30-2 師匠ラブが過ぎる
サユリがミヤ邸に到着すると、ミヤ、ユーリ、ノアは家の外に出た。
家の前で、ミヤは魔法で空間を歪め、空間の門を開く。
通常空間の転移のための門ではない。歪み方が違う。この空間の門を、ユーリは今までなんでも見てきたし、入ってきた。
「これって人喰い絵本ですか? 師匠が開いたんですか?」
それは人喰い絵本が開いた状態に酷似しているように見えて、ユーリが不思議そうに問いかける。
「似てるけど違うよ。ただの空間の扉だ」
と、ミヤ。
「同一世界の転移のための門と違って、人喰い絵本の歪みに見える」
ノアもユーリと同じ印象を抱く。
「それは、別の世界に通じる扉だからなのだ。しかし行き先は人喰い絵本のじゃないのでして」
サユリが言った。ミヤが開いた扉の先が何であるか、彼女は知っている。
「行くよ」
ミヤが先に扉の中に入る。サユリも続く。少し躊躇い気味に、ユーリとノアも入った。
扉をくぐった先の光景に、ユーリとノアは思わず見とれた。
樹海の中の開けた空間。縦横に長く伸び、あちこちで交差している木製の橋。橋は同じ高さにあるだけではなく、草むらすれすれの所を伸びているものもあれば、樹木の中腹程度の高さで樹々の間を突っ切っているものもあり、樹海の上の高さにあるものもある。
橋の先には、箸と同じ材質の足場の広間もあった。木製の建物も見かける。広間には何人かの人がいて、術の修行を行っている。服装はばらばらで、見たことのない衣装の者も多い。
「うわー、何ここ……森の中に橋だらけ」
ノアがあちこちを見渡して呟く。
「修験場ログスギー。次元の狭間に作られた、世界を渡り歩く者達が集う、術師達の修行場さ」
ミヤが紹介した。
「世界を渡り歩く者? 人喰い絵本のイレギュラーみたいなものですか?」
ユーリが質問する。
「似たようなもんだが、人喰い絵本と儂等の世界以外にも、無数の世界があるんだよ。それらの世界を渡れる者がいる。ここは多くの世界と隣接した狭間の世界であるが故に、次元の壁を超越して移動できる者からしても、来るのは容易いんだ。人喰い絵本とも、夢の世界とも繋がっているしね」
解説するミヤ。
「服装も種族もばらばら」
「エルフやフェアリーが多いのだ。妖精族が多いと言った方でよいのでして?」
ノアとサユリが言う。
「開けたスペースが修行する場?」
ノアが誰とはなしに尋ねた。
「うむ。あちこちにある広間には結界が張ってあるから、力が外に漏れることもない。思う存分力を振るえるというわけだが、広間と通路が重なっているから、たまに通行人が巻き込まれる。お前達も気を付けな」
「通路と混ぜちゃ駄目だと思いますけど……」
ミヤの注意を聞いて、結界の意味がよくわからないと感じるユーリだった。
「色んな世界の術師の修行場ですか……。でも。僕等の世界で、こんな場所があるなんて話、全然聞かなかったですけど、意図的に秘匿されているんですか?」
「ああ、基本的に大っぴらには口外せず、才能有る選ばれた者だけを呼び込む形だね。儂も昔は利用した。お前達ももう少し修行を積んだら、ここに連れてくるつもりだったけど、別の目的で来ちまったね」
ユーリの疑問に答えるミヤ。
「見た事も無い術式だ」
広間での修行風景を見るユーリ。
「自然豊かで和む」
「ノアちん、自然が好きであるか?」
緑の多さに口元が緩むノアを見て、サユリが微笑みながら問うた。
「その呼び方やめろと。まあ好きだよ。呼び方じゃなく自然の方ね」
「呼び方も好きになって受け入れるといいのである」
「拒否拒否拒否拒否」
サユリの言葉を断固として拒むノア。
「サユリさんも凄く上機嫌ですね」
「ぶひひひ、そう見えるであるか? 実際ウキウキでして。だって一週間しないのに師匠に会えるのだ」
ユーリが言うと、サユリはにたにたと笑う。
「一週間しないのに師匠に会えるって?」
ユーリが訝る。
「師匠は一週間に一度しか来ちゃ駄目だって言いまして。悲しいのである。サユリさんは四六時中師匠とべったりしていたいのだ」
「サユリがそんなに師匠大好きってことは……ひょっとしてサユリの師匠って豚?」
「御名答なのだ」
ノアの指摘に、サユリは笑顔で頷く。
「彫像になっていた爺が何者かは、どうして封印されていたかは、サユリの師匠であるオトメさんの前で全て話すよ。さて、行くよ」
ミヤが歩きだす。三人もついていく。
「兄弟子のメッサラーってどんな人だった?」
ノアがサユリに尋ねた。
