28-4 皆で殴りに行こう
さらに一日が経過した。
「先輩、昨日はびっくりしたね」
広間の掃除をしながら、ノアがユーリに声をかける。
「うん……まあね」
同じく掃除をしながら、浮かない顔で頷くユーリ。
「正直信じられない。現実感無い。婆が魔王とかさ。でも婆はあっさりと認めちゃってたし、ジャン・アンリの指摘も理に適っている。八恐の三人の婆へのあの接し方は、婆が元魔王だとすれば納得。八恐の師匠設定より、そっちの方がしっくりくる」
「色々聞きたいこととか、知りたいこととか、沢山あるんだけど、師匠は多分――教えてくれないよね」
「どうして婆が魔王になったのかとか、どうして魔王やめたのかとか、どうして死んでいることになっているのかとか、色々あるね。確かに」
「あの様子だと、師匠は魔王になったこと、すごく悔いて嘆いている。物凄く罪悪感を抱いていたし……。聞きづらいよ」
「そうだね。きっと話したくない事情がいっぱい。ああ――そうか。だから婆は魔王の話題を嫌っていたんだ」
ユーリに言われた時点で、ノアは察した。
「うん、それに師匠は時々、魔王はろくでもないものだとか、魔王を恨めとか、そんな発言もしていたよ」
まだユーリが小さい頃から、それはずっと言われ続けていたことだ。
(つまり婆は、坩堝を使って魔王になる方法を知っているわけだ。何とか聞き出す方法無いかな。これはカモネギ級のチャンスが巡ってきたと考えていい? でも……婆のあの様子だと、俺が魔王になるとか言いだしたら、マイナスポイント五桁くらい食らいそうだしな……。うーん……悩ましい、もどかしい)
運命は、魔王になりたいと願う自分を後押ししてくれていると、ノアは感じる。導線が引かれていると思う。だが届きそうで届かないもどかしさもある。手を伸ばせばすぐ掴めそうな星が、実際には途轍もなく遠くにあるような。
「はんっ、何をこそこそと人の陰口叩いておるか」
扉が開き、ミヤが自室から出てきた。
「別に陰口じゃないけど」
ノアがしれっと言った。
「どうせ昨日のことだろ。これ以上は儂も触れたくないよ。そして儂が魔王だったことで幻滅したなら、出ていってもいいんだよ」
「幻滅なんかするわけないでしょう。昨日も言ったじゃないですか」
(むしろ尊敬する……って言ったら絶対ポイントをマイナスされるから言えない)
ミヤの言葉に対し、ユーリが悲しげな顔で言い返し、ノアは口の中で呟く。
「ユーリ、昨日のあの後で、儂の口からこんなこと聞くのもなんだけどね」
言いづらそうに前置きするミヤ。
「お前は母親のことも覚えているよね?」
「ええ……ほんの少しだけですけど……」
母との思い出の記憶は、多少はあるが、母の顔はぼんやりとしか覚えていないユーリである。
「時々思い出しておやりよ」
「墓参りで祈る時に、いつも思い出しています」
「そうか……」
ユーリが言うと、ミヤは小さく微笑んだ。
その時、呼び鈴が鳴る。
扉を開けると、そこにはチャバックがいた。
「おや、どうしたんだい? チャバック」
「えっと……そのちょっと……」
ミヤが声をかけると、チャバックはうつむいてもじもじとする。
「元気がないね。まあ中に入りな」
ミヤに促され、チャバックが家の中に入る。
「最近俺の会社で仕事してなくて、金貰いに来た? いいアイディアが浮かばなくてさ」
「違うよう……」
ノアが気遣ったが、チャバックは否定した。
「実はオイラ、昨日シクラメに変なこと言われて、それが凄く気になってるんだ」
「変なこと?」
「よし、今から皆でシクラメを殴りに行こうか。泣いて謝っても許さない。息の根が止まるまで殴り続けよう」
