32-5 状況を整理しよう
かつてないほど長い絵本だった。
人喰い絵本の中に入るなり、ダァグ・アァアアの挨拶と前置きが入り、そのアとに絵本が流れた。魔王という名のタイトルと、その内容を見て、ユーリもノアも呆然とした。
「魔王……だってさ」
ノアがユーリを見て、気の抜けたような顔で呟く。
二人は青空の下の草原の中で腰を下ろしていた。周囲に人影は無いが、近くに街道が伸びている。
「僕達が、師匠が魔王だったと知った後に、それをあてつけるかのように、こんな話を……」
ユーリが暗い面持ちで言う。実際、ダァグ・アァアアはミヤが魔王だと知ったうえで、こんな絵本世界へとミヤを引きずり込んだのではないかと、考えてしまう。
「吸い込まれたのは婆だ。つまり婆が選ばれ、ぜんまいが巻かれた。婆は何の役になるんだろうね。魔王サーレ?」
「断定はできないけど、サーレの役は師匠とマッチしていない気がする。そしてもう、魂の横軸とか関係無く呼び出されているね」
ノアの疑問に対し、ユーリが私見を述べた。
『君達の世界とこちらの世界が密接になりすぎたおかげで、三百年前? 坩堝が解き放たれ、魔王がそちらの世界にも出現してしまった。最大のイレギュラーだ』
ユーリはダァグ・アァアアと遭遇した時の台詞も思い出す。
「ダァグと会ったあの時、あの子は『魔王がそちらの世界にも』と言っていた。つまりこっちに魔王が元々いたんだよ。それがこの絵本なんじゃないか」
「ああ、俺もあの時思った。あの言い回しだと、そういうことになるよね」
ユーリの考えに、ノアも同感だった。
「俺一人遅れたのに、婆とほぼ同時に飛び込んだ先輩が、婆とは離れる格好になって、出遅れた俺と合流か」
「人喰い絵本に入ったタイミングで場所が重なるかどうかの判定は、無いかもね」
話している際中、ユーリは絵本の魔王以前に、ダァグ・アァアアが言い残した前置き説明を思い出し、闘志が湧いてきた。
「ダァグ・アァアア、また出たね」
ユーリが暗い気を放ちながら、ぽつりと呟く。
「機会がとうとう巡ってきたよ。ノアも協力して」
「巡ってきた機会って、ダァグ・アァアアを殺す機会? ていうか先輩、またヤバいオーラ出てるよ。トランキーロね」
案ずるノアに、ユーリははっとする。
「殺したいわけじゃない。やっつけるとか、懲らしめると言っておこう」
ユーリは自身の暗い気を抑え、微笑みながら訂正した。
「でもダァグ・アァアアも、悲しい物語を描きたくないような口振りだった」
と、ノア。
「うん。そして人喰い絵本を悲劇から救うために、こっちの世界の人間をいつも引きずり込んでいる。理由が何であろうと、許されることじゃないないよ」
再び負のオーラを放ち始めるユーリ。
(ノア、その子は感情の制御が出来ず、破滅の落とし穴に落ちるタイプみたいね)
マミがノアに念話で声をかける。
マミをミクトラに再び封じた際、外の音声が聞こえるようにした。そしてノアと会話することも可能になっている。
(そうかもしれないけど、先輩も母さんに言われたくないだろうさ。そうならないように、僕が先輩を護るから大丈夫)
(ふん、せいぜい頑張りなさいな)
ノアが力強く言うと、マミは鼻を鳴らした。
「それにしても……魔王だけではなく、魔王を生み出す坩堝まであったよ。絵本世界の住人もあれを利用して魔王になれるんだね」
やはりミヤもあの坩堝で魔王になったのだろうと、ユーリは見なす。
(つまりこの絵本の中で坩堝に行き着く可能性もあるし、俺も魔王になれるかもしれない)
そんな期待を抱くノアであった。
「ダァク・アァアアは、この絵本はリメイクだとも言っていたね。つまり一度人喰い絵本として描いた世界のやりなおし?」
ノアがさらに疑問を口にする。
「リメイクというからにはそうだろうね。アルレンティスさんが絵本の中に出ていた。こっちの世界の住人だとは言っていたけど……」
と、ユーリ。
「勇者の軍は命の輪で強化されていたね。人喰い絵本の中でよく見かけるけど、何なんだろう。先輩も身に着けてるけど」
「命の輪が、ダァグ・アァアアのいる世界にあるものなのかも」
「ああ、その可能性はある。流石は先輩」
「命の輪が人間の命を原料にしているって、勇者は知っているのかな?」
