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6-1 強者は弱者を蹂躙する権利が有り、弱者は強者に虐げられる義務がある

 ジャン・アンリはア・ハイ群島の魔術師界隈において、知らぬ者は無いほどに名が知れた魔術師だ。魔術師としてはトップクラスの実力者であった。

 首都ソッスカーの魔術師の中には、ジャン・アンリを直接知る者もいる。彼と交流のある者もいる。ジャン・アンリについて知る者は、以下のように語る。


「無味乾燥というか、いつも淡々と事務的ですね。冗談の一つも言わない男だし、冗談に笑ったことも無い。いや、彼の表情なんて見たことない」

「会話が微妙にズレている。変な所で疑問形? 絵がとても上手い」

「一見冷淡に見えて、話を聞いていると、ロマンチストなのかなって思う? 大袈裟というか、変な表現で喋ることが多い。イッちゃってる人?」

「彼には何かありそうよ。目つきヤバいし、大抵いつも一人でいるし」

「俺は彼に絵を描いてもらったぞ。絵のことはよく知らないけど、一目で圧倒されるような凄い迫力の絵なんだ。俺の顔の絵だから、見せたくないし、飾りたくもないけど」

「魔術師としては超優秀です。知識も豊富ですし、噂の通り、魔法使いに匹敵するんじゃないですか?」

「禁忌の実験とかしていても驚かないね。いかにもそういうことしていそう」

「そもそも彼の扱う魔術からしてヤバくない? 虫よ? 虫」


 ジャン・アンリの話を聞く限り、変人のイメージが強い。しかし噂はともかくとして、ジャン・アンリが実際に何か問題を起こしたという記録は一切無い。

 逆に功績は多い。弟子こそとらないが、彼の魔術の研究は、多大な成果をあげ、他の魔術師達のレベルアップに貢献している。また、人喰い絵本を数多く攻略しているため、魔法使い同様に、難易度が高いと見なされた絵本の救出班に回されてもいる。