チャバックの話を聞き、ユーリが訝り、ノアが殺気を漂わせて立ち上がる。
「ノア、気が早すぎるって。何言われたかも聞いていないのに」
「お前ねえ、この時点でシクラメが悪いことしたと断定するのは、気を急きすぎだよ」
ユーリとミヤの双方に制されるノア。
「大体殴って解決する話かどうかもわからないよ」
「うーん……そうなのかな。俺の直感だと、殴ればそれで済む話の気がするけど、どうなのチャバック?」
ユーリに言われるも、なおも自身の考えを根拠もなく主張しつつ、ノアはチャバックに伺った。
「別にシクラメはオイラに悪口言ったとか、そういうんじゃないんだ」
「だってさ、ノア」
「お前の直感はあてにならないね」
「ぐぬぬ……」
チャバックの言葉を聞き、ユーリとミヤにジト目で見られ、ノアは悔しげに唸る。
それからチャバックは、昨日シクラメに言われたことを、三人の前で話した。
「なるほど。存外、的外れとも言えないね」
ミヤが言う。
ミヤはチャバックに以前から特別なものを感じていた。強く古い魂の持ち主であることもわかっていた。個人的に、魂の古い縁も感じていた。少なくとも魂の縦軸――チャバックの前世が、自分の知り合いの誰かであることはわかっている。それが誰かまではわからないが。
「二度も人喰い絵本に吸い込まれた時点で、シクラメの言っていることは、わりとあっているように思えるよ。あっちの奴等は、チャバックを特別視している。チャバックに何かあると見ていると、そう考えるのも頷けるさ」
「嬲り神、オイラの夢の中に現れたこともあるんだよねえ。落ち込んでいたオイラを励ましてくれて、ジヘを連れてきてくれた」
「チャバック、お前も嬲り神に気に入られちまっているのかねえ。ユーリとノアも気に入られているようだが、儂はあ奴を信用しておらん」
チャバックの言葉を聞いて、ミヤは警告気味に厳しい声で告げる。
「俺も信用してないよ。あいつは駄目だ。不潔すぎる。あんな不潔デザインの時点で駄目。痛すぎる」
「お前と儂では信用しないポイントが大分ズレているようだけどね」
ノアの台詞を聞いて、ミヤが言う。
「じゃあ師匠はあの、オレサマ不潔マンだぜーアピールするセンスを、認められるっていうの?」
「いや、だからそういう問題ではないと言っておるんだが……。なら逆に訊くが、ノアは嬲り神がまともな格好をしていれば、信じられるのかい?」
「んー……ああ、そうか……。まともな格好でも、正直信じられないね。黒幕気取り、トリックスター気取りで嫌な感じだ。でもミカゼカも同類ってぽいけど、師匠はミカゼカのことは信じているよね」
「ここでミカゼカの話まで持ち出さんでもいい。ややこしいわ」
ノアとの会話に疲れて、嘆息するミヤ。
(ミカゼカは魔王の部下の八恐だったからこそ、魔王である婆は、信頼して疑っていないわけか。少なくとも自分には逆らわないと思っているんだ)
納得するノア。
「それでもオイラは……嬲り神が悪い人には思えない」
「師匠は嬲り神のことをひどく危ぶんでいますが、僕もチャバックに同意見です」
「そうかい……。しかし警戒はしておきな」
チャバックとユーリが揃って主張し、ミヤは渋い顔で言った。
「それとチャバック、シクラメは別にお前を利用しようとか、そんな企みは無いと思うよ。むしろ守ってくれるだろうさ。だから同じ魔術学院にいるなら、頼っていい」
「わ、わかった……。猫婆を信じる」
ミヤに言われ、チャバックが頷く。
「チャバックは師匠を猫婆と言ってもいいのに、俺が婆呼びするのは許さないってどういうこと? 差別?」
ノアが不満げに疑問をぶつける。
