32-16 よくぞ言ってくれました
魔王軍と勇者軍との直接交戦から、数日が経過した。
ミヤの周囲――魔王軍に大きな変化は無い。しかし勇者側は確実に力をつけている。
(多分ユーリとノアもこっちに来ているだろう。救出チームは果たして来るかねえ。今回は来ない方がいいと思うんだが)
窓の外から空を眺めながら、ミヤは思う。
(ミヤの世界から助けが来てくれるの?)
ミヤの思考を読み取り、イヴォンヌが尋ねる。
(人喰い絵本は、こっちの世界の住人を無理矢理引きずり込むし、放っておくと高い確率で死ぬことがわかっているからね。それを助けに行くって寸法さね。儂もその救出が仕事だったんだよ)
(それじゃあ今回はミヤが助けられる側になっちゃったんだ)
(ふん、儂に助けなどいるものかよ)
イヴォンヌが言うと、ミヤはうそぶいた。
(来ない方がいいっていうのは?)
(今回の人喰い絵本――魔王と勇者の戦いは、かなり難易度の高い特殊なものと見ているからね。生半可な力の持ち主では、対処が困難だろうから、来ない方がいいのさ)
(なるほどー。まあ、ミヤも魔王なんだし、助けはいらなさそうよねー。しかし魔王のミヤがずっとそんな人助けしてたってのも、変な話)
おかしそうにイヴォンヌ。
(儂が魔王になったおかげで、人喰い絵本が儂等の世界に現れ、多くの人達を死に追いやっている。だからだよ)
(つまり、ミヤは魔王をやめて改心しちゃったのね)
(改心はしたが、魔王はやめていないよ)
ミヤの台詞を聞いて、イヴォンヌは不思議がる。
(どういうこと? 改心したらそれはもう魔王じゃなくない?)
(儂は魔王として世界を脅かすことはやめたさ。しかし魔王でなくなったわけじゃない。やめたつもりもないよ)
(うーん、意味がわからない)
(わからんでいいさ。どうやら心が繋がっていても。互いに全て筒抜けというわけではないようだね)
ミヤが言いつつ、部屋の扉の方を見た。何者かが来る気配がしたのだ。
ノックの後、扉が開く。訪れたのはサーレだった。
「何かあったかね?」
サーレが珍しく浮かない顔をしていたので、ミヤが尋ねた。
「いや、何かあったわけじゃない。ちょっと気分がすぐれなくて。昔のことを思い出してさ。たまに落ち込むんだ」
室内のベッドに腰を下ろし、サーレは語る。ミヤはその隣に移動する。
「昔のこと?」
「この間の……兄のことについての話の続き、していいかな?」
遠慮がちに伺うサーレに、ミヤは頷いた。
「僕さ……魔王になる直前、兄のことが脳裏によぎっていた」
絵本ではそのような描写は無かった。ダァグ・アァアアが描いた場面が、この世界の全てというわけではなく、ダァグ・アァアアの預かり知らぬ領域が広がっていく。これはそういうことなのだろうと、ミヤは判断する。
「兄は僕をいじめるだけじゃなく、僕に優しい時もあったんだよね。だからかなあ、僕の中で兄の存在が凄く大きく占めていた。失った時の喪失感もひどかった」
話しながら、サーレの目は虚ろになっていく。
「僕は、僕の悔しさのためだけ――僕の復讐のためだけに、魔王になったんじゃない。もちろん僕のためでもある。でももう一つある。兄の無念を晴らしたかった。何で兄はあんな風に生まれてきたんだい? 兄は自分の歪んだ心を自覚し、苦しんでいた。兄だって、あんな歪んだ人間に生まれてきたくなかっただろう」