***


 ユーリが繁華街で買い物していると、南方人の行商人スィーニーと会った。


「よっ、お買い物かい?」

「やあ、スィーニー」

「うちの物も買ってくれー。知り合いの行商人から北方の珍しいお菓子手に入れたんよー」

「いや、今日はちょっと……」


 会話を交わしている際に、ふとユーリは気付いた。


「スィーニー、今日はメイクしてるんだ」


 いつもスィーニーは化粧をしていなかった。


「ああ、私はすっぴんでいる方がいいんだけど、知り合いの行商人から贈り物されちゃってさ。その人には世話になってるからね」

「そっかー」

「そっかじゃないだろー。そこは気にしろよ。贈り物した相手が男か女かとか、男だったら親しい間柄なのかとかさー」

「え? えっ?」


 不満顔で要求するスィーニーに、ユーリは戸惑う。


「お願いしますっ! これ以上魔月丼の、ムーンふりかけの原価を上げられてしまっては、うちで商売が出来ませんっ!」


 少し離れた場所で、悲鳴にも近い哀願の叫びがあがっていた。


 見ると、あまり良い身なりと思えない商人が、悪趣味と言ってもいいほど派手な見た目の豪商に食ってかかっている。


「魔月丼て?」

「スィーニーは食べた事が無い? ぴり辛具合が美味しい、エニャルギーが入っているどんぶり飯だよ」


 スィーニーが尋ねると、ユーリが答えた。


「うへえ……食い物にエニャルギー混ぜてる系かあ。ちょっと遠慮したいわ」

「ア・ハイ群島ではわりと普通なんだけどね。他所では違うの?」

「他所でも結構そういうのはあるよ。私が生まれた場所では……」


 堪えている最中、スィーニーは口を閉ざした。思わず、生まれた場所ではタブーだったと言いかけた。それを口にしてしまうと、自分の出身地がバレてしまう可能性が高い。


「その分そちらも値を上げれば済むだけの話だろう」

「こっちは裕福な相手に売ってるわけじゃないのですよっ。誰も買わなくなりますっ」

「そんなことはない。魔月丼は低賃金労働者の活力の源だ。少しくらい値を上げても買ってくれるだろう。エニャルギーの値の方を下げて貰え」

「ぐっ……」


 にべもない対応の豪商に、商人は表情を歪める。


「どっちの言い分が正しいのかと言えば、多分訴えている方が正しいように思える。あの必死さからして」

「指輪だらけネックレスだらけで、センスのカケラもありゃしねーから、威張ってる方は、ただ足元見てるだけの糞野郎だと、私は判断するよ」


 ユーリとスィーニーは揃って、豪商の方に不快感を覚えていた。


「どうした? 何を騒いでいる。おいおい、下層部にいるような商人が、どうしてここにいる。ここはお前のような者が来ていい場所ではないぞ」


 そこに貴族がやってきて、訴えていた商人の身なりを見て、侮蔑たっぷりに吐き捨てる。


「この者が商品価格にクレームを入れてきました。私が足元を見て搾取しているかのような、そのような物言いでした」


 豪商も侮蔑に満ちた物言いで、貴族に説明する。


「商品の値段を上げすぎだからですよっ! しかも貴方はムーンふりかけを独占しているのだから――」

「資本主義の原則に沿っているだけだ。それが嫌なら、共産主義の国にでも引っ越せ。もういいだろう? これ以上時間を取らすな」


 商人の言葉を遮り、豪商は背を向けて立ち去った。商人は肩を落とす。貴族はそれを見て嘲るように鼻を鳴らし、こちらも立ち去った。


「露骨な搾取だねー」


 スィーニーが呟いた


「ま、ここだけに限った話じゃねーけど。どこの国もこんな構図ばっかりさ。ズルくて悪くて欲深い連中が得をして、優しくて正直な人達は損をして辛い思いをしている。そんなんばっか。私はいっぱい見てきたよ」


 スィーニーがそこまで喋った所で、強い魔力が働いている事に気付いた。すぐ側。すぐ隣でだ。


 ユーリが魔法を使っていた。掌の上に、光り輝く結晶が出現していた。それが高純度のエニャルギー結晶だという事は、誰にでもわかる。


(凄い。こんな高純度かつ高密度のエニャルギー結晶を、瞬時に精製するなんて)


 スィーニーが舌を巻く。


「もしもーし。困っているようなら、これを足しにしてください。魔月丼を作るなら、これも役に立つと思いますし。ただし、僕が渡したことは内緒にしてくださいね」


 ユーリが商人に話しかけ、高純度のエニャルギー結晶をその場で渡した。内緒にするようにと釘をさしたのは、魔術師や魔法使いがただでエニャルギー結晶を渡す行為は違法であるからだ。そして他者にも知られれば、ユーリの元にエニャルギーを求めて人が殺到しかねない。


「おおおおおっ、ありがとさままままままーっ。助かりますっ。本当に助かりますっ」


 商人は歓喜して、何度も頭を下げ、感謝の言葉を述べる。


「それも魔法使いの仕事なん? 見ず知らずの人にそんなボランティアすることがさー」


 戻ってきたユーリに向かって、スィーニーがにやにや笑いながらからかう。


「そういうわけじゃないけどさ。僕にはあの人を助けられる力があったし、それなのにそのまま見過ごすってこと、出来ないよ。僕だってさ、師匠に助けられたからこそ今があるんだし」

「なるほどなるほど。じゃあ私の商品ももっと買ってくれてもいいよねえ? 助けてくれてもいいよねえ? 私にも今みたいにエニャルギーの結晶くれてもいいよねえ?」

「えー……それはまた違うかと」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた顔を寄せて要求するスィーニーに、ユーリは困り顔になった。


***


 買い物を済ませ、自宅に戻るユーリ。


「ねえ、師匠……。貴族の連中も、豪商達も、自分の欲ばかりですよ。自分の利益を、欲を満たすため、多くの人々を踏みつけにして、苦しめている。人の心がわからない、酷い人達です。人の痛みを何とも思っていない」


 ユーリは溜息混じりに話す。スィーニーと一緒に見た場面のことも。


「スィーニーが言うには、他の国でもそんな光景いっぱい見たって。世界ってそういう風に出来ているんでしょうか」

「それも魔王の呪いとも言われているね。三百年前を境に、ア・ハイ群島は格差が広がる傾向にあると。王家が失墜して王政が取りやめになって、余計に酷くなったのは知っているけどね」


