5-2 イレギュラーを乱発しよう
朝。ユーリは家の掃除をしている。
魔法で雑巾を操り、笑顔の爺の彫像がくっついた古い柱時計を丁寧に拭く。これはただの掃除ではなく、修行の一環でもある。ただ掃除するだけなら、魔法でもっと手早く汚れを消去できる。念動力で物体を精密に操作するための修行だ。
ミヤはその間、いつも通り祭壇に祈り続けている。昼夜を問わず、ミヤは暇さえあれば祈りを捧げている。
掃除を終えたユーリは、本格的な修行に入る。ミヤは祈りを終え、ユーリの指導に入る。
「今日から上位の基礎訓練に入ろうかね」
「まだ基礎訓練するんですか?」
ミヤの言葉を聞いて、不服気味になるユーリ。
「お前ねえ。基礎訓練は何時になっても続けるもんなんだよ。儂だって未だにやっておるわ」
ユーリの言葉を聞いて、呆れるミヤ。
広間の中央で、ユーリは立ったまま瞑目する。
「集中力と想像力は、まだまだ伸ばせる。頭の中で繊細なイメージを広げるんだ」
ミヤが告げる。ユーリは返事をせず、ミヤの言う通りに、頭の中でイメージを紡ぐ。頭の中で世界を思い描き、より細かく、よりリアルな映像を思い描く。
「魔術師は口に出して呪文を唱えることで、言霊の力を借りて魔術という超常の力を引き出せる。魔法使いは呪文を使わずに、イメージだけで行う。しかし頭の中で言葉を紡ぐのも有りだね」
「師匠も頭の中で言葉を紡いでいるのですか?」
目を閉じたまま、ユーリが尋ねる。頭の中で言葉を紡ぐという話は、この時初めて聞いた。それはこれまでの魔法の概念には無かったやり方だった。
「短い言葉を紡ぐこともあるね。強い魔法を使う時限定の話だよ」
ミヤが答えた。
「言葉の後押しが、イメージの強化になるんですかね」
ユーリからすると疑問だった。心の中で言葉を出した所で、上手くイメージと繋がらない気がする。
「それはお前の心の中での処理次第だね。私の言うことが全てでもないさ。自分にあったようにやればいいよ。魔術と比べて、魔法は不規則な代物だからね。大きく、深く、広い。だからこそ扱いも難しくなる。想像力も、大きく、広く、深くするんだよ。慣れてきたら速くもね。想像力が創造力に繋がるのさ」
ミヤが穏やかな口調で指導する。
呼び鈴が鳴る。一回だけだ。
「おはようございます。ミヤ殿」
ミヤが魔法で扉を開けると、黒い甲冑姿の髭面の中年男が一礼した。黒騎士団長のゴートだ。
「ゴートか。よく来たね」
呼び鈴が一回ということは依頼ではない。何かの報告か、あるいは世間話だろう。
「ユーリ、茶を淹れな。東洋のグリーンティーがいいね」
「はい」
「お構いなく」
ミヤの命にユーリが頷くと、食器棚から茶器が飛び出し、テーブルの上へと移動する。魔法で茶器を動かしている。さらには急須の中にお湯を発生させ、茶葉を淹れる。
「XXXXはあれから全く現れていません」
椅子に座り、茶碗を手にしたゴートが言う。
「儂に補足されるのを恐れて、鳴りを潜めているんだろうさ。しかし、あ奴は殺人を堪えきれず、きっと近いうちにやる。そういう奴だよ。あっち側にいった奴は、そういう風になっちまうものよ」
ミヤが重々しい口調で語る。
「XXXXが鳴りを潜めた代わりというわけではありませんが、人喰い絵本の発生件数が上がっていますよ。それに地方では魔物の被害も増えているという話です」
ゴートも重々しい口調で報告する。
「魔王とは本当にろくでもないものですな。三百年前、人類に多大な害をもたらしたあげく、死んだ後も多くの災厄を残し、人を苦しめ続けている」
「ああ、その通りだよ。魔王ほどろくでもない存在は、この世界で他におらんね。魔王こそ世界で一番の悪だ」
ゴートの言葉に、吐き捨てるように同意するミヤ。
(師匠は随分と魔王のことを憎んでいる。師匠も僕と同じように、魔王のせいで大事な人を失ったってことなのかな? 詳しくは語ってくれないけど)