サーレが数秒沈黙する。頭の中で自問自答をしている。
「いや……違うな。僕が兄を救ってやれなかったから、その行き場のない後悔の……憂さ晴らしだね」
「お前が魔王になって、自分の復讐のために世界を滅茶苦茶にすれば、兄も喜ぶとでも考えているのかい? 兄の仇討ちにもなるから、自分のための復讐だけではないと、そう思えることが救いになるのかい?」
ミヤが静かな口調で尋ねる。
「僕は運命に見捨てられなかったが、兄は見捨てられた。バッドエンドで終わってしまった。でも僕がいる限り、バッドエンドのままにはしない。僕の心は兄と共にある。そんな僕が人類を滅ぼせば、兄の生きた証が残される」
「わかるようなわからないような、何だか悲しい理屈だよ。ま、お前がほんの些細な過ちを犯し、後悔を引きずっているのはわかった」
サーレの答えを聞いて、ミヤは息を吐く。
(後悔を引きずっている点だけは儂と同じだよ)
心の中で付け加える。
「お前はつくづく根が真面目なんだねえ。儂にこんな話をしたことも、お前の心がずっと揺らいでいるからだろう。魔王になって、人間を滅ぼすと決めてなお、どこかに不安を抱いている」
「イヴォンヌは流石だね。僕のことは何でもわかってしまうんだ。そんな君だから、僕は安心して心を開ける」
「ふん、嘘だね。今までその話を儂にしなかったのは、儂のことも疑っていたからだろう。不安だったからだろう。その話をして、見る目が変わるんじゃないかと」
「あははは、それは違うよ。もっと単純な問題。自分の心の醜い傷を晒すことが、恥ずかしいと感じていたからさ」
乾いた笑い声をあげて、サーレは立ち上がる。
「ああ……この後またすぐ会議だった。じゃあ、後でね」
サーレが名残惜しげに言い、部屋を去る
(あ奴の心、揺れているようだね。おそらくは、恐れから来ている)
ミヤがイヴォンヌに語り掛ける。
(勇者ネロへの恐れと不安ね。私にもそれくらいわかるよ)
(お前に自分の心の混乱を打ち明けたうえで、何か言葉が欲しかったのだろう。お前の言葉は伝えず、儂が言いたいことを言ってしまったがね。何か伝えたいことがあったかい? それなら後で話しておくよ)
(ううん。いい。ミヤのあれでいい。何でかなあ。聞いてて心地好かった。よくぞ言ってくれましたって感じよ)
ミヤの中で、弾んだ声をあげるイヴォンヌ。
(お兄さんのことだけじゃないよ。サーレはさ、ずっと誠実に生きてきたの。家族にぞんざいに扱われ、同僚達から妬まれていじめられても、真面目に、ひたむきに頑張っていれば、幸せを掴めると思って。それなのに、サーレは濡れ衣を着せられ、国中から憎まれ叩かれ……本当ひどいよね。魔王になるのも当然だと私は思っている。私はサーレが魔王になった直接的な原因は、そっちだと思っているし、お兄さんの件は後からついてきたと思うなー)
(まあ、そうだろうね。あ奴は魔王となってからも、その性質が変わっておらんのだよ。だから魔王としての振る舞いの大義が欲しくて、兄のことを引っ張ってきている。彼奴の兄とやらも、いい迷惑ではないか?)
