん、馬鹿にしている奴等の大半は、馬鹿にしているセインより劣るだろうに」
ムルルンの話を聞いて、ミヤが吐き捨てる。
「勇者軍に動きが見えました。巨大な空間の門を造り、その門の中へと入っているようです」
「城内に巨大な空間の門が出現しています。門から勇者軍が直に侵入してきています」
会議室に伝令二人が現れて報告する。
「空間の門を開き、この中に直に入ってきているというのか! さっさとその門を閉ざせ!」
血相を変えてがなるヴ・ゼヴウ。
「し、しかし門が巨大すぎて、空間歪曲範囲が広すぎるが故に、相当強い空間操作術の使い手でない限り、すぐには閉じることができません」
「開閉するには、数人がかりで数日かかる規模の巨大な門ですよっ」
伝令二人がヴ・ゼヴウの命令を受け、強張った表情で反論した。
「門を閉じることが出来ないなら、門に向かって集中砲火すればいいだけの話だよ」
爽やかな笑みを張り付かせたサーレが、さらりと言ってのけ、魔法を発動させる。
ミヤが遠視で様子を見る。空間の門前に竜巻が発生しているうえに、落雷が継続して落ちている。サーレの魔法によるものだ。
「勇者軍の本陣めがけて投石もして。もう勇者が本陣にいないから、勇者パワーで護られることもない。早くやろうね? もたもたしていると、もたもたしている分だけ大勢の敵を、城内に入ることを許してしまうからね」
「了解!」
「承知致しました! すぐに!」
サーレに穏やかな口調で命じられ、伝令達が走っていく。
「ヴ・ゼヴウ。君はセインと一緒に、城内に入った勇者軍の掃討をして。彼等は転移装置を使って、ばらけさせる」
「ははっ!」
「はいよ。ふぅ……了解。行くぞ。アシュ。ああ……アシュは……そうだよな……。いない」
サーレに穏やかな口調で命じられ、ヴ・ゼヴウはたっぷりと気合いの入った返事を返し、セインはいつも通りのリアクションだった。
「イヴォンヌ、ミヤ、クロード、楽しくなってきたね。いよいよだよ」
「ふん、何がいよいよなのかね」
笑顔で告げるサーレに、ミヤが鼻を鳴らす。
「宴もたけなわって奴かな?」
「ふん、それはお前と勇者の戦いが始まる頃にお言いよ」
笑顔のまま言うサーレに、ミヤがまた鼻を鳴らした。