暗い感情を漂わせるミヤを見て、ユーリは思った。
「故に、魔法使いのような力を持つ存在は、傷ついた世界を修復するためにも、その力を力無き者のために振るわねばならん――が、利己的な者も出てくるのは仕方ないことだね。しかしそれがよりによって連続殺人犯とはね」
話題はXXXXに戻る。
「性癖を満足させるために力を振るい、命を奪う。こんなの、許せませんね」
ユーリが口を開く。
「復讐なのかもしれないけど、あの女を見た感じだと、性癖の方だろうよ」
マミと一戦まみえた事を思い出すミヤ。
「そして……あ奴は近いうち、儂らを襲ってくるだろうね。十年以上も殺しを続けてきたが、とうとうその正体を掴まれた。儂らを脅威と見て、排除しにくるだろうさ。ユーリ、単独行動する時は気を付けるんだよ」
「大丈夫ですよ」
警戒を促すミヤに、ユーリはにっこりと微笑む。
(XXXXが来る時は、ノアが教えてくれますし)
ゴートの目を気にして、念話で語りかけるユーリ。
(それでも油断禁物だよ)
ミヤが念話で釘を刺した。
***
「何だ……この不潔な者は……」
魔法で操り人形にされていた貴族の当主も、一緒に引きずり込まれていた。魔法は解けている。嬲り神を見て鼻白んでいる。
嬲り神は身を引きずるようにしてよたよたと歩き、へらへらと笑いながら、人喰い絵本に吸い込まれた者達を見渡す。
「イレギュラー? ていうかこの人は?」
マミと嬲り神が口にした言葉に反応してから、嬲り神を見て眉をひそめるノア。
「これは嬲り神。私も話に聞いていただけで、見るのは初めてよ。図書館亀なら会ったことあるけど。こいつもイレギュラーね」
嬲り神に警戒の視線を向けながら、マミが語りだす。
「イレギュラーというのは、複数の人喰い絵本を跨る存在、あるいは絵本世界から現実に持ち替えることが出来た物や人を指すの。宝石百足、嬲り神、図書館亀、『八恐』のアルレンティスが持つ王蠍、ナイトエリクサー、聖果カタミコ、月のエニャルギーなんかね。通常、絵本世界の中の物は外に出せないし、人を連れ出すことも出来ない。絵本から絵本へ渡るのも無理。でもそれが出来る者、出来た物がイレギュラーと呼ばれるのよ」
マミがイレギュラーに関して解説する。
「イレギュラーの中には強い力を持つ魔道具の類もあるため、高い価値があるけど、イレギュラーのおかげで、世界の法則が変わってしまったという説もあるわ」
「へっへえ、興味深いねえ。例えばどんな風に世界が変わった~?」
嬲り神が興味を示した。
「あくまで説よ。昔、月のエニャルギーが一部人喰い絵本から持ち出され、月から魔力が生じて、全ての魔術師、魔法使い、一部の魔物、エニャルギーそのものの魔力が、月齢によって変化するようになったという説があるわ」
「で、お前はイレギュラーの力が欲しいわけか」
嬲り神がマミを見て、呆れたような口振りで言った。
「昔ね、月のエニャルギーの力を見たことがあるのよ。あれは凄まじかった。あれと同等かそれ以上の力が、人喰い絵本の中にあるという可能性を考えれば、リスクを冒してでも、人喰い絵本の中に足を踏み入れる価値はあるわ。ただ、最近は諦め気味だったけどね。今はもう協力者もいないし」
「なあるほど。俺を持ち出しても意味は無いと思うけどね~? できるもんなら試してみっかあ? はははははっ」
マミの話を聞き、嬲り神は揶揄する。一人おかしく笑って嘲る嬲り神に、マミは特に腹も立てていない。くだらない存在を見下しているかのように、冷然と見ている。
「さてと。おかしな配役だな。母と娘で、絵本の物語の設定では、不倶戴天の敵同士。親子で殺し合う筋書きかあ~? こいつは見物だなあ」
嬲り神がネチネチした口振り言った台詞に対し、ノアは期待が沸き起こる。
(つまり物語の進行のためには、母さんを殺さなくてはならないってこと? つまりこれは、母さんを殺すチャンス?)