「サユリさんも兄弟子メッサラーがどうして封じられていたかは、よく知らないのだ。というかメッサラーと面識はあるけど、どういう人かよく知らないし、興味も無いのだ。偏屈そうで、面白くなさそうな爺だったのだ」
と、サユリ。
「ここは各世界の犯罪者が、隠れる場にもなっているのが厄介な所なんだよ」
「無法地帯なの?」
ミヤが言い、ノアが尋ねる。
「そこまではいかないが、ここの管理者達は争いごとを嫌がる性質でね。基本的には利用者同士の争いは御法度なんだ。犯罪者の隠れ家になりがちという事態も把握しているから、対処もされている。事前に犯罪者の申請をして、討伐許可を取る形でね。それでもなお、各世界の多くの術師や魔法使いの犯罪者達が、ここに潜伏しちまっている有様さ」
修験場ログスギーの裏事情を解説するミヤ。
(ちぇっ、つまらない)
自分も犯罪しまくったら、ここに隠れられないかと期待していたノアであった。
「おー、久しぶり。ミヤ」
白い服を着た、非常に小柄な少女が現れて、親しげに手をあげる。
「ああ、元気にしてたかい? メープルT」
「こっちは元気だけど、ミヤは大丈夫なの?」
メープルTと呼ばれた少女が案ずる。
「ぼちぼちさ。で、犯罪者駆除の許可が欲しいんだけどね」
「その手続きはここでは出来ないから、後で管理事務所に来て頂戴」
「メープルFは解放されたよ。知っているかい?」
「ええ、本人がここに訪れたよ」
「ところでメープルCは……」
「そいつの名は出すな」
しばらくミヤと会話してから、メープルTは立ち去った。
「メープルFの他にも色々いるんだね」
「メープル一族はあちこちの世界にいるよ。あいつらは世界を渡り歩き、並行世界と魂の横軸の謎を解き明かさんとする一族だ。まあ、その目的を忘れて、世界に滞在しっぱなしになっちまっている奴もいるけどね」
ノアが言うと、ミヤがメープル一族について話す。
それからまたしばらく歩くと、橋の先に樹木と融合するかのような形の家があった、
「とーちゃーくっ」
サユリが声を弾ませ、家に向かって走りだす。
サユリが飛び込んだ扉を、ミヤ達三人も遅れてくぐる。
「おやおや、お客さんが沢山ねえ。嬉しいわあ」
老婆の声が響く。
家の中に入ると、一頭の巨大な豚がいた。頭には中折れとんがり帽子を被り、首にはマントがかけられている。
「わーい、師匠師匠、一週間経たないのに師匠にまた会えたのだ~」
豚に抱き着いて、嬉しそうに顔を摺り寄せるサユリ。
「あらあら、お客さんの前で恥ずかしい子ねえ」
サユリを見て笑う豚。
「喋る豚の魔法使い。これがサユリの師匠か」
ノアが豚を見て、納得気味に呟いた。
「どうも、御無沙汰しております。オトメさん」
「ミヤちゃん、随分とお久しぶりねえ。また会えて嬉しいわあ」
「師匠が敬語っ!」
「師匠をちゃんづけ!」
ミヤと豚――サユリの師匠オトメの会話を聞いて、驚くユーリとノア。
「オトメさんは儂より年長者だと言ったろう。オトメさん、この二人は儂の今の弟子です」
「あら、二人も弟子をとったの? それならばまだまだ大丈夫かしら? 魔法使いオトメと言います。ここにいるサユリの師匠です」
丁寧な口調で挨拶するオトメ。
「師匠はいつもふかふかぷにゅぷにゅなのだー。ミヤとノアちんとユーリも抱き着いてみるのだー。すりすりぷにょぷにょしてみるのだー」
「サユリがああ言ってるけど、やっていいの?」
「よくないよ。するんじゃないよ」
サユリに勧められて伺うノアだが、ミヤはぴしゃりと制した。
「サユリの影響で、俺も豚が可愛く見えて仕方なくなってる。特に顔」
「ぶっひっひっひ、ノアちんもこっち側に来たのだ」
「行ってない――と言いたい所だけど、行きかけてる気もする」
にやにや笑うサユリに、ノアは何とも言えない微妙な表情になる。
(ちなみに、オトメさんは儂の正体も知っているよ。儂が魔王やっていた時、敵として戦いもした)
念話でユーリとノアに語り掛けるミヤ。
「オトメさん、あまりよろしくない事態が起きましてね」
「気が付いているわ。メッサラーの封が完全に解けたのね」
ミヤが本題を切り出すと、オトメも真面目な声を発した。
「本来、師である私が受け持つべき問題なのに、ミヤちゃんに任せちゃって、申し訳ないことよ。私も歳でねえ」
「ふっ、オトメさん、無理なさるな。ここは一つ、修行も兼ねて弟子達に任せてみるというのは如何か」