(そうよねえ。でもそれはサーレには言わないでおいてあげて。それ言うと流石にキツいと思う)
(ふん。面倒な奴だね。最初はうちの弟子に似ていると思ったが、よくよく知れば全然似とらん)
最初はサーレがユーリと似ていると感じたミヤだが、実際には真面目な所しか共通項が無かったかもしれないと、今になって思い始めていた。
***
連合国軍の大宿営地に入ったユーリとノアは、チャバックとスィーニーとばったり出くわした。
「チャバックとスィーニーもこっちに来てたんだ」
「チャバックの様子がおかしい。強い力を感じる」
ユーリとノアが言う。
「本当だ……。もしかしなくても、またチャバックが狙われて吸い込まれたみたいだし」
武装しているチャバックを見て、ユーリが言う。スィーニーはいつもの格好なので、以前のようにチャバックの巻き添えで吸い込まれたと察せられる。
「うん、そうなんだよう。オイラ勇者ネロの役になっちゃって」
「ええっ、チャバックが勇者っ」
チャバックの台詞に驚くユーリ。
「勇者が社員なんて社長は許さないよ。魔王になっても許さないけど」
憤然とするノア。未来の魔王が社長の会社の社員が勇者など、断じて許せないという思いがノアにはあった。
「そりゃノアは魔王ごっこするくらい魔王好きだから、オイラが勇者なんて嫌だろうけど」
「チャバック、それ言うのやめて……。記憶から消して……」
チャバックの言葉を聞いて、ノアは力なく懇願する。
「えっとね、にゃんこ師匠は魔王側にいるよ。魔王の妃のイヴォンヌの役」
「ええええっ、婆がそんな役をっ。大変だっ」
スィーニーの報告を聞いて、ノアは愕然とする。
(やっぱり師匠が魔王の役ではなかったようだけど、それにしても魔王の妃って)
よりミスマッチではないかと、ユーリは思う。
「おうおう、勇者様、お知り合いですかい。この二人は魔法使いかい?」
キンサンが声をかける。隣でウスグモもユーリとノアに視線を向けている。
「はじめまして。見習いですけど。チャバ……ネロの友人のユーリです」
「俺はノア。勇者ネロが勤めていた会社の社長」
自己紹介するユーリとノア。
「ノアって、社長アピールどこでもやらないと気が済まないん?」
「うん、済まない」
呆れるスィーニーに、ノアは笑顔で言った。
「で、ここに来たってことは、勇者様のために一肌脱いでくれるつもりで、馳せ参じたってことかい?」
「え……は、はい……」
「それでいいよ」
確認するキンサンに、ユーリとノアは肯定を示した。
「何だか曖昧な答えね。取ってつけたような感じだし。本当は別の目的があったんじゃないの?」
不審がり、指摘するウスグモ。
「この人……できるっ」
「うん、中々出来そうだ」
猫を抱いているウスグモを見て、ノアは緊張感と共にそんな台詞を口走り、ユーリもノアに同意を示す。
「先輩と同レベルか、それ以上かも……」
「うん……」
「一体何のことを言ってるの? 私に何か?」
二人の意味ぬ名な反応に、若干鼻白むウスグモ。
「その抱いた猫の頭を撫でる手つき。相当な猫撫でスキルの高さと見た」
「ああ……」
ノアが言うと、ウスグモは相好を崩した。
「猫の扱いに興味があるの? 教えてあげてもいいわよ」
「本当、教えてっ」
不審感をどこかへとやって好意的な態度を示すウスグモに、ノアは表情を輝かせた。
「ふむ。また勇者様の知り合いか」
ミラジャが興味深そうにユーリを見る。
「僕達はここに来たばかりなんですけど、この軍隊って、これから魔王と戦うんですよね?」
情報を引き出すため、まずはわかりきったことから尋ねるユーリ。
「うむ。君は魔法使いの見習いと言っていたが、共に戦ってくれるなら歓迎するぞ」
ミラジャがにっこりと笑う。
「今後この軍はどうするんです?」
ミラジャは自分達を怪しむことなく受け入れてくれそうな気配だったので、ユーリは聞きたいことをストレートに聞いてみた。
「まずは各国の指揮官と会議を行う予定だ。各国の軍の様子をみたうえで、方針を定め、再編成しようと思う。今の記憶を失った勇者様では不安だから、私が率先して話す」
「何それ? 俺の社員を信じてないの? 俺の社員を信じて喋らせまくるべき」
猫を撫でながら、ノアが主張した。
「いやだよう、ノア。オイラが会議に出るなんて不安だよう」
本当に嫌そうな顔で拒むチャバック。
「何事も経験。色んなぜんまいを巻けば、それだけ身につく。きっと我が社の役にも立つ」
「勇者様を信じたい気持ちはわかるが、今の勇者様の状態では難しいだろう」
引こうとしないノアを、ミラジャが笑顔で窘めた。




