32-1 三名入りまーす。追加も入りまーす
その日の午後は雷雨となった。突然天候が崩れ、雷と共に土砂降りになった。
黒騎士団本部。
「うっへー、これは異変が起こっていると言ってよいものでしょうかー。人喰い絵本の発生頻度がおかしいですよ」
ア・ハイ各地における、ここ数ヶ月間の人喰い絵本の発生頻度のデータを見やりながら、黒騎士団副団長イリスが言った。
「五日前、ランドさん親子が吸い込まれた人喰い絵本が、最後の報告かー。それ以降は一切人喰い絵本の発生報告無し。ついこないだまで、毎日のように報告あったってのにねー」
「うむ。発生頻度が下がっているのは良いことだろうが、三百年の間、年月の経過と共に増加していったのに、つい最近になって初めて下降傾向にある。喜ぶべきなのに不気味と感じてしまうな」
不審がるイリスに、黒騎士団団長ゴートが思案顔で話す。
「不吉な予感しますねー」
翼を軽くはためかせて、イリスが言った。
「これまでとタイプの違う人喰い絵本が現れることも何度かありましたし、黒騎士団が完全にお荷物扱いされて侵入禁止にされちゃうしで、もう何が何やら」
イリスのぼやきを聞き、ゴートは思い出す。魔術学院に現れた巨大な人喰い絵本。それは黒騎士の侵入を一切禁止され、魔法使いと八恐だけで救出に向かうという、これまでにないケースだった。
(ダァグ・アァアアなる人喰い絵本の創造主の存在が明らかになってから、何やら変化が見受けられる。魔術学院内に巨大な入口が発生し、以前吸い込まれた子が再度吸い込まれた。まあ、その件は一部の者にしか知らされていないが)
ダァグ・アァアアの名自体、騎士団長、一部の魔法使い、一部の研究者、ワグナー議長以外は知らされず、秘匿されている。
「団長、副団長。人喰い絵本発生です。それも二件」
騎士の一人が報告を行う。
「二つとも、常なる人喰い絵本と異なる歪みだそうです。大きく、禍々しいとか。雨が降り出した頃に、発生したそうです」
「同時に二つ、同じ二つ形状か。これまた新しいケースだな」
「二つだけとも限らないわねー。発見されていないだけで、他にもあるかも」
報告を聞き、ゴートとイリスが言う。
緊急事態と見なし、念話装置の魔道具を用いるゴート。相手はミヤだ。いつもなら黒騎士が直接出向いて人喰い絵本攻略を依頼するが、今回は非常事態と見なし、念話装置を用いた。
「ミヤ殿に念話が通じない……」
ゴートが神妙な面持ちで言い、イリスと騎士を見た瞬間、雷鳴が轟いた。
***
黒騎士団本部に連絡が入る数分前。
山頂平野の繁華街。目抜き通り。ディーグルとアルレンティスが肩を並べて歩いている。
「そうそう、昨日ミヤ様と会ってきましたよ。魔王であることをユーリ君とノア君に伝えたそうですね」
「ノアは君じゃなくてさんね。ちゃんでもいいけど」
「男装しているし、言葉遣いも男のそれですから、頭の中は男なのでは?」
「不要な気遣いじゃないかなあ。あの子、メンタリティーは確かに男っぽいけど、そんな細かいことは気にしないタチだと思う」
二人が歩きながら喋っていると、低い音が空から響く。
「ひと雨きますかね」
黒い雲に覆われた空を見上げ、ディーグルが呟いた瞬間、雨が一滴、ディーグルの頬に落ちた。
その時だった。ディーグルもアルレンティスも、すぐ間近で大きな空間の歪みが発生する気配を感じた。
アルレンティスは転移して、ディーグルはダッシュで、その場からの移動を試みる。
ディーグルは上手くいった。しかしアルレンティスは歪みから逃れられなかった。
「人喰い絵本?」
強大な空間門を見て、怪訝に思うアルレンティス。いつもの人喰い絵本とはまるで違う。大きさも違うが、歪み方が異なる。そして禍々しいオーラで満ちている。
(これ、僕が選ばれて吸い込まれている?)