「あら、いい案ねえ。そしてそんな大役を任せられるなんて、立派なお弟子さんということね」
ミヤの言葉を聞き、オトメがユーリとノアを交互に見やる。
「ノアちんとユーリにお任せであるか。頑張ってくるといいのでして」
「サユリ、貴女も行ってらっしゃい」
見送りモードのサユリに、オトメが告げた。
「えー? 嫌なのだー。あたくしは師匠とずっと一緒がいいのだー。ここで師匠に抱き着いているから、ミヤ達でアホな兄弟子の始末つけてくるといいのだー」
「どんだけ師匠ラブなの」
オトメの顔に高速で顔をすり寄せて駄々をこねるサユリを見て、呆れるノア。
「メッサラーという人も、ここにいるのですよね?」
「間違いなくここにいるさ」
ユーリが伺うと、ミヤが断言する。
「何のためにです? ただ隠れるためだけ? ここには自分を封じた師匠であるオトメさんもいるというのに」
「隠れるだけではなく、他にも目的はある。奴は不死の魔法使いであるが、完全な不死など有り得んよ。修験場ログスギーにこそ、奴の不死の源があるからなのさ。そして奴の目的を叶えるものもある」
ユーリの疑問に答えるミヤ。
「メッサラーには協力者が二人いたわ。多分その協力者に接触するのでしょうね。協力者もこのログスギーにいるから」
オトメが言った。
「それよりさ、メッサラーって人がどんな人で、何で封印されたかとか、全然知らない。サユリの師匠と会ったら喋るって言ってたよね?」
「ああ、今から話すよ」
ノアが伺うと、ミヤは話しだした。
***
メッサラー、エスタン、ベ・ンハの三名は、修験場ログスギーのとある場所へ向かう。
そこは深淵などと呼ばれている場所で、ログスギー利用者の立ち入りは禁止されている。しかしただ禁止と通達しているだけで、見張りがいるわけでもなく、結界が張られているわけでもない。
移動しているのはメッサラー達三名だけではない。他にも三名いた。計六名だ。
六人の歩いている周囲の風景が、徐々に変化していく。次第に薄暗くなっていき。そのうち道以外は何も見えない。漆黒の空間となった。しかし周囲が真っ黒であるにも関わらず、歩くメッサラー達の姿は見える。光は差し込んでいる。
メッサラー達の後方を歩く三名は、揃って虚ろな表情をしていた。彼等はメッサラーが元の世界から連れてきた一般人だ。ベ・ンハの術によって操られている。
六人が足を止める。彼等の前に無数の異形が現れたのだ。
上下に激しく揺れる銀色の小さな十字状の群れ。淡い光を放つ細長い直方体の群れ。激しい明滅を繰り返す緑の半透明の巨大な桃のようなもの。踊り狂う幾何学模様のようなもの。螺旋状に渦巻くピンクの光。
「久しぶりに御目にかかるな。高次元領域の住人」
「これに知性や精神があるなんて信じられませんねー。これとか、ただの幾何学模様が踊っているみたいです」
メッサラーとエスタンが言う。
「これよりコンタクトを取る」
「うまくいけばいいがな」
メッサラーが宣言すると、ベ・ンハが振り返り、後方いる三人を歩かせて、高次元生物達の元へと歩ませた。
「この人達、ハーフゾンビですよね」
のろのろと歩いて行く三人を見て、エスタンが言う。
「ハーフという呼称もどうかと思うがな。しかし確かに体は半分死んでいる。そして半分は生きている状態だ。俺の術によって、生きたままゾンビ同様の状態にして、操っている。こうした方が、さらってくる手間が省けるのでな」
ベ・ンハが解説していると、三人に変化が生じた。
一人は螺旋状に渦巻くピンクの光の中に入ったかと思うと、体がぞうきんのようにねじれていき、段々と細くなり、やがて螺旋状に渦巻くピンクの光へと変化する。もう一体出現したピンクの光と共に、二体は仲良くどこかに行ってしまった。
一人は淡い光を放つ細長い直方体の群れの中に入り、体中が黒ずんでいったかと思うと、全身がぼろぼろに崩れていき、果てた。
最後の一人は、緑の半透明の巨大な桃から放たれる光を浴び、全身が色とりどりの糸状になった。
「これは……成功ですか?」
カラフルな糸が複雑に絡まって蠢き続けている糸人間を見て、エスタンが苦笑しながら問う。
「成功とは言い難いが。一応の成果だ。しかし我々の目的には遠い」
メッサラーが腕雲しながら糸人間を見て、重々しい口調で告げる。
(偉ぶってないできっちりと仕事しなさいよ。三十年も封印されたまんまで、その間こっちは何もできずだったんですかー)
そんなメッサラーを見て、エスタンは口の中で忌々しげに呟くのであった。