「知っていてやっているのなら大した勇者だ。腹黒勇者とか素敵」
「それって素敵なの?」
ノアの台詞を聞いて、ユーリは思わず笑みを零す。
「というか、物語は終わりかけていたよ。あるいはあれで終わりなんじゃない? 魔王が追い詰められていた。ひどい話だよ。魔王が最後に負けるなんて」
ノアが不機嫌そうな口調で言う。
「それひどいの? というか……魔王が主人公の話だったから、この人喰い絵本の攻略は、魔王を救うことが主目的になるのかな? ダァグ・アァアアがわざわざしゃしゃり出てきている時点で、通常の人喰い絵本とは大きく異なっているようだし……」
そこまで喋ると、ユーリが立ち上がる。
「師匠を探そう」
ユーリが促し、草原を突っ切る街道に視線を向ける。
「例によって念話も通じず、探知も届かず」
ノアが言う。
「でもいつも離れ離れになっていても、わりとすぐに見つかるし」
今回も合流するのにさほど時間はかからないだろうと、ユーリは見ていたが、その見立ては誤りだった。
***
気が付くとミヤは、城の中にいた。
城の内装は見覚えがあった。人喰い絵本に引きずり込まれた際、頭の中の絵本で映し出されていた城――魔王の城の中だ。
「どうしたんだい? イヴォンヌ」
隣の椅子に座っている青年が声をかけてくる。
その男のことも、ミヤは知っている。絵本で見ている。サーレ。悲劇の果てに魔王となった男だ。
「儂がどうかしたかい?」
自分が何者の役になったか、サーレに名を呼ばれたことで理解できた。ミヤは魔王の妃であるイヴォンヌの役になったのだ。
「会話の途中に突然きょとんとした顔をしていた」
「ふん。ちょっと記憶喪失になっただけだよ」
「おやおや、君らしくも無い、変な冗談を言うね」
「冗談ならいいんだけどね。この様子だと――」
ミヤが魔法で感知範囲を広げる。城の内部や城の外の様子を見る。平和そのものだ。絵本の中では、勇者軍が城の中まで攻めてきたが、争いの様子は無い。
(絵本では魔王と勇者が対峙する場面だったが、これは大分時間が巻き戻っているようじゃないか)
城内と城外の様子から、ミヤはそう判断した。
「本当に記憶喪失? さっきの話も忘れた? 勇者ネロという者が、大勢の国に呼び掛けて、連合国軍を組織している話さ。それと――」
「一晩で幾つも占領地を奪い返され、軍団を複数壊滅に追い込まれ、舞踏会はお預けになった話だね。言われて思い出したよ」
サーレの話を聞いて、どの程度まで時間が巻き戻ったか、ミヤは把握できた。
ちなみにミヤは喋り方を変えていないが、自動的な補正がかかるので、サーレには不審に思われない。イヴォンヌの口調で喋っていると、サーレの脳で変換されている。
(貴女は何? 貴女は私? 私が貴女に乗っ取られた? 猫ちゃん)
ふと、ミヤの頭の中で声が響いた。これまた聞き覚えのある声だ。
(おやおや、役になった人物とお話が出来るパターンのようだね)
おかしそうに微笑むミヤ。声をかけてきたのは、現在ミヤが与えられた役である、イヴォンヌだ。
「ちょっと席を外すよ」
「ん? わかった」
断りを入れて椅子から飛び降りたミヤに、サーレが頷く。
(儂は別の世界から来た者だよ。そして――)
廊下を一人歩きながら、ミヤは内にいるイヴォンヌに、人喰い絵本の存在も、自分がサーレと同じく坩堝から力を得て魔王になったことも、全て伝えた。
(別の世界だとか、ここが絵本の世界とか、次世代の魔王だとか、信じられない。でも実際猫ちゃんに体の主導権奪われちゃってるし、嘘ついているとも思えないし)
イヴォンヌはミヤの言葉を信じることにした。
ミヤが立ち止まる。気配を感じたのだ。空間を越えて現れる何者かの気配を。
現れたのは宝石百足だった。
(な、何これっ)
ミヤの目を通して宝石百足の姿を見たイヴォンヌが驚く。
「自分以外の魔王と会ってどんな気分? ミヤ」
心なしか、からかうような響きの声をかける宝石百足。
「ふん。それほど驚いてもいないよ。嬲り神が以前言っていたのさ。魔王は一人じゃないと」
前に嬲り神が言っていた言葉を、ミヤは思い出す。魔王は最低でも二人いると。嬲り神が知る限り、もう一人いると。この絵本の魔王がそれなのだろう。