自分とマミが戦っても、とても勝てやしない。しかし人喰い絵本の物語による後押しで、その可能性が出てこないかと、ノアは期待していた。
「ここで私とノアがいきなり殺し合いをするっての? 例えそうなったとして、勝敗は見えているじゃない」
冷たく言い捨てるマミ。
「勝敗が見えている云々は、俺の知る所じゃねーなあ。しか~し、これは正規の配置とは違う。説明したかった事があったから、俺の前に全員集まってもらった。今回の物語は配役も含め、特殊な点が多かったからな。お前達のためにルールを説明しておくっていう、俺の親切心さァ。今回の人喰い絵本の攻略そのものが、変則的そのものってね」
嬲り神が人喰い絵本のルールについて語る。
「絵本の中に引きずり込んだ際、物語を途中まで見せて、その先からスタートだ。いつもはな。今回はちと違う。わりと先の展開まで見せた。つまり――お前達の物語のスタート地点は、引きずり込んだ際に見せた話の中間まで遡って、そっからスタートだ。具体的に言うと、人間達がやってきて、ステラ族を殺しまくった所が、お前達のスタート地点な~。物語に沿う形でもいいし、沿わなくてもいい。何で先まで見せたかって? 話の構成上の都合って奴だぜ。今から戻すポイントまでしか物語見せなかったら、わけがわからず終わる可能性が高い。さっき見せた物語の続きからスタートじゃ、ただ殺し合って終わるだけ。その選択肢では多分バッドエンドしかないと俺は見た。だから猶予とネタバレを与えた」
「何言ってるんだ……あいつ……」
「全然わけがわからないわ……」
「私達どうなってしまうの?」
貴族と召使い達が不安がる。彼等は人喰い絵本の話がほとんど理解できなかった。
(俺が絵本の一人称の、ステラ族の主人公。名前も無い奴。でもこいつは気に入ったよ。異端児だ。突然変異だ。羊の群れの中で生まれた狼だ)
主人公の性格と行動に、ノアはいたく好感を抱いていた。自分と通じるものが多くあると感じた。
「あれ? 母さん?」
突然マミの姿が消えたので、ノアは周囲を見回す。広がる草原。近くの海岸。どこにもマミの姿は無い。
「言ったろ? 理解してなかったか? アホ脳みそだったか? あの女の役は、人間の狩人の役だ。今ここにはいない。俺は親切だからもう一度言ってやるぞ? 物語のスタートは、人間達が攻めてくる所からだ。お前達はステラ族の役だから、敵同士ってこと」
嬲り神がノアを見て、真っ黒な汚い顔に歪んだ笑みを広げて、ねちっこい喋り方で念押しする。ノアはそんな嬲り神を見て、極めて不快な気分になる。
「じゃあな。俺が親切で気遣ってやったんだから、上手くやれよ? ははっ」
そう言い残し、嬲り神は消えた。
「これは――運命は俺に味方してくれた。世界は俺の勝利を望んでいるんだ……。そうに違いない」
嬲り神が消えてから、ノアは声に出して呟き、笑顔で青空を見上げた。
(ユーリとあの猫の婆の力を借りるまでも無い。今この絵本の中で、絵本のシナリオに沿って、俺が母さんをぶち殺してあげるよ。きっとこの絵本は、そういう筋書きなんだ。そのぜんまいが今巻かれたんだ)
ノアの心はかつてないほど激しく昂っている。まるで心の中に嵐が吹き荒れているように、闘志と期待と高揚と興奮が入り混じり、荒れ狂っていた。