自分の体をがっちりと固定している空間の歪みを見て、アルレンティスはそう結論付ける。
(どうなっているの……。僕が絵本世界の住人の役になることは無いと思っていた。ブラッシー以外の八恐もそうだ。僕達は元々こっちの世界の住人だったんだから)
アルレンティスの体が大きく回転する。回転しながらもアルレンティスは、救いを求めるかのような視線をディーグルに向けた。
ディーグルが駆け出し、手を伸ばしたが、アルレンティスの体は人喰い絵本の中に吸い込まれていった。
「アルレンティスが人喰い絵本に選ばれたということですか」
出現した人喰い絵本を見つめ、ディーグルは呟いた。
(ミヤ様、アルレンティスが人喰い絵本に吸い込まれました。これから私も後を追って中に入ります)
ディーグルが念話をミヤに送る。しかし反応が無い。
(ミヤ様……? 念話が繋がらない? 拒絶しているわけでもないようですが……)
怪訝に思いつつも、ディーグルは返答を待つことなく、アルレンティスを追う形で、人喰い絵本に飛び込む。
ディーグルが人喰い絵本に飛び込んだ直後、稲妻が光り、轟音が響き渡り、本格的に雨が降り出した。
***
黒騎士団本部に連絡が入る数分前。
チャバックは配達の仕事で、山頂平野の繁華街に訪れていた。
「やっほ、チャバック」
「あ、スィーニーおねーちゃん」
スィーニーがチャバックに声をかけ、チャバックは笑顔で振り返る。
「天気崩れそうなんよ。チャバック傘持ってないようだけど大丈夫なん?」
「宅配はもう終わったから、宅配物は濡らさなくて済むけど、降ってきたらオイラは濡れ鼠になっちゃう~」
曇天の空模様を見上げ、スィーニーとチャバックが言った直後、遠くでごろごろと雷の音が聞こえだす。
「あうあう、おへそとられちゃう~」
「ん? 何それ」
変な怯え方をするチャバックを、スィーニーが不思議がる。
「ノアが言ってた。東方には雷様って言う、雷を操る神様がいて、子供のへそを取って食べちゃうんだって」
「ノアの話だからどうせ作り話なんよ」
「そうでもないみたい。ユーリもその話を知ってたからさあ」
「へー……東方の人達って、面白いこと考え――」
スィーニーの台詞が途中で止まった。
スィーニーは見た。チャバックの後方で、空間の歪みが広がっていく様を。
チャバックの体が歪みに捉われ、浮き上がる。
(これ……人喰い絵本? 以前見た人喰い絵本とこれ、違うじゃん。歪みが大きいし、何かおどろおどろしいオーラが立ち上ってるし……。凄くヤバそう)
巨大な空間の歪みを見て、スィーニーは目を大きく見開く。
「ええっ!? またあ!? オイラ三回目だようっ」
自分の身に何が起こっているか察し、悲鳴じみた声をあげる。
「チャバック!」
スィーニーが駆け、チャバックに飛びついたその時、すぐ近くで稲光が走った。
「駄目だよスィーニーおねーちゃんっ! また一緒に吸い込まれちゃうっ!」
自分の体に抱き着く格好となったスィーニーに向かって、チャバックが叫ぶ。
「いいんよっ。チャバック一人だけにしておけないっ」
間近で不敵な笑みを見せて、スィーニーが力強い声を発する。
二人が歪みの中に吸い込まれた瞬間、雷鳴が轟いた。
***
黒騎士団本部に連絡が入る数分前。ミヤの家。
広間にて、ユーリとノアが魔法の修行をしている。ミヤは寝っ転がりながら二人の様子をチェックしている。
「ふむ。ノアも大分筋が良くなってきたね」