「ええ。サーレは私や嬲り神が知る、もう一人の魔王よ。その前にも別の魔王がいたかもしれないけどね」
宝石百足が言った。
(そう言えばダァグ・アァアアも言っていたね。魔王が儂等の世界にも現れたと。その言い方からすると、儂が魔王になる前に人喰い絵本の中に、魔王がいたということになる)
ミヤが思い出す。
「坩堝の管理人――あれは何者だい? 儂の時も現れた」
「文字通りの管理人よ。夢の世界の住人。それ以外は私にもわからないわ」
ミヤが問うと、宝石百足は言った。それはミヤも知っていることだ。
「そうだ。丁度いい機会だし、お前にこれを聞いておかないとね。ユーリとお前の関係のことを」
目つきを変え、シリアスな声を発するミヤ。
「何故ユーリは、宝石百足に変身するんだい?」
「私はユーリと精神が繋がっているのよ。あの子は私のことをセントと呼んでいるわね」
ミヤの質問に、宝石百足はあっさりと真実を答えた。直接的に質問に答えたわけではなかったが、それを聞いただけで、ミヤには全て理解できた。
「これだけ言えば、私とあの子の繋がりの意味もわかるでしょう。でも、ユーリを責めないであげて。あの子と私の心を繋げたのは、母親を失ったあの子が心配だったからだし」
「ふん。隠し事をしていたのはお互い様さね」
皮肉げに笑い、息を吐くミヤ。
「でもまあ、真相を知ることができて、少し安心したよ。お前に邪な謀があったわけでもなかったし。儂はお前には何か腹に一物あるんじゃないかと、ずっと疑っていたんだ。まあ、まだ隠していることはあるかもしれないけどね」
宝石百足を疑っていたミヤであるが、宝石百足が正直にユーリとの精神の繋がりを口にしたことで、かなり安心感を覚えてしまった。
「ではついでに私からも、警告しておくわ」
宝石百足が声のトーンを下げる。
「知っての通り、ユーリは神という存在を意識し、ただならない怒りを抱いている。ミヤ、以前貴女は嬲り神に尋ねていたわね。ユーリを魔王にしたいのかと」
「ああ、お前も途中から話に割り込んできたあの時だね」
「ユーリは明らかに魔王の素質があるわ。悲しみを知り、闇に魅せられ、残酷な運命へ――神という形而上の存在に強い怒りを抱いている。私はそれを止めるためにも、あの子と心を繋げ続ける」
宝石百足がそこまで喋り、ミヤの反応を待っていたが、ミヤは喋ろうとせず、押し黙って考え込んでいた。
(どうやら、宝石百足は信用してもよさそうだね。そこまで考えてくれているんだ。儂を騙そうとしているための演技だというなら、逆にクサすぎるし)
ユーリの性質はミヤもとっくに理解していたので、宝石百足の警告内容よりも、宝石百足がその件に触れてきたことに、ミヤの意識は向いていた。
「そしてもう一つ。あの子はダァグ・アァアアに人喰い絵本を描くのをやめさせると言ったけど――」
「ああ、儂の前で表明したね」
小さく笑うミヤ。
「でもその一方で、あの子は人喰い絵本そのものに、同調してしまいそうな気配もあるのよ。かなり多情多感な子だし」
「はっ、だからその場の気持ちに流され、人喰い絵本に同調したり、魔王になったりしてしまいそうな危険性があるって言うのかい?」
注意を促しているつもりの宝石百足を、ミヤは笑い飛ばす。
『ダァグ・アァアアに人喰い絵本を描かせることを辞めさせるために、魔王になる必要があるとしたら、お前は魔王になるかね?』
『なりませんよ。そんなのに。――だって師匠は魔王が大嫌いじゃないですか」
ミヤはユーリとの会話を思い出していた。あの時のユーリの言葉を、ミヤは信じている。
「大丈夫だろうよ。儂はユーリを信じる」
「そう。わかったわ」
ミヤが言い切ると、宝石百足は立ち去ろうとした。
「それともう一つ言っておくわね。気付いてはいるでしょうけど、今回は配役による魂の横軸は無関係。ただしアルレンティスだけは違う。本人が本人の役を務めているから」
「つまりアルレンティスも引きずり込まれたってことかい」
去り際に口にした宝石百足の台詞を聞き、ミヤは言った。
(今のは何なの? 宝石百足って……)
宝石百足が消えた所で、イヴォンヌが尋ねる。
(儂の知り合いだよ。世界を跨いで動ける、この断片世界の神々の一人さ)
ミヤは声に出さずに、心の中でさらりと答えた。