「お前は儂の弟子であるうえに、保護下にある身だよ。何でそんな立場の奴が、儂を軽んじる呼び方ができるんだい。そんなこともわからないのか。マイナス4」
「ひどいよ師匠。今注意されたばかりで、そんなこともわからないのかって言い方がひどいよ。マイナス多いのもひどいよ」
ミヤに叱られ、ノアは文句を垂れて頬を膨らませた。
***
罪という概念は人の物差しで測られる。その基準は絶対ではない。
法が定めた罪に抵触せずとも、人は、人の心が作った罪という物差しに測られる。
法が定めた罪に抵触せずとも、人は知らぬうちに、誰かの作った物差しで罪を犯している。
夜。ランドは一日の仕事を終え、自宅で娘と妻と共に夕食を取っていた。
「昨日の店さあ、いまいちだったなー。もっといい店行きたかったなあ。ブラッシーと会えたのはラッキーだったけど」
食事の最中、娘のアウリューが不満を口にする。
「連れていってもらってそれりゃねーだろ」
アイパッチを小指で掻きながら、顔をしかめるランド。
「何よ。別にケチつけたわけじゃないし。要望を言っただけですけど~? 正直な気持ちを述べただけですけど~?」
「頭の中に思い浮かべたことは、何でも口にしていいってか? そいつを言われた人間の気持ちは斟酌しねーってか? じゃあ俺も思っていること片っ端から言ってやろうか?」
アウリューの態度にいい加減腹に据えかねたランドが、怒気を孕んだ声を発する。
「あなた……やめてください」
「ああ……すまねえ。今のは大人げなかったな」
妻のメルルになだめられ、頭を掻くランド。
(俺がこんな風にならなければ、アウリューももっと素直に育ったのかねえ?)
ランドは確かな罪悪感を覚えている。それは家族に対しての引け目だ。自分の今の在り方。自分の性格のせいで、娘とぎくしゃくしている。妻にも心配ばかりかけている。
まるで自分は罰せられない罪人だと、そんな認識まで、ランドの中にはある。
「父上さ、毎日酒浸りなことも騎士団で有名になっちゃってるみたいだよ。下級の平民と一緒に飲んでるとかさー。友達にからかわれちゃってる私のこと、可哀想だと思わない?」
「お前、そういうからかい方する友達とは縁切っておけ。ろくなもんじゃねーよ。下級な平民と付き合ったら恥ずかしい? 俺はあいつらを下級だなんて見下したことは一度もねー。そうやって人を見下す奴は軽蔑するけどな」
「はあ? そもそも父上に原因があって、父上が悪いのに、私が悪いみたいに説教するとか卑怯よっ」
「何言ってんだ。お前のその考え方は疑いようもなく悪いし、お前にそんな考え方する馬鹿になってほしくねーし、注意して当然だ」
「ちょっと二人共……やめてください……」
段々言い合いがヒートアップしていくランドとアウリューを見て、狼狽しながらも制止をかけるメルル。
「仕事から帰ってくたびれてるってのに、けったくそ悪い」
「そういう言葉遣いだって、貴族に相応しく……って、何でまた酒飲もうとしてるのよっ。お酒やめてよっ。酒浸りの父親なんて恥ずかしいのっ」
アウリューがヒステリックな声をあげる。ランドは酒癖が悪いわけではないが、わりと酒は飲む。そしてアウリューは酔っ払った父親を見ることが大嫌いだった。
「あのなあ……酒で気持ちよくなれるからこそ、俺は日々の仕事にも――」
ランドの台詞は途中で中断した。
突然空間が大きく歪み、開いた穴の中に、ランドとアウリューが吸い込まれて消えた。
「ひぃっ! あ、あなた!? アウリューっ!」
目の前で起こった現象に、メルルは顔を引きつらせて悲鳴をあげる。
「人喰い絵本……」
目と鼻の先にある空間の歪みを凝視し、メルルは呆然とした顔で呟いた。
28章はここで終わりです