 祭壇の前にいるミヤが、気の無い口調で言った。


「この世の悪いことって全て魔王が生み出したのでしょうかねえ?」

「そうかもしれんし、違うかもしれん」


 話を続けるユーリに対し、ミヤは顔を向ける事も無く、祭壇に向かったまま告げる。


「しかし世の中、嫌な奴や悪い奴ばかりでもないだろう。少なくともお前は人を踏みつけて利を得るような子でもないし、困っている者も助けたのだから、それでよい。貴族も正道派が増えてきているしの」

「正道派の貴族の人達が増えてきているとは聞きますが、選民派の搾取のせいで苦しんでいる人は、依然多いようですよ。どうして他の誰かを苦しめてまで、自分が得しようと思うんでしょう。僕には理解できませんよ」

「お前は優しいのう。そしていい子だよ。しかしいい子であるが故に未熟だ」


 ここでようやくミヤはユーリの方を向いた。


「どういうことです? 意味が分かりません」


 きょとんとして、ユーリは師を見る。ミヤはやれやれといった様子で小さくかぶりを振る。


「お前は今、人の心がわからない酷い人達といったが、お前こそわかっとらん。少なくとも、悪人の気持ちがわからん。欲の深い者も気持ちもわからん。その時点で浅い。未熟だ。だからこそそんな台詞を吐きよる」


 ミヤが口にした台詞を聞き、ユーリはますます意味が分からなくなる。そして反発心も覚える。


「純粋すぎる者、真っすぐすぎる者は、人としてバランスが悪いものよ。人は綺麗で美しいだけの存在ではないからの」

「いや、そんなこと言われても……」

(ユーリ、ミヤの言葉は心に留めておきなさい。今わからなくてもね)


 ユーリが言い返そうとした時、聞きなれた柔らかな女性の声が、頭の中に響いた。同時に、頭の中に宝石百足のヴィジョンが浮かび上がる。


(わかったよ、セント)


 ユーリが頭の中の宝石百足に向かって言ったその時、呼び鈴が三回鳴った。


 訪れたのは黒騎士団長のゴートだった。


「ミヤ殿、また人喰い絵本の対処をお願いしにまいりました」


 深々と頭を垂れるゴート。


「またかい。最近多いね」

「ええ。しかしこの前、救出隊が入ってすぐに、全員解放されましたよ。最初に引きずり込まれた人が、自力で絵本を攻略したようです。あるいは宝石百足殿の御助力があったかもしれませんが」

「嬲り神の干渉が無ければ、自力で攻略できるケースはもう少し増えるかもしれないね。あいつが物語を改ざんするせいで、おかしくなっているのさ」


 ゴートの報告の後に、ミヤが忌々しげに吐き捨てる。


(嬲り神……僕にはどうしても心底腐った悪とは思えない。普段の言動は酷いんだけどさ)


 ユーリは思う。彼が抱く疑問は、ミヤの前で言えば怒られるし、他者の前では口にするなとミヤに釘を刺されていた。


(人喰い絵本は、物語を悲劇から助けてもらいたいために、人を引きずり込んでいる。そして悲劇を修正して、できるだけ哀しくない結末にするために。嬲り神はその手伝いをしているんじゃ……。でも嬲り神が干渉すると、大抵の人喰い絵本の攻略難易度が大きくはねあがってしまうし……)


 それも嬲り神にはどうにも出来ない事情があるのではないかと、ユーリは考えてしまう。しかしその考え方自体、性善説に基づいたものではないかと、意識する。


***


 ユーリと別れたスィーニーは、チャバックの様子を見に、旧鉱山区下層部へと足を運んだ。


 チャバックが洗剤を飲んだ事件を、スィーニーは怪しいと感じていた。あれは本人が間違えたのではなく、悪意ある何者かの仕業ではないかと。

 スィーニーはチャッバックが、誰かにいじめられているのではという疑惑を抱いている。いじめられている現場は目撃しないが、チャバックの生傷が多いことを見て、そう思っていた。