「本当に? 自分じゃ実感難しい」
ミヤに褒められ、ノアは自然と微笑が零れる。
「ユーリと比較して、実感できないんじゃないかい?」
「当たり。先輩と比較すると、差が縮まっているように見えない」
ミヤの指摘の鋭さに内心舌を巻きながら、ノアは認める。
「儂の目から見ると、十分成長しているよ。目に見えない部分でね。焦ったり引け目に感じたりしなくていいから、マイペースで頑張りな」
ミヤが優しい声音で言い、時計を見やる。
「さてと、午前の修行はここまでだ。今日の昼は外食にしようか。どこの店にする?」
「やったあ。じゃあ俺は刀傷の安ら――」
ノアのリクエストは、轟音によってかき消された。雷鳴だ。
「近かったね。今の。驚いた」
ユーリが窓の外を見る。ぽつぽつと雨が降り出している。
ふと、ユーリ、ノア、ミヤの顔色が同時に変わった。空間のゆがみが発生する気配を感じ取ったのだ。
次の瞬間、空間の歪みがミヤの家の広間に出現した。
「そんな……うちの中に人喰い絵本が……」
ユーリが呻く。
(大きいし、いつもより忌まわしい雰囲気が放たれている)
歪みを見てユーリが息を飲む。人喰い絵本の入口は、通常の人喰い絵本と比べ、デザインが凝っている。魔術学院に開いたものと同じく、常のそれとは異なる代物と見てよい。
(人喰い絵本は発生すると、有無を言わさず周囲の人間を吸い込むけど、僕達が吸い込まれる気配が無い?)
ユーリが怪訝に思ったその時だった。
「これは……儂か!? 儂が選ばれて……!」
歪みに捉われたミヤが声をあげる。魔法で必死に抵抗するものの、その抵抗が無意味であることもわかっている。
ミヤの体が宙に浮き、歪みの中へと吸い込まれていく。
「師匠!」
ユーリが叫び、魔法で飛び、ミヤの後を追う。
「馬鹿者! 来るな! いや、来るにしても報告してからに――」
ミヤがまず歪みに吸い込まれ、ミヤを追ってユーリが吸い込まれた。
「先輩を止めるべきだった? いや、俺も一緒にすぐに飛び込むべきだった? いずれにしても、ぜんまい巻き遅れ」
一人出遅れた格好になったノアが呟く。
(俺も行こう)
ノアも人喰い絵本の中へと飛び込んだ。
***
暗闇の中に一人の少年の姿が浮かぶ。周囲は闇一色であるにも関わらず、その少年の姿は細部まではっきりと見える。歳は十代前半。おかっぱ頭。水色の瞳。東方の衣装。
「初めましての人もいれば、お久しぶりの人もいるね。今回、絵本が選び、呼び込んだ人は三人。でも絵本に選ばれた人だけではなく、選ばれた者を助けるために飛び込んだ人もいる」
少年は、自分を見ている者全てに向けて、小さく微笑み、声をかけた。
「僕はダァグ・アァアア。人喰い絵本の作者だよ」
少年が名乗り、両手を軽く広げる。
「今回の絵本はリメイク版。大昔に僕が描いた物語に色々と手入れをして、再び作品として出したものだ」
そこまで喋って、一旦区切って、数秒の間を置く。
「すでに過去に起こった出来事をもう一度繰り返すことで、何か重大な変化が起こるかもしれない。魂の縦軸と縦軸との化学反応はあるのだろうか? 描き直された絵本世界の魂はどこから来て、どこへ行くのか? 全ては謎」
答えのない問いかけを行い、瞑目し、息を吐くダァグ。
「何のためにこんなことをするって? 僕も色々試しているんだよ。僕がもう、悲しい絵本を描かなくて済むようにするために。悲しみから救われる物語が描けるようにするために」