「あ、チャバック、ケープ先生」


 ケープと一緒にいるチャバックを見つけて、スィーニーが手を振って声をかける。


「スィーニーおねーちゃんだー」


 チャバックが手を振り返し、ケープは微笑んで会釈する。


「遊びに来てくれたのー? お話しにきてくれたの~? それともお仕事~?」

「あんたがこの前とんでもないことして病院送りになっていたから、心配でその後の様子を見に来てやったのよ」


 歓迎モード全開のチャバックに対し、スィーニーも明るい笑顔で応じる。


「チャバックのこと、気にかけてくれてありがとうね。よければ、これからもこの子といい友達でいてあげて」

「はっ。んなこと言われるまでもないってのー」


 専属女医のケープに言われ、スィーニーは鼻の下をこする。


(傷は無いみたいね。誰かにいじめられていると思ったのは、私の勘違いかな? それなら私よりも接する機会の多いケープ先生の方が、先に気付きそうなもんだけど)


 スィーニーの体をこっそり観察しながら、スィーニーは考えを巡らせていた。


 やがてスィーニーとケープが去った後、チャバックの前に、入れ替わりのように清掃会社の社長と社員達が現れた。


「何でお前なんかが女二人といちゃついてるんだよ。ふざけんなよ」


 社員の一人が怒りに表情を歪ませ、不機嫌そうな声を発する。三人が談笑する様子を、彼等は物陰から観察していたのだ。


「いちゃついてなんかいないよう。ケープ先生は恩人だし、スィーニーは友達だよう」


 珍しくチャバックが怒りを滲ませたので、社員達は驚いた。


「お前なんかと友達かよ。信じられねーな」


 社長が吐き捨てる。


「ろくに仕事もできないくせに、遊び仲間だけはいるのか。ふん。お前みたいな出来損ない、何で生まれてきたんだ? 何で生きているんだ?」

「ですよねー。社会の役に立たない存在だし、生きていない方がいいわ」


 社長が嫌味たっぷりに問い、社員がへつらいの笑みを浮かべて罵った直後、チャバックは動いていた。

 近くにあったゴミ箱の蓋を社長に向かって投げつける。チャバックがこんな行動を取るとは思ってもいなかったので、社長はこれを避けられず、頭に直撃して尻もちをつく。


 その社長の上に、チャバックが馬乗りになって、殴りかかった。

 社員達が慌ててひっぺがすが、チャバックの剣幕に押されがちで、戸惑いの表情のままで、何も言葉を発せられなかった。


「オイラ……確かに出来損ない。あまり役に立っていない。社長達の言う通りかもしれない。でも、生きてない方がいいって言葉は許せない」


 社員二人がかりで押さえられた格好で、チャバックは憤怒の形相で社長を睨みながら喋る。


「だって……こんなオイラのこと、こんなオイラの命でも、必死に助けてくれた人達がいたから、護ってくれて、支えてくれた人達がいたから。オイラは子供の頃、体弱くて、死にかけていた。でも、オイラを育ててくれた叔父さんとお婆ちゃん。ユーリと猫婆。ケープ先生。スィーニーおねーちゃん……。皆のおかげで、オイラはこうして今も生きていられる。だから……オイラに向かって死んだ方がいいとか、生きていない方がいいなんて言うのは、オイラの命を護ってくれたあの人達まで馬鹿にしてる。だから許せない……」

「そうか……すまなかった。お前達、放せ」


 社長がうなだれて謝罪し、社員に命じた。


「こんな奴クビにした方が……」

「いや、いい。今回はこれでおあいこってことにしてやる。俺も確かに言い過ぎた。悪かったよ。チャバック」


 社員が言うが、社長は立ち上がり、再度謝罪した。


「あうう……こっちこそ……ごめんなさい……」


 社長が謝ってきた事で、チャバックも落ち着きを取り戻し、とんでもないことをしたと思いつつ、半泣きで謝る。


 社長が立ち去り、社員達は社長の後を追う。


「今のはどういうことなんです? 社長」


 困惑しながら尋ねる社員。どう考えても社長は、あの場面で謝るような人間ではない。


「あの場面ではな、俺が謝った方がいいんだ」


 ほくそ笑みながら答える社長。


「え?」

「その方がああいう奴の心に、深い傷を残せる。人を殴ったという、悪いことをした意識と、その後で謝られたという事で、チャバックは今の出来事がトラウマになるはずだ。そして今後それをネタにイビることもできるからな」

「さっすが社長。よく頭が回りますね~」

「いよっ、この悪徳社長っ」


 社長の考えを聞いて、社員達は口元を綻ばせて称賛した。

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